曇り。寒い。
出勤する頃、空に、白い月が残っていました。
早朝の道、夜風が少しでもあると、落ち葉が路肩に溜まって、時折、カサコソと音を立てています。それも、数日過ぎるといつの間にか消えている…。消えているのではなく、人が、片付けているのです。
落ち葉は、個人の家からというよりも(この辺りには、落ち葉を出すほどの大きな木があるうちはあまり見受けられませんから)、公園なぞから出ているのでしょう。だいたい、一つの地区に一つずつ、小さな公園があるのですが、公園から出てくる落ち葉は、その地区に住んでいる人たちが、皆で、片付けているのです。
これは別に強制というわけではないのですが、順番に割り当てられているので、その時当番になると、嫌でも出てきてやらざるを得ません。で、一回(当番を)やってしまうと、大まかなやり方も判りますし、(その掃除の日に)誰も来てくれないと困ってしまうということも経験するので、次第に、多少お尻が重い人たちも、決められた日には出てきて片付けを手伝うようになっていく…。。
結局は、自分たちが使うところは自分たちできれいにしようということなのです。それに、地区の住人皆が、毎週出ていかなければならないというわけでもなく、月にせいぜい一度、30分くらいすれば良いことですから、大層なことでもないのです。
ただ、こういう落ち葉の季節は、地区の全員で落ち葉を集めないと間に合わない…。というわけで、全員出動の日もあります。もちろん、落ち葉も多いけれども、
以前、中国人の学生に、「日本では掃除人の姿を見かけないが、ゴミはどうやって片付け
曇り。寒い。
出勤する頃、空に、白い月が残っていました。
早朝の道、夜風が少しでもあると、落ち葉が路肩に溜まって、時折、カサコソと音を立てています。それも、数日過ぎるといつの間にか消えている…。消えているのではなく、人が、片付けているのです。
落ち葉は、個人の家からというよりも(この辺りには、落ち葉を出すほどの大きな木があるうちはあまり見受けられませんから)、公園なぞから出ているのでしょう。だいたい、一つの地区に一つずつ、小さな公園があるのですが、公園から出てくる落ち葉は、その地区に住んでいる人たちが、皆で、片付けているのです。
これは別に強制というわけではないのですが、順番に割り当てられているので、その時当番になると、嫌でも出てきてやらざるを得ません。で、一回(当番を)やってしまうと、大まかなやり方も判りますし、(その掃除の日に)誰も来てくれないと困ってしまうということも経験するので、次第に、多少お尻が重い人たちも、決められた日には出てきて片付けを手伝うようになっていく…。。
結局は、自分たちが使うところは自分たちできれいにしようということなのです。それに、地区の住人皆が、毎週出ていかなければならないというわけでもなく、月にせいぜい一度、30分くらいすれば良いことですから、大層なことでもないのです。
ただ、こういう落ち葉の季節は、地区の全員で落ち葉を掻き集めないと間に合わない…。というわけで、全員出動の日もあります。もっとも、落ち葉だけを拾えば良いというのではなく、落ちているものの中には、ペットボトルだって、空きカンだってあるし、ポイ捨てられたたばこだってある。そういうのも、ついでに拾っていくし、いつもは公園内とその周辺だけなのが、こういう日は人手が十分にあるので、いつもよりも広範囲でゴミを集めるということになる。
以前、中国人の学生に、「日本では掃除人の姿を見かけないが、ゴミはどうやっているのだ?」と聞かれたことがありました。そう言われてみれば、確かにそう。彼らの国でも、掃除をする人たちがいて、その人達だけが道を掃いていた。自分の家の前のゴミでも知らん顔で、中には(そういう人たちに)ここのゴミを拾えと指図する人までいた…。
日本人から見れば、その方が不自然だったのですが。
もちろん、日本でも、ゴミの収集の仕事をしてくれる人はいるのですが、掃除をしたり、片付けたりするのは、ゴミを出した人たちであって、他の人たちではないのです。自分の家の周りはその人がやりますし、マンションなどであれば、そのマンションを管理している管理人さんがしてくれます。住んでいる地域のゴミは、日を決めて、皆でやる。自分たちのことだから、別にゴミを拾ったり、掃除をしたりすることに抵抗はないのです。
国や民族によっては、こちらが「自分のゴミでしょ、拾いなさい」とか言うと驚かれることがあります。彼らの気持ちとしては、それは(たとえ、自分が出したものであっても、いったん体から離れたら)私のやるべきことではない(つまり、私はゴミを拾ったりするような身分ではない)ということなのでしょう。
これは、本当に日本人に理解させるのは難しい。日本では幼稚園でも、「お掃除の時間」があります。「お掃除」ができる子は、褒められるし、できない子は指導を受けます。皆、一緒です。天皇家の子だって、学校に行っていればしなければならないことでしょう。
小・中・高とそれは続きます。受験を控えているから掃除当番をしなくてもいいなんてことはありません。だから、もう、ゴミを拾うとか、ゴミを持ち帰るというのも、別に気にならないのです、普通の人であれば。
そういうわけで、ごく自然に、地区の公園の掃除は「皆でしましょう」となる。それぞれができる範囲で手伝うということになる。皆でお金を出し合って、「誰かを雇いましょう」なんてことには、なりません。いくらお金がある人でも、そんなことを言ったり、したりすれば、皆に白い目で見られてしまう。
それを考えていくと、犬の糞を飼い主が拾って持ち帰るというのも、ごくごく自然な流れの中の一つの行為でしかないのです、外国人は驚くのですけれども。習慣と言われればそうかもしれませんが。こういうことはいくらグローバル化が進んで、いろいろな国の人たちが入ってくることになろうとも、変わってほしくないことの一つですね。
