日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「冬の山」。「海と山、そして川。人」。

2008-12-31 15:04:30 | 日本語の授業
 穏やかな日が続いています。朝空も、「朱」、「黄」、「青」、「紺」というふうに順を追って明けていきます。今年も、余すところ、あと数時間となってしまいました。

 きれいな「夜明け」を見ているうちに、ふと、幻想的な山の景色を思い出しました。あれは、いつのころでしたか、よく「奥多摩」の方に行っていた頃のことです。行き当たりばったりに電車を降り、良さそうな山をめざして歩いていたのですが、あろう事か、運悪く、「ゴルフ場」の近くに迷い込んでしまいました。

 「ゴルフ場」というのは、己の望まぬ木を切り倒し、いわゆる「雑草」を刈り、虫を殺したりしなければ、経営していけぬものです。「しまった」と口にする間もなく、連れの一人が、「とんでもない」と怒り始めました。何でも学生の頃、「ゴルフ場建設反対運動」をしていたのだそうです。

 私たちも折角、美しいものに触れるためにやってきたのですから、こんなものは見たくありません。すぐに、道を変えて歩き始めました。

 それから、どれほど歩いたでしょうか。いつの間にか山に入り、どんどん上へ上へと登っていました。12月の終わりか、もしかしたら、1月になっていたのかもしれません。空気はあくまで冷たく、清々しく、あまりに気持ちがいいものですから、みんなで深呼吸をしてみました。すると、どんどん空気が体の中に入ってくるのです。不思議ですね。こんなに深く空気を吸ったことがこれまでにあったでしょうか。空気を吸っていることを意識できるなんて、まことに得難い体験でした。

 周りを見渡すと、木々も葉の先端に氷の滴を抱えていました。それが風が渡ると同時に、一斉にきらめきながら降って来るのです。小さな氷が雨のように降るというのを、この時、初めて見ました。青空と、山の緑と、そして全山を覆う氷の煌めき。

 自然は時折、すばらしい贈り物をしてくれます。

 それからも、上へ登っていきますと、山肌からしみ出した岩清水が、せせらぎを作っている処がありました。よく見ると、そのせせらぎに絡め取られた草に氷が付着していたのです。ある所では、せせらぎのかなりの部分を氷が占めていました。そして、その下に、秋のもみぢ葉が透けて見えたのです。色鮮やかなまま。

 山が美しいのは、秋や春だけではありません。人が絶えがちになる冬も、春夏秋に劣らず美しいのです。

 日本は先進国の中でも、随一と言っていいほど、木々が豊かな国だと言われてきました。しかし、今、本当にそうなのでしょうか。山に登れば、荒れた姿が嫌でも目に入ってきます。山の木々も根付く大地を失い、土砂は川に流れ込み、押し出されて海を汚しています。その山の危機を、一番に感じたのが、(本来なら遠い存在であったであろうに)海の男や女達でした。海神の人々は、「海の森を守るために」山の木々を育て始めました。海で魚を捕りながら、山でも木を植えはじめたのです。もう、数十年も前のことです。

 「自分たちの生活を守るためには、何をしなければならないか」、「海を元の状態に戻すためには、自分たちに何が出来るか」を、専門家を交えながら話し合い、そして、しなければいけないと思ったことをし始めたのです。

 ところが、昨今の不況は、個人が出来ることの限界を、わたし達に見せつけています。個人が、他者のために尽くせる限度を超えています。けれど、彼らが始めたこの運動は、今では、もう無意味なものになったのでしょうか。いえ、いえ、無意味どころか、今でも、日本全国の人々の心に、形を変えて灯っています。

 まず何より、「海彦」と「山彦」が一つになったということがすばらしかったのです。これまで「遠い存在だ」と互いに思っていた、けれど、本当は川で結ばれていた「親戚だった」ということに気づいたのです。

 「地球が一つになった」と言われるようになってから、もう随分経ちました。「グローバル化」に反対して、「ローカル化」や「スローライフ」も叫ばれましたが、それとても、(日本で言われるようになってから)10年か20年は経っているでしょう。

 けれど、本当は、「山」と「海」をつなぐ「川の存在」があるように、「グローバル化」も「ローカル化」も、そんな区別なんて、ないのかもしれません。

 大地を流れる川を、海の側から見てみれば、巨大な樹のように見えるではありませんか。「生命の樹」の姿としか考えられないではありませんか。

 「額に汗して働く人が食えない」という世の中はおかしい。「簡単に儲けられる」という仕事も胡散臭い。「働いて、並の生活ができない」というのは、間違っています。「働かずに簡単に儲けられる」なんてことは、あるはずがありません。たぶん、そういう社会は、壊されなければならないのでしょう。ただ、人は、なかなか動けないのです。特に問題が大きすぎて、自分たちの手に余ってしまうと感じたとき、どうしていいのかわからなくなってしまうのです。

 その時は、まず、自分の仕事をすることです。足が宙に浮いてしまうのが一番いけない。やることがなければ別ですが、しなければならないことがあるなら、まず、それをすることです。それから、なにか、いいと思えることをします。

 「匹夫にも、天下国家の責はある」と言った古人もいました。けれど、普通の人の「責」はその人が出来る範囲の「責」なのです。それぞれが身の程に応じた「責」を果たせばいいのです。大きいことばかり考えていたら、「足が地に着いていない」、ただの愚か者になってしまいます。

 この一年は、いろいろに形容されています。どれも来れも禍々しい文字で表されています。こんなのは嫌だけれども、どうしていいのかわからないという人も大勢います。ただ、どのようなことがあっても、忘れてはならないのは、「人は一人では生きていけない」ということです。そして、「一人で生きているつもりでも、だれかに助けられている」ということです。互いに結びついているのです。

 この学校にも、志を得ないで帰国するという人がいました。これから道を切り開こうと大学や大学院をめざしている人もいます。この一人一人が、他者と繋がっているということを自覚しながら、これからも生きていけたらいいと思います。

日々是好日

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「ヤドリギ」。「素直になるということ」。

2008-12-29 13:18:10 | 日本語の授業
 葉を落とした木々を、見ているうちに、自分の目が何かを探しているのに、気がつきました。「寄生木」がないのです、ここには。海に近い、こういう処では、「寄生木」は育たないものなのでしょうか。

 10年ほど前には、12月の末頃ともなりますと、友人と誘い合わせ、よく一緒に、東京近郊の山へ行ったものです。山で見た木々には、しっかりと「寄生木」が付着していました。遠くからは、まるでコウノトリかなんぞの巣のように見えました。実がついていたときには、儲け物をしたような気分になったものです。

 「寄生木」のない林は、寂しいものです。ノッペラボウに見えて、豊かさを感じることもできません。故意に清々しく見せているような、人為的な嘘寒さを感じてしまうのです。

 人間も、きっとそうなのでしょう。「いい人」というのは、苦しいものです。本人も苦しいでしょうし、見ている人間にとっても、苦しい。同じように、できないのに、「できない」と言えない人も苦しい。「判らない」と言えない人も、また苦しさを人に与えてしまいます。

 教員というのは、ある程度、学生の「素質の程度」とか「努力できるかどうか」などから、「ここまでなら、ついてこれるか」「このくらいはがんばれるだろう」といった予測をつけ、それに基づいた教育方法をとっていくものなのですが、それに抵抗されると、何もかもが、ちぐはぐになってしまい、授業が立ちゆかなくなってしまうのです。

 明らかに、「できてはいない」し、「判ってもいない」のです。それなのに、周りを見たり、教えてもらったりして、書いて、それから、いかにも大仰に「できた。できた。簡単です。とても簡単」などと言う人もいるのです。みんな、(その人が)そうしていることを知っているのですが、本人には、それが見えていないようなのです。みんな(自分に協力して)、「判っていないことを知っていても、知らないことにしてくれる」はずだと思いこんでいるのです。

 もしかしたら、「事実を見ないようにする」「終わったことはすぐに忘れる」「自分の能力を考えない」といった習慣が、随分前から、身に備わっているのかもしれません。少し立ち止まれば、自分のレベルというのは見えるはずなのに、それすらも判らないのです。「一番上のクラスにいるから、(他のクラスメートと同じように)自分もできている」ことになると自分を欺いているのでしょうか。誰にでも、(彼女ができていないことは)すぐ判ることなのに、「自分はできている」で、押し通そうとするのです。

 一度、たまりかねて「私の言うことが判りますか」と聞くと、さも当然といったふうに「はい、判ります」と、答えます。それで、「では、今、私は何と言いましたか」と改めて聞くと、うろたえて目を泳がせてしまうのです(判っていなかったのです。何も)。

 こういう人生は辛いのではないのかと思うのですが、二十数年暮らした自分たちの国で、育まれた「習いが性になっている」のでしょう。あるいは、親が彼女の言うことだけを信じ、庇ってきたからなのかもしれません。できないのは、自分の子供が愚かだからではない。教師が悪いのだ。学校が悪いのだ。この子を愚かというクラスメートが悪いのだと。

 けれど、まず、(本人に)現実を認めてもらわないと、(当方の)打つ手が、すべてちぐはぐになってしまいます。自分に適したクラスに入ることもできません。

 「よく判ってはいないから、もう一度やった方がいい」、或いは「ゆっくりと進めていくクラスに入った方が、この人のためになるだろう」と思い、そういう手はずを整えておいても、「私は判っている。このクラスの方がいい。あのクラスでやっていることは、本当に簡単」と、抵抗するのです。

 学生が「嫌だ」というクラスに、無理に入れても、学校に来なくなったりしますから、(学生の)同意を得なければ、普通は下に降ろしません。ところが、(上のクラスでは)全くついて行けないのです。授業をしていても、そこだけが、ブラックホールのようになってしまうのです。教える方も、一旦教室の中に入ったら、(学生すべてを)同一視しなければならないのですが、どのような簡単な文でも、当てられないし、笑いをとろうと振ったところでも、その人一人が、戸惑っている。しかも、誰にもそれを悟られないように取り繕おうとしている。

 できなければ、できないでもいいじゃないかと思うのですが、その人にとってはそうではないのです。「取り繕い」に費やすエネルギーを他の処に使えば、大したものに成るに違いないとさえ思えるのに、「取り繕い」という非生産的な活動に明け暮れしているのです。人間、誰にでも苦手なことはあります。私にしてからが、苦手ずくめで、苦手でないことを探す方が難しいくらいです。だから、先に「それ、嫌だからね」とか、「苦手、苦手。こっちに持ってこないで」とか言っておくのですが、(彼女は)それすらも、(自信がないからでしょうか)できないのです。

