夾竹桃が満開になると、淡いピンクで染められた道を走っているような気分になります。けれど、一つ角を曲がると、今度は「馬に喰われけり」の清楚な木槿が道を縁取り、学校に着くと、なぜか三色菫が入り口で迎えてくれる…今は何月だっけ。そんな気になってくるほど、季節感が感じられません。
蝉の声もまだ喧しくない(あの声が真夏の昼空に響き渡ると、それだけでジリジリと肌を灼かれているような気分になってきます)のに、夕方には虫の音があちこちの空き地から響いてきて、秋を錯覚させる…。変だ、変だ。異常だなんて言っているうちに、これが常態化してしまうのかもしれません。季節感は「過去の『歌』の世界」にしか存在しない…なんてことになってしまうのでしょう、いつかは。
食べ物の世界では既にそうなっていますもの。「トマトは夏のものであり、ブドウやナシが出回ると、秋になり、運動会の季節が始まる」。こう書くと「なんと古めかしいことを。時代遅れだ」。そんな気がして来るではありませんか。それは「遺老の懐古」…なのです。けれども、そういう「やせ我慢」も、「日本の文化」の一つだったのではありますまいか。「欲しくても、欲しがらない。買うことが出来ても、買わない。持つことが出来ても、持たない。自分の信条と照らし合わせて事を行う」というのが。
「『ツケ』は、いつかは回ってくるもの」、アメリカのような若い国はいざ知らず、日本は、或いは、そうなのではないでしょうか。ある意味では過去の「ツケ」が経巡って、今の日本があるのでしょうし。
いろいろな国の人と、あるときは「クラスメート」として、またあるときは、「教師」としてつきあってみると、自分の立場によって「見えてくるもの」の違いに驚かされます。
「クラスメート」の時には、感じていなかった矛盾が、見えてくるのです、具体的に。
「クラスメート」の時には、それこそ「友好第一」です。たぶん「お互いに」気を遣い合っていたというのが本当でしょう。だから、矛盾が表に現れる前に、それを突き詰める前に、互いに退いてしまうのです。あくまで「友人」なのですから。無理に問い詰めて、傷つく必要はありませんし。互いの距離を見定め、緩衝地帯を置き、そうしてつきあっていたのかもしれません、無意識のうちに。
しかし、「教師」という立場になってしまうと、「教える」という面から、相手を「従わせ」なければならないという必要に迫られます。
「いいですよ。あなたは頭が悪いのだから、出来なくていいですよ」とか、「いいですよ。あなたは勉強の習慣がついていないのだから、このレベルで十分ですよ」など、口が裂けても、言えません。(もちろん、相手を発憤させるために「、の「禁じ手」を遣う場合はありますが)
すると、相手の「これまで歩んできた道をたどってみなければならなくなる」のです、否応なく。
往々にして「どうして、『人のもの』を『自分のもの』のような顔をして使い、しかも、礼を言わないのか、返さないのか」などの生活指導から始まりがちなのですが、そうでなくても、「どうして、書かないのか」「どうして、『一緒に声を出せ』というのに、出そうとしないのか」などの、日本で、日本語の勉強をする場合の「違い」で、こちらの神経はいらだってきます。
発声することはともかく、書く練習をしなければ、学校に通っているのに、「文盲」になってしまいます。
「書く」という作業を、インド圏の人達に「押しつける」のは「至難の業」です。もちろん、アフリカ圏の人達にも難しかったのですが。(南米の人達には、覚えるために書くという目的意識を定着させる必要さえなければ、彼らはよく書く「いい学生」でした)
中国に留学していた時には、我々と同じくらい、見事に「漢字」を書き、読みこなしている同級生(アフリカ圏の人も、アラブ圏の人も、インド圏、南米の人も)が、数多くいましたから、初めの頃は、「わざわざ日本に日本語を学びに来ているというのに、どうしてそれをしないのか」が不思議でした。
けれども、今考えてみれば、中国での「クラスメート」たちは、彼らの国では、エリートで、ある場合は「期待の星」だったのです。今、日本に来ている人(中国人は別です。国で大学に入れなかったから、日本では大学に入りたいという人が、かなりいますし。目的がはっきりしていますから、そういう習慣がない人でも、「変われる」人はいるのです。この「化ける」ことさえ出来れば、大学でも「そのまま化け続けて」いられるでしょう)は、せいぜい「専門学校」しか考えていないのでしょう。
つまり、それくらい、「国での個々人の歴史」が身にへばり付いているのです。もちろん、「経済的な理由」で、日本に来ている人もいますし、「先進国の自由さとモノの溢れた世界」を経験したいだけという人もいるのは事実ですが。ここでは、純粋に「学びに来た人で」という観点から、話しています。
「エリート」という言葉は、あまり言い響きではありませんので、使いたくはないのですが、彼らには一般的に言って、「状況を見極める目」と、それ故「どうすればいいのかを考える力」と、一番大切な「実行力」がありました。
国で、それができていない人に(或いは、そうしなかった人に)、外国に来て(アルバイトで生活費を稼ぎながら)勉強するというのは、所詮無理な事なのかもしれません。しかも、最近は、それらの個人的な理由の他に、「文化の差」ということも考えてしまうのです。
日本人は「手作業」を尊びます。優れた技芸の持ち主を尊びます。そういう「習慣がない国が多いのではないか」、最近はそう思えてならないのです。
もっとも、「郷に入らば、郷に従え」が出来ない頭が固い人が多い、と言ってしまえばそれまでなのですが、それよりもそうさせる何か、いわゆる「堰になっているもの」の存在を最近は感じてならないのです。
あまりに彼らが「手作業」を嫌がると、ついそんな気になってしまうのです。
嗚呼!
