日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

落ち葉の季節ですね。落ち葉拾いからゴミ拾いまで。

2015-11-30 12:10:20 | 日本語学校
曇り。寒い。

出勤する頃、空に、白い月が残っていました。

早朝の道、夜風が少しでもあると、落ち葉が路肩に溜まって、時折、カサコソと音を立てています。それも、数日過ぎるといつの間にか消えている…。消えているのではなく、人が、片付けているのです。

落ち葉は、個人の家からというよりも(この辺りには、落ち葉を出すほどの大きな木があるうちはあまり見受けられませんから)、公園なぞから出ているのでしょう。だいたい、一つの地区に一つずつ、小さな公園があるのですが、公園から出てくる落ち葉は、その地区に住んでいる人たちが、皆で、片付けているのです。

これは別に強制というわけではないのですが、順番に割り当てられているので、その時当番になると、嫌でも出てきてやらざるを得ません。で、一回(当番を)やってしまうと、大まかなやり方も判りますし、(その掃除の日に)誰も来てくれないと困ってしまうということも経験するので、次第に、多少お尻が重い人たちも、決められた日には出てきて片付けを手伝うようになっていく…。。

結局は、自分たちが使うところは自分たちできれいにしようということなのです。それに、地区の住人皆が、毎週出ていかなければならないというわけでもなく、月にせいぜい一度、30分くらいすれば良いことですから、大層なことでもないのです。

ただ、こういう落ち葉の季節は、地区の全員で落ち葉を集めないと間に合わない…。というわけで、全員出動の日もあります。もちろん、落ち葉も多いけれども、

以前、中国人の学生に、「日本では掃除人の姿を見かけないが、ゴミはどうやって片付け
曇り。寒い。

出勤する頃、空に、白い月が残っていました。

早朝の道、夜風が少しでもあると、落ち葉が路肩に溜まって、時折、カサコソと音を立てています。それも、数日過ぎるといつの間にか消えている…。消えているのではなく、人が、片付けているのです。

落ち葉は、個人の家からというよりも(この辺りには、落ち葉を出すほどの大きな木があるうちはあまり見受けられませんから)、公園なぞから出ているのでしょう。だいたい、一つの地区に一つずつ、小さな公園があるのですが、公園から出てくる落ち葉は、その地区に住んでいる人たちが、皆で、片付けているのです。

これは別に強制というわけではないのですが、順番に割り当てられているので、その時当番になると、嫌でも出てきてやらざるを得ません。で、一回(当番を)やってしまうと、大まかなやり方も判りますし、(その掃除の日に)誰も来てくれないと困ってしまうということも経験するので、次第に、多少お尻が重い人たちも、決められた日には出てきて片付けを手伝うようになっていく…。。

結局は、自分たちが使うところは自分たちできれいにしようということなのです。それに、地区の住人皆が、毎週出ていかなければならないというわけでもなく、月にせいぜい一度、30分くらいすれば良いことですから、大層なことでもないのです。

ただ、こういう落ち葉の季節は、地区の全員で落ち葉を掻き集めないと間に合わない…。というわけで、全員出動の日もあります。もっとも、落ち葉だけを拾えば良いというのではなく、落ちているものの中には、ペットボトルだって、空きカンだってあるし、ポイ捨てられたたばこだってある。そういうのも、ついでに拾っていくし、いつもは公園内とその周辺だけなのが、こういう日は人手が十分にあるので、いつもよりも広範囲でゴミを集めるということになる。

以前、中国人の学生に、「日本では掃除人の姿を見かけないが、ゴミはどうやっているのだ?」と聞かれたことがありました。そう言われてみれば、確かにそう。彼らの国でも、掃除をする人たちがいて、その人達だけが道を掃いていた。自分の家の前のゴミでも知らん顔で、中には(そういう人たちに)ここのゴミを拾えと指図する人までいた…。

日本人から見れば、その方が不自然だったのですが。

もちろん、日本でも、ゴミの収集の仕事をしてくれる人はいるのですが、掃除をしたり、片付けたりするのは、ゴミを出した人たちであって、他の人たちではないのです。自分の家の周りはその人がやりますし、マンションなどであれば、そのマンションを管理している管理人さんがしてくれます。住んでいる地域のゴミは、日を決めて、皆でやる。自分たちのことだから、別にゴミを拾ったり、掃除をしたりすることに抵抗はないのです。