 前にも、彼女と同じように、「読解力」に劣る学生がいました。が、この人のすごいところは、自分が他の人よりもかなり劣っているということを、よく知っていたのです。他の人よりも、随分劣っている。それは判る。けれど、どうしても大学に行きたい。それで、もうがむしゃらに勉強するしかないと思い極めていたのでしょう。文章なども、私が教えてもだめ、判らない。小学生向きくらいに、概略を言ったり、文を解体して分析してみたりもしたのですが、やはり判らない(普段、ここまで親切に分析してやりません。また、中国人の学生の場合は、こういうことは必要ないのです)。

 当時、非常によくできる中国人の女子学生が、このクラスにいたのですが、その学生が、母国語で教えても、まだわからない。最後は、同じ国の人達が「先生、これは、無理。だれが言っても、解らない人には解らない。次に進もう」と言い出す始末。そういうことの繰り返しでしたが、単語だけは、がむしゃらに覚えて来ました。自分のできることだけを、必死になってやった…多分、彼女の勉強方法はそれだったのでしょう。出来ない事は、できないし、判らないことは、わからないのですから。

 彼女は、「人並みにまで至らない」という、自分の能力を知っていたのです。知っていたけれど、大学に入りたいという夢は捨てきれなかった。それで、徹底的に、私たちに聞いたのです。Aという大学に入るためには、どこまでできていなければならないかと。そして、それだけを必死になって頑張ったのです。勿論、実際に大学に合格したときは、私たちも驚きました。しかし、「蟻の思いも天まで、届いた」のです。「努力に勝る天才なし」とも言います。この人は、この根性で、これからも、どんどん道を切り拓いていくことでしょう。

 人の才能は、様々です。言語能力に多少劣っていても、それで、すべてがだめというわけではありません。そこには必ず、「救いの何か」があるはずです。そのためにも、まず現実を見、教師の言うことを素直に聞いて、それから、どうしたらいいか考え、それを実行していくことが大切です。人をも、おのれをも、欺こうとする生き方からは、何も生まれはしません。

 教師には、一種の「職業病」があります。その「職業病」とは、「(学生の)才能を伸ばしたい」と思うことなのです。

日々是好日
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「『正月』の過ごし方」。「『外国』で働くためには」。

2008-12-28 16:55:47 | 日本語の授業
 穏やかな一日です。車も少なく、人も少ない。風までお休み。スーパーや店の周りでは、多少賑わい、年の瀬を感じさせられるものの、一歩住宅地に入り込むと、閑散として、本当に静か。小鳥さん達まで正月休みを取ったのでしょうか。

 こういう「静かさ」は、一年に二回ですね。「お正月」と、「お盆」の二回。日本人の「民族大移動」の頃です。東京圏の人口が減り、車の量が減り、空気がきれいになる頃です。昔ほどではありませんが。ほんの30年前か、40年前には、ほとんどの人が「故郷」へ帰っていました。それが、いつの間にか、「『故郷』へ帰る」のではなく、「『ホテル』や『旅館』でのんびり過ごしたい」と思うようになり、次には、「休みを利用して『外国』へ行って遊ぼう」になり、そして、今では、「『自分の家』でゆっくり過ごすのが一番」と、そういうふうに変わって来ました。勿論、「金融恐慌」や「不況」が関係していることは確かですが。

 けれど、もう、「人がするから自分もする」とか「流行だから」とか、そういった振り回され方は、しなくなったのでしょう。たいていの人は、すでに数ヶ国の「外国」を経験していることでしょうし。反対に、好きな国ができた人はそこへ何回でも行くということにもなっていくのでしょう、外国の数をこなすというのではなく。だいたい、好きが嵩じて移住してしまっている人さえいることですし。それに、普段は取りづらい休暇も、「お正月」と「お盆」は立派な理由になることですし。

 学生達は、普段通りの生活を送っているようです。「お正月」の過ごし方や、「除夜の鐘」の事を話しておきましたから、何人か「初詣」に行くかもしれません。その時はきっとびっくりすることでしょう。日本では何でも行列だとうんざりしてしまうかもしれませんね。けれど、着物を着た人達を見て、はしゃいでいるかもしれません。どちらにしても一年に一度のこと、このお正月を逃したら、来年のお正月まで待たなければならないわけですから、チャンスはものにしてもらいたい。

 中国から来た学生は、「『春節』の時が寂しい」とよく言うのですが、インドやフィリピンから来た学生は、「クリスマス」が寂しかったようです。「おはようございます」や「こんにちは」と言わずに「メリークリスマス」と言って入ってきましたし、帰るときも「メリークリスマス」と言って帰っていましたから。

 もうすぐ、「クリスマス」という頃でしたか、インド人の学生が「先生、『クリスマス』の日」は休みじゃないのですか」と聞いてきました。「勿論『イブ』の日にも、『クリスマス』の日にも、勉強があります」と答えると、彼は「私は、父と教会へ行きたいです」とがっくり肩を落としていました。宗教的なものは大切にすべきなのですが、彼が休めば、その日の授業には参加できないことになります。この日、二人とも、ちゃんと学校へ来ました。それで、私たちも安心したのですが…。

 実は、随分前になりますが、バングラデシュから来たIT関係の技術者を教えたことがあります。この人達は、バングラデシュの派遣会社の人が、日本の会社がOKを出す前に、勝手に呼んだのです。「勉強はしない」「イスラム教を盾にする」「遅刻はする、欠席もする」と、全くもって始末に負えない人達でした。その前の四人(この人達は、この派遣会社が紹介し、日本の会社も、現地へ行き、すでに面接を済ませている)は、非常に感じがよく、「勉強は一生懸命にする」「こちらの指示通りに動く」「遅刻もしない」だったので、これならと思ったのですが、全く違いました。日本の会社が入っているといないとでは、こんなに違うものなのかと驚いたほどです。

 専門的な知識・技能を持っているというだけではだめですね。IT関係なら大丈夫ということで、連れてきたのでしょうが。文字も読めないし、話せもしないのですもの。日本で働こうというのに、何もできなければ、誰も相手にしてはくれません。

 中国人の場合は、既に日本で働いている中国人も少なくないことですし、チャンスも多いでしょう。それに、何より漢字も判ります。それでも大変だというのに、この人達は日本を見くびっていたとしか考えられません。相手を重んじるという態度がなければ、どこの国へ行ったって働けないでしょう。日本人だって他の国へ行って働こうと思ったら、その国の習慣を重んじなければならないでしょう。だれだってそうです。まして、雇ってもらうために来ているのに、「自分の事しか主張しない」ような神経では、だれも引き取ろうなんて思ってはくれないでしょう。

 ただ、みんながみんな、こういう人達というわけではありません。この学校に、バングラデシュから来ていた就学生達も、皆、いい人達でした。個性は強いのですが、自分が間違っていたと判ったら、すぐに態度を改めてくれましたし、日本の習慣も重んじてくれました。宗教関係のことでも、何か問題があったら、あらかじめ、そのことをこちら側に話し、許可を得ようとしてくれました。

 勿論、これは、個人の問題です。他のバングラデシュの人達が、すべて「日本に合わない」というわけではありません。この時は、バングラデシュから来た就学生がまだいたので、日本の習慣やらを話してもらったのですが、この人達は端から、彼の話を聞くつもりもなく、日本を重んじるつもりもなかったのでしょう。

 それで、インド人の学生が、言われた通りに学校に来たとき、私たちはホッとしたのです。日本で仕事を探すためにも、そういうことができなければならないのです。私たち、日本人も、普通の人は(たとえ、信仰心がある人でも)それと、公(例えば、仕事)とを区別して生活しています。そして、優先されるのは、公(仕事)の方なのです。休めば、他の人(同僚)が忙しい思いをしなければなりませんから。他の人に迷惑をかけてもいいのは、歩けないほどの病気の時くらいなのです。

 暇だと、いろいろなことを思い出してしまいます…(本当はしなければならないことが山ほどあるのですが)。

日々是好日
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「大掃除」。「旧暦」。「明治」。「学校とは」。

2008-12-27 13:01:16 | 日本語の授業
 昨日は、大掃除。けれども、その前に、「一月生」のアパートの契約などが、待っていました。昼の一時と夕方の五時に不動産会社の方へ行った教員は「寒い、寒い。すごい風」と震えながら帰ってきました。

 昨日は寒いだけでなく、風まで強く、あちこちにいろいろなものが転がっていました(今日は寒くても、穏やかないい天気なのですが)。日本海側や北海道などでは、大雪のようでしたし(おかげで、今日は東京からも「富士山」がきれいに見えました)。

そんな寒さの中、大掃除の最中にも学生が一人、約束通り、図書を返還しにやって来ました。

 この学生は「Dクラス」に所属しているのですが、(ということは、今年の10月から日本語を学び始めたことになります。文法は大丈夫なのですが、まだ口がそれほど動かないのです。進度は「初級Ⅱ」の真ん中くらい)本を返すなり、「先生、何をしますか」とコートを脱いで、腕まくりをし始めました。

 昨日、図書を借りに来た時に、「明日は大掃除。返しに来た時には手伝ってください」と冗談を言っていたのを真に受けていたのです。

 職員室を掃除していた教員が、慌てて、「大丈夫。大丈夫」と言って止めたのですが、きっと約束を「私とした」と思っていたのでしょう。三階に上がって来て「先生、何をしますか」。「?」すっかり(冗談を言ったことを)忘れていた私は、びっくり。「驚き、桃の木、山椒の木」ですね。まあ、すぐに思い出して、「あれは冗談です。おうちの掃除は終わっていますか」。彼女は「?」という顔をしていましたから、きっと、日本人のいわゆる「年末の大掃除」は、彼らには関係のないことなのでしょう。

 中国では、「除夕(除夜)」も「元旦」も「農暦(旧暦)」で行いますから、西暦に則った年末に、大掃除をするというような習慣もないのです。だいたい「正月休み(新暦)」だって形だけのものでしたから。 中国人にとって、大掃除は、きっと「春節」の前にするものなのでしょう。

 こう考えていくと、日本は「旧暦」の「除夜」も「正月」も、全部、この「新暦、グレゴリオ暦」に則ってやっているわけですから、実施された「第一年目」は、さぞかし混乱していたことでしょう。しかしながら、ここにおいても、明治期の政治家達の「決断の速さ」と「素早い実行力」とには感服させられます。当時は、どのようなことをしても、まず、ヨーロッパに追いつかなければならなかったのです。それしか、日本が生き残れる道がないということを、隣国・中国とイギリスとの間で起こった「アヘン戦争」を通じて、彼らは知っていたのです。

