日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「手作業」という文化

2008-07-31 07:54:24 | 日本語の授業
 夾竹桃が満開になると、淡いピンクで染められた道を走っているような気分になります。けれど、一つ角を曲がると、今度は「馬に喰われけり」の清楚な木槿が道を縁取り、学校に着くと、なぜか三色菫が入り口で迎えてくれる…今は何月だっけ。そんな気になってくるほど、季節感が感じられません。

 蝉の声もまだ喧しくない(あの声が真夏の昼空に響き渡ると、それだけでジリジリと肌を灼かれているような気分になってきます)のに、夕方には虫の音があちこちの空き地から響いてきて、秋を錯覚させる…。変だ、変だ。異常だなんて言っているうちに、これが常態化してしまうのかもしれません。季節感は「過去の『歌』の世界」にしか存在しない…なんてことになってしまうのでしょう、いつかは。

 食べ物の世界では既にそうなっていますもの。「トマトは夏のものであり、ブドウやナシが出回ると、秋になり、運動会の季節が始まる」。こう書くと「なんと古めかしいことを。時代遅れだ」。そんな気がして来るではありませんか。それは「遺老の懐古」…なのです。けれども、そういう「やせ我慢」も、「日本の文化」の一つだったのではありますまいか。「欲しくても、欲しがらない。買うことが出来ても、買わない。持つことが出来ても、持たない。自分の信条と照らし合わせて事を行う」というのが。

 「『ツケ』は、いつかは回ってくるもの」、アメリカのような若い国はいざ知らず、日本は、或いは、そうなのではないでしょうか。ある意味では過去の「ツケ」が経巡って、今の日本があるのでしょうし。

 いろいろな国の人と、あるときは「クラスメート」として、またあるときは、「教師」としてつきあってみると、自分の立場によって「見えてくるもの」の違いに驚かされます。

 「クラスメート」の時には、感じていなかった矛盾が、見えてくるのです、具体的に。

 「クラスメート」の時には、それこそ「友好第一」です。たぶん「お互いに」気を遣い合っていたというのが本当でしょう。だから、矛盾が表に現れる前に、それを突き詰める前に、互いに退いてしまうのです。あくまで「友人」なのですから。無理に問い詰めて、傷つく必要はありませんし。互いの距離を見定め、緩衝地帯を置き、そうしてつきあっていたのかもしれません、無意識のうちに。

 しかし、「教師」という立場になってしまうと、「教える」という面から、相手を「従わせ」なければならないという必要に迫られます。

 「いいですよ。あなたは頭が悪いのだから、出来なくていいですよ」とか、「いいですよ。あなたは勉強の習慣がついていないのだから、このレベルで十分ですよ」など、口が裂けても、言えません。(もちろん、相手を発憤させるために「、の「禁じ手」を遣う場合はありますが)

 すると、相手の「これまで歩んできた道をたどってみなければならなくなる」のです、否応なく。

 往々にして「どうして、『人のもの』を『自分のもの』のような顔をして使い、しかも、礼を言わないのか、返さないのか」などの生活指導から始まりがちなのですが、そうでなくても、「どうして、書かないのか」「どうして、『一緒に声を出せ』というのに、出そうとしないのか」などの、日本で、日本語の勉強をする場合の「違い」で、こちらの神経はいらだってきます。

 発声することはともかく、書く練習をしなければ、学校に通っているのに、「文盲」になってしまいます。

 「書く」という作業を、インド圏の人達に「押しつける」のは「至難の業」です。もちろん、アフリカ圏の人達にも難しかったのですが。(南米の人達には、覚えるために書くという目的意識を定着させる必要さえなければ、彼らはよく書く「いい学生」でした)

 中国に留学していた時には、我々と同じくらい、見事に「漢字」を書き、読みこなしている同級生(アフリカ圏の人も、アラブ圏の人も、インド圏、南米の人も)が、数多くいましたから、初めの頃は、「わざわざ日本に日本語を学びに来ているというのに、どうしてそれをしないのか」が不思議でした。

 けれども、今考えてみれば、中国での「クラスメート」たちは、彼らの国では、エリートで、ある場合は「期待の星」だったのです。今、日本に来ている人(中国人は別です。国で大学に入れなかったから、日本では大学に入りたいという人が、かなりいますし。目的がはっきりしていますから、そういう習慣がない人でも、「変われる」人はいるのです。この「化ける」ことさえ出来れば、大学でも「そのまま化け続けて」いられるでしょう)は、せいぜい「専門学校」しか考えていないのでしょう。

 つまり、それくらい、「国での個々人の歴史」が身にへばり付いているのです。もちろん、「経済的な理由」で、日本に来ている人もいますし、「先進国の自由さとモノの溢れた世界」を経験したいだけという人もいるのは事実ですが。ここでは、純粋に「学びに来た人で」という観点から、話しています。

 「エリート」という言葉は、あまり言い響きではありませんので、使いたくはないのですが、彼らには一般的に言って、「状況を見極める目」と、それ故「どうすればいいのかを考える力」と、一番大切な「実行力」がありました。

 国で、それができていない人に(或いは、そうしなかった人に)、外国に来て(アルバイトで生活費を稼ぎながら)勉強するというのは、所詮無理な事なのかもしれません。しかも、最近は、それらの個人的な理由の他に、「文化の差」ということも考えてしまうのです。

 日本人は「手作業」を尊びます。優れた技芸の持ち主を尊びます。そういう「習慣がない国が多いのではないか」、最近はそう思えてならないのです。

 もっとも、「郷に入らば、郷に従え」が出来ない頭が固い人が多い、と言ってしまえばそれまでなのですが、それよりもそうさせる何か、いわゆる「堰になっているもの」の存在を最近は感じてならないのです。

 あまりに彼らが「手作業」を嫌がると、ついそんな気になってしまうのです。

嗚呼!

日々是好日
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外国から来た「児童生徒」の教科教育

2008-07-30 08:07:29 | 日本語の授業
 今、悩んでいるのは、預けられた中学生のお子さんのことです。頭のいい子であることはわかります。まじめで、宿題をたくさん出しても、一生懸命やってきます。親御さんも、教育熱心です。母国でも、ミッション系のいい学校に入れていたと、聞きました。お姉さんも、母国でいい大学に入っています。親の希望は、「早く日本語が出来るようにして、中学校の勉強に差し障りのないようにさせたい。当然、高校、大学へと進めさせる」です。

 問題は、『学科のカリキュラム』が、「彼女の母国のそれと違っているらしい」ということなのです。小学校や中学校の現場では、日本語だけでも何年もかかる、その間の学科教育は(日本語が分からないのだから)置いてけぼりにされるのはしょうがないという認識なのに、それが親の方に全く通じていないのです。

 この子の母親の考えは、「今年の9月頃には学校の授業について行けるはず」と全くもって、楽観的(日本語だけでも、たぶん「初級Ⅰレベル」でしょう。それで、中学校の授業が解るかといえば、解るはずがありません。教科ごとに異なった単語、知識が必要とされるのですから。内容にしても、母国で学んでいないのだから、単語だけを対応させて解るというものでもない)。それどころか、楽観的を通り越して、天真爛漫。子供のおかれている状況が全く解っていない。

 私たちのところは「日本語学校」ですから、本来ならば、「日本語」だけを教えていれば、その職責は果たしたことになります。けれども、学校が終わってから通ってくる、この子の場合、一日に、わずか一時間か、二時間程度しか、ここで「日本語」は学べません。毎日中学校で、「お客さん」でいるのは何だからと、教員(「小・中・高校」の免状を持っています。小学校の現場で8年教えていました。教科研究もしていました)が「中学校数学のドリルにある『簡単な計算』」を教えはじめたのです。

 すると、どんどん問題が出てきました。簡単な計算でも「プラス」と「マイナス」の概念を、母国で教えられていなかったのです。「足し算」や「引き算」を何とか出来るようになっても、今度は「かけ算」と「割り算」が待っています。しかも、「分数」がありますからね。

 私は、中学校で国語の教師をしたことがあるだけで、「算数」や「数学」を子供に教えるための教授法の「イロハ」を知りません。けれども、その教員が、忙しい時に、代わりに入ったことがあります。そのときの感じでは、「問題の一つをやってみせれば、どうにか応用は出来るのだが、なぜそうなるのかは理解でない」でした。(「分数」のところでしたので、「整数」でやる「プラス」「マイナス」はもう出来ていました)これらは、日本では、小学生にもわかるように、絵や道具を使って教えています。ですから、概念は既に、中学生は皆あるのです。

 そして、今、その教員が悩んでいるのが「円」と「三角形」です。彼女は、母国の小学校の時に、全く学んでいないのです。母語を日本語に置き換えればいい云々の話ではなく、全くその概念すらないのに、『初級 Ⅰ』の19課の日本語レベルで、それに対処しなければなりません。おそらくは母語で教えたとしても、かなりの時間がかかることでしょう。彼女のいる中学校では、小学校の時に「図形」を学んだものとして、授業が発展的に進められていくわけですから。

 「『関数』の時もそうだった」そうです。「関数」は、まだグラフの中のデータが、一歩一歩進んでいくので、目に見え、それを確認することができました。それで、教員の方も、説明しやすかったそうですが、本人は「『関数』は大学でやるもの。中学校や高校ではやらない」と、始めは、大いに抵抗したようです。なんでも、「グラフ」はやっても、「一次方程式」と絡めてはやっていないそうで、抵抗したのも「むべなるかな」です。今は、「なあんだ」みたいですが、これもこの日本語学校でやってやれるのは「『関数』の入り口」だけ。

 親は、「9月から日本人の子供達と一緒にやって全然問題ないはず。この子は頭がいいんだから」と考えていますが、現場にいる我々は「それは無理だろう。『落ちこぼれ』として始末されるのがおち」としか、考えられないのです。

 日本語のほうも、一歩一歩、牛歩の歩みを続けています。まずは、発音問題。一ヶ月が過ぎても、少しも上手にならないので、見直すと発音問題がありました。「発音」です。国によっては、文法などよりも、この発音が大きな「関門」になって、「日本語」を遠ざけてしまうのです。

 一週間、毎日のように、「あいうえお」です。それから「小学校一年生の『国語 上』の『あいうえおの歌』」を利用させてもらいました。何日かはそれだけ。その次にいくつか、この教科書の文章を読んでいきました。何が書いてあるのかは、あまり教えません。もっとも、小学校の「国語の本」は「絵」もきれいで、子供が楽しむように出来ています。「文字」を拾っているだけなのですが、「絵」を見れば、大概の内容はわかるのです。そのうちに「しゃ、しゅ、しょ」の特殊音以外は、何とか発音できるようになりましたので、「小学校の教科書」から離れて、「本道」の「日本語」の教科書にもどりました。なんといっても、これをやっておけば、応用がきくのです。