日々是好日
出勤する頃、空に、白い月が残っていました。
早朝の道、夜風が少しでもあると、落ち葉が路肩に溜まって、時折、カサコソと音を立てています。それも、数日過ぎるといつの間にか消えている…。消えているのではなく、人が、片付けているのです。
落ち葉は、個人の家からというよりも(この辺りには、落ち葉を出すほどの大きな木があるうちはあまり見受けられませんから)、公園なぞから出ているのでしょう。だいたい、一つの地区に一つずつ、小さな公園があるのですが、公園から出てくる落ち葉は、その地区に住んでいる人たちが、皆で、片付けているのです。
これは別に強制というわけではないのですが、順番に割り当てられているので、その時当番になると、嫌でも出てきてやらざるを得ません。で、一回(当番を)やってしまうと、大まかなやり方も判りますし、(その掃除の日に)誰も来てくれないと困ってしまうということも経験するので、次第に、多少お尻が重い人たちも、決められた日には出てきて片付けを手伝うようになっていく…。。
結局は、自分たちが使うところは自分たちできれいにしようということなのです。それに、地区の住人皆が、毎週出ていかなければならないというわけでもなく、月にせいぜい一度、30分くらいすれば良いことですから、大層なことでもないのです。
ただ、こういう落ち葉の季節は、地区の全員で落ち葉を集めないと間に合わない…。というわけで、全員出動の日もあります。もちろん、落ち葉も多いけれども、
以前、中国人の学生に、「日本では掃除人の姿を見かけないが、ゴミはどうやって片付け
曇り。寒い。
出勤する頃、空に、白い月が残っていました。
早朝の道、夜風が少しでもあると、落ち葉が路肩に溜まって、時折、カサコソと音を立てています。それも、数日過ぎるといつの間にか消えている…。消えているのではなく、人が、片付けているのです。
落ち葉は、個人の家からというよりも(この辺りには、落ち葉を出すほどの大きな木があるうちはあまり見受けられませんから)、公園なぞから出ているのでしょう。だいたい、一つの地区に一つずつ、小さな公園があるのですが、公園から出てくる落ち葉は、その地区に住んでいる人たちが、皆で、片付けているのです。
これは別に強制というわけではないのですが、順番に割り当てられているので、その時当番になると、嫌でも出てきてやらざるを得ません。で、一回(当番を)やってしまうと、大まかなやり方も判りますし、(その掃除の日に)誰も来てくれないと困ってしまうということも経験するので、次第に、多少お尻が重い人たちも、決められた日には出てきて片付けを手伝うようになっていく…。。
結局は、自分たちが使うところは自分たちできれいにしようということなのです。それに、地区の住人皆が、毎週出ていかなければならないというわけでもなく、月にせいぜい一度、30分くらいすれば良いことですから、大層なことでもないのです。
ただ、こういう落ち葉の季節は、地区の全員で落ち葉を掻き集めないと間に合わない…。というわけで、全員出動の日もあります。もっとも、落ち葉だけを拾えば良いというのではなく、落ちているものの中には、ペットボトルだって、空きカンだってあるし、ポイ捨てられたたばこだってある。そういうのも、ついでに拾っていくし、いつもは公園内とその周辺だけなのが、こういう日は人手が十分にあるので、いつもよりも広範囲でゴミを集めるということになる。
以前、中国人の学生に、「日本では掃除人の姿を見かけないが、ゴミはどうやっているのだ?」と聞かれたことがありました。そう言われてみれば、確かにそう。彼らの国でも、掃除をする人たちがいて、その人達だけが道を掃いていた。自分の家の前のゴミでも知らん顔で、中には(そういう人たちに)ここのゴミを拾えと指図する人までいた…。
日本人から見れば、その方が不自然だったのですが。
もちろん、日本でも、ゴミの収集の仕事をしてくれる人はいるのですが、掃除をしたり、片付けたりするのは、ゴミを出した人たちであって、他の人たちではないのです。自分の家の周りはその人がやりますし、マンションなどであれば、そのマンションを管理している管理人さんがしてくれます。住んでいる地域のゴミは、日を決めて、皆でやる。自分たちのことだから、別にゴミを拾ったり、掃除をしたりすることに抵抗はないのです。
国や民族によっては、こちらが「自分のゴミでしょ、拾いなさい」とか言うと驚かれることがあります。彼らの気持ちとしては、それは(たとえ、自分が出したものであっても、いったん体から離れたら)私のやるべきことではない(つまり、私はゴミを拾ったりするような身分ではない)ということなのでしょう。
これは、本当に日本人に理解させるのは難しい。日本では幼稚園でも、「お掃除の時間」があります。「お掃除」ができる子は、褒められるし、できない子は指導を受けます。皆、一緒です。天皇家の子だって、学校に行っていればしなければならないことでしょう。
小・中・高とそれは続きます。受験を控えているから掃除当番をしなくてもいいなんてことはありません。だから、もう、ゴミを拾うとか、ゴミを持ち帰るというのも、別に気にならないのです、普通の人であれば。
そういうわけで、ごく自然に、地区の公園の掃除は「皆でしましょう」となる。それぞれができる範囲で手伝うということになる。皆でお金を出し合って、「誰かを雇いましょう」なんてことには、なりません。いくらお金がある人でも、そんなことを言ったり、したりすれば、皆に白い目で見られてしまう。
それを考えていくと、犬の糞を飼い主が拾って持ち帰るというのも、ごくごく自然な流れの中の一つの行為でしかないのです、外国人は驚くのですけれども。習慣と言われればそうかもしれませんが。こういうことはいくらグローバル化が進んで、いろいろな国の人たちが入ってくることになろうとも、変わってほしくないことの一つですね。
日々是好日