国や民族によっては、こちらが「自分のゴミでしょ、拾いなさい」とか言うと驚かれることがあります。彼らの気持ちとしては、それは(たとえ、自分が出したものであっても、いったん体から離れたら)私のやるべきことではない(つまり、私はゴミを拾ったりするような身分ではない)ということなのでしょう。

これは、本当に日本人に理解させるのは難しい。日本では幼稚園でも、「お掃除の時間」があります。「お掃除」ができる子は、褒められるし、できない子は指導を受けます。皆、一緒です。天皇家の子だって、学校に行っていればしなければならないことでしょう。

小・中・高とそれは続きます。受験を控えているから掃除当番をしなくてもいいなんてことはありません。だから、もう、ゴミを拾うとか、ゴミを持ち帰るというのも、別に気にならないのです、普通の人であれば。

そういうわけで、ごく自然に、地区の公園の掃除は「皆でしましょう」となる。それぞれができる範囲で手伝うということになる。皆でお金を出し合って、「誰かを雇いましょう」なんてことには、なりません。いくらお金がある人でも、そんなことを言ったり、したりすれば、皆に白い目で見られてしまう。

それを考えていくと、犬の糞を飼い主が拾って持ち帰るというのも、ごくごく自然な流れの中の一つの行為でしかないのです、外国人は驚くのですけれども。習慣と言われればそうかもしれませんが。こういうことはいくらグローバル化が進んで、いろいろな国の人たちが入ってくることになろうとも、変わってほしくないことの一つですね。

日々是好日
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頑張るしかないですねえ、何でも。

2015-11-27 13:44:28 | 日本語学校
晴れ。

快晴。無風。…ちょっと寒い。

一昨日は「日本語能力試験」の模試をやりました。採点も、中国人学生が多かった頃は、「読解」に多く点をつけ、それなりの形でできたのですが、「非漢字圏」の学生達にそれをやってしまうと、途端に寂しいばかりの点数となり、人によっては、やる気を失ってしまうということもあり、なかなか難しいところがありました。

というわけで、配点は…みな一問一点で、それで採点しました。難しくても優しくても一律にすると、…違いますね。それなりに、うれしそうな顔を見せてくれます。漢字を覚えるだけでも大変なのに、このときはこういう読み方と一つ一つ覚えなければならない(…というわけでもないのですが、彼らにしてみればそう思えてしまうらしい)…大変…。

「文字語彙」の「漢字」に関するところでは、その漢字の読みや形が判れば、答えがすぐに出ても良さそうなものなのですが、そうはできないところが「非漢字圏」の学生の、「非漢字圏」たるところ。

それが一文の中で問われているものですから、最後の句点まで、全部読んでしまうのです。で、時にはその「一文」の、他のところで(知らない漢字があったり、訳の分からない単語があったりして)引っかかってしまって固まってしまうということもある。…もちろん、全部読んでそれから答えることができるなら、そうすることが一番良いのですが。

おまけに200字くらいの文章から1000字を超えるものまで出てくると、必死で読んでいる学生ほど時間が足りなくなってくる。それで、まず問いを見、そこに書いてある単語ないし、漢字に注意し…云々という受験のテクニックを教えた方が、点が取りやすくなるので、それを教えてしまうということも…あってしまう。(本来なら、答えが出ればいい、合えばいいと最初から考えるべきではないのです。きちんと読もうとしている人には、まずはその習慣をつけさせた方がいいのです。だから、テクニックめいたことは教えない方がいいのです。きちんと読める人は、放っておいても、自然にそれができるようになるものですから)

なにせ、大卒であっても、(文章中の)筆者の意見や、あるいは、まとめ的なものは、この辺りを見た方がいいとか、この接続詞の後ろを怪しいと思えというのとかが通じない人するもいるのです。いえ、これは理系だからというわけでなく。
 
おそらく、彼らは漢字に「かまけてしまう」のです。本来ならば素直に読めばそれほど難しいものではなくとも、真面目にやっていればいるほど、漢字に「かまけてしまう」のです。

面白いことに、「N3」合格は、「テキトー」な学生が案外合格でき、「几帳面に」漢字を覚え、読み進めようとする学生ほど時間が足らなくなって合格できないということがあるのです。もちろん、きちんと漢字を覚え、問題を解けている人は合格できているのですが、中間がいないのです。