 ただ問題は、はじめから「できない」とわかっていることをしたがらないこと。根がまじめであるということは、解っていましたので、本人が「嫌」という宿題は出さないことにしました。写したりすることには、全く抵抗がないようでしたので、しばらくはもっぱら、「単語」を書き写したり、「教科書の文」を写したりすることだけに専念させました。そのうちに、当日やった「問題B」を、もう一度やって書いてくることに、抵抗がなくなり、「課ごとの問題」を一人でして、そして書いてくるということにも抵抗がなくなり、最後まで「できない」を繰り返していた「長文(短い文章です)」も、二回か三回、一緒にやってみたら、次の課からは「宿題でも、大丈夫。一人でやる」と言い出したのです。

 これも、「無理をせず」の流れの中で出来たことでした。「子供は、放っておいても、何かを学びたいという気持ちは常にある」という原理を地でいったようなものです。

 小学校や中学校をまだ卒業していない、その上、社会にも出ていないという「お子さん」を教える場合と、目的がはっきりしている(たとえ、それが「単に大学へ行きたい」だけであろうと)場合とは全く教え方も、当方の態度も違ってきます。

 「子供」に教える場合、もう日本に連れてこられただけでも、精神的なストレスがかなりあると見ておいた方がいいので、「勉強」を無理強いして、更なるストレスを与えるということは極力避けなければなりません。これが基本です。親がなんといおうと、これが基本です。「『日本語』嫌い」ならぬ、「『日本語勉強』嫌い」になられたら、それこそ大変です。

 その点、高校を卒業して来日している学生は、「楽」です。無理強いが出来ます。必要なことを示し、やらないのはそっちが悪いと突き放すこともできます(もちろん、教育の一環としての「突き放し」です。綱の端っこの片方はちゃんとこちらの手元にあります。もう一方は、相手の身体のどこかに必ずつないであります。それなしでは、突き放せません)。

 しかし、この、母国で優等生であったらしい子は、これからどうしたらいいのでしょう。ここは日本語学校ですから、「日本語」は責任を持てます。けれど、それと「教科」の両立は難しい。「日本語」さえ出来れば、母国と同じような位置をクラスで占めることができるというものではありません。まだ社会人になるために、常識とされる知識を吸収しなければならない時期なのですから。

 今の日本は、「情操教育や集団教育などを通じて、社会に開かれた目や責任感、義務感などは、学校が教え、教科教育、より高度な学習は、塾や予備校がやる」ような観がなきにしもあらずですが、学校教育の教科における間口の広さ、つまり、教科の分野の広さは、やはり、相当なものを思わざるを得ません。

 グローバル化の進む昨今、日本に来る外国人の子供だけでなく、日本人の子供も外国へ行って、その地の教育を受けなければならないような時代が来ないとは言い切れません。そのときに、「『図形』は『日本の小学校で習っていない』からわからない」など、こんな理由で、その地の「落ちこぼれ」になることだけは避けたいもの。

 今は、向こうの学校の教科書を、送ってもらっていますから、来週にでも届いたら、小学校における「既習」「未習」をはっきりさせ、親御さんと対策を練るつもりと、担当教員は考えています。

 みんなが望むような方向に進めればいいのですが、このことは、決して彼女一人の問題ではありますまい。この日本語学校で「出来ること」と「出来ないこと」をはっきりさせ、出来ないところは、しかるべき機関に任せるなり、しかるべき対処を待つなりしなければならないでしょう。何でも、どうにかしなければと背負い込んで、「日本語教育」と共倒れになってしまったら、なんにもなりませんから。

   日々是好日
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「上級」が終わって

2008-07-29 08:19:47 | 日本語の授業
 昨日はギリシアの話をしました。例の「パルテノン」です。この教室にはいくつかの国から来た学生がいます。エーゲ海やら地中海の島々などを、全くテレビで見たことがないという人も、このクラスには、います。

 日本語学校とは、大変ですね。大学に行く前に「日本における、一般的な教養だけは、身につけさせておきたい」というのは常に考えるところですが、それができるのは、せいぜい漢字圏の人のこと。非漢字圏の人達には、日本語の読み書きだけで、一年半乃至二年はあっという間に過ぎてしまいます。

 漢字圏の学生といっても、今いるのは、中国人だけです。彼らにも、日本や世界の様々な問題に触れさせたいと思うのですが、指導するのは大変です。そういう面での知識が本当に乏しいのです。

 もちろん、中国で四年制大学を卒業した人は、多少なりとも社会問題に関心があるよう
ですが、地方の小都市出身者や短大出の学生は、何も知らないし、それを我が事として見ていないのです。

 中国では、以前、大学生は「小幹部」として、大変大切に扱われていました。ですから、その名残でしょうね。「『民』は知らしむべからず」ですが、為政者ならぬ、その「卵」になるだけの能力を備えた者には、為政者の「悩みや苦しみ」でも「知らしむべし」なのでしょう。それとも、大学では、知る機会が多いのでしょうか、中国であろうと。

 最近は発展の著しい中国も、一皮むけば、その恩恵を被っているのは、一部のエリートだけ。それも政治と何らかのつながりのある人だけという図式が浮かび上がってきます。

 地方都市においても、親の代よりは豊かになったと感じる人は多いでしょうが、その反対に、(周りに以前は見たこともなかったものが満ちあふれているところから)却って惨めさ、貧しさを感じてしまう人も少なくありません。

 怖いところは、その現状を大都市の住民が知らないところです。

 「中国は日本と全く同じだ」で、すべてを押し通そうとするのです、「中国の発展に伴う問題」のドキュメンタリーを目にしても。彼には、今の中国の「華」の部分しか見えないし、またそれ以外は、認めたくないのでしょう。

 そういえば、発展途上国の人が、北京へ行って、「中国はすごい。日本と同じだ」と感動していましたが、たぶん、中国人ながら、彼の「中国」に対する知識は、そのレベルだったのでしょう。

 二十年近くも前になるでしょうか、共産党の古老が、日本に来て、東京や大阪の姿を見ても、鼻でせせら笑っているだけであったのに、ローカル線や路線バスに乗って、田舎をめぐった時、すっかり落ち込んでしまい、「日本に戦争で勝ったが、発展で負けた」と言ったというのを思い出します。

 「日本のすごさ」は、たとえ、今、様々な問題があろうと、都会と平均化されている地方にあると思います。ですから、地方が疲弊してしまうと、わずかながらも残っている、「日本のすごさ」が失われたことになるのです。それに「儒教圏」では、それほど地位の高くない「職人」に対する敬意です。どのような「職種」であろうと、「あの人は『職人』だ」というのは、最高に近い敬意を表します。これも、失われたら、もう「日本」であるとは言えないでしょう。

 日本にも様々な問題がありますが、マスコミがそれらを取り上げますし、取り上げなければ、地域住民の手で、より広域にそれを発表し、皆の問題にしようとします。いったん広まってしまえば、皆の問題になってしまうのです。こう言うとちょっと楽観的に過ぎるかもしれませんが。勿論、日本でも「公」は、お尻が重い。なかなか動こうとはしません。けれど、いったん社会的問題になって、政治家やらの「鶴の一声」でそれがうやむやになるような時代では、既に、ありますまい。

 日本では、最近は若い人の中にも、「『エコ』になら、金はあまり惜しまない」が流行になっていると聞きます。これも、突然に発生したというわけではなく、マスコミをはじめ、教育界などで、地道になされてきた成果と言えるでしょう。

 もちろん、中国の超エリートで、日本語学校で日本語を勉強するなどということは、ありえないことでしょうから、ここにいる学生は、本当に中国の中産階級(?)の普通の人達ということになります。中でも、地方の小都市から日本へ出てきた学生の多くは、その地方では、いわゆる特別な「階級(親族が国外にいて、金を送ってもらえるか、親族が『政治』とつながりがあり、ある種の『待遇』を受けることができる)」です。

 彼らはこのような現状を知らないわけではないと思いますが(人は辛いことに、知りたくないこと、自分にとって不都合なことには、「目も耳も塞ぐ」という術を知っていますから)、自分のような「階層」の人間と、このような「貧困層」とは、関係ないという態度をとりがちです。

 私の中では、中国に帰り、そこで生活するのなら、知らない方がいいのじゃないかと考えた時期もありました。多すぎる知識は人を不幸にしがちです。中国では、それ故にこそ、排斥され、「仲間はずれ」にされることもあるでしょう。それで、社会が変わるというわけでもないし。なんといっても、中国人の数は多いのです、広いのです。一つの思想を徹底させるには、どれほどの時が費やされなければならないでしょう。

 けれども、たぶん、今は、中国の幹部が思っているよりも、「中国の人民」は、成熟してきていると思います。一度国外に出、外の目から、自国を見ようとする人も中国人の数からいえば多くなくとも、もはや少数であるとは言えますまい。

 今では、隠すことなく、「知らしむべし」と思えることは、知らしておいた方がいいと考えるようになりました。大学に行きたいと思っている学生なら、大学で恥をかくのは避けたいでしょうから。

〈日々是好日〉
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実況中継「隅田川の花火大会」

2008-07-28 07:36:27 | 日本語の授業
 土曜日に「隅田川の花火大会」がありました。ぼんやりと見るともなしに、テレビの実況中継を見ていたのですが、「感想は」と聞かれれば、「うるさかった」「煩わしかった」としか言いようがありません。「花火を見る」という番組のはずなのに、つまらぬ井戸端会議で終始してしまっているのです。

 「主役」が「花火」で、「自分たち」は「従」にすぎぬのだということを、理解していない人達が、せっかくの情緒をかき乱し、「花火」を楽しめなくしているとしか思えなかったのです。こんなふうでは、これからは、音を消して見た方がいいのかもしれません。けれども、それでは、「人々の『ため息』や『驚きの声』」とか、「花火の音」とかは聞こえなくなってしまうし…、それに、テレビで見飽きた人間の顔ばかり見せられるのも何ですし…。どうしましょう。

 もし、番組を作る人が、「声(音)がなければ不安」というのなら、軽く、邪魔にならぬように「音楽を流す」とか、「観客の驚きの声や一言」だけを入れるとか、あるいは、もう思い切って、花火の「ドーン」、「シュルシュル、ドーン」、「パチパチパチ(消えていく音)」などの音だけて構成してしまうとか、そうしてみたらどうでしょう。それだけで勝負しても、「花火」は十分戦えると思うのですが…。

