日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「学生達の一番の教師は、同じクラスの異国人」。

2012-08-14 08:49:09 | 日本語の授業
 「ノウゼンカズラ(凌霄花)」が朱色の花を咲かせています。重い朱色です。ふと気がついたのですが、「カンナ」の朱色によく似ているのです。この色が街に拡がり始めますと、夏の終わりという雰囲気になります。小さなヤブ蚊が出没し、そして台風が列島を襲来し始める…。

 ところが、最近は、それが、どうも、変わってきたらしく、台風が梅雨時に来たりします。気候変動が起こりますと、「当たり前」であったことが「当たり前」でなくなり、日本人の感覚のバロメーター、「季語」も、だんだん姿を変えていくのかもしれません。

 今日は雨になるとか。

 さて、日本列島には、北海道を除き、全体的に、大きな雨雲がかかっているように見えます。天気予報によると、この辺りでも、もう雨が降っていてもおかしくないはずなのですが、グッと堪えているらしく、涼しい風が強く吹いているだけです。

 補講中の、「Eクラス」の学生達は、皆、この近所に住んでいますので、多少の雨は平気でしょうが、それでも雨が降りますと気になります。自転車で来るのは四名、他は「歩き」。

 昨日、教科書を置いて帰った学生は、今日も来るのでしょうか。「教科書だけが参加」なんてことになりかねないから怖い。そして、昨日、無断で欠席した学生は、今日、どうするのでしょう。「10課」を過ぎる頃からもう全く参加できなくなっていましたから、我慢が効かなくなっているのかもしれません。わからなくとも毎日出席していると、だんだん日本語が聞き取れるようになるものなのですが、それがわかるのにも能力がいるのでしょう。1課の短文でも、キョトンとしていることがありますから。わからなくても、とにかく参加して欲しいですね、すると、ある日、突然聞き取れたりするのです。ただ、今はこれ以上、速度を落とすことは出来ません。もっと速くやってもついて行ける学生も、この「始まったばかりのクラス」にはいるのです。

 昨日は、一名が欠席したものの、他のクラスから一名が参加して、で、結局は同じ数で授業をしました。「BCクラス」の一名は、「中級」の勉強が難しいらしく、何度も下のクラスに入れてくれと訴えていましたが、頑張れば出来るので抑えていました。同じように下のクラスに行くにしても、既に「初級Ⅱ」の中程まではきちんと入っていますから、「中級」がある程度進んだところで、そういう(「初級Ⅱ」の中程のクラスに)行ってもいいのです。

 非漢字圏の学生である場合、「中級」が、漢字圏の学生達と同じように学んでいけると言いますと、それはかなり難しいことらしく、それほど多くはいません。やはり彼らの国で、大学に合格していたとか、またそれが出来るだけの成績を残していたとかいう学生くらいです。短大出とか、高卒で来ている学生達の場合、かなり真面目にやっていても、漢字というハードルがなかなか越えられないのです。また、漢字を覚えたら覚えたで、今度はそれで書かれた文章を読んで行かなければなりません。

 勿論、例外もいます。「無理かな、無理かな」と、ひやひやで、お尻を叩き続けたフィリピンの男子学生が、中国人クラスで「上級」の教科書が終わるくらいまで頑張れました。その時は不満だったのですが、今思えば、漢字テストなどもかなり頑張って点数をとっていたのです。こちらではもう少し頑張れると思っていても、彼にとっては限度いっぱいだったのでしょう。

 本人曰く「大変です。覚えても、直ぐ忘れるのです」。とはいえ、直ぐ忘れると言っても、一度は覚えられるだけ練習していたわけですから、それが積み重なれば強い力となります。書くのは忘れても、読めるのですから、これはすごい。

 バングラデシュ、スリランカ、ミャンマー、インド、ガーナ、ネパール、タイなど、中国人学生と一緒に頑張れたという学生は、それなりに漢字が書けていましたし、読めていました。いくら日本人と同じようにペラペラ日本語が話せていても、日本語の文章が読めないと、もう、それで、ある意味での信頼は失われてしまいます。特に社会に出ますと、そうなのです。