学校には来ているけれども、大して漢字を読めも書けもしないという学生でも、アルバイト先で日本人と話す機会が多ければ、「N3」に合格してしまうということもあるのです。

知っている言葉を拾い、それで答えていける才覚があるから、時間内にできるのでしょう。普通に読ませたら、一つ一つの漢字の前で立ち往生してしまうだけの人たちなのですが。

もっとも、こういう人たちは、よほど心を入れ替えて勉強しませんと、次がありません。「N3」レベルで終わりか、あるいは、どんどんレベルが下がっていくかだけなのです。日本にずっといても。

学校で勉強できる単語や文法というのは、工場やレストランでいつも使われている言葉や文法とかなり違っています。分野も広いし、書き言葉的な部分も少なくないのです。日常生活で、彼らが耳にすることも目にすることもほとんどないといっても良いでしょう。

それにくらべ、学校でコツコツ勉強していた学生。たとえ、日本語学校にいる間はなかなか上手になれなくとも、頑張っていれば、努力は報われるものです。大学や日本人が多い専門学校に行けば、事情が変わってくるのです。急に花開いて、「N2」に合格できましたという知らせをしてくれることだってあるのですから。

やはり、「天は自ら助くる者を助く」なのですね。

日々是好日
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東京でも、奥多摩の方は雪になるそうです…。そう言うと、みんな羨んでいました。

2015-11-25 18:12:42 | 日本語学校
雲は重く、どんよりと垂れ込めています。直に雨になるでしょう。

学校の「サザンカ(山茶花)」はまだ、咲き続けています。見ると小さな蕾がたくさんついていますから、今年いっぱいは大丈夫かもしれません。

近所では、「ボケ(木瓜)」の花がもう咲き始めています。つい最近、「ハギ(萩)」が咲き始めたような気がしていたのですが、もう姿はなし…。本当に、あっという間の出来事でした。

「『今年の春』というのは、一度だけのもの」とは、誰の台詞だったか、今年の秋も一度だけのもの…だから、大切にじっくりと味わうべきもののはずなのに、何も見ていない、何も味わっていない…何も気がつかないままに過ぎてしまった…ような気がします。

11月からみていくと、「立冬」「小雪」「大雪」「冬至」で、年が改まる。ちょうど、今は「小雪」と「大雪」の中間地点。今日は東京の山の方では雨でなく雪になるとのことですから、温暖化は進んでいても、雪は降ってくれるのですね。

さて、学校です。

学校から自転車でいけるところに、新しい宅急便の工場ができ、先日そこの方がアルバイトの募集に来てくださいました。それで、朝のクラスの10月生を中心に、10名ほどが面接に行き、今、お世話になっているのですが、早朝の仕事とて、どうもそろそろ疲れが出はじめて…きているようです。

半年ほども日本でアルバイトを続けていれば、お金をもらうということは、そんなに簡単なことではない、辛いこともあるということが判るものなのですが、ところが、10月生は来日後一ヶ月ほどしかたっていない。国で大変なことなんてやったことがない。国でのんびりと過ごし、大学へ行くぞと来日していても、あくまでそれは気持ちの上だけのことで、現実にそうしなければならなくなった途端に、こんなはずではなかった…となる。

すぐにへばってしまうのです。アルバイトはお金をもらうし、それはそれでうれしいことだし、生活がかかっているので、外せない。となると、目的がはっきりしていない人は、そのままズルズルとなってしい、学校を休みがちになってしまう可能性が高くなる…。

口では、「良い大学はどこですか。そこへ行きます」なんぞと行っていても(来日一ヶ月ほどは)、うちで勉強するという習慣がないので、漢字が覚えられない。一日に一時間は勉強しなくてはならないとか、習った漢字は絶対に覚えるぞといった根性はたいていの学生がありませんもの。また、そこまでしなければならないといった気持ちもないのです。

漢字を覚えられるかどうかは、普通、書いた回数で決まると言っても過言ではないでしょう。日本人だってそうですもの。目にした回数、手を使った回数、多ければ多いほど、覚えられるし、忘れることも少なくなる。

ところが、国にいたときと同じような生活をしながら、学校に行き、アルバイトに行くわけですから、(勉強するとは言うけれど)「いったいいつ勉強するの」と、こちらの方が不安になる。