 つまり、そう思わせるほど、久しぶりに見た「テレビの花火」は、うるさくて、煩わしかったのです。

 もちろん、職人さんの話は別です。職人さんの苦労や喜び、苦心したいところは聞きたい…けれども、その華である「完成品」は完成品として楽しみたい。「瞬時に消える花火」は見る人が、一人一人の思いの中で楽しむべきものだと思うのです。それが一瞬のうちに消える「花火」の醍醐味だと思うのですが。それに、職人さんだって、苦心して作った「花火」は見てもらえずに、「自分」だけ見られるとしたら、嫌でしょう。

 瞬時に消え去るものと、たたずむ人の思い。これらを飾るには、「沈黙」こそがふさわしい。

 こういう花火の楽しみ方が、古来からの日本の文化だったと思うのですが。いつの間にこのように「野暮な人達」の天下になってしまったのでしょう。

 まあ、テレビで無精を決め込みながら、文句だけは一人前以上に言う、ワイワイ居士ですからね。それでも、ここ行徳にも、「ドーン」と腹に響く音は聞こえてきました。

 土曜日に花火大会があったからでもありますまいが、昨日の夕方、雷様が雨を連れてやってきました。久しぶりの雨でした。

 この地は東京都と千葉県のちょうど境目に当たります。東京の天気予報を見ても、違う。千葉県の天気予報でも違う。全く「コウモリ」の気分で、毎日お天気を見ています。朝の天気予報で「降る。降る」と脅される度に、傘をあっちへやり、こっちへやり。夕方から、「豪雨」とか「雷」とか聞いた日には(アルバイトのある学生がいますので)、注意を促した挙げ句、「降らなかった」と恨み言を言われたり…。

 しかし、昨日の夕方は降りました。(雨に出くわした方はごめんなさい)そのせいでしょうか、今朝は本当にすがすがしい。どこかで鳩の「ホウ、ホウ」という声まで聞こえてきます。風は涼しいけれど、空は青い。この分で行くと来週の「富士山」は、「くっきりとした姿を拝める」かなと期待は徐々に高まってきます。

 日々是好日
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「子連れ」の勉強

2008-07-26 13:15:12 | 日本語の授業
 今日はみんなで、12月の「日本語能力試験」の申し込みを書きました。今年から、日本語学校で学ぶ人達は、学校がまとめて申し込みをすることが出来るようになったので、本当に助かります。

 これまでは、一人一人が「申込用紙に書き、郵便局に行き、振り込みをし、それを貼って、最後の確認をし、郵便局へもう一度行って、送る」という非常に煩瑣な作業に追われていました。

 しかし、今回は本当に楽でした。特に上のクラスなど、始まったばかりの7月生の面倒までみていました。「素っ頓狂な学生が、素っ頓狂なことをしてのける」以外は、至極平穏無事で、一枚の用紙に書いた後、写真を貼って、お金を集めて、それで終わり。確認は学校の方でやるからと、一階の4月生のクラスへ行ってもらいました。残った時間は、8月に行く富士山の説明を、みんなで聞きました。

 富士山の高さを言っても、あまり感動しそうな学生はいませんし、富士山には万年雪もありませんし。ただ「氷穴」と「白糸の滝」の所では、期待の声が漏れていました。人間はやはり、水の中の動物ですね。日光に行った時もそうでしたが、滝(水しぶきが飛んでくるくらい近く)のそばでは、みんな非常に「美しい顔」になります。

 ところで、この学校には、お子さんが小学校に通っているという方が何人かいらっしゃいます。夏休みに入りましたので、お子さんを連れて、帰国された方もいます。そういう方は、それなりに勉強していただければ、それでいいのですが、中には、帰国せず、勉強を続けたいが、子供がいるので難しいという方もいます。

 一人、そんな方が、夏休みの前に、学校に相談に来られました。「夏休みに入るので、子供を連れてきてもいいか」と。学校の方では「かまわない」と答えました。彼女は非常にしっかりした女性で、勉強もどんどん進んでいます。テストも常にいい成績をおさめています。彼女の子供だったら、いくら幼くとも大丈夫でしょう。

 その最初の日、小学二年生の娘さんを連れてきました。娘さんは、9時から12時半まで、お母さんと一緒に、単語の復唱をしたり、おとなしく宿題をしたり、本を読んだりと、本当にいい子で座っていました。それで、「これなら大丈夫」と、もうそれはそれで終わったと思っていたのです。ところが、それから三日も続けて休んでいます。私の方では、娘さんが嫌だと言ったのかなくらいに考えていたのですが、実は、お母さんが「気にしすぎ」ていたのです。
 
 12月の試験の事と富士山の確認と、その二つの連絡をかねて、電話をした時にそれが解りました。クラスメートの勉強の邪魔になるのではないかと気遣って、休んでいたのです。

 「親御さんの取り越し苦労です」という意味のことを申し上げたのですが、私の言いたいことが正確に伝わったのかどうか心配です。

 日本に来て、何ヶ月かすると、日本人は「本当は嫌なのに、『いいですよ』と言う」事もあることに気づきはじめます。それで、余計な気を使い始めるのです。私たちも、言いたいことはすぐに言うから、そういう気は遣わなくてもいいと、最初に申し上げるのですが、なかなか難しいようですね。

 彼女は来た当座は、何も解らないようでしたのに、いつの間にか、皆に追いつき、追い越していました。語学というのは、続けてやるのが一番いいのです。一度切れてしまうと、忘れてしまうし、何よりも本人のやる気がなくなってしまいます。

 子供がいると、その子供のおかげで人間関係の輪が広がるということもありますが、反対に、自分を抑えてしまい、行動半径が狭まるということも少なくありません。

 家族ビザで来日し、小中学校へ通うお子さんをお持ちの場合は、まず小中学校との連絡など、生活用語としての日本語が必要になります。それで、日本語学校に通い始めるのですが、そのうちに「ただわかる」だけでなく、「一級」くらいはとっておきたいという気持ちになる人も出てきます。

 勿論、家族がいるわけですから、いろいろな事情で、勉強を続けられない場合もあります。けれども、もし、学校の方で何とかできるようでしたら、出来るだけ、その学生の意向に沿うようなやり方をとりたいと思います

 しかしながら、一生懸命勉強する人に限って、こういうふうな気を遣うのです。

 「彼女の取り越し苦労だ」と思います。却って、皆も気分転換が出来ていいのではないでしょうか。小さい子が、大人と一緒になって、「道を通ります」とか「びっくりします」などと大きな声を上げて覚えようとしているのです。大人が遊んでは「まずい」という気にならない方がどうかしています。

 大人になると、勉強したくとも、出来ないことがよくあります。勉強したい時にそんなことで自分を縛ってしまうのは、あまり賢明なやり方ではありません。

 早く日本語が上手にならなければ、帰国する頃に上手になっても、もう遅いですよ。

 日々是好日
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『初級 Ⅰ』のクラス

2008-07-25 08:05:10 | 日本語の授業
 6月の初めに来て、あれほど私を悩ませてインド人学生。昨日『初級 Ⅰ』のクラスでディクテーションをしているとき、はたと気がつきました。「フィ」などの音こそとれていないものの、「ひらがな」で書ける単語は、中国人学生達と同じスピードで書けているのです。もっとも、一語一語、こちらを見ては「いいでしょう」と確認を取りたがるので、「まだまだだ」ということは、よく解るのですが。

 そう言うと「ひらがなは(自分のことはよく解っている)大丈夫」と自慢げにニヤリ。

 あれほど「練習なんかしない。書かなくても大丈夫。覚えられるから」。「『ひらがな』や『カタカナ』は覚えなくても、大丈夫。日本の大学に行く」と、わがままを言いたい放題、言っていたのに。以前を思い出して愚痴りたくなるやら、却ってほっとするやら。

 やはり、こういう人達とは(どんなにやり合っても)、納得させられるのに、一ヶ月はかかるということですね。今まで、自分たちの国のやり方で、成功してきた人達なのですから、やり方というか、学ぶ上での考え方を変えるのには、時間はかかるということなのでしょう。おまけに、個人的に見ても、柔軟性に欠ける頑固者です、かなりの。

 頭のいい人なので、「ひらがな」という日本語の関門を一つ越え、次に「カタカナ」の関門を越え、そして「基礎編」における最後の関門「漢字三級」までをどうにかこなしてくれれば、あとは何をしなければならないか、毎日授業に参加していくうちに解ることでしょう。

 日本語の音がとれないのは、しようがありません。短期間で、すぐに聞き取れる国や民族の人もいれば、時間がかかる人もいます。けれども、彼らは、明日日本を発つというわけでもない。毎日の学習と、あとは「時間が解決してくれる」のを待つだけです。

 ヒンディ語を話す彼だけではありません。タイから来た学生も「日本語の音」をとるのに苦労しています。ディクテーションをすると、すぐに解ります。これを毎日繰り返して、少しずつ納得してもらい、音は違っても、みんな「つ」と書くのだとかを身体で覚えてもらわなくてはなりません。本当に、彼らの耳の中を見てみたい気分ですね。私よりもどれだけたくさんの音を聞き取り、そして足りない音はいったいどれほどあるのでしょう。

 それにしても、彼らが苦労しているのを見るにつけ、「母(ハハ)」は「父(パパ)」というのを思い出します。

 私が育ったところにも、山間部に平家の落人部落と、言われているところがあって、そこから通って来る生徒(中学の頃は県内の色々な地方から通ってくる学生がいました)が「センセイ(先生)」と発音できずに「シェンシェイ(先生)」と発音していたのです。
 
 中学生ですから、揚げ足取りやからかいは得意です。みんなが彼の発音をからかっていると、国語の先生がこの「『母(ハハ)』は『父(パパ)』(日本語の発音は「パ」から「ファ」に移り、それから今の「ハ」に至った)」という話をして下さったのです。その他にも、彼の「シェ」という発音の事などについても、色々話して下さったはずなのですが、この覚えやすい「母は父」と言うこと以外は忘れてしまいました。

 その上、この話を聞いてからは、なんだか彼の言葉が我々のそれよりも、一頭上であるような気がしてしまい、だれも彼の発音について悪さをする者がいなくなったのです。そう思うと、タイやヒンディの学生の発音も、万葉時代の日本人と共通するものがあるのではないかしらんなどと思ってしまいます。勿論、そういう「情」は禁物で、「冷たく」直させてはいますが…。

 この7月に開講したクラス、本当は一人のはずだったのですが、この二週間ほどの間に、昨日一人、今日一人という風に増えて、今では正規にまなんでいる人が、六人います。その上、上のクラスの学生も五、六人(「他で勉強していたり、独学でやっていた人」のうち、時間があって、意気込みのある人)参加し、復唱の声も本当に大きくなりました。