日々是好日
蝉の声もまだ喧しくない(あの声が真夏の昼空に響き渡ると、それだけでジリジリと肌を灼かれているような気分になってきます)のに、夕方には虫の音があちこちの空き地から響いてきて、秋を錯覚させる…。変だ、変だ。異常だなんて言っているうちに、これが常態化してしまうのかもしれません。季節感は「過去の『歌』の世界」にしか存在しない…なんてことになってしまうのでしょう、いつかは。
食べ物の世界では既にそうなっていますもの。「トマトは夏のものであり、ブドウやナシが出回ると、秋になり、運動会の季節が始まる」。こう書くと「なんと古めかしいことを。時代遅れだ」。そんな気がして来るではありませんか。それは「遺老の懐古」…なのです。けれども、そういう「やせ我慢」も、「日本の文化」の一つだったのではありますまいか。「欲しくても、欲しがらない。買うことが出来ても、買わない。持つことが出来ても、持たない。自分の信条と照らし合わせて事を行う」というのが。
「『ツケ』は、いつかは回ってくるもの」、アメリカのような若い国はいざ知らず、日本は、或いは、そうなのではないでしょうか。ある意味では過去の「ツケ」が経巡って、今の日本があるのでしょうし。
いろいろな国の人と、あるときは「クラスメート」として、またあるときは、「教師」としてつきあってみると、自分の立場によって「見えてくるもの」の違いに驚かされます。
「クラスメート」の時には、感じていなかった矛盾が、見えてくるのです、具体的に。
「クラスメート」の時には、それこそ「友好第一」です。たぶん「お互いに」気を遣い合っていたというのが本当でしょう。だから、矛盾が表に現れる前に、それを突き詰める前に、互いに退いてしまうのです。あくまで「友人」なのですから。無理に問い詰めて、傷つく必要はありませんし。互いの距離を見定め、緩衝地帯を置き、そうしてつきあっていたのかもしれません、無意識のうちに。
しかし、「教師」という立場になってしまうと、「教える」という面から、相手を「従わせ」なければならないという必要に迫られます。
「いいですよ。あなたは頭が悪いのだから、出来なくていいですよ」とか、「いいですよ。あなたは勉強の習慣がついていないのだから、このレベルで十分ですよ」など、口が裂けても、言えません。(もちろん、相手を発憤させるために「、の「禁じ手」を遣う場合はありますが)
すると、相手の「これまで歩んできた道をたどってみなければならなくなる」のです、否応なく。
往々にして「どうして、『人のもの』を『自分のもの』のような顔をして使い、しかも、礼を言わないのか、返さないのか」などの生活指導から始まりがちなのですが、そうでなくても、「どうして、書かないのか」「どうして、『一緒に声を出せ』というのに、出そうとしないのか」などの、日本で、日本語の勉強をする場合の「違い」で、こちらの神経はいらだってきます。
発声することはともかく、書く練習をしなければ、学校に通っているのに、「文盲」になってしまいます。
「書く」という作業を、インド圏の人達に「押しつける」のは「至難の業」です。もちろん、アフリカ圏の人達にも難しかったのですが。(南米の人達には、覚えるために書くという目的意識を定着させる必要さえなければ、彼らはよく書く「いい学生」でした)
中国に留学していた時には、我々と同じくらい、見事に「漢字」を書き、読みこなしている同級生(アフリカ圏の人も、アラブ圏の人も、インド圏、南米の人も)が、数多くいましたから、初めの頃は、「わざわざ日本に日本語を学びに来ているというのに、どうしてそれをしないのか」が不思議でした。
けれども、今考えてみれば、中国での「クラスメート」たちは、彼らの国では、エリートで、ある場合は「期待の星」だったのです。今、日本に来ている人(中国人は別です。国で大学に入れなかったから、日本では大学に入りたいという人が、かなりいますし。目的がはっきりしていますから、そういう習慣がない人でも、「変われる」人はいるのです。この「化ける」ことさえ出来れば、大学でも「そのまま化け続けて」いられるでしょう)は、せいぜい「専門学校」しか考えていないのでしょう。
つまり、それくらい、「国での個々人の歴史」が身にへばり付いているのです。もちろん、「経済的な理由」で、日本に来ている人もいますし、「先進国の自由さとモノの溢れた世界」を経験したいだけという人もいるのは事実ですが。ここでは、純粋に「学びに来た人で」という観点から、話しています。
「エリート」という言葉は、あまり言い響きではありませんので、使いたくはないのですが、彼らには一般的に言って、「状況を見極める目」と、それ故「どうすればいいのかを考える力」と、一番大切な「実行力」がありました。
国で、それができていない人に(或いは、そうしなかった人に)、外国に来て(アルバイトで生活費を稼ぎながら)勉強するというのは、所詮無理な事なのかもしれません。しかも、最近は、それらの個人的な理由の他に、「文化の差」ということも考えてしまうのです。
日本人は「手作業」を尊びます。優れた技芸の持ち主を尊びます。そういう「習慣がない国が多いのではないか」、最近はそう思えてならないのです。
もっとも、「郷に入らば、郷に従え」が出来ない頭が固い人が多い、と言ってしまえばそれまでなのですが、それよりもそうさせる何か、いわゆる「堰になっているもの」の存在を最近は感じてならないのです。
あまりに彼らが「手作業」を嫌がると、ついそんな気になってしまうのです。
嗚呼!
日々是好日