 個人的な違いはあるでしょうが、どういう職業に就くかによって、必要とされる「目線の届く範囲」は、異なってきます。私たちは、普通、自分の生活領域を中心に、長くても10年、短ければ、今日・明日についてしか考えません。が、明治の政治家達は、「『未来』の日本や日本人」のことを考えて行動していたように見えるのです。「日本と日本人」に対して「責任」をもっていたように感じられるのです。

 「明治」という時代は、外国人だけでなく、日本人にとっても魅力があります。「不平等条約」の改正に走り回って、「鹿鳴館」のような愚かしいこともしていましたし、「士族の乱」も続きました。「藩閥」による汚職事件もありましたし、日本はまだとても貧しく「身売り」も日常茶飯事に見聞された時代でもありました。けれど、「自由民権運動」も盛んに行われていましたし、「井戸塀政治家」などが、身銭を切って「人々のために」、あるいは「自分の夢のために」奔走した時代でもありました。ところが、今は…先の大戦の経緯が、それとも敗戦が、日本人に、ある領域については「三猿」を「習い」とさせてしまったのかもしれません。ほんとうに「明治は 遠くなりにけり」ですね。

 「旧暦」から、話がどんどん逸れていきました(授業の時は、こうじゃありません。ちゃんと計画通りに行っていますから、ご安心を)。ただ「旧正月」と聞けば「ベトナム」を思いますし、「春節」といえば、中国です。日本では「旧暦」で「正月」を祝うところは本当に少なくなってしまいました。

 さて、「手伝おう」と言ってくれた彼女の話です。まず、自分の家の掃除をしてくださいといって送り出しましたが、靴を履く時、パタッと動きを止め、「(ちょっと間違えましたが)よいお年を」と言ったのです。先日言った話を覚えていてくれたのですね。きちんと言えた後は、ニコニコと「達成感に満ちた」ような表情で階段を下りていきました。「(あなたも)よいお年を」。

 今年の分の授業が終わっても、朝の九時には、来年大学院を受験したいという学生が、研究生の願書をもらってきたといって見せに来てくれましたし…。休みでも学校の仕事は続いています。

 大掃除は、エアコンの掃除、カーテンの取り外し、窓ガラス磨きなどが主でした。もっとも出窓など、危ないところはカットです。ただ、来年からは空き缶やプラスチックゴミなどは、クラスのゴミ箱に入れるのではなく、別のところに一括して入れてもらうようにする予定です。その方が、中のものをすべて出してから捨てることなどを含め、ゴミの出し方についての指導も、しやすいですのです。

 学校の(学生)指導のやり方というのは、「どういう人達が、ここに来て、学んでくれるのか」ということで、少しずつ変わっていきます。勿論、勉強したい人が来るのが学校なのですが、(そう理屈では判っていても)時々そうではない人も紛れ込んできます。そうすると、別のことに(「日本語の指導」ではなく)追いまくられ、いつの間にか、学校の本来あるべき姿から離れたものになり果ててしまうということにもなりかねません。

 そういう流れと、はっきりと一線を画すことができそうなこの一年でした。私たちも、「日本語の授業」に集中出来るようになりましたし、「受験対策・指導」も、目に見える形でレールに乗せられそうです。「国立大学」を目指すためのレールを、ここではっきりと敷くことができれば、「世界の流れ(自由主義国の目で見た場合の)」を日本語で教えていくことができるでしょうし、そうすれば、日本の大学・大学院へ進んでも、それほど「無知である」とは見なされなくて済むでしょう。

 勿論、「今」は生々すぎ、とても「客観的に見る」ことなどできません。事実の一つ一つを新聞やテレビ、インターネットなどを通して知ることができるだけです。それらに対する評価や意見も、ばらついており、まだまだ大勢を占めるようなものは出てきていません。ということは、「教育の現場」で教えることは不適当だということです。これらは「紹介」することができるだけです。

 ただ、すでに「歴史」になっているものは、その「歴史」とそれに対する「歴史家達の評価」は知ることができます。それができるということは、「自由主義国・日本」の数少ないメリットの一つなのかもしれません。また、それを知っておいてもらわないことには、「総合問題」も解けませんし、大学・大学院の先生方の雑談や冗談にもただ一人笑えないということにもなってしまいます。

 来年、卒業する学生達には、残された二ヶ月程の間に、「どれほどのことがしてやれるか」が課題となります。が、その次の年に卒業することになる学生達には、かなりのことがしてやれるでしょう。日本語レベルでは、来年の7月の「日本語能力(一級)」を目指していますから、そのペースで進めば、「一級」以後は、中学生程度のものなら読めるようになっているはずです。母語のレベルがかなり高い学生なら、高校生レベルのものも読みこなせるでしょう。後はそれを読みこなすだけの「知識」(「読解力」がいくらあっても、その基礎になる「知識」がなければ、それは結局、的外れのものに成ってしまいます)を入れていくのが我々の仕事になってきます。

 ところで、新年を前にして、験の悪いことに、私の方のコンピュータで、メールが開けなくなってしまいました。どうにかしなければならないのですが、これも来年の事になってしまいそうです。

 もし、送ってくださった方がいらっしゃったら、ごめんなさい。

 けれども、まあ、何事も、一歩、また一歩です。牛歩というものも、なかなか捨てたものではありません。

日々是好日
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「一年の終わり」。「惜別」、そして、「思い出」。

2008-12-26 08:14:02 | 日本語の授業
 今朝は少々寒さを感じています。風があるのがいけないのです。けれども、こうやって、結局、今年も雪が見られないのでしょう。南の国から来た学生の、「東京は雪が降りますか」という問いが悲しく響きます。今ではもう「まだまだ寒くなりますか」に変わって来ていますけれど…。

 「雪という天からの贈り物」に対する幻想がなければ、彼らの国ではもともと雪に縁がないことですし、「空から白いものが降ってくる」なんて思いも寄らないことでしょう。とは言いましても、降った年もありましたから、それを覚えていた彼らの先達に、昔物語のように語ってもらったことがあるのかもしれません。「映像」の力は、確かに偉大ですが、「カラー」が「モノクロ」に負けることもあります。「テレビ」が「ラジオ」に負けるということもあるのです。

 というわけで、フィリピンから来た少年は、結局、ここで学んでいる間、雪を見ずに終わることになってしまいました。

 昨日が、今年最後の授業でした。その最後に、彼に修了書を渡し、ささやかながら、送別会めいたこともいたしました。

 今でも思い出すことがあるのですが、彼が少し日本語ができるようになった頃、「先生、『サムライ』はどこにいますか。会いたいです」。彼の頭の中には、「忍者」や「サムライ」が、映画の中と同じように、この東京を歩いているという図ができあがっていたのでしょう。

 最初、冗談かなと思ったのですが、真剣だったのです。じっと私の顔を見つめて答えを待っています。「『サムライ』はもういません」「えっ、いないのですか。どこに行けば会えますか」「どこに行っても会えません。もういないのです」「……。」混乱しているようでした。いくら賢いと言っても、まだ中学生ですから…。

 「サムライ」は、別に仕事じゃないし、「忍者」は…仕事でも、人目に付いたら、もうそれは「忍者」じゃありません…。それを、この少年に説明する言葉が、私にはありませんでしたし…。今となっては笑い話で、彼もすっかり忘れていたようでしたが。

 その時、あまりにまじめな顔をしているので、「日光江戸村の忍者」「戸隠のちびっ子忍者村」「甲賀流忍術屋敷」「伊賀流忍者博物館」などの特別なところに行けば、「忍者」は見られるけれども、「サムライ」は無理だと言ってみました。それでも、頭の中では整理が付かないようでした。もしかしたら、ますます混乱させてしまったのかもしれません。それから、しばらくの間、何かにつけて「混乱です。混乱です」と叫んでいましたから。多分、もう、いないのだということが実感できなかったのでしょう。

 日本へ行けば、「着物を着ている人を見ることができる。それと同じように「サムライ」も歩いている」と、そう思っていたようでしたから。

 彼は、今年中にフィリピンへ帰り、休みをもらっていた中学校に戻るということです。そして、そこを卒業したら、高校、大学へと進むのでしょう。が、なぜか、彼のクラス「Bクラス」の間で、「さようなら」の代わりに、「再来年」という言葉が流行っていました。「さ来年、また会おう」とでもいう意味なのでしょうか。

 彼は、頑張って勉強していましたし、漢字のテストで「わからない、わからない、昨日あんなに勉強したのに…あああ、忘れてしまいました」と、よく藻掻いていました。そんな時、隣に座っていた女学生が「『手』に似ている漢字」とか、「『日』が付いている」とか言って、ヒントを与えていました。その彼女も、昨日は寂しそうでした。

 この女子学生は、彼のお姉さんのようで、よく世話を焼いていました。なんといっても「非漢字圏」の彼にとって、「漢字」は最大の問題でしたから。テストの時など、最後まで答案用紙を出そうとしないこの少年の、答えのチェックをよくしていました。始めは答えを教えているのかと思って、「だめです。彼のためになりません」と注意したのですが、「先生、大丈夫。教えません。あっているかどうか、チェックしているだけ。んーと、三つ間違えている」。勿論、それを聞いた少年は、ますます出せなくなってしまいます。

 「もだえ熊」のように頭を抱え、「うん、うん」と呻る状態が続きます。けれども、昨日でそれも終わり。漢字で悩み悶えたということも、いい思い出になるでしょう。そして、厳しいチェックをしてくれたお姉さんがいたということも。この少年は、読解力もあり、かなり『中級』の教科書も読みこなしていましたから、来年の7月まで在日して、「日本語能力試験(二級)」まで、がんばれたらいいのだがと思っていたのですが、フィリピンの中学校から、戻ってこないと卒業できなくなると言われたのならしようがありません。残念ですが。

 彼ほど長くいた(八か月足らず)わけではありませんが、もう一人、IT関係の技術者が「多分、今年か来年の一月には帰国するだろう」と言ってきました。日本でも、就職状況はますます厳しさを増し、(「日本語能力試験(一級)」に合格している人や、すでに「正社員」になっている人はまだ大丈夫のようですが)「人材会社」や「派遣会社」に登録しているだけの外国人は、なかなか仕事が見つからないのだそうです。

 日本に来てから「(日本で就職するには)日本語が必要であること」がわかり、慌てて日本語を勉強しても、二三ヶ月で成果を出すのは難しい。気持ちも焦ります。この人のように、中国人で大学院も出てい、しかも、人柄もいい、そういう人でも、日本語に難があると、職探しにも差し支えるということになってしまうようです。