 一番前の列は、「ひらがなレベル」で争っています。席は五つ。真ん中に「『ひらがな』は大丈夫」という、例のインド人の学生が陣取り、その左に「始めて二日目」の中国人の少年(得意は砲丸投げだそうで、大きい)と「『ひらがな』は覚えたけれども、ディクテーションの速さには間に合わないし、『単語』で書くのは難しい」というタイの学生が座っています。二人は大きさも年頃もほぼ同じ。できないもの同士がどうして助け合えるのだろうと思うのですが、互いに解るわずかなものを融通し合い、しかも、きつく言われる度に、(私から)見えないように慰め合っています。

 インドの学生の右には、「ひらがな」は書けるが「カタカナ」は、という少女と小学生のような少年が座っています。二人とも中国人で、しかも互いに助け合う様子が、まるで兄弟のように見えます。年は、三つか四つ、女の子の方が上でしょう。

 このうち三人は時間があるので、ご両親の許可をもらい、朝も来させて、「ひらがな」や「カタカナ」、「発音」、それに、未習の部分(彼らが受講する前に進んでいた分)を補ってもらっています。

 このように、途中で入ってきて追いつけない人には、時間の許す限り補習を行い、授業で辛い思いをさせないように講じています。

 また、その反対に、このクラスの速度が遅すぎると感じる人には、時間が許せば、上のクラスにも参加してもらい、将来的に上のクラスの一員となることを考えてもらうようにしています。勿論、解らないところは、授業の終わり、あるいは前に質問するようにさせ、個人的に対応しています。

 何事によらず、「『学ぶ』のは、『大変である』」のですが、『初級』のうちに「辛くなって、救いがない」というのは異常な事態です。本人が「何の努力もせず、休んでばかり」というのなら話は別ですが、努力しているのに、そういう状態になるというのは、どこかに問題があります。しかも、その問題の多くは、学校の側、教える側にあると思います。

 それを早めに発見するのは、毎日彼らに接しているクラス担任です。早めに発見したら、すぐに他の人に相談し、善後策を講じる、これが一番です。教師一人一人も、得手の部分、不得手の部分があります。上の者から下の者の不足は見えますが、下の者には上の者の「出来る部分」というのは、見えないものです。分野は違っても、同じほどの実力を備えてはじめて、自分の不足と相手の良さが解るというものです。しかも、常に「上には上がある」ということを忘れてはなりません。

 日本語なんて、日本人ならだれでも話しています。日本語の知識なんて、調べればすぐに解ります。違うのは、現場で、学生をどれだけ「とらえ切れているか」ということと、教え方の「引き出し」をどれだけ持っているかということ。「上には上があります」からね。どれだけ経験を積もうと、どれだけ学んでいようと、本当に、何にでも「上には上がある」のです。悲しくなってくるほどの、これは「真理」だと思います。

 日々是好日
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「未成年」が初めて日本語を学ぶということ

2008-07-24 07:34:12 | 日本語の授業
 昨日も一件、「中国から来たばかりの18歳の娘さんに、日本語を学ばせたい」という問い合わせがありました。聞くと、「もう行徳駅まで来ている」と言うのです。「道順を教えてほしい」と言われたのですが、ちょっとわかりにくい中国語なのです。娘さんの年齢も最初に聞いた時には、「8歳」と聞こえて、思わず「教育委員会に問い合わせた方がいい」と言いかけたくらいなのですから。

 何時に「勤務時間が終わるか」と聞かれたので、「もう終わっている」。ちょっと沈黙があったので、「迎えに行くから『駅から動かないでくれ』」と言って、自転車を飛ばしました(5分もかかりません)。でも、いない…。うろうろした挙げ句、むかっ腹を立てて学校に戻って来ました。普通は相手も「待ちの姿勢」ですし、「来る人を捜している」ものなのです。しかし、そういう人がいなかった…。(自転車が下手なのに)借り物の自転車でしたから、降りる時にひっくり返るという「おまけ」までつけて。

 戻って5分も経たぬうちに、「まだ来ない」と詰問調の電話が…。「行った。そして、もう帰ってきた」。私の激しい口調に、相手もびっくりしたでしょうね。残っていたもう一人の教師が「まあ、まあ」といいながら、迎えに行きました。「動くな。余計なところへ行くな。うろうろするな。服は何色なのか。じっとしていろ。黒い服を聞いた人が自転車で迎えに行くから」。

 本当に中国語は「喧嘩語」です。日本語でこう言うと、どのような場合であれ、「なんと粗野な」と、5㍍四方に「人がいなくなる」と思うのですが、「大声で騒いでいる」相手を黙らせるには、「これしかない」。

 三人で戻ってきました。一見して、「本当に勉強するのか?」という気にさせるタイプ。

 早速、「勉強する気があるのか?どうして日本へ来た?どうして日本へ来ることが解っているのに、中国で勉強してこなかった?」と取り調べるかのようなやりとりが続きます。

 ついてきた母親が、娘を悪く見せまいと全部答えてしまうのです。「ひらがなは書ける」と言うので、書くように言うと、書けない…。しかも、「あ」の次は「い」だと親が口出しをするのです。ひらがなも書けない…。カタカナも書けない…。「日本に来ることが解っているのに、いったい中国で何をしていた!」ときつく言うと、「中国で勉強してもしょうがないと言われた」。「だれが言った!自分(母親)が日本にいたのだから、日本語が出来なければ、何も出来ないくらい解っていたはずだ。それも伝えていなかったのか!」そして、最後に「あなたはうるさい。何も言うな。娘に話させろ」と親の口を封じて、娘さんと対話を始めました。

 見かけによらず、「普通の子」です。日本だったら、学校に行かずに、新宿か渋谷あたりでプー太郎をしていたかもしれません。

 今まで勉強してこなかった子が勉強するのは、それが習慣になっている人よりも辛いと言うこと。やると決めたからには、三ヶ月間は「休まない。遅刻しない。宿題はやる。先生の言うことをきく」こと。そういう条件を出しました。もし三ヶ月続けられたら、次第に周りに感化されて、勉強の習慣も多少なりとも付くでしょうし、目的意識も出てくるでしょう。これらは、もっと後のことです。最初、大切なのは、まず続けるということ。

 既に三週間ほど過ぎているので、授業に参加するだけでは追いつけない。だから、朝も来て補習に参加してほしいと言ったのですが、朝はどうしても来られないというのです。それで、その分は自分で勉強して、不満は言わないという約束もしてもらいました。

 娘さんが自分の考えを言うようになると、お母さんの言い方も変わってきます。それまでは、とにかく「取り繕おう。悪く見せたくない」の一点張りだったのに、今度は「この子は勉強が嫌いで、まじめにしない」とか言い出して、娘さん非難を始めたのです。

 もう何を言っても知らん顔です。問題は勉強しに学校へ来る娘さんです。親ではない。その娘さんの口が開き始めたのですから、親はもう、私たち教師にとって、関心の対象外です。

 日本語学校には、日本語を学ぶために、日本語学校が呼ぶ「就学生」と、日本にいるという必要上、日本語を学ぶという人がいます。

 前者は制約がありますから、嫌でも決めた期間はここにいなければなりません。双方、慣れないこともあって、最初の一二ヶ月は激しいやりとりが続く場合もあります。日本のやり方、この学校のやり方を解ってもらわなければなりませんし、目的意識も持ってもらわなければならないからです。

 後者においては、目的意識を持ち、きちんと勉強してくれる人が大半なのですが、難しいのは、日本に来てもう10年とか、20年にもなるという人。こういう人はプライベートレッスンでなければ、目的は達せられないと思います。ヒヤリングはほとんど問題ないのに、文法は間違いだらけ。しかも癖になっていて、なかなか変えられないという人が多いのです。まっさらな人達の中に入って、一緒にやるのは当人も辛い、はずです。

 それから、最近の傾向で、未成年が多いのです。本当に「一から」です。しかも、学期始め(1月、4月、7月、10月)とは、無関係に要望があります。その対処に追われることもたびたびです。

 けれど、言葉が話せなくては、日本において将来の見通しが開けません。将来の見通しが開けない人が、堕ちていく道は決まっています。ほとんどの場合、一本道です。そこから立ち直れる人は、わずかでしょう、それくらい難しい。

 日本で、日本語さえ解れば、出来ることはたくさんあります。まだ彼らを大切に思ってくれるご両親が健在なうちに、独り立ちできるルートを自分なりに探しておかなければなりません。

 そのためには、まず何よりも先に、「日本語」「日本語」「日本語」なのです。日本語漬けの日々を送ってもらいたいのです。

 彼女が続けられるかどうかは解りません。けれども、どうにかがんばって、毎日学校に来てほしいものです。学校には同じように日本語を勉強している仲間もいます。同じ国の人もいます。ほぼ同じ年齢の人もいます。勿論他の国から来た人もいるのですが、一生懸命に勉強していれば、みんな認めてくれます。仲間に入れてくれます。

 言葉というものは難しいものではありません。文化の理解が必要なレベルになって初めて難しくなるのです。ここで、私が言うところの「文化」というのは「着物の知識」や「茶道」などのことではありません。「どうして相手にこういう事を言ってはいけないのか」という、そういう面での文化なのです。

 彼女が「『初級』だけでも学び通してくれたら」と、それを念じながら、別れました。今日は午後1時に、一人で来るはずです。 

 日々是好日
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「ありふれた」日本の風景

2008-07-23 07:52:50 | 日本語の授業
 部屋の中には、ムッとした熱気がこもっていたのに、外には風の流れがありました。行徳は海の近くなので、これを「海風」と言った方がいいのかもしれません。けれども、そう表現するには抵抗があります。潮の匂いがしないのです。

 故郷の家も、父が退職してから、海の近くに引っ越しました。毎日高台から、目の前に広がる海を眺めていました。初めは庭に池を作る予定だったのですが、庭師から「海を借景にしなければもったいない」と言われ、その計画は没になったと聞きました。それくらい、海が見えて初めて、海の近くという認識だったのです。

 ところが、関東は、平野と言われるだけあって、海の近くなのに、海が見えない。住人に言わせれば、ほんの少し歩けば、潮の満ち干もわかるらしいのですが。海の近くというのは、「海が身近に見えること」を条件にしている人間にとっては、なかなかここが海の近くであるというのを実感するのは難しい。

 もっとも日本人で海を見たことがない人というのは、まずいないでしょう。小学校や中学校の合宿には、海か山が選ばれますし、大学に行けば、流れに乗って、みんなで「遊びに行く」ということになります。たとえ海の近くにいなくても、こういう風に子供の時から、海を「近いもの」として感じることができます。