で、おきまりの「漢字は難しいから覚えられない」で、「私のせいじゃない(私は頭が良いけれども、覚えられないのは、漢字のせいである)」となるのです。

どこかでこれを断ち切らないと、いつまでも変な伝統になってしまいそうです。ちょっと周りを見渡せば、インド人だって、スリランカ人だって、ベトナム人だって、漢字がきちんと覚えられている人はいるんですけれどもね。

日々是好日
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今日は一日中、寒いそうです。

2015-11-20 08:25:59 | 日本語学校
曇り。

昨日は寒かったからでしょう、見事にみんな靴下を穿いていました。もっとも、スリッパは手に持って上がってきた者もいましたけれども。

「寒い」と言うなら、「靴下をはけ」「スリッパを履け」なんですけれどもね。

「先生、寒い…。」
「靴下は?」「スリッパは?」
「いやぁ…。履きたくない。気持ち悪いです…」(だんだん、蚊の鳴くような声になっていきます)

「気持ち悪い」という言葉だけは、「すぐに覚えた」…。というのも、何か言わねばと頑張ったからなのでしょう。まあ、それを聞いた他の人が、「気持ち悪い…って、へ??」みたいな感じで笑って、そして覚えて…ですから、この「靴下戦争」も、一概に悪いとも…言えないのかもしれません。

さて、秋は見事に深まってきました。

今日など一日中気温が上がらず、予報では10度から15度くらいまでだとか。

いつでしたが、ついこの間なんて、日較差が、10度ほどもあったことがありましたっけ。あのときは、ちょっと困りましたね。厚手のコートはまだ出していなかったし、かといって…。学生達のように、ダウンの下は真夏の格好というのが一番良いのかもしれません。

まあ、寒くなるとともに、足踏みを続けていた紅葉がだんだん町にも降りてきました。春にも夏にも、思うことはあるのですけれども、「緑」という色の持つ寛容さのすばらしさ。おそらく期間限定というのではなく、一年中感じているのでしょうけれども、特に「秋」は、緑が色を変える時期ですから、余計に深く感じさせられるのかもしれません。

どの色と一緒になっていても、「自然の緑」というのは、相手を嫌わない。

だからでしょうね、「自然の緑」を背景にすると、人が皆美しくなるのは。

人もそうあるべきなのでしょうけれども、いかんせん、人というのは、感情に突き動かされて行動してしまう傾向にあり、おそらくは、90%ほども、その部分に占められているのかもしれぬと思われるほどであって、さらりと水のようには、(あらゆることを)流せない…。

その上、性の悪いことに、人様にしていただいたことはすぐに忘れてしまうくせに、人にしてやったことだけは、いつもまでも覚えている。覚えているだけならまだ良いけれども、ジメジメとした心を以て、他人に訴えることだってある。おまけに、他人がそれに応じてくれぬと、どんどん、非難の対象が増えていく。怨み辛みの塊と化し、不平不満の温床となっていく。

こういう、「ヒト」に必要なのは、やはり「山の樹」ですね。時には怖いこともあるけれども、いつもは何も言わずに人と対峙してくれる「緑」の中に身を置くと、ちっとは「『まし』になったような自分」が発見できる。

「山」に行く時間も体力もない時は…、その時は、やはり近くの公園ですね。太い樹々のある公園へ行き、黄や赤に変わった木の葉の姿を眺めたり、樹々を見つめ、ぼんやりしたりしていると、少し時間を忘れることができるでしょうし…。

放っておくと、人というのは他者に対して不寛容になりがちですもの。「まねる」というのは決して悪いことではありません。時には、「石」や「樹」をまねた方がいいことだってあるでしょうし。

日々是好日
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久しぶりの青空です

2015-11-11 09:09:49 | 日本語学校
晴れ。

昨日の雨が嘘のように晴れています。快晴。

日曜日は雨、一昨日もはっきりしない天気で、そして昨日も雨が降ったり止んだり。午前の学生達が来るころに一時、強くなったのですが、その後は、またシトシトとしばらく降って、また止んでを繰り返していたので、今日はこんなものかと思っていると、午後のクラスが終わる頃に、急に激しい雨音がして、びっくり。

「…傘を持ってこなかった…」そんなこと言っている学生がいました。だからぁ、日本では「折り畳みの傘を必ず持って来ること」と、あれほど言っていたでしょう…。

まあ、昨日は(彼らが)帰る頃には止んでくれていましたけれども。この時期のみならず、傘は常時必要です。特に、学生達は学校から直接アルバイト先へ行くこともあるので、…「秋の天気と女心」ですものね。