 それを聞いた「Bクラス」の学生が、「先生、寂しいですね」と言って来ました。

 私たちもそうです。なんといってもここは学校ですから、一生懸命勉強している人とは、互いの目的が同じですから(私たちは上手にさせたい、学生の方は早く上手になりたい)、一緒にいる期間は短くとも、どこか「同志」のような気持ちになってしまいます。勿論、一生懸命勉強できなくとも(これまでの人生の歩み方が違いますから、一つのことに集中出来ない人もいます)、毎日学校に来ていれば、それはもうそれで、身内のようなものになってしまいます。

 彼は、ケーキを食べながら、冗談を言い合っている学生達を見て、「先生、学生はいいですね。(彼がここで学び始めたのは、9月も終わり、まず、10月からといてもいいでしょう)。自分もここにいる間、とても楽しかった。楽しい写真もたくさん撮ったし…」と皆に感謝してくれていました。

 そういう人が、心ならずも帰国せねばならなくなったというのは、どこかしら心苦しくなってしまいます。何かいいことがあって、帰国するというのなら、「おめでとう、よかったね」で送り出せるのですが。

 けれども、彼のような人なら、今は大変でも、きっと、これからも、どこにいようと、大丈夫でしょう。「お天道様はどこいようとついてくる」ものですし、「(頑張っている姿を)いつも、きっと、だれかが見ていてくれる」はずですから。

日々是好日
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なぜ、すぐに「日本語能力試験」に参加させるのか。相手を「口車に乗せる」仕事。

2008-12-25 08:00:09 | 日本語の授業
 今朝は、いつもより30分ほど早く家を出ました。というのに、「自転車」を走らせながら、既に、後悔に次ぐ後悔と、後悔の連続でした。「自動車」が「自転車」に遠慮していないのです。向こうから見れば、「なんだ。こんな時刻に。こんなヨロヨロ自転車が…。」というところなのでしょう。まだ夜明けには時間がありましたから。わずか30分程しか違わないのに、「あわや」という目に何度も遭わされてしまいました。もう二度とこんなに早くは出てこないぞ。

 さて、学校です。「Bクラス」も「C・D合併クラス」も今日で授業が終わり。 明日は我々だけで大掃除です。

 ところが、「Bクラス」の「おしゃまさん」の一人が、どこかで「大掃除」を聞きつけたらしいのです。いつも耳がダンボになっていますからね。

「先生、26日は、何時に来ればいいのですか」
「先生、授業が終わってから、大掃除ですか」
「終わってから、忘年会でしょう。何が出ますか」
と、矢継ぎ早の質問です。答えは、
「君には関係ありません」

 まだ、高校生のノリですね。「大掃除」は自分たちも一緒にするものだと思っていたのです。

 このクラスには、私たちが、ちゃんと大学に入れなければならない学生が三人います。一人は就学生ではないのですが、高校卒業後、「高考」に失敗し(500点には少し及ばないけれども、この三人の中では、一番高い点数です)、すぐにお母さんに(日本の大学を受験するために)呼び寄せられたという学生です。来た時には、日本語に関して言えば、「真っ新の状態」でした。が、まだ、キーが「大学受験の状態」のままでしたから、そのまま突っ走っています。

 他の二人は、彼女より一年早く、去年、高校を卒業しています。「高考」で期待していた程の点数をとれず、望みの大学入学を果たせなかったということで、日本留学を目指しました。

 「高卒」の学生が日本へ来るためには、「高考」の成績と、「日本語能力テスト(四級)」(乃至、それ以上)の日本語能力が必要です。経済的な面では、父母や親戚に「おんぶに抱っこ」してもらうとしても、これは本人の力でできることです。最低のこの線、これすらできないようでは、日本へ来てもどうしょうもないのです(もっとも、必死にがんばって、これで終わりだったという学生も、たまにはいます。これは本人の能力の問題ですから。こういう人には、他の人と同じような速度で、学べといっても無理なのです。教師にとっても、学生にとっても不幸なことになってしまいます。これまで、母国で、母語で学んできた小学校、中学校、高校でも、おそらく「勉強」とは、縁がなかったのでしょうから)。

 この二人は、半年程かけて「四級」に合格し、それから日本へ来るまでの数ヶ月も、日本語の勉強を続けていました。

 以上の三人は、今年の7月に来日し、同じように(今年高校を出た学生には、しばらく教えてから、「初級(Ⅰ)クラス」と「初級(Ⅱ)クラス」の両方のクラスに参加するようにさせました)今、「Bクラス」で勉強しています。三人とも、今年の「日本語能力試験」の「二級」を受験しました。

 7月に来て、「あいうえお」から学んで、12月には「二級」を受ける。もし合格できたら、随分経済的ですね。勿論、日本で学ぶということは「合格さえ、できればいい」というものではありません。

 彼らの母国では、「合格証」さえあれば、いろいろと便利なこともあるでしょうが、日本では、「合格証」だけあってもしょうがないのです。ペーパーだけできてもしようがないのです。

 聞き取れたり、話せたりという言語能力がなければ、アルバイトも捜せません。日本では、生活していくための必須言語でもあるのです。それに、大学をめざす者にとっては、「日本語能力試験(二級)合格」というのは、「一級試験(合格)」のための「予行演習」のようなものにすぎぬのです。本音を言えば(本人は嫌でしょうね。やはり参加した以上は、合格したいのでしょうけれど)、合格しようがすまいが、どちらでもいいのです。勿論、合格できれば合格したに越したことはないのですが(大卒ならともかく、高卒で、しかも、わずか五ヶ月程しか日本語を勉強していないわけですから、読解力などが伴わず、難しいことも少なくないのです)。

 けれども、この試験に参加するということのメリットは、教師の立場から言えば、一つは「試験慣れ」してもらうということであり、もう一つは「『一応二級まではやった』という経験と自信」をつけさせることにあるのです(目的がなければ、人間はがんばれません。一年というのは、長いのです。常に目に見えるところに、小さな目標を設定してやらねば、続けていけるものではないのです。彼らのほとんどは、勉強に集中出来るという環境にはありません。アルバイトをして生活費を稼がなければならないのです。「日常」に埋没したり、流されたりしてしまわないように「君 しがらみとなりて とどめよ」の「しがらみ」の役を教師がしておかなければならないのです)。

 来日後、すぐに「今年は『日本語能力試験(二級)』に参加」と言い渡されて、ギョッとした学生もいたでしょう。これまで、「日本へ来ることができた、ああよかった」で、何もかも自動的にうまくいくような感覚でいたような学生も、いないわけではありませんでした(こういう学生はたいてい失敗します。日本へ来たからといって、すべてがうまくいくわけではないのです。食事も自分で作らなければなりません。勉強もしなければなりません。アルバイトもしなければなりません。それが、来日前、特に申請が通ってからの数ヶ月判っていなかったのです。勉強が疎かになっていたのです。来日前、面接できた学生には、必ず、それを諄く伝えているのですがが)。

 けれども、彼女たち(二人)には、来日以前から「日本へ来る前から、勉強は始まっている。日本へ来てから始まるのではない」ということを、伝えてありましたから、来日前と後ではそれほどのギャップはなかったと思います。ただ、今なら、すぐにたたけるはずの減らず口「できません。無理です。先生はいつも無理なことばかりさせる。ブーブー」も、まだまだ出るような状態ではありませんでしたから、すなおに勉強していました。

 そして、申し込みさえさせてしまえば、本人が気づいた時には、「走らざるを得ない」状態になっています。

 こう考えて行きますと、教師というのは因果な商売ですね。いつも学生を騙しているようなものです。「できない」という学生に「どうしてできない。見てごらん。これもできる。あれもできる。どうしてできないと言える」など、常にうまく「口車に乗せて」走らせているのですから。

 けれども、人間というのは本当にすばらしい生き物で、「できる」と思って走っていると、いつの間にか、「できない」と思っていたことを「現実のこと、本当のこと」にしてしまえるのです。

 教師の仕事というのは、ただ、学生達に、その気持ちを失わないようにと、また「目的」を見失わないようにと、「(こちらの)口車に乗せていく」だけのことなのかもしれません。もっとも、それも、案外難しいことなのですけれど…。

日々是好日
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「自分の国の『言葉』で、自分の国の『歴史』が語れる国、『日本』」。

2008-12-24 07:58:54 | 日本語の授業
 冬至、というと、「カボチャ」か「柚湯」を思うのですが、それも既に過ぎ、冬本番となりました。昨日今日と寒い日が続いています。おまけに、夜がなかなか明けないのです。早朝、寒空に白々とした残月を見ると、寒さを一層感じてしまいます。けれども、これからは春に向かってひた走りということになります。きっともうすぐ、スイセンやロウバイの便りも届くでしょう。

 さて、今日はクリスマスイブ。キリスト教徒の学生が、前々から、「24日も25日も、勉強しますか。私は教会へ行きたいのですけど…」と、(聞いてもらいたいような、もらいたくないような、聞かれたら困るような、困らないような口調で)ささやいていましたが、今日はどうするのでしょうね。宗教行事ですし、彼は就学生というわけではないので、休んでもそれほど文句を言うつもりはないのですが。

 町も彩りを増し、渋谷や表参道などではイルミネーションで輝いているようですが、世は不況。しかしながら、このような不況になりますと、お祭りなら何でもいい、世の中を明るくするものなら何でもいいという気分になってきますから、こういうものは減りはしないでしょう。

 「不況、不況」と新聞でも、テレビでも、大騒ぎになっている昨今ですが、就学生達にはそれほど大きな影響はないようです、今のところは。日本語さえできていれば、アルバイトを探すのはそれほど難しくはないようなのです。勿論、日本語ができなければ、工場が閉鎖になった時、それで終わりです。

 こういう日本語学校というのは、日本語がほとんどできない人から、かなりな程度までできるようになっている人まで、いろいろなレベルの外国人が在籍しています。こういう中にいますと、「日本語ができる人」と「できない人」との間には、(日本での仕事に関して)大きな格差があるのを如実に感じます(この「できる」、「できない」というのには、「読み、書き、聞き、話す」という四分野のすべてを含みます)。

 非漢字圏の学生の中には、「話せるから、私は日本語がわかる」と思い込み、「読めなければ、役に立たない」といくら口を酸っぱくしても判らない学生がいます。四分野のうち、「聞き、話す」というのは、何年か日本にいれば、(しかも、「正しく」という枕詞を外しさえすれば)たいていの人が、それなりにできるようになります。勿論、これは、いわゆる「日常会話」にすぎず、少しばかり突き詰めた話になりますと、当然のことながら「お手上げ」状態なのですが。

 せっかく学校で学べるという境遇にある(しかも、まじめに学んでいる学生は、漢字も書け、読めるようになっている)というのに、「話し、聞く」だけで自分は「できている」と思い込んでいる学生は、いったい、いつになったら、私たちの話に耳を貸すようになるのでしょう。いつかは、こういう現実が見えるようになり、後悔することになるのでしょうが。