 しかし、中国の内陸部から来た人は、まず海が見たいと言います。沿海部の人も「きれいな海、砂浜が見たい」と言います。

 日本にいると、テレビなどで「世界遺産」やら「世界の秘境」とかいう、「雄大で、奇怪至極の形」の自然を目にする機会が多いので、「当たり前でありふれた」日本の自然を軽んじるふうにもなりがちです。

 けれども、他の国の人と話していると、この「ありふれた、どこにでもある」ように見える自然が、本当は「得難いもの、魅力的なものである」ことがわかります。

 日本もバブルに踊っていた頃は、「人と違うもの、奇抜なもの」が好まれていたと思います。が、弾けてからもう十年以上経ったのです。「世界的な」という枕はやめて、「どこまでも続く昔ながらの砂浜」や「荒波の押し寄せる昔ながらの日本海」という「当たり前の」風景を、もっと貴重な観光資源として考えてもいいのではないかと思います。

 私たちも、他の国へ行けば、その国の人、その土地の人達が大切にしている「風景」や「自然」を見たいと思うはずです。それが、その国の歴史であり、またその国の文化を育んできたのですから。

 この学校では、授業の合間、あるいは切れ目などに、「世界的な」とか、「世界に誇る」とかいう枕のついていない、日本人が古くから大切にしてきた「風景」や「自然」を、四季折々の風物も交えながら、紹介しています。ただし、初級のうちは、自然だけです。あるいは町の風景だけです。言葉が分からなければ、それぞれに町や村、あるいは自然と共に生きている(「守られている」といった方がいいのかもしれませんが)人々の営みを伝えることができません。人々の営み、あるいは動物の動きがなければ、それは生きていることになりません。

 というわけで、学校で学んだといっても、初級で終わったら、それきりです。初級は初級なりのものしか、学んでいないのですから。

 就学生は、どんなに長くても、二年という制約があります。学生達のレベルによっては、そこまで進めない場合もあります。また、ここでそこまで教えなくても、大学でやってくれるだろうし、友だちが出来れば、そこからの情報も得られでしょう。

 しかしながら、家族ビザで来ている人には、「情報源」がありません。学校に通っても、多少話せるようになったら、それで終わりという人が少なくないのです。中級や上級まで続けられる人が、さあ、どれほどいるでしょうか。

 日本で暮らしていくために日本語が必要なのは当然なのですが、その他にも、日本の習慣や慣例の理解、日本の歴史(特に文化史)などの知識も習得してほしいと考えています。せっかく来たのですから、日本に来なければ得られないものも学んでほしいのです。

 それから、好きなところに行ってみてほしい。そのときには、一度虚心にかえって、言葉の意味を云々するよりも、各地方の言葉の音の響きも楽しんでほしい。

 言葉には「意味」と「響き」があります。私も初めてドイツに行った時、「意味」は解らなくとも、「音」の美しさに酔うようになりました。友人からは、フランス語の響きこそが美しい。ドイツ語のゴツゴツした響きのどこが美しいのと下手物好きを見るような目で見られたのですが。

 それと同じです。京都弁の「響き」、東北地方の「響き」、鹿児島の「響き」なども楽しんでもらいたい。「意味」の前に「響き」です。日本人同士だって正確な「意味」が解らない言葉がたくさんあるのですから、安心してください。

 上級者には、日本に関する詳しい知識の他にも、ゆとりを持って、この「響き」も味わってもらいたいのですが、さて、そういう人がでてきますかどうか。

日々是好日
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「大人になってから、外国語を学ぶ」ということ

2008-07-22 07:50:10 | 日本語の授業
 唐突ですが、私は、大人になってから、中国語を学びました。しかも、現地で。この、大人(「大学を疾うに卒業して、社会人になってからも、数年経っている」という意味の大人です)になってから、違う国の言葉を学んだ、日本語が通じない、その言語を母語とする土地で学んだということは、こういう仕事をしていく上で、とても役に立っていると思います。その中にあっても、「日本人」でいられたのですから。

 非常に若いうちに、その国に行き、言葉を学んでしまうと、どうしてもその国に呑み込まれてしまいます。文化という伏流水あっての言語ですから、学んでいるうちに、その国の習慣、つまり、人付き合いのやり方とかまでも、「その国流」になってしまうのです。

 そこが、日本で(最近は、「大学で」でしょうが)学んだ場合と決定的に違う所です。日本で学べば、周りには、絶対多数の日本人がいます。「日本人であり続けられる」のは当然のことです。もし、日本にいながら、その言語に呑み込まれたとしたら、それは「学ぶ者のカガミ、見上げた根性」であると言えるでしょう。

 中国にいた時は(自分を「防衛する」意味で)、「中国の習慣と日本のそれとは、全く違う。中国的になったら、お仕舞いだ。もう日本で暮らせなくなる。仕事なんて出来ないぞ」と本気で思っていました。その上、解っていてもどうしても使えない言葉、特に挨拶語というか、中国人のいわゆる「潤滑油めいた言葉」が、口からでないのです。私にとってそれは、どうしても「下心がある、卑しい言葉」に思えてしまうのです。が、彼らは、「相手を思いやって言っている」らしいのです。しかし、私には言えませんでした。それを言えば、相手が喜ぶということが解っていても。そこまで「堕ちられない」ような気分になってしまうのです。

 日本に戻って、日本語を学んだ中国人が、私があのとき中国で感じたのと全く同じ感想を述べているのを聞いて、「お互い様だな(『彼此彼此』)」と、なぜかほっとしたことがあります。こういう事は、だれが正しいとか、そうすべきだとか言うべき事柄ではないし、そうだからと言って相手を責めるべきでもない。そういう類のことであると、私は思います。言っても詮無いのです。みんなその国の中で育っているのですから。

 今は、就学生として日本に来る人よりも、IT関係の技術者として日本に来たり、その家族として日本に滞在している人の方が多いような気がします。特に、ここ行徳や、すぐそばの浦安はそうでしょう。そういう人の中で、日本語が必要だと思った人が、この学校にも来ています。

 ほとんどの人が、私が中国語を習った頃と同じか、同じでなくてもそう大差のない年齢です。もう、日本語を学んだからといって、相手に呑み込まれることもありません。却って、差異を多く感じて、戸惑うのではないでしょうか。

 そのときに、私のような、こんな経験は、ある意味で、役に立つような気がするのです。

 中国語を学んでいる頃は、若い子達が、習うとすぐに覚え、それどころか、すぐにすらすらと話せるようになるのを見て、自分で自分が情けなかったものですが。

日々是好日

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愉快な(?)「罵人話」

2008-07-21 14:58:26 | 日本語の授業
 「天山来客」さんの『馬鹿考』を読みました。

 おっしゃるように、私たちも「この言葉が、中国の故事から来ている」という説を聞いたことがあります。けれども、その最後には必ず、「確かなことは解らないが」という落ちがつくのです。もしかしたら、この言葉が「いつ頃から用いられ始めたのか」とか、当時の「音」などだけでなく、諸々のことも調べなければならないので、手っ取り早く、しかも、非常にもっともらしい、こういう「いわれ」が、世に広まったのかもしれません。

 「天山来客」さんが、おっしゃったように、中国語には、もし、それで辞書を編むとするなら、いったい何巻必要になるのだろうと想像したくなるほど、豊富な「罵詈雑言」があります。私も、以前、中国語を勉強していたころ(自分は使わないにしろ)、皮肉られたり、罵られた場合、困るから、多少なりとも「学びたい」と、老先生に頼んだことがあります。いわれた先生も困ったのでしょうね、「それならば、『水滸伝』を読めばいい」と下駄を羅漢中に預けてしまいました。

 そう言うわけで、早速(上海古籍出版社のだったと思うのですが)、それを買ってきて読みました。読んで、なかなか「勉強になりました」。それ以後、香港のカンフー映画を見ていても、字幕を見れば、文字からもそれなりの雰囲気を感じ取ることが出来るようになりましたので、役には立ったのでしょう。(明末から清初にかけてのものには、色々な「汚い言葉」が入っています。けれど、それとても、中国の「罵人話」文化からすれば、氷山の一角に過ぎません)

 けれども、覚えると遣ってみたくなるというのが、人の情というもの。遣ってみたくてたまらないのですが、ただ、その言葉の「程度と限度」が解らないのです。意味もなく遣えばいいというものでもありませんし、考えれば考えるほど、難しく思えてくるのです。(変な話ですが、相手と決定的にだめになるのは困るのです。そこそこに自分の気持ちも伝えられて、しかも、相手に嫌われない)。どの言葉をどういう風に遣えばいいのかが、解らないのです。

 遣える言葉を探すために、そして、遣っている状況に出会うために、「毎日、アンテナを、精一杯張り巡らしていた」と想像してみてください(しょうがありません。友だちの中国人に聞いても、先生に聞いても、笑っているだけで、相手にしてくれないのですから)。そんなある夏の暑い日、やはり、蟻の思いも天まで届くですね。トロリーバスに乗っている時、そのアンテナに引っかかった人がいたのです。

 当時、北京のバスは劣悪なものでした。暑いし、風は通らないし。しかも、臭いし、車はのろいし、乗っている人もだんだんいらいらして来るのです。それで、車内でもすぐにつまらないことから、喧嘩が始まります。トロリーバスの運転手もいらいらしていたのでしょう、自転車や何かとぶつかっては、よく喧嘩を始めていました。
 
 一台目の運転手が喧嘩を始めると、後ろのバスは前に進めないのですから、当然、数珠つなぎになってしまいます。停まっても、だれも事情を説明してくれませんから、こちらは、ただぼんやりとしているだけです。そのうちに前のバスから、ぱらぱらと人が降り始めました。だれかが声をかけて、どうして停まっているのかと聞くと、ずっと前の美術館のあたりからもう停まっているとのこと。理由は、だれも知りませんでした。それじゃあ、待っていても仕方がないと、みんなバスを降りていきます(中国になれていない頃は、歩くよりも待っていた方がいいんじゃないかなどと思って、バスに乗ったまま待っていたのですが、それが、北京の人に馬鹿のように見えたらしいということを後で知りました)。

 そんな時、ある女の人が「欠徳的」と言ったのです。だれに対して言ったのか、いったいどんなことがあったのかなどは解らなかったのですが、感じのいい女の人でした。漢字も何となく察せられましたから、「これは、これは。これはいい。罵人話だ」と、喜び勇んで、老先生に報告しました。先生曰く「これなら、まあ、遣ってもいいだろう」。それから何回、この言葉のお世話になったのか解りません。事情はいろいろあるでしょうが、こういう言葉は、一つは持っておくべきです。そう思いませんか。