 先日、卒業生と一緒にパーティをした時、集まってくれた顔ぶれを見ながら、いろいろなことを思い出していました。すうっと頭に浮かんでくるのです。今は、皆、日本の社会で、それなりにうまくやっているようですが、ここまで来るには、山あり、谷ありの人生だったでしょう。それでも、懸命に頑張ってきたとことは、見る人が見ればわかります。何事も自分だけの力では成功するはずがないからです。彼らの後ろには、きっと、だれか、後ろから支えてくれる人たちがいると思います。

 この卒業生の顔なのですが、顔というより表情といった方がいいのかもしれませんが、もう既にオッさんじみた顔つきをしていても、貫禄満点の態度や身のこなしであっても、会えば、私たちには、直ぐに彼らが初めて学校に来た時の表情が蘇ってくるのです。

 来日一年目というのは、途上国から来た学生達にとって、辛いことが連続して起こる時とでもあります。勉強然り、アルバイト然り、また同室者との軋轢もまた然り。

 それらを乗り越えて、勉強し、大学に、専門学校に、大学院にと進み、またそれから、日本の会社に就職することができたという学生は、適応力もあったでしょうが、それだけでは異国で認められることはないはず。日本人にとっても厳しい世の中になっているのですから、(彼らにとっては)それどころではなかったでしょう。

 来日後、最初の年に、この学校で学び得たことも少なくなかったはずです。これは教師が教えたというよりも、異国人同士がクラスメートになり、その中から学んでいったこともたくさんあったと思います。

 以前、スリランカ人学生と中国人学生が一つになったクラスがありました。スリランカ人の男子学生というのは、面白いですね、教師がそばで立ち働いても、知らん顔をしているのです。動かないのです。

 この動かないというのは、例えば、教室で配置換えをするとします。その時、机を動かしたりするのですが、手伝わないのです。両腕を組んで教師が働くのを見ているのです。まるで監督しているかのように。最初はそういう学生達とは思いませんから、「そっちの机を持って。何をぼんやりしているの」とか言ったのですが、すると「えっ。私ですか。私がするのですか」と、言われたことに愕然としてしまうのです。

 インドと同じでカースト制が残っており、机を運ぶのはこのカーストの人、お茶を運ぶのはあのカーストの人と決まっているのかなと思い、その時にはそれ以上のことは言わなかったのですが、それに比して、クラスにいた中国人男子学生の働くこと働くこと。

 「先生、この机はどうしますか。あれはあのままでいいのですか」と積極的に全体を見て考えながら動いていきます。(中国人女子学生は、あまりこういうことはしませんでしたけれどもね)普段は仲がそれほどよくない学生同士であっても、教師にさせまいとして自分たちがどんどん手を出しやってくれるのです。

 最初はスリランカ人学生もあっけにとられて中国人男子学生の動きを見ていましたが、私たちにしても、手伝ってもらえればうれしい、特に重いものとか力を必要とするものなんかを彼らは軽々と持ち運んでくれますから、その都度、礼を言いますし、「すごいね」を連発したりもします。

 この影響力はすごかったですね。最初は、あれほど傍観者を決め込んでいたスリランカ人男子学生がだんだん変わっていったのです。一年が過ぎる頃には、中国人学生と同じように、「あれ、とって」という声に直ぐに反応し、動くようになっていました。

 働かない者を必要とする会社は、日本にはありません。「だれかがするさ、自分の仕事ではない」と決め込んでいたら、それは直ぐに表に出てきますから、誰からも必要とされなくなっていきます。彼にとって一番の教師は、同じクラスメートであった中国人男子学生であったかもしれません。

 この学生も先日のパーティには来ていました。本人はそれほどの影響力があったとも知らず、また、私たちがそれについて感謝していたということも気づいておらず、相変わらず、馬鹿なことばかり言っていましたが。

日々是好日
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1 コメント

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毎日ブログを拝見しています (劉鵬)
2012-08-14 13:04:07
オッサンってもしかして私のことですか?

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