 この「思い込み」の淵から逃れられない学生達の中には、英国による、かつての「植民地」から来た者が少なくありません。多分、「植民地政策」の、ある意味では犠牲者だとも思えるのですが、第三者から見れば、そう思えることなのに、英語が話せることで、すでに彼らの国では、「インテリ」か「富者」の階層に入っている彼らは、なぜ、自分たちが哀れまれているのか、気づかないのです。

 ガンジーが、生前、語っていた「私たちの子供達が、そして、その子供達が、自分たちの言葉で、自分たちの歴史を語ることができるように」という言葉を、インド人達はすっかり忘れてしまっているようです。ガンジー達は、鞭打たれながらも、そのために、身体を張って、戦ってきたのに、今では、そのようなことさえ、遙か彼方の出来事のようです。

 かの国では、いつの間にか、かつての支配者の言葉、英語ができるというその一点だけで、教育の現場における格差さえ生んでいるようです。そして、それを不条理と感じねばならぬはずの支配階層が、その果実をむさぼり喰っているわけですから、これは変わらぬはずです。

 日本人は、新たな言葉を学ばずとも、自分たちの言葉で様々な技術や知識を得ることができます。これは、明治以降の先達たちのおかげなのですが、彼らが日本を世界でも稀な「翻訳大国」にしてくれました。かつても、魯迅を始めとする中国人留学生達が、日本語を通して「世界の『文学・社会・科学』」を知ったように、日本人はたいていのものの果実を(日本語が出来ると言うだけの理由で)、味わうことができます。

 そういう日本人には、旧英国植民地の人々の、英語が話せるというだけから来るような「特権意識」には、辟易させられてしまうのですが、彼らには、そういう状態にあることが判らないようなのです。翻って、日本語学校に日本語を学びに来ている英米人は、英語を使おうとはしません。反対に、もし、日本人教師が英語を頻繁に使えば、「金を返せ」くらいは言うかもしれません。

 以前、お母さんがイギリス人という、ニュージーランド人を教えた時もそうでした。私が英語は話せないと言うと、「よかった。私が日本語で話します」と言ったものです。

 それに比べると、「それは、英語で○○と言います」とすぐに言いたがる、旧英国植民地人は、誰が何を学びに、ここにいるのかを全く理解していないようにさえ見えます。けれども、すでにああいう社会で育っているのですから、その上、大学まで出てしまっているのですから、今更変えられるものではないのかもしれません。しかも、英米に対するコンプレックスが、却ってそういう態度に出させるのかもしれません。

 ここは日本で、「自国の言葉で、自分の国の歴史を語れる地」であるというのに。

日々是好日
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「教壇に立つ」には。「失敗」。「漢字」を覚えるには。

2008-12-22 08:07:57 | 日本語の授業
 教育、特に、教職に携わっている人には、教える内容に関する「知識」と、教え方、つまり「技術」とが必要になってきます。

 「生まれつき教師に向いている」と言われる人とは、「経験」から自分で答えを見つけ出し、自分で「対策」を立てることが出来る人のことでしょう。けれども、そういう人は、教師を志す者の中でも、そう多くはいません。まず、ほとんどの人が、(教師としてのありようを)教えてもらわなければ、「教師という格好」すらできないのです。

 皆、「教師とは、いかなる者ぞや」から始まって、「いかにあるべきか」を学びながら、同時進行の形で、知識なり、技術なりを習得しているのです。

 これは、どのような職業でも同じでしょう。こういう事を、ある程度学び、経験もある程度積んだ上で、教師としての「個性」というものは、出て来るのです。「最初に個性ありき」ではありません。最初から「これが私のやり方」などということはあり得ないのです。もし、そう言っている人がいるとしたら、それは「我流」という深い溝に落ち込んで、その深みから抜け出すことのできなくなってしまった「哀れな人」なのでしょう。

 いくら経験を積んだとしても、今日の出来事は、誰にとっても「初めて」なのです。これから起こりうるかもしれないことを、「すでに経験したことがある」などと誰が言えましょう。つまり、「経験があるから、何でも来い」というわけにはいかないのです。

 私にしても同じです。よく失敗をします。けれども、後になって思い返した時、その失敗のほとんどは、「しなければならなかった失敗」であったような気がします。経験を積む上で、「必然の失敗」なのです。その「失敗」は、「しないよりはした方がよかった」という種類の失敗だったと思います。

 初めて、非漢字圏の学生達が、ある程度の数で、この学校にやって来た時もそうでした。
今から考えれば、勉強の習慣もあまりない人達が大半を占めていましたので、あそこまで我々が一生懸命「教えるということ」に力を注ぐ必要もなかったのでしょうし(これは、彼らの母国の教育の問題です)、彼らにしてみれば、大きな迷惑だったのかもしれません。

 けれども、これが「教師という職業に就いた者の『業』」なのでしょう。

 「毎日、遅刻せずに、学校に来させなければならない。(彼らが)そうできないのは、自分の教え方、対処の仕方に問題があるからだ」と考えてしまうのです。いつの間にか、学生の実態から遊離し、頭の中で「斯くあらねばならぬ学生の姿」が肥大していました。もっとも、(こちらの方で)そう考えていたとしても、学生の方はと言いますと、学校へ来る途中、「転んで、小指程の血を流した」ということが、すぐに「正当な」遅刻の原因になったり、「正当な」欠席の理由になってしまうのです。

 それなのに、(私の方では)「覚えられないのは、教材に不足があるからだ。漢字の教材をどのように作れば覚えやすくなるか」と、またまた一人歩きし、教材作りに精を出したりしてしまうのです。学生達はそういうことを、望んではいないでしょうに。

 彼らは、(こちらが)書くように言えば、いくらでも書きます。まるで絵を写すように、喜喜として(本当はそうではないのでしょうけれど、判らないことを考えたりするより、写す方が楽なのでしょう)。けれども、漢字の成り立ちを、「象形」の段階から説明しても、考えようとはしないのです。笑って終わり。頭を使おうとはしないのです。頭を使おうという意識がないから、覚えられなかっただけだったのです。

 当時は、これが判りませんでした。それで、学生の方に問題がある(今では、そう言えますが)と考えれば済むようなことを、一生懸命(こちらの問題があると考え)、その対策を考えていたのです。「日本語を学びたい。日本で大学へ行きたい」という学生を入れれば、すべては、解決するような類の悩みだったのにも関わらず。「教材」や「教え方」などの問題よりも、こちらの方がずっと大きかったのです。

 それ故でしょうか、今でも、あの国から来た学生には、少々アレルギーがあります。皆が皆、そうではないということはよく判っているのですが。当時、自分で思うよりも、相当に疲れていたのでしょう、空回りばかりしていましたから。

 勿論、これも、自分の責任です。彼らにふさわしいやり方で、(彼らに)負担をかけないように、ゆっくりとやってやればよかったのですから。

 これは、後に、以前のやり方でやって、驚く程漢字を覚えてくれたフィリピンから来た学生がいたことで判りました。以前、あのやり方で、成功していませんでしたので、ずっと何かが支えているような状態で、気分が悪かったのです。

 この学生は、「三級」までの漢字は、必死になって書いて覚えていました。が、『中級』の教科書に入って、しばらく経った頃でしょうか、漢字をよく覚えている割には、「漢字ノート」に漢字を書かなくなっているのに気づきました。たくさん書かなくとも、(日本人と同じように)ある程度は覚えることができるようになっていたのです。

 「漢字の練習は、どこでしているのか」と聞くと、不思議そうな顔をします。「どこに書いて覚えているの」と聞くと、「漢字ノート」を見せます。そこには、教室で約束通り書いた三回分の漢字が書かれているだけでした。「他には書かないのですか」と聞くと、また不思議そうな表情で見つめます。

 この学校では、非漢字圏の学生のために、休み時間を利用して「漢字の導入」をしています。だいたい、日に15分から20分ほどでしょうか。その時、こういうやり方をしています。「まず、新しい漢字を書いた紙を貼る。次にパーツに分ける。このパーツをもっている既習の漢字を言わせる。そして、全体を組み立てる」

 彼は、この時、中国人の学生達が驚く程、すらすらと「そのパーツを持つ既習の漢字」を言うことができるのです。勿論、常に中国人学生に勝つというわけではありません。(中国人学生の方が数も多い)時々、負けることもあるのですが、ほぼ互角以上に戦えます。

 彼の場合、「部首」や「偏・旁・冠」などといった分け方でなく、部分的なパーツで覚えているのです。実は、これまで、いつも「部首の入れ方」に成功していませんでした。速すぎたり、遅すぎたりで、どこかうまくいっていないような感じがしていたのですが、それは、おそらく彼のように「部首」の概念がない「非漢字圏」の学生達には、彼らなりのやり方があったのでしょう。

 日本人や中国人の言うところの「部首」とは違う覚え方があり、それだけである程度は事足りていたのにもかかわらず、当方が「部首」を導入することで、却ってそれが阻害され、紛らわしくなっていたのかもしれません。

 彼らが覚えている、すべてのパーツには、上下関係がなく、平等なのです。いわゆる「全体」に対する「一部分」でしかないのです。勿論「てへん」や「さんずい」「にんべん」「ぎょうにんべん」など、しょっちゅう出て来るものは、入れておいた方がいいでしょうし、教える上でも、便利なのですが、入れ方には注意を要すると思います。「中級」レベルでは、「部首」の概念を入れるには、単語の数も、漢字の数も不十分なのです。

 今のところは、じわじわと情況に応じて、少しずつ入れているのですが、もう少し経ったら、まとめなければならないでしょう。

 というように、私は常に「新人」です。似たような状況でも、全く同じと言うことはありません。できれば、「経験に学ぶ」だけの人ではなく、「歴史に学ぶ」といえるような人になりたいものですが、まず、仕事柄、「経験」半分で、「情況」に対処しています。

 「教える」ということを、「学んだ」ことも、真っ当に「経験」したこともないようでしたら、そして、それでも「教壇」に立つということをしているようでしたら、まず自分の心に「教師であることの『恐怖』と『羞恥』」があるかどうか、尋ねてみてください。

 私とて、偉そうにしているように見えても、それがないわけではないのです。

日々是好日
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「暴走族」のお兄さん。「水鳥の歩み」。

2008-12-19 08:30:45 | 日本語の授業
 今朝も爽やかに始まりました…のはずだったのですが、朝から、ちょっと危ない目に遭ってしまいました。

 私は、いつも決まった道を、自転車で、通勤してくるのですが、その途中、高速へ通じる道と交差するところがあるのです。信号もついていることですし、みんなルールは守って運転してくれているので、これまで、危険なことは全くなかったのですが(時々自転車の人が、信号を無視して走り去る以外は)、今日は、後ろから、すごい勢いで走ってきた車が(もうすぐ信号が変わりそうだったので、焦ったのでしょう)、そのままのスピードを保ちながら、グイッと左折したのです。