 ただ、中国のこの「罵人話」には、ただ罵るだけではなく、含蓄があるものも少なくありません。面白いのです。これが上手な人にかかると、罵られている人も、周りで聞いて
いる人も、最後には笑いだし、握手したくなるようなのです。(こういう能力のある人は、「限度」を知っているのでしょうね、言葉の。所を得た言葉は、なんであれ、すばらしいものです)

 だいたいこんな言葉は「正史」の方で出てきたとしても、既に裃を着ていますから、面白くはありません。いいのは、いわゆる、日本の講談、中国の「評書」の類に出てくるものです。そして、遣うのも、文化人というよりは、熊つぁん、八つぁん という下町の住人がふさわしい。

 私も、運のいいことに、以前、こういう「八つぁん」に出くわしたことがあります。

 天津へ遊びに行こうと、友だちと二人で出かけた時のことです。隣の町といっても、汽車の本数は少ないので、待ち時間もいれれば、向こうで一泊になるかもしれない。それならいっそバスにしようかと相談している所へ、男がやってきて、「天津へ行くバスはこちらだ」と言うのです。料金は忘れましたが、そこにいた同じような人達も行くことにしたようでしたから、相場よりも安かったのでしょう。私たちも、よく解らないし、中国人も行くんだからと、例の安易な考え方で、彼らの後について行きました。

 すると、男が連れて行った所に、また別の男がいて、十人ほど客がたまると、別の場所へ連れて行こうとするのです。変だなとは思いましたが、北京ということで安心もしていたのでしょう、そのまま、金を払い、待っていたバスに乗り込みました。ところが、バスが走り出して、しばらくして、男が一人乗り込むと、先ほど払った料金の三割り増しか四割り増しの金を集め始めたのです。

 さあ、収まらないのは乗客です。女の人の罵声や男の人の怒号が飛び交います。運転手は、今でも覚えていますが、山賊さんみたいな強面のおじさんでした。一人の乗客が、「こんなバスに乗ってられるか、元へ戻せ」とか言ったようでした。山賊さんの運転手は、チラチラ後ろを見ています。当然乗客の方が多いですし、非は向こうにあります。いったいどうするのだろうと見ていると、車掌役の優男が、「返せ」と言った乗客を宥め始めたのです。「宥めた」という様子だったのですが、彼が遣っていたのは、私が本で覚えたばかりの「罵人話」でした。汚い言葉なのです。けれども、かれの表情と語調と言葉が本当に見事にかみ合っていないのです。

 「あんな言葉を遣って大丈夫なのかな」と他人事ながら案じていると、乗客の中から「クスクス」と笑い声が漏れてくるではありませんか。そのうちに「返せ」と、車掌役の青年に詰め寄り、罵っていた男まで、笑い始め、いつの間にか、二人は「友だち」になり、「友だちだから、払うんだ」とかなんとか言って、金を払っているではありませんか。何とも不思議な光景でした。(残念です。録音しておきたいくらいでした)

 もちろん、外国人の二人は、そのまま払います。すると、「見ろ、日本鬼子は素直で、本当に聞き分けがいい」(と言ったと思います)。チラと見ると、すぐに「おまえは中国語が分かるのか。中国語が分かる日本鬼子は、いい日本鬼子だ」とかなんとか言って、乗客の笑いを誘います。こういう言葉は、中国では言われつけていたので、感覚が麻痺して、なんと言うこともありませんけれど。まるで「相声大師」みたいでした。

 汚い言葉でも、聞いている人に不快感を与えないことが出来るという、いい例でした。ただし、普通の人には、あんな芸当は絶対に出来ないと思いますけれど。

                     
日々是好日

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馬鹿という言葉

2008-07-20 16:26:41 | 学生から
 「日々是好日」先生のブログを読んで、「馬鹿」という言葉についていろいろ考えました。その語源は、検証したことはありませんが、確か、漢字の故郷、中国の秦の時代の「鹿を指して馬と為す」という故事から来ているという説があるようです。

 でも、確かに仰るとおりです。日本語を勉強してこのかた、この「馬鹿」という言葉は、自分でも使ってきているようにもかかわらず、一体正しく使っているかどうか、或いは使うべきかどうかはよく分からないのです。

 日本人を見ても、大体「阿呆」とか、頭が悪いとかのような意味合として気分が相当悪い時に或いは誰かを蔑視して軽く使われているようですが、そうめったに聞こえるものでもないような気がします。

 こればかりではなく、日本語を勉強して不思議に思ったことがあります。人をののしる言葉として、「馬鹿」、「阿呆」、「畜生」、「糞」、「野郎」はどうも一番程度のひどいものであり、それ以上のものは、辞書を引いても、人に聞いても余り出てこないのです。

 そういう話しをすると、変に思われるかもしれませんが、実は中国語には、そのような罵言があまりにも多いからです。これについて、私の尊敬してきた台湾の学者・柏楊先生(今年4月末に亡くなった)が20数年前に既に「醜い中国人」という本の中で指摘しています。中国人は、不衛生で、口も汚いという。

 その本が出版されてから、柏楊先生は中国人社会から物凄い批判を受けました。大陸では、勿論本は発禁となっていました(海賊版は出回っています)。まあ、口が汚いと言えば、柏楊先生ご自身もその一人だと思われますが、中国人を批判する口調が余りにも激しいため、普通の中国人ならなかなかこれを受け入れにくいのでしょう。

 人は、生まれてから罵言が吐けるようなものではなく、育った環境の中で見よう見まねでこのような悪態をつくことを身に付けたものだと思われます。日本語の中にも、話を聞いて相手の素性が分かるというような言い方があるかと思われますが、言い換えれば、相手の育った環境がよく分かるということでしょう。

 では、なぜ中国語に罵言が多く、中国人が口が汚いと言われなければならないのでしょう。

 正直に言うと、柏楊先生の指摘を読んで、最初私も非常に不服でなりませんでした。でも、年が取り、段々人間らしくなってくるにつれて始めてその言葉の重みを感じられるようになりました。

 人様の欠点に目をつけるのは簡単でしょうが、自分の非を見直し、改めるのは、なかなか難しいことです。そういう意味で、80年代当時、「中華民族は龍の子孫だ」と誰も彼も酔いつぶれたように自惚れている最中に、中国人の悪口を言った柏楊先生は、非常に偉いと思います。今その本を読み返してみても、ぴりぴりする所があります。

 日本語と比較して、中国語に罵言が多い理由についていろいろ考えてみましたが、次のような点に辿り着きました(皆様にも一つ検討していただきましょう。)。

 つまり、中国及び中国文化は、余りにも旧いからである。

 「醜い中国人」の中で、柏楊先生は、中国は貧しいからだとか、歴史上戦乱が多すぎるからだとか、いろいろな理由を挙げていますが、結局、上のような一言に帰結することができるかと思われます。

 言葉というのは、民族文化そのものの象徴です。中国文化の場合、数千年の間に一番栄えた時期は、紀元前の春秋戦国時代(つまり「馬鹿」という故事が生まれた時代)と20世紀始めの植民地時代だと一般的に見られています。社会大混乱の中に百家争鳴した結果、中国の人文学は逆に大きな進展を見せたのです。儒教、道教、法教及び墨教はいずれも春秋戦国時代に生まれたものであり、民主主義及び共産主義は植民地時代に外国から取り入れたものです。どの教えが正しいか、或いはどっちが進んでいるかはここで議論するつもりはないですが、結局2千年もの間に、道教、法教、墨教の上に儒教が君臨し続け、所謂共産主義が栄えた昨今にもそれがこの国の底流をなしてきたところから見ると、どっちも中国文化の一側面に過ぎないことが分かります。2千年という古めかしさに更に56の民族という要素を無理矢理に取り入れると、中国文化の色合いは、本当に陳腐繚乱そのものです。

 2千年という長い歳月。戦乱、動乱、圧迫などが繰り返されてき、人々の鬱憤の溜まり具合も想像できるほどです。それを言葉に反映してしまうと、罵言が多いのも決しておかしくないことでしょう。

 「馬鹿」の語源は、本当に「鹿を指して馬と為す」という故事から来ているのならば、今の中国にもそのような馬鹿が少なくないと思われます。

天山来客 
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「『馬鹿』って『バカ』?」

2008-07-19 10:43:50 | 日本語の授業
 昨日のことです。上のクラスで、台湾から来た一人の学生が
「先生、あの、どういう意味ですか。解らない漢字があります」
「どういう漢字ですか」
「二つです。馬と、えーと、えーと…うーん。日本語でなんと読むかわからない」
「どんな漢字?」「どんな漢字?」で、みんなも、ざわざわざわと騒ぎ出します。
カシだの、ミチだのが挙がった挙げ句、「鹿(シカ)」であることが解りました。
「それは『バカ』と読みます」
「えー!?」「えー!すごい。あの『バカ』ですか」

 去年の学生達は、学校で教えないようなことを、よく知っていましたけど。

 そんな学生達に、わたしは、毎日のように「知らなくていいことばかり、どこで習ってくるんだ」と、火を噴いていました。そんなことばかり「まっすぐに」覚えてきて、試験に出てくるような単語、言いまわしには、みごとな「カーブを切って」逃げていたからです。

 「日本人でも、この言いまわしは難しい」と思えるような、変な言いまわしは、すぐに記憶できるのですが、『留学生試験』や『一級試験対策』に関係するような、単語や文法を学んでいる時には、頭が「お留守」になってしまうのです。覚えるどころではありませんでした。たぶん、全く興味がもてなかったのでしょうね、あのような言葉には。しかし、そのおかげで、まじめな(つまり、学校で学んだことをしっかりと覚えるだけの)学生も、『生活用語』に親しめましたので、本当は(私も)文句を言ってはいけなかったのでしょう。けれど、彼らの目的は「大学入学」でしたからね、一応「本業」を忘れるなと叱っていました。

 今年の上のクラスには、そういう「一人前のつきあいを日本人と出来る男子」学生がいません。まじめな女の子が主ですし、男の子もまじめで堅物、融通が利かないので、言語を習得するには、時間がかかるといったタイプですし。その上、火曜日から来始めた男性は、完全に「いい人」タイプですし…。

 日本で日本語を学ぶ場合、「日本語に触れるのは、学校だけ」というわけにはいきません。アルバイト先や路上で触れた日本語について、よく学生から質問を受けます。まだ『初級Ⅰ』とか、『初級Ⅱ』くらいでしたら、もう少し待つようにと言えるのですが、『中級』から『上級』にかけてとなりますと、真正面から答えなければならなくなります。また、それが、ヒヤリングだけでなく、彼らの語彙を飛躍的にのばすことにも繋がるので、なおざりには出来ません。