以前、インドの学生が、「日本に来て不思議だと思ったこと」で作文を書いた時、その中に、「どうして、日本人は雨が降ることを知っていたのか」というのがありました。

「朝、うちを出たとき、晴れていた。それなのに、出勤していく人は皆、傘を持っていた。変だなと思ったけれども、私はそのまま学校へ行った。すると、雨が降り出した。さっきまで、とてもいい天気だったのに、どうして雨が降ることを日本人は知っていたのか。不思議だ」

日本人は、朝起きるとすぐにテレビをつけ、天気予報を見ます。テレビがない頃だったら、ラジオでしょうし、若い人はインターネットかもしれません。どちらにしても、天気予報を見ます。そして、寒さ暑さをチェックすると同時に、雨が降る確率を見ます。降水確率が30%を超えていれば、折り畳み傘をバックに入れますし、風が強くなりそうだという予報が出ていれば、普通の傘にします。

彼は天気予報を見るという習慣がなかったのでしょう。だから、ちょっと驚いたのかもしれませんね。

学生達も多分そうでしょう。それに、雨季と乾季がはっきりと、あるいは割合にはっきりと分かれている国から来ている人たちが多いので、そうなってしまうのかもしれません。

一雨ごとに冬が近づいてくるので、これからの雨は大変です。慣れているはずの日本人でも、この時期の雨に濡れて風邪をひく場合が少なくありませんもの。

寒さが足元からジワリジワリとやってきます。それなのに、一昨日、少しばかり暖かかったからでしょうか、授業をしながら、ふと学生達の足元を見ると、スリッパを遠くへ押しのけて、裸足の足をブラブラさせている輩がいます。 …風邪をひくぞ…じっと見ていると、ハッとして「大丈夫です。気持ち悪いですから」と常套句で応酬します。こう言えば(見れば)、こう言う。何だか「おはよう」「おはよう」、「元気?」「元気」と同じような感じで受け取られているようで、本当は違うのになあとため息をついてしまいます。

のんびり構えているうちに、「冬になった」では、しゃれにもなりません。まずは「郷に入っては郷に従え」でやってもらわないと、困ります。

チベットやインドの人は別にして、クラスの中で、一番北に属するベトナムのハノイから来た学生、未だに、「ベトナムは寒いです、冬があります」と言います。…それはそうかもしれませんが(なんと言いましても、感じ方の問題ですから、その人が寒いと感じれば、寒いのでしょうし、またそれを冬であると思えば、冬なのでしょう)、でもね、と私たちは続けたい。12月にハノイへ行ったとき、あれは秋の初めくらいの感じだった。なにせ、雪が降ってもおかしくないような日本から、行ったわけですから…。

あのとき、(私たちがベトナムへ行くと知った)ベトナムの学生達。一様に「ハノイは寒い」と言い張っていましたもの(気温を見ればそれほどのことはなかったのですが)。だから日本の冬服をそのまま持って行ったのです。確かにベトナムの人たちは日本人と同じような格好をしていました。けれども、私たちはコートは脱ぐ、毛糸も要らぬという感じになり…この荷物、どうしょうでしたもの。

外の気温と、体感温度が違うというのはわかります。それは北京で、身を以て学びました。陽が照っていると、湖は凍っていても、それほど寒くはないのです。もちろん、風のないときですが。だから、その地に住んでいた人たちの言葉を信じてしまっのです。迂闊であった…けれども。

日々是好日
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初めてのアルバイトで、怪我をしました…。

2015-11-06 08:41:36 | 日本語学校
快晴。

朝は寒くとも、昼になると、まさに春のような天気が続いています。今日も、朝夕は寒く、昼は暖かいとか。こうも日較差がある(10度くらい)と、海の近くに住んでいる気がしなくなります。

日本って、もっとダラダラと冬になり、ダラダラと春になり…という風土ではなかったかしらん。

心の準備をし、冬物の準備をし、そして冬がきっぱりと来る…はずが、「あれれれれ…、戻っちゃった」では、お話になりません。合い着を仕舞ったり、出したり…。夜着だってそうです。特に寝ている間は、気が利きませんからね、朝になって、汗を掻いているということだってあります。ほんと、こういう時期は大変です。