 驚きましたね。もう少しでぶつかるところでした。こちらを確認した様子もありませんでしたから、勘だけでハンドルを切ったのでしょう。車は急には止まれない。自転車も急には止まれない。車は急に止まってもひっくり返らないけれど、自転車はひっくり返ってしまいます。いくら人通り、車の通りの少ない早朝とはいえ、お手柔らかにと、お願いせずにはいられません。本当にびっくりしましたよ。

 車体が、随分低かったようでしたから、もしかしたら、暴走族のお兄さんかもしれません。朝まだき、気分のいいところで、「高速」を、猛スピードで走らせてみたかったのでしょう。それにしても、危ないことです。人様を轢いてしまったり、自分自身もぶっつけられたりしませんように。どうか、ご注意のほどを。

 しかしながら、一言で、「暴走族」といいましても、大半は、気のいいお兄さん、お姉さんたちなのです。ただ、多分、あまり強い人達ではないのでしょう、一人の時はいいけれど、それが集団になると、周りにすぐに影響されて、愚かしいこともしてしまうようなのです。

 以前(20年近くも前になるでしょうか)、近所に、暴走族に属しているらしいお兄さんがいました。お父さん、お母さんもいらっしゃいましたし、どこにでもある普通の家庭で育ったの人と言ってもいいと思います。今では、すっかり目に馴染んで、別に目を惹くこともないのですが、当時、既に金髪に染めており、しかも髪の毛を、おっ立てていました。それに、外で見かけた時には、いつも黒のサングラスをかけていましたから、本当の顔がどうなのかは、多分ご両親以外、近所の人でも判らなかったと思います。この人が、毎日のように、夜遅く、と言うよりも真夜中にブンブンと騒音をまき散らしながら家へ戻ってきて、早朝もブンブンとふかしながら、出ていくのです。

 いくら何でもと、見るに見かねたのでしょう、或いはご近所の手前、辛くなったのでしょうか、お母さんが注意したのだそうです。「暴走族になるのは勝手、オートバイでブイブイやるのも勝手。ただし、この近くに来る時は、マフラーをふかすな。エンジンを切って、オートバイを引いてこい」と。

 それからは、黒ずくめで、夜も黒のサングラスをかけた金髪のお兄さんが、ナナハンをヨッコラショ、ヨッコラショと引きながら、隣の家を出入りすることになりました。

 まあ、こういうこともあるのですから、一概に白い目で見るということもできかねているのですが、事故に繋がると不幸になる人が、当事者の他にも、一人二人では済まなくなります。お互い、気をつけましょう。

 ところで、学校でも、自分のことを見失っている人が出ています。往々にして、『初級』までは、話せれば、「できる人」であるかのような錯覚に陥ってしまうのですが(周りも、ヒアリングに弱い人が多いので)、それは、「初級」までの話でしかないのです。急には上手になれなくとも、コツコツと「毎日学校で勉強したこと」を、「毎日復習する」というやり方をとってきた人の方が、最終的には上に行くのです。

 何でもそうだと思うのですが、水鳥の、「水中での歩み」は目には見えません。けれども、確実に前に進んでいるのです。勉強でもそうです。自分では毎日の事なので、見えていなくとも、私たち教師からは、はっきりと見えているのです。

 学校での勉強を、なおざりにして、日本人の友達を作って、その人との会話だけで、上手になったと思いこんでしまっているのが、私たちから見れば、一番厄介なのです。一度誤ったことを覚え込んでしまうと、それを変えるのに、何倍もの努力が必要になってしまいます。こうなってしまうと、本人が苦しいのは当然なのですが、それを改めさせる私たちの方は、もっと大変なことになってしまうのです。

 それ故、それは、「学校に行っている人の勉強方法ではない」と口を酸っぱくして言うのですが、上手になったと「浮かれている」者の耳には入りません。極端な話、非漢字圏の人であれば、その人の目的が話せればいいだけなら、学校に来なくともいいのです。非漢字圏の人で、学校に行ったことはないけれども、日本語が話せるという人はたくさんいます。しかしながら、こういう人達は、尊敬語や謙譲語も判らなければ、漢字も書けません。助詞の使い方が変な人も少なくないのです。せっかく学校で勉強できるのに、そのチャンスを自分で無にしているのですから、愚かしい限りです。。

 非漢字圏の学生の一番の問題は、「書く」ことに慣れていない人が多いということです。この習慣を改めることができなければ、日本語の習得は難しいでしょう。これまで、非漢字圏から来て、大学に合格できた人は、皆、嫌がらずに、我々の言う通りに「書いて勉強する」ことができました。

 器用で、何でも適当にやってしまえる人にありがちな「病(やまい)」なのかもしれません。しかも、そういう人は、目先の事しか見えないようなのです。昨日より今日の方が上手になったと、一日単位ですべて考えてしまうのです。言語の習得には、無論、「短期的な目標」もあります。今日何を覚えることができたか、どんな表現を習得出来たかということです。けれども、その他に、「中長期的な目標」というのもあるのです。これは、今すぐにできるものではないのです。非漢字圏における、漢字の習得がこれに当たるでしょう。

 器用な人は、手間のかかることを嫌がります。「そんなことをしなくても、これまでうまくやって来た。見てみるがいい、私は英語も習得出来ている。だから、日本語も同じようにやるのだ」と。「それで十分に対応できるのだ」と。

 それと反対に、一つ一つ確認しながら歩んできた人は、半年が過ぎた今ごろ、その「甘い果実」を味わっています。漢字においても、同じ「パーツ」を口に出せるのです。ということは、「偏」や「旁」を教えなくとも、それなりの意味を掴み始めているということです。こうなると、漢字の習得はグンと楽になります。今まで苦労した分、これから楽になれるのです。話す、聞くは、こういう非漢字圏の人達の方が、「お手の物」なのですから。

 できれば、日本語の学習においては、痛い目を見せたくない、そういう思いで、私たちは教壇に立ち、学生を指導しているのですが、相手は、既に二十歳を過ぎた大人。思い通りに行かないこともたくさんあります。

 けれども、まあ、一歩一歩ですね。私たちも同じ。「水鳥の、目に見えぬ歩み」を繰り返しながら、学生達を指導していかねばなりません。ある意味では、お互い様というところなのでしょう。

日々是好日
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「欧州童話」の「闇」と、「日本の童話」。

2008-12-18 08:07:23 | 日本語の授業
 今朝は、昨日からの雨も上がり、いわゆる雨上がりの早朝、清々しい朝となりました。この空気の中を、ゆっくりと歩いてきたのですが、ハナミズキがすっかり画葉を落としていることに、今更ながら気づいたのです。迂闊でしたね。寒さが二三日続きましたし、昨日はかなりの雨が降りました。当然、木々も痛めつけられたことでしょう。すっかり寒々しい光景になっていました。

 ハナミズキは、多くの町で街路樹として植えられ、ある意味では、「町の顔」になっているようにもみえるのですが、まだどことなく「よそ者」めいた匂いは消えていないのです。どこかしら、日本の町に馴染んではいないのです。とはいえ、普段よく目にする樹です。変化にも目がいきやすいのです。この樹は、つい先だってまで、赤い葉に、赤い実をつけて輝いていましたのに(まるでクリスマスです)、それがもう、今では、「スッポンポン」で、ぼんやりと立ち尽くしているような風情になっているのです。

 もうこうなってしまうと、元々が細い木のことですし、そこに立っているのが、街灯なのか、電信柱なのか、それとも葉を落とした細いハナミズキの樹なのか、何が何やら、全く見分けが付かなくなっているのです。別に偉そうな樹である必要はないのですが、街路樹には、もっとどっしりとしたもの、つまり、風格が多少は備わっているようなものが欲しくなってしまいます。

 木々が裸になって、しかもそれが小さくて細い木ですと、蓑虫もかわいそうです。(大きな鳥に虐められた時に逃げ込める)逃げ場を失ってしまった小さな鳥たちもかわいそうです。人にしたところで、疲れた時に目を休める場所(緑)にも困ってしまいます。便宜だけを考えずに、町の風格を作るということ、町が人々の癒しにもなると意味からも、町作りに、もっと目を配ってもらいたいと思うのですが、それはそんなに難しいことなのでしょうか。

 滅法、見晴らしがよくなってしまった町を見渡しながら、ふと気がつくと、オスカー・ワイルドの『幸福な王子』のことを考えていました。最初は絵本で読んでもらい、それから、字を覚えた頃にもう一度、今度は一人で読んだような記憶があります。悲しい物語です。こんなやるせない悲しい物語を、どうして二度三度と読むような気になったのかは、自分でも判りません。が、子供に何かを考えさせてしまうような強い力を持っていたのは確かだと思います。それは、この世には「理解できないことがある」ということです。「救いがない」ということです。「不条理に満ちている」ということです。

 ヨーロッパの童話には、ほどよいところに、神様が出てきて(キリスト教の影響でしょう)、「善い心」をもった人や動物を助けてくれるものが大半なのですが、それとは別にゲルマン系の童話には、あの「シュバルツバルトの森」を思わせるような深い闇があって、救われない人間の心をさらにたたきのめすといった場面がよく出て来るのです。読んだ後に、割り切れない思い、しかも、これは忘れたくとも忘れられるものではなく、決着をつけようにもつけられないものなのです。理由が解らないのですから。分裂していく自分の心が見えるだけなのです。

 子供というものは、本能的にそういう童話を好むものだと思います。きれいなものにも心は惹かれるし、汚いもの、どろどろした人間の心にも、言うに言われぬ魅力を感じてしまうのです。それに、ケルトの童話にも、不思議な闇がありました。こういう「闇」は、これはちょっと日本の童話にはまねできないところです。

 日本の童話は、未だに「語り部」たる爺様、婆様が、囲炉裏を囲んで、興味津々で、ワクワクしながら、彼らを見つめている、「わらしべ」たる彼らの孫やひ孫に、話を聞かせるという形態から、抜け出していないところがあります。それ故に、総じて優しいのです。残虐な部分をオブラートに包んで、そうしなければならなかった人の業すら、どこかに昇華させてしまおうとする気遣いが見えるのです。