 アルバイト先や路上で聞いた、しかもその言葉を記憶にとどめておいて、質問できるというのは、すでに「かなりのレベルに達している」ということです。その言葉に「似た音」や、「意味の似た言葉」が、それに付随して「解明されていく」わけですから。

 これは、クラスの雰囲気やレベルによって、毎年異なるのですが、この日本語学校で学ぶ一年半から、二年の間には、必ず、幾度か、急にクラスのヒアリングのレベルが上がる時期が来ます。早いクラスでは、「あいうえお」から始めて半年後くらいに、急に「こちらの言葉に、反応し始め、活発になる」時が来ます。遅いクラスでも、一年くらいのうちには、必ず一度はそう言う時が来るものなのです。

 一言付け加えますと、これは中国人が大半を占めるクラスの場合です。中国人の場合、『読解』や『文法』の方面を、先に習得することになり、次が『聴解』、最後が『会話』となります。(非漢字圏の学生は、違います、一ヶ月くらいで、どんどん発言が増え、抑えるのに苦労するほどなのです)

 ところが、去年のクラスのように、時々『読解』や『文法』にそれほどの伸びを見せる前に、『聴解』や『会話』に習熟してしまうこともあるのです。

 私も、最初の頃は、頭の中にあった「流れ」と全く違うので、多少戸惑いました。「おかしい。なぜこうなるのだ。読解力なんて全くついていないのに」。まるで「非漢字圏の学生と同じ」なのです。

 「中国人でも、『書いたり、読んだり』するよりも、『聞いたり、話したり』する方が早く上達する人がいる」というのは、考えてみると、当たり前のことなのですが、教えている時は、その学生しか見ていませんから、どうしても「中国人」という流れで見てしまいます。「『読解』で全然点が取れないのに、『聴解』で点がこんなに取れるなんておかしい」といった具合に考えてしまうのです。

 本当に「中国人にも色々いる」し、「非漢字圏の学生にも色々いる」でいいのでしょう。しかし、これも、比較の対象を知っていたから余裕を持って言えることで、何もなかったら、ただそれだけのこと。経験にも、指導にも結びつかない、お寒い限りに、なるだけでしょう。

 ところで、来週から、日本に来たばかりの少年が一人(中学校が夏休みになりますので)、ここで勉強することになりました。母子で来校したのですが、親は将来のことを考えて焦っています。今は日本語のことだけを考えさせた方がいいと言ったのですが、解っていても、親としては焦らざるを得ないのでしょう。

 7月から始まった、このクラスは、15歳やら18歳の中に、新たに16歳が加わり、平均年齢がグンと若くなりました。まだ少年や少女と行った感じなので、やはり、二十代の中に入ると、「動作」や「物言い」が、かなり幼くみえるのです。それに加えて、彼らの性格の違いが、みんなの笑いを誘います。本当に、「笑い」や「泣き」、「怒り」や「驚き」には、国境がありませんし、言葉も必要ありません。

 このようにして楽しんでいくうちに、きっと、いつの間にか、言語を用いる上での、土台となるべき信頼関係ができあがっていくことでしょう。(学校に来たばかりの頃はいいのですが、しばらく経つうちに、お互い、どうしてもわがままが出てきます。日本人との間の矛盾というより、文化を異にするもの同士の矛盾が目立ってくるのです)たとえ、互いに問題があっても、言い合いになっても、信頼関係さえあれば、何とかなるものです。

 昨日も下の階に聞こえるほど、大きな声で復唱していました。学生達は気づいていないと思うのですが、この単純作業を繰り返しながら、自然とお互いを知り、互いの不足を補い合えるようになっているのです。

 きっとこのクラスも、直にいいクラスになることでしょう。

日々是好日
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「つながり」とは

2008-07-18 07:44:15 | 日本語の授業
 鉢植えの桔梗が、涼しげな立ち姿を見せていますのに、今日も汗がにじみ出てきます。遠くから車の音が響いてくるだけです。こんな静かな町が、午後には暴風雨に見舞われるというのは、本当なのでしょうか。

 「ひまわり」から送られてくる映像を見ながら、昔の人だったら、どうだっただろうと想像しています。「人工衛星」などありませんでしたから、何日も前から、予測することなど、不可能だったでしょうし。

 急に大風が吹けば、驚き慌てるだけだったでしょう。篠突く雨には逃げ惑うだけだったでしょう。「自然の恵み」を、現代よりもっと享受出来た代わりに、「自然の脅威」も甘んじて受けなければならなかった時代。

 それでも、知恵者や古老たちがいて、人々に尊敬されながら、東の空を見て判断したり、わずかな雲の変化や、海の具合、風の匂いなどから、雨や雪を予測し、人々を導いていました。

 それにひきかえ、その力の源である「経験や伝承」を失い、その「知恵」を持っている人を尊ぶこともしなくなった現代は、ますます「人工」のものに頼るしかなくなりました。

 自分を見ても、生きる力があまりないと思います。「人工物」に生かされている時代になったのでしょう。「仲間」に助けられ、生きる時代ではなく。

 昔は、金があっても、物があっても、「仲間」がいなければ、生きていけなかった。だから当然のことながら、「互い」を労り、一つになれた。

 今も、本当はそうなのでしょう。けれど、その「きっかけ」がつかめない。昔は、当たり前に存在したその「きっかけ」は、今は、だれかが「お膳立て」しなければ、目に見えないのです。

 昨今の少年達の事件を見るにつけ、そう感じます。「ヒト」は、100年前に比べても、増えました。巷に「ヒト」が溢れています。「ヒト」が足りないなんてことはない。あり得ません。けれども、「自分とつながりのある人」を、見つけ出せないのです。

 積極的に、レーダーを張り、探そうとする人は別です。けれど、大半の人はそうではない。何もしなければ、「疎外感」を抱いたまま、年を取り、なす事もなく死に至るだけでしょう。

 以前は、それが「サークル活動」であり、「就職」でありました。その「群れ」の中に存在することで、否応なく「仲間」となり、「同志」や「戦友(会社の同僚という意味で)」になれたのです。

 けれど、今は、会社でも、「一日や一週間だけの関係」で終わってしまいます。「絆」など、どうやってつくれましょう。「つながり」など、どこに見つけ出せましょう。

 義務教育の時代においてすら、そうでしょう。強制的に「群れを作らせる」ことがなくなったような気がします。それは、いらざる「おもいやり」、「配慮」ではないでしょうか。

 日本民族というのは、放っておいてはだめです。「自分で見出し、構築する」ことができる人は、これまで歴史に現れてきたことからも推測できるように、多くはないのです。

 移民のるつぼに投げ込まれ、切磋琢磨し、自己を主張しなければ、生きていけない人達が、日本人のような特質を身につけるのが難しいのと同じです。初めは強制的にでも、「群れ」を作ってやるべきです。

 日本語学校に来る人達も同じです。国が違い、それに伴う、習慣・宗教が違うというのは当然なのですが、それに加えて、日本における「身分」も異なっています。年齢も幅があり、学歴も中小学校レベルから、院卒まで広がっています。一人でできる人もいれば、手取り足取りしてやらねば、ただ座っているだけになってしまう人もいます。(「仲間」となる「きっかけ」を作ることは、日本社会に適応していける「基礎」を構築することになります。あとは本人の資質と努力によります。ほとんどの人は、「帰って行ける国」を持っていますから。必要なら、必要なだけ日本にいるでしょう)

 そのためには、時には、クラスから引き出して、個別に対応しなければならないし、そればかりしていたのでは(他国における「仲間」が作れず、孤立してしまいますから)、クラスに入れ、「共に学び、遊べる仲間」も、作ってやらねばならない。

 その個性を、日本で生活する上で、他者に嫌われないような形(変えさせることは無理です。当たり前ですが)にしてやらねばならない。これは、相手が大人であれば、一言忠告するだけで足ります。それでも、自分のやり方がいいというのなら、それまでです。ただ、子供はそういうわけにはいきません。難しい。相手の言葉が分からないということは、相手の文化も解らないし、そこから発する気持ちも解らないということになりますから。

 そのときは、だれか、その学生の「同国人」に頼るということになります。

 この学校は、学生が友だちを連れてきたり、兄弟を連れてきたり、同じアパートの人を連れてきたりと、みんな何かしらだれかと関係があります。

 それがなかったら、矛盾だらけで、どうしようもなくなっていたでしょう。

 「教える」ということは「高圧的」にやらざるを得ない時もあります。大人に対しては、互いに相手を尊重して、ことは済むのですが、二十歳前後の学生の場合、それだけでは終われません。かなり「強い態度」で臨まなければ、ならない場合も生じてきます。

 学校側が、相手のためを思ってやっているということが、当人だけでなく、クラスのみんなに伝わっていなければ、このような、砂のような集団はすぐに崩れてしまいます。それほど脆いものなのです。「だれかに来てくれと言われたわけではない。けれど、出来るだけ早く、その国の言葉は覚える必要がある」だから、彼らは「この学校にいる」だけなのですから。

 嫌だったら、すぐに他へ行ってしまうでしょう。「在日生」というのは、自由なのです。私たちが縛っているわけでもない。けれど、一ヶ月くらいでやめられてしまうと、私たちの努力が水の泡になってしまいますから、本当に嫌ですね。「望むだけのレベルに至らないうちに(途中で、飽きて)やめるくらいだったら、来てほしくない」というのが、私の本音です。

日々是好日
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社会の「軛」

2008-07-17 08:15:43 | 日本語の授業
 あの公園のベンチに止まっていたのは、一体何だったのでしょう。自転車で通り過ぎた時には、「あれ、『カチガラス』がいる?!」と思ったのですが、調べてみると、見たものよりずっと白い部分が多い。ということは、カチガラスではない…。

 カラスを一回り小さくしたくらいの大きさで、翼の先端だけが白い鳥といった風だったのですが…。

 「カチガラス」というのは、佐賀平野に多く分布し、秀吉の頃、朝鮮半島に出兵した鍋島氏が連れ帰ったとも言われています。名前の由来も、「カチカチ」と鳴くからとも、「勝ち戦」の「カチ」から来たとも言われています。が、本来の名は、カササギです。

 カササギを「ああ、これが、あの」と思ったのは、中国に留学中、曲阜に泊まった時のことです。学校が主催する修学旅行のようなものだったので、今から考えると想像できないくらいの、すばらしいコースであり、ガイド(学識のある先生方)でした。特に、曲阜では、孔子に関係のある所に泊まれましたから、本当に幸せでした。当時、一般人では泊まることなんて出来なかったでしょう。