さて、学校です。

昨日の朝、初めてのアルバイトで、怪我をした学生がいました。工場の方が病院に連れて行ってくださったので、別に大事なかったのですが、血がかなり出たせいか、学生は学生で、ショックを受けていました。

心細かったのでしょう、来日したばかりの同国人についてきてもらいたい(通訳にはなりません。話し相手という役回り)で、一人ついていきました。

多分、理由はあるのでしょうが、他の国から来た学生に比べて、スリランカ人はよく怪我をしますし、病気にもなります。これは男女を問わないようです。ですから、怪我と聞くと、すぐに、スリランカ人だろうなという気がしてしまいます。もちろん、怠けているのでもないのです、でも、多分、要領が悪いのかな…そんな気がします。

ベトナム人の方は、あまりそういうことはないようです。が、外国語を学ぶのに、せっかくその国に来ていながら、本ばかり見て、日本人の説明を聞かないというおかしな癖が抜けきらない人が多いのが困ります。

それぞれ、どの国にも、それなりの「特色」はあるようです。

日々是好日
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目的がはっきりしていない人は、大変です。何ごとにつけても。

2015-11-05 11:21:37 | 日本語学校
晴れ。

昨日の朝はとても寒かった。ところが昼の暑さ(暖かさではありません)と言ったら…。午後の学生など、上着を忘れて帰った猛者がいたくらいですもの。

これでは、せっかく、ここ数日で、「靴下。よ~し!」が徹底できていたのに、また元の木阿弥になってしまいます。彼らはしぶといですからね。「『靴下』イコール『気持ち悪い、だから嫌だ。穿かない』」は、(かなりの寒さが襲来してこない限り)、変わりそうもありません。

さて、学校です。

「N3」に入っているクラスでのことです。ベトナムの学生が、「『初級』の文法は大丈夫ですけれど、『N3』の文法は難しい。とても難しい」と言ってきました。

昨年のクラスでも、ベトナム人に「N3」の文法を教えるのに、本当に手こずりました。だから、多分、本人の資質だけではなく、母語との関係で困ってしまうのでしょう。それから、ヒアリングの力ですね。

時々、ベトナムの学生でも、かなり音が聞き取れる人がいました。もちろん、こういう人は発音もいいのです。彼の場合など、他の国の人たちと同様、スルスルと文法が入っていきました。それほど困っていないのです。とはいえ、こういう日本語学校に来ている人のうち、大半は、やはり、ヒアリング力に問題がある人が多いのです。

真面目に勉強していなければ、「そうか、やっぱりな」で済ませられるのですが、毎日学校に来て、授業もきちんと受け、宿題もやり、漢字も努力して覚えている…それなのに、ヒアリングの力は、なかなか、つかない…。

もちろん、半年か一年で、レストランなどの店にアルバイトが決まった学生は、それなりに力がついていくのですが、ずっと工場でのアルバイトしかない、さがせないという学生は、二年いても、やはりそれほどレベルが上がっていませんね。

寮にいる学生には、暇なときに町に出るようにとか、部屋でラジオを聞くようにとか言っているのですが、これもまた、なかなか実行できないようです。

「判らないから聞かない、聞きたくない。聞かないからわからないまま」という図式が壊れないのです。どこか一角でも壊れれば、壊れなくとも、少しでも綻べば、後はどうにかなるだろうと、他の国の学生達の時と同じようにも考えるのですが、これもまた、なかなか思うようにはまいりません。

本人が一番焦っているのでしょうけれども、頑張って今を乗り切れば、後は大丈夫になるという「成功経験」が乏しい人が多いので、頑張りもそれほど効かないのです。

ただ、国で、ある程度、日本語を続けて勉強できていた人は、日本でも頑張れるようです。この「『国でも』日本語の勉強を続けることができた」人と、そうではない人とは、来日後受ける感じが全く違うのです。

今までは、ベトナムへ行ってもどういう人を選べばいいのか、今一つ判らなかったところがあったのですが、今は、ただ単純に、「きちんと『みんなの日本語』を学び続けることができたかどうか、できれば50課まで」が基準になると言えるような気がします(ヒアリングの問題もありますし、アルバイト探しも大変ですから、それくらいはしておかないと、他の国から来た学生たちと伍してやっていけないのです)。

それができなかった人は、まず、日本へ来てもアルバイトに走るか、馬鹿なことをしでかすかのどちらかになってしまいます。馬鹿なことをしでかしている人の中で、日本語の勉強をきちんとしていた人なんていませんでしたもの。それが如実に物語っていると思います。