 確かに、それでも、これらの日本の童話は面白いし、それなりに楽しめるのですが、早いうちから、「世の不条理に気づかせる」ための役には、あまり立たないのです。まあ、夜、子供を寝かしつけたり、いい夢を見させたりするのにはいいでしょうが。小さいうちから、「この世には、『不条理があるということ』を知らせておく」とか、「人と人の間には、どうしても消すことのできない『やるせない悲しさが生じること』もあるのだということなどを伝えていく」とか、そういう力はないような気がします。こういう「暗い」の部分も、子供にとっては抗いがたい魅力なのですが、そういう魅力に乏しいのです。

日々是好日
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「『教室』を、多国籍にする理由」。

2008-12-17 08:11:30 | 日本語の授業
 危ないところでした。もう少し遅かったら、自転車で来られなくなるところでした。ばらばらと雨が降っています。今朝は、朝のうちから、雨が降り出すという予報は当たりましたね。

 随分以前からあった「まじない」の一つに、「(フグを食べた後に)『天気予報、天気予報』と唱えれば、(フグの)毒に当たらない」というのがありました。当時の人が、天気予報が当たらないことを揶揄したのでしょう。勿論、現代の科学をもってしても、お天気の予報は難しいところですから、明治・大正の頃ともなれば、「何をか言はんや」です。特に、夏の夕立などは「馬の背を分ける」といわれたくらいですもの。

 「冬の雨」というのは、学生達にとって辛いものです。特に「午後のクラス」の就学生達は、授業が終わってから、アルバイトへ行くということになりますから、なおさら辛いのです。しかも、大半が自転車での往復。雨は大敵です。

 以前、南の国から来た女子就学生の、(雨が降った時の)格好を見て驚いたことがあります。ダウンを着たその上に、夜釣りをする人が着るような厚い防寒具を着て、走っていたのです。「これだったら、大丈夫」と言って微笑んでいましたが。

 彼らの国では、良家の子女が、まずそんな姿になることもないでしょうし、日が暮れてから、一人で外にいるということもないでしょう。まして、女性がアルバイトに行くために、一人で、夜、自転車を走らせているというようなこともないでしょう。

 彼女は、見事に大学に合格できましたが、同じ国から来た男子就学生に、(こういう生活をしていたので)ひどいことを言われたこともあるやに聞きました。母国にいる時は、恵まれた環境にあり、乳母日傘で育ってきたにしても、日本ではそういうわけにはいきません。彼女は、環境に順応して、一人前に(他の国から来た就学生達と同じような行動をとっていたにすぎないのですが)生活していただけなのに、同じ国から来た男性から見れば、「不届きな女」に見えたのかもしれません。

 彼女は、それに負けずに、がんばり抜くことができましたが、おかしな噂をばらまかれて、結局は「親に帰された」人もいました。「女性の独り立ち」を阻むものは、遙か彼方に、(本当は)離れているはずの、「かつて属していた社会」なのかもしれません。男性は、そう言う社会から来た者同士が庇い合い、「旅の恥は掻き捨て」とばかりの行動をとっている者も少なくありませんでしたが、女性はそうではなくとも、色眼鏡で見られてしまうのでしょう。

 私たちは、当然のように「道徳」と言い、「社会のルール」と言います。これは「してはいけないこと」なのです。法律で、罰することは出来ないけれども、してはいけないことなのです。その中に、「女性が、仕事をして、夜遅く帰る」ことは含まれていません。日本の治安状態の良さ(悪くなったとしても、まだまだ、一人で歩けます)が、そうせしめているということもあるでしょうが、これで、女性の価値が貶められることは、まず、ないのです。

 けれども、ある国から来た人達は、母国で、「両親」か、「宗教指導者」に、そう教えられてきたので、だから、「日本でもそうしなければならないし、他の者もそうすべきだ」と思いこんでいるのです。当然ですが、そういう国の人は、我々から見れば、いわゆる「男尊女卑」の国であり、「父権」の強い国であるように思われます。それも、自分で考えて納得しているのではなく、常に「だれかに言われて、その言いつけをきくことがいい人と言われて」過ごしてきているにすぎぬのです。

 その「両親」や「宗教指導者」も、日本の治安状態や、日本の習慣などは知りませんから、「自分の国でのこと」として、意見を述べたり、指示を出したりするのでしょう、問われれば。

 当然のことながら、「日本の実情」にそぐわない意見ですから、愚かしいものです。けれど、それを聞いたものは、「両親やあのようなすばらしい宗教指導者が言ったことだ。だから、自分は正しい」と思ったり、行動したりするのでしょう。

 勿論、このような事が通用するのは、そういう国の人達が大半を占め、しかも、固まっている場合だけです。他の国の人達と混ざり合い、他の国の人達の価値観を受け入れざるを得ないような情況に入っていれば、もうそんなことで、ばからしい自分の国の「道徳」を振りかざしたりはできないでしょう。そうしたとしても、他の国から来た人達に、「馬鹿にされるか、無視されるか」のどちらかなのですから。

 「日本語を、外国から来た人達に(日本語学校で)教える」という仕事をしていると、こういう「クラス」が「生き物」であるかのように思えてなりません。一年ごとと言うより、数ヶ月ごと、或いは何日かごとに姿と変えるのです。その「クラス」に属する学生が変わるたびに、新しい姿になるのです。学生を生かすも殺すも、クラス編成であると、つくづく考えさせられます。

 人が変わって、或いは新しい人が入ることにより、意外な成り行きになるのです。主に「日本語のレベル」によって、クラスは編成されているのですが、クラスの中に、同じ国から来た人達が大半を占めるようなことになると、「その国の『ルール』」が、「(日本にありながら)そのクラスの『ルール』」になってしまうのです。

 先ほど述べた、「女性が、夜、一人で帰る」ということもそうです。「女性が仕事をする」ということもそうです。

 日本では、女性が夜遅く道を歩いていても、だから危険だということはあまりありません。治安がいいのです。けれども、そうでない国は、「女性は、夜、一人で出歩いてはいけない。出歩くものではない。夜仕事をするものではない。そう言うことをするのは、悪い女だ。いい家の女ではない」になるのです。外国へ来ても、同じ国から来た連中でまとまっていれば、考え方は変わりません。そして、そういう目で、日本でがんばっている同国人女性を見てしまうのです。

 このような意味からも、同じ国から来た人だけが、大半を占めるような学校は(日本語学校としても)、あまりいいことではありません。ここは彼らの国ではないのですから、しかも、日本の習慣・文化を理解せずして、日本語が上達するわけがないのです。勿論、外国人が対象ですから、日本でありながら、教室の中は、教師以外はすべて外国人です。つまり、日本を彼らに知らしめるのは、教師だけということになるのです。大半が同じ国から来た人で占められてしまうと、彼らの心に、日本人たる教師の言葉が届きにくくなるのです。それは避けるべきですし、避けるべくしなければなりません。

 というわけで、今では、いろいろな国から来た就学生が、この学校で学んでいます。文化も、習慣も違います。しかし、それは、学生達の目には個性として映り、他者が他者をあざとくするといった面は、影を潜めました。やはり、土俵は日本でないと、私たちも戦いにくいのです。

日々是好日
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「ディズニーランド」の余韻。「これからの授業」。

2008-12-16 08:03:30 | 日本語の授業
 「ディズニーランド」へ行ったあの日が嘘のように、昨日、今日と寒さが続いています。おかしなことに、「今」が冬であることをすっかり忘れていました。学生達には、寒さ対策をせよと、言っていたのに…。

 「午後のクラス」の学生達が帰る頃には、疾うから玄関の灯をつけねばならなくなっていたわけですから、そこから考えれば、「冬至」まで、余すところ幾日というのも、突然に来たわけではない…のです。

 生き物たちを見ても判るはず。しばらく姿を見せなかった猫たちが、学校の周りをウロウロし始めていますし。中には新顔もいます、馴染みの古顔もいます。冬になると、一階の前の駐車場にポカポカと日が当たって、ひなたぼっこができるというのをよく知っているのです。まさか、友達を連れて舞い戻ってきたわけではないのでしょうが。

 それに、「スズメ」です。この辺りの「スズメ」も、プウッと丸っこく、いつの間にか「寒スズメ」状態になっているではありませんか。まるで「マリモ」のようで、ひときわ可愛いらしく見えるのですが、これも防寒対策で羽根を膨らませているに過ぎぬと思えば哀れさも増します。

 ところで、「ディズニーランド」の件です。昨日「私たちも遅くまでいたのに、学生達に会わなかったのが不思議だ」と書いたのですが、聞いてみると、会わなかった理由がよく判りました。彼らは夜の10時半まで、「乗れるものにはみんな乗り、入ることの出来るものにはみんなは入り」していたそうなのです。「誰と一緒だったの」と聞くと、すぐに両手では足りない程の人の名前が出てきます。本当に、路上で会わなかったはずです。

 目一杯楽しんでいたのでしょう。帰りの電車は「みんな眠っていた…」そうでしから。しかし、よく無事に帰れましたね、乗り越しもなく。まずは、ホッとしました。ただ、昨日の授業の時、「先生、まだ疲れています。勉強はなしにしましょ」と言ったのには、ゴツンをお見舞いしてやりたくなりましたけれど。

 さて、冬期休みに「CDクラス」は合併して、授業を続けています。でうまくいっているかなと少々不安だったのですが、何も案じることはない、それなりにうまくいっているようです。それに、何よりも小さい人達が、仲間を見つけたらしいのです。同性で、年が近いというのが一番なのでしょう。互いに助け合い、ちょっと落ち込んでいた片方の学生も元気になり、大きな声で授業に参加していたと聞きました。安堵しました。この人達は、まだまだ友達が必要な時期。年頃が似た相手と同じクラスになれてよかったですね。いい友達になれるといいですね。

 一方、「Bクラス」は、出来るだけ先を急ぎます。早く「上級Ⅰ」まで終わり、「最低限」の「文法と単語」を入れておかないと、教師としても、何も出来ません。しかしながら、たとえ「中級レベル」であろうと、読み進めて行く上で、ある程度の知識がないと難しいところがあるのです。

 「国が閉ざされている」。或いは、「自分の国だけで完結してしまっている」ということは、結局、こういうことなのでしょう。もう「一国だけ」で終われる時代ではないのですが、それぞれの国には、それぞれの国なりの事情があり、国民にすべてを見せる、または知らせるというわけにはいかないのでしょう。「グローバリゼーション」に対する「スローライフ」や「ローカル」という言葉もよく耳にするところですが、これとても、「グローバル化」の知識あってのこと。無知の上に、独善的にさせられてしまっては、一番困るのは、そういう国で育った人が、そうではない外国へ行った時です。