 ここに泊まった時のことです、早朝、物凄くうるさいのです。しかも、窓に鳥飛び交っている影が映るのです。何事かと聞くと、あれが有名な「喜鹊(カササギ)」と言うではありませんか。感動してしまいました。ほかの国の人たちからは、不思議がられましたけれど。

 日本人にとっては、「(七夕の)カササギの渡せる橋」ですものね。しかも、中国でも縁起のいい鳥とされているようでしたから。

 しかし、今日見たあの鳥は、一体何だったのでしょうね。以前、カラスを虹色に塗って、飼っている人を知っていましたが、まさか翼の先端だけなんていうのは、「なし」でしょうし。

 最近、「トリづいて」います。今日は他に、青信号の時、「横断歩道」を、チョンチョンと渡っていくスズメを見ました。

 スズメと言えば、先日、とんまな雀の子を見かけました。学校のすぐそばの電線の上でのことです。急に目の前を何かが落ちてきます。慌てて上を見てみますと、子雀が羽を膨らませながら、親に餌をねだっていたのです。けれど、親が与えるたびに、受け損ねて、下にポロポロとこぼしてしまいます。親が「ああ、もったいない」と思ったかどうかは、定かではないのですが、子を罵るでももなく、与えるのをやめるでもなく、懸命な行為を続けていました。

 子もあるがまま、親もあるがまま。人間の世界ではあり得ないことです。双方ともに、甚だしきは、考慮する必要のないことまで考えて、ことを行ってしまうというのが、人の常。「知恵づく」と、ある意味ではろくなことがないのかもしれません。

 けれど、いったん「ヒト」となってしまうと、「知恵づいた」行動をとらねば、「社会」から、あぶれてしまいます。

 この「社会」というものの「圧力」を、こういう仕事をしていると、嫌でも感じさせられてしまいます。

 ここは「日本語学校」ですから、私の言うのは、勿論、「日本人社会」ではありません。

 私が言うところの「社会の圧力」というのは、「国」とも、「民族」とも、またある意味では「信仰集団」ともいえるものです。しかも、「他国の」という「枕」がつきます。

 「道徳や社会的な規範」は、たいして変わらないでしょう。同じだと思うのですが、「誰がその判断を下すのか」が違うのです。みんな、それに従うのです。まるで、自分の判断力が失われてでもいるかのように。

 彼らの国で出会った時には、「悪い人」だとは思えません。「いい息子(娘)」であり、「いい兄(姉)」であり、「礼儀正しく」見えます。また、本当にそうなのでしょう。日本に来ても、逆らいません。ある意味では、言いなりです。自己主張をしないのです。「危ういな」と私たちが思うくらいに。けれども、こんなことがあって、私は彼らの「怖さ」を知りました。「怖さ」と言うよりも、「持たざる者のふてぶてしさと図々しさ」と行った方がいいのかもしれません。もっとも、彼らは、自分の国では、「持たざる者」では、ないのです。それどころか、中より上に近い人達と言ってもいいでしょう。

 国際援助の話」などになると、「上げたい人がいる。もらいたい人もいる。上げたいんだから、もらってやって、そのどこが問題なんだ」

 どうしてでしょうね。いくら言っても、言葉の壁もさることながら、認識というか、その差を感じてしまいます。けれど、「彼らが生きてきた世界は狭いし、何も知らされて来なかった。だから、こうなんだろう。がんばって、日本の大学に行くほどになれば、その4年間で変われるだろう」と思って教え続けるのですが、「がんばれない」人が多いのです。

 これまで、「中国人はがんばれる人が多かった」し、「日本人もがんばって」きた。だから、どうしても、「そうしてあってほしい、そうあるべきだ」という目で見てしまうのでしょう。

 今は、もう、そういう眼では見ていません。「せっかく日本へ来たんだから、日本人と折り合いがつけるほどに、がんばればいいし、悪いことをしなければいい」くらいの眼で見ています。無理なことを言ってもしょうがないのです。できませんもの。追い詰めず、彼らの、今あるがままを肯定的に見、ただ横道に逸れないようにと気をつける程度です。

 変な言い方ですが、そういう人達はアルバイトだけは、がんばれるのです。「払う」のではなく、「もらえる」のですから、当然と言えば、当然なのですが。

 「日本語学校で、『日本語能力試験の三級』に合格した。専門学校を、二年間無事に通い、ある程度『日本文化』を理解し、『語学力』もある。そういう人達が、単純労働であれ、日本にいられたら」。彼らも変われるかもしれません。変わらなければ、四年に近い年月を他国では暮らしていけないでしょう。それに、将来に希望がもてれば、短絡的な行動をする人も少なくなるでしょうし、誘われても、踏みとどまることが出来るようになるかもしれません。

 わざわざ外国から呼んで、「慣れるまで、また文化摩擦を繰り返す」までもないと思うのですが。何といっても、身銭を切って「日本語」を学んだのですから、その後を考えることが出来るようになったら、そういう人達でも、「日本」のことを真剣に学ぶようになり、そのうちに「自分の国、社会の『軛』から離れることができるのかもしれない」と思うのです。
日々是好日

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日本語を「マスター」するとは?

2008-07-16 07:58:04 | 日本語の授業
 二・三日前、学校でブログを書いていると、久しぶりに「常連客」が顔を覗かせました。片目がつぶれていたので、すぐに解りました。あの仔ネコの中の一匹です。

 去年の春頃だったでしょうか。近所の野良猫が子供を生んで、その仔達が遊びながら、よく一階の教室を覗いていたのです。

 一階のガラス窓は床まであり、引き戸のように開け閉めしています。それで、彼らの顔の表情から、何から何まで、動きが手に取るように見えました。彼らには、ガラス窓という認識もなかったでしょうから、私の方も、ガラス越しに小さな手を触ってみたり、こっそりと、引き開けて、驚かせてしまったこともありました。が、翌日にはまたそこで遊んでいましたから、きっと彼らにとっての安全地帯だったのでしょう。

 ガラス窓の外は二段ほどの階段になっていて、道からすぐに上がることもできます。ここには、四季それぞれの花を植えた鉢がいくつか置かれ、季節を感じてもらうようにしています。この鉢と鉢の間が、彼らの格好の遊び場になったのです。こちらからは丸見えなのですが、彼らが用心していたのは、道の側で、この教室はちょうど死角になっていたのでしょう。何かあったら、その鉢の後ろに隠れればいいと思っていたのでしょうし。。時々親ネコが、心配そうに様子を窺い、呼び戻したりしていました。それも、かわいかったですね。飛んで親の元に戻りますもの。

 まだ人間の怖さも知らず、人間達の傍らで、遊ぶのに夢中です。彼らと眼が合うこともあるのですが、ちょっと用心するだけで、すぐに遊びに戻ってしまいます。裏のアパートの人が餌をやっているので、居着いているのだとだれかが言っていましたが、いつの間にか居なくなっていました。

 その中の一匹、眼が悪かった仔ネコが、大人になって「戻ってきた」のです。人気がないので、安心して入ってきたのでしょう。まるで、お客さんみたいです。そして、職員室を覗いてみると、居ないはずのヒトがいた。そりゃあ、驚くでしょうね。慌てふためいて、まずは一階に駆け下り、次に、また、なぜか、駆け上がってきて、ちゃんと玄関から帰っていきました。

 痩せ細っているふうではありませんでしたから、ちょっと安心です。お馴染みさんですものね。片目がつぶれているのに、よく生き残っていたものです。

 ネコで思い出したわけではありませんが、先日「化ける」という言葉で、誤解を招いてしまいました。

 私は、「化け猫」や「狐が化ける」の意味ではなく、古典芸能で「役者が、一皮剥ける」意味で遣ったのですが、向こうは「馬鹿にしている」と理解してしまったようです。

 歌舞伎や落語、あるいはその他の芸事で、「遅咲きで、50歳を過ぎて“化けた”」という表現がありますね。そのつもりで「この人はとても素直な文章を書く。うまいとはまだ言えないが、素直だから“化ける”ことができるかもしれない」と言ったのです。

 話していたのは、中国人でしたが、日本人とほとんど同じくらい流暢に日本語を話しますし、色々なことをよく知っています。それで、つい「考慮」することを忘れてしまったのです。

 相手の人も、自分は日本語が上手だと思っていますので、まず、「意味が分からなくても」、日本人に聞きません。時々「牽強付会」めいた言葉や行動を取るので、きっとこの人はこれ以上日本語が上手にならないだろうなとは思うのですが、たぶんだれも親切に彼女には教えてやらないでしょう。

 「お互いに」不愉快になるからです。彼女の方でも「メンツをつぶされた」と思うようですし、日本人の方も「教えてあげたのに、無礼な態度を取られた」、あるいは「罵られた」と感じてしまいますから。

 言葉というものは、本当に難しいものです。日本語を自在に操れるはずの、日本人同士でさえも、言葉による「不和」が起きることが少なくありません。大半は「誤解」だと思うのですが、ニュアンスの与え方、受け取り方が問題になるのでしょう。

 防げるのは、唯一、その人を「信頼」しているかどうか、だけなのです。

 「どれくらいで、日本語をマスターできますか」と、よく聞かれます。相手の「マスターできる」が、どの程度を指しているのかが、解らないので、「『工場で働ける』程度という意味ですか」と聞くと、「もう少し上」と言います。

 「母語でない言葉をどれほど深く学んだことがあるか」。この経験の有無は、とても大切です。旧植民地だったところから来た人の中には、言葉は悪いのですが、「使用人」となるには(旧宗主国から見れば)便利な(旧宗主国の)言語を話し、それで「マスター出来ている」と思っている人が少なくありません。もし、その意味で「マスターできる」という言葉を遣うなら、「日本語能力試験の『三級』レベル」と取らざるを得ません。

 けれど、私たちが教えるとしたら、そこで止まってほしくないし、もっと上のレベルの日本語を「マスター」してもらいたい。

 日本人は、「メイド」の使い方が下手だと言われます。私は、それが、決していけないことだとは思いません。世界の色々な国から見ると、日本は本当に平等な国です。日本では、いい会社の上司は、仕事の能力の他に部下を教育出来るという能力も必要とされています。いくら社会が、グローバル化で他の国の影響を受けても、そういう、昔ながらのやり方をとる会社は、まだまだたくさんあると思います。

 日本の、そういう会社で、働くことをめざすなら、まずその人にも「自立できる日本語」を獲得し、「自分の主人」としてがんばれるようになってほしいのです。

          日々是好日
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