ベトナムの学生を入れ始めてから、何年かは、馬鹿なことをしでかす人が次から次に出てきて、その後始末ばかりに追われていました。そしてベトナムに行ったときも、そういうことをしない人を選ぶにはどうしたらいいのかばかりを考えていたような気がします。

そのころは、ハノイにも日本語学校がそれほど多くなかったのでしょう。数年前、一人、真面目な学生が来たときに、「どうして国で、もっと日本語を勉強しなかったのか」と聞いてみたことが、あったのですが、「なんと無理なことを言う」然とした表情で、「日本へ行く前に勉強しようと思って学校を探したけれども、いい学校はなかった」と言ったのです。.

今は、あっちこっちに学校があって、どこへ見に行けばいいのか判らないくらいです。ただし、日本語教師が足りないらしい。教師がいないのに、作るというのもすごいのですが。だから、そこでは、日本語を学んでいる大学生とか、研修で日本へ来たことのある人が、教えていたりするのです、不十分な知識で。

きちんと教科書通りに(日本の教科書を使っていた場合)教えてくれていればまだしも、違うことを言っていたり、それをムキになって覚えさせたりしている場合もあるようで、これでは、こういうところで習った学生が日本へ来ても、(改めるのに余計な力を使わなければなりませんから)大変だなと同情させられたりします。

そうは言いましても、どこの国であれ、いろいろな問題があるわけですから、それはそれでしようがないことなのかもしれません。みんなそれぞれ、恵まれているわけではないのです。

とはいえ、そのことを苦にしている人もそれほどいないようで、うまくできているのかもしれません、人というものは。

日々是好日
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「この言葉の意味は、判るけど、でも、何となく、そうじゃないような気がする…」という時。

2015-11-02 12:16:55 | 日本語学校
雨。今日は12月並の寒さだそうですが、…それほどのことはない…ような気がします。でも、確かに寒い。雨も降っていますし…。

一時、かなり強く降っていたのですが、今はまた小雨になっています。今日は、雨の1日となってしまいそうです。

とはいえ、もう「霜月」ですからね。(陰暦でのことながら、つい太陽暦の11月を「霜月」と呼んでしまいます)。霜が降りても不思議ではない。

とはいえ、とはいえ、学校の近くの「ハギ(萩)」の花は、ずっとあのままで、花が(垂れた枝の)上に上がってくる気配もありません。このまま、立ち枯れしてしまうのではないのかしらん、蕾は蕾で、あのままミイラ化してしまうのではないかしらんと、要らぬ心配をさせられています。

先日、午後の学生達が帰るとき、「暗い」「暗い」と言い合っているのを聞きました。彼らの国では大して変わらないのではないのかしらん。一年を通じて、夏はなかなか日が暮れず、冬は早くから暗くなると言うのも、一つの発見ではないかしらん。不思議ですね。

ある単語の意味が、よく判らないと言う学生がいます(その単語の意味を)調べてみても、どうも自分が思っているのとは、違うような気がするというくらいの感じなのでしょう。これは、比較的感覚の鋭い学生である場合が多いのですが、こういう時は、「私(教師)を見ていてごらん」で、教員が使う(日本人なら誰でもいいのですが)のを聞きながら、会得してもらうしかないのです。「ああ、こういうときに使うのか」と一つ一つ積み上げていくしかないのです

どこの国の言葉であろうと、(彼我の言葉で)100%同じなんて、ないのですから、

最近も、「不思議」という単語の意味が、「わかるけど、わからない」という学生がいました。「木彫りの像が、夜になると、涙を流して泣く」の「不思議」は、「何となく判る」。「でも、ちょっと違うような気がする」、で、わからない。すると、ちょうどいいことに同じ部屋の学生、三人のうち、一人が、(皆)同時に部屋を出ているにもかかわらず、いつも3分から5分ほど遅れてくる。「どうして、どうして。…不思議だなあ。何(交通事故とか、その他)もないんでしょ」とやると、首をかしげながらも、こういうときにも使うのかという顔をしている。

それで、いいのです。言葉なんて、よく言われているように生き物みたいなものですから。幅だって、ありますし、だいたい、いわば、ある、決められた範囲の中では、融通無碍であるのですから。

日々是好日
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