 教えている時にも、「『日本』のことは『知っている』」と言って、いろいろ非難できるけれども、「『自分の国』のことは、『(私たちが知っているようには)全く知らない』」という学生達をよく見かけました。そういう人を見て、教える言葉を失ってしまうということも少なくないのです。彼らが主張する「日本に関する知識」も、ある部分は事実でしょうが、大半は自分たちに都合のいい一面的な解釈にすぎないのです。「事実」と「解釈」は違います。「人様が自分の頭で考えた意見や主張」と「他者の意見を借りて述べているに過ぎない『自分の意見や主張』」が違うのと同じように。

 教師として、こういうことは、あるまじきことなのかもしれませんが、そういう環境の中で、二十年、三十年と過ごしてきた人に、今更変わって欲しいと言っても無理でしょう。勿論、人によって可塑性のある人は、変わることも、他者を受け入れることも出来るでしょうが、普通の「秀才レベル」では無理です。何となれば、一生懸命に、自分の国で、言われることだけを覚えて、「秀才」になれたわけで、もう既に、糸はぎりぎりまで引っ張られており、それ以上のものは受け入れられるような状態にないのですから。「アニメだけが共通言語」というのも、寂しい限りです。その「アニメ」がよって立つ所の、「文化」を知らぬのですし、知ろうともしないのですから。

 けれど、まあ、縁あってこの学校へ来た人には、全力を尽くすしかありません。それを受け止められるかどうかは、本人の能力なのですから。あとは、本人の力です。

日々是好日

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「ディズニーランド」。月曜からの授業。

2008-12-15 07:54:41 | 日本語の授業
 早朝、空は、頭上の青黒い雲と東の茜色とが優しいコントラストを見せながら拡がっています。お天気になるのでしょう、居待ち月がやや傾きながら顔を覗かせています…。

 もう先週のことになってしまいましたが、「ディズニーランド」で見た月は、欠けたるところもなしという「望月」でした。

 さて、先週の金曜日、皆で「ディズニーランド」へ行き、楽しんできました。その日の朝まで、気になっていたのはお天気だけ。暖かいのか寒いのか、晴れるのか雨になるのか曇るのか、それだけでしたから、朝起きた時に、明るい空を見、暖かい空気を感じた時は、全く「やったね!」と叫んでしまいました。

 ところがです。そうやって、にこにこ顔でうちを出、途中、橋の上で待ち合わせていると、「事故、事故、京葉線で事故があったらしい」と、待ち合わせ人が、青い顔で自転車を走らせてきました。

 学校のある「行徳」から、「ディズニーランド」のある「舞浜」は、とても近く、自転車でも(男の子ならば)、30分くらいで着いてしまうでしょう。ただ、帰りを考えると、やはり、電車やバスを利用した方がいいのです。そこで、私たちは、最短距離、つまり「JR市川塩浜駅」まで自転車を走らせ、そこから6分程で舞浜(ディズニーランドのある駅です)に着くというルートをとっていたのですが、また、学生達にも自転車に乗れる人はそれが一番楽だと教えていたのですが、その到着駅、舞浜駅で人身事故が遭ったというのです。

 お亡くなりになった方には、甚だお気の毒なのですが、外国へ一人で来て、大学を目指し、勉強に、或いはアルバイトにと、がんばっている学生達にとって、一日の休みを取って皆で「ディズニーランド」へ行くという、このような機会は滅多にないことなのです。自分たちだけで行くにしても、団体料金に比べ高いことですし、まず何よりも、並ぶだけで終わってしまうという可能性の方が高く、それほど楽しく遊べるというわけでもないのです。

 学校で引率していくと、見所も係の教員が調べておりますし、それほど並ばなくていいように按配してくれています。また、事前指導もしっかり行っていますから、「ディズニー」に関する知識が(日本語能力の多少に応じて)ある程度備わっています。それから、見るというわけなので、キャラクターも楽しむことができます。学校にとっても、謂わば、一年の締めくくりともいうべき活動なのです。

 さて、それからです。既に学生達には、連絡したとのことですので、自分たちのことを考えます。どうにかして一刻も早く着いておかねばなりません。途中、連絡のあった学生達にも「とにかく動くな」としか言えません。事故が遭ったとしても、何時間も待たせるということはないだろうし、下手に動くと却って遅れてしまいます。特に外国人の場合は、言葉の問題や土地勘の問題やらがあり、難しいのです。

 西船橋から乗ってくるグループには、教員が一人向かっているので、先生と行動を共にするようにと連絡。私たちは「JR市川塩浜駅」はあきらめて、まずは行徳駅へ向かいます。途中、一人の学生のうちの前を通りましたので、すぐに(あろうことか、まだ眠っていたのです)「JR市川塩浜駅」へ行き、そこで待ち、電車が動き出したら、すぐに乗るようにと連絡。

 駅へ着くと、三人の学生達と出会いました。彼女らも待ち合わせていたようで、事故のことを告げ、浦安駅から、バスで行くようにと指示。ただ中学生さんだけ、一人私たちの車に乗せ、「ディズニーランド」へ直行します。

 本当に、上天気で、しかも、12月とは思えぬほどの暖かさで、「よかった、よかった」とその前の日まで、天気予報を見るたびに、口元が緩んでくるのを隠せなかったのですが、土壇場で、やはり何かありましたね。

 ただ、学生達が、私たちの指示をよく聞いて、うまく動いてくれましたから(バスも、普段なら10分くらいで着くところが、30分かそれ以上かかったようでしたし、電車も150%くらいの混みようで、ラッシュに慣れていない学生達は、乗り降りに必死だったと言っていました)、8時半の集合が、一時間遅れになったぐらいで、だいたい揃うことができました。三人、バスに乗ってはいるけれど、まだ着いていなかったので、教員が一人、入り口で待機し、彼らが到着してから、シンデレラ城で合流するということにし、まずは、集まった学生達を連れて入場しました。

 ところが、教員が一人、チケットを落としてしまったのです。入る前でしたから、きっと見つかるまいと思っていたのですが、帰りに「ディズニーランド」から連絡があり、だれかが届けてくれたとと言うのです。さすが「夢の国に行こう」という人ですね。ありがとうございました。

 ディズニーランドというのは、本当によくできた「夢の国」です。この「国」に一歩足を踏み入れれば、途端に「あなたは夢の国の住人」になれるのです。数分前の現実世界のことを忘れてしまえるのです。学生達も、「ワールドバザール」に飾ってある大きなクリスマスツリーの前に来た時には、もう頭の中はツリーで一杯。さっきまで「大変だった」「どうしていいか判らなかった」「怖かった」という思いは、跡形もなく消えていました。

 ただ、東京ディズニーランドが出来てから、今年で25年ということで、シンデレラ城の前には特設ステージが設置されており、中に入って写真を撮ることはできなかったのは、残念でしたが。

 それで、その裏手の小さな泉のそばで、皆で写真を撮りました。それから、「蒸気船マーク・トゥエイン号」に向かいます。途中「ミッキーのジュリースノータイム」に出演するのでしょうか、ニンフ姿の人達を見かけましたが、みんな不思議そうな顔をして見ているばかり。まだ反応がうまくできないのです。船着き場には、すぐに中に入れました。そして、船の到着を待ちます。

 その間、彼らは一瞬たりとも休みません。活発に目を動かしながら、四方八方、いろいろと品定めをしています。そのうちに船がやってくると、「先生、あれに乗りますか」とうれしそう。また、乗船してからが、大騒動。写真を撮るのはいいのですが、船の上から、「トムソーヤ島いかだ」の「筏」を見つけたり、「ビーバーブラザーズのカヌー冒険」の「カヌー」を見つけたり、「ウエスタンリバー鉄道 」の機関車を見つけたりと大忙し。

 そうかと思えば、「どれが一番怖いですか。それに乗りたい」と騒いだり。いやはや、静かであるべき船の旅も一瞬たりとも休ませてはくれませんでした。特に高校を卒業したばかりの学生達や、まだ中学生レベルの学生達は、楽しくてしょうがない様子。解散してからの計画を立てているのがよく判ります。

 船の旅を終え、次は「イッツ・ア・スモールワールド」へ。途中「スプラッシュ・マウンテン」の「ファストチケット」を、皆で一枚ずつ予約しました。予定時間は、二時半です。初めは何をさせるのやらと、不審そうな顔をしていた学生達も、理由が解って、「へぇ」といった表情。これで、予約の仕方を学んだわけですから、今度、自分たちだけで来るときにも役立てられるでしょう。

 「イッツ・ア・スモールワールド」は、グループごとに乗せてくれるので、みんなで楽しみながら、おとぎの国を一周しました。それから「ワンマンズ・ドリームⅡ」を見ます。ディズニーアニメーションの主人公達が歌い、踊り、懐かしい曲が流れてきます。何度見てもかわいらしいですね。浮き世の憂さを忘れてしまいそうです。

 まだ、二時半までには時間がありましたので、もう一つ、「ミクロ・アドベンチャー」へ行きます。足にネズミの動きを感じたときには、もうみんな興奮しきっていました。さあ、終わると、「ジュビレーション」がそろそろ始まる頃です。行くと、そこに座って待つように指示されます。しかし、学生達のおなかの虫がおとなしくはしていません。一人、二人と席を立っては、お菓子や飲み物を買いに行きます。朝ご飯だけは、決して抜いてくれるなと口を酸っぱくして言いましたし、入り口でも確認をとっていたのですが、午後の一時もずいぶん過ぎていましたから、しょうがありませんね。

 パレードを楽しみながら、写真もたくさん撮ったようです。しかし、今年の学生はとても素直に動いてくれます。みんなと一緒に歩いていると、「あれに乗りたい」とか、「これに乗ってみよう」とか、言ってはいるのですが、「みんな一緒に回っている時には、勝手な行動をしてはいけない」という約束は守ってくれます。「後で乗ります」と言うのです。我々としても、イライラしたり、探し回ったりといった、いらざることで疲れたりせずにすむので、本当に助かります。

 さあ、最後のクライマックス、「スプラッシュ・マウンテン」です。パレードが終わると、ちょうどいい頃合いになっていました。私たち二人の教員を残して、みんな山の中へと消えていきます。待っていると、しばらくして麓の洞穴から、第一陣がユサユサと出て来ました。「こっち、こっち」と呼びかけながら、手を振ります。彼らも返事をながら、ポーズを決めます。そこを若い先生がパチリ。「いってらっしゃ~い」、「いってきま~す」と、また洞窟の中へ姿を消していきます。第二陣が続いてくるかと思ったのですが、一艘おきのようでした。次の次がこの学校の学生たちの乗った船で、またその次の次という船がそう、といった具合だったのです。出てくる度に、みんな元気に挨拶をしてくれるのですが、さて、上の方で、最後に姿を見せてからは、どうなのでしょうか。

 最後の船が姿を消してから、滝を急降下する、そのすぐ下まで場所を移動します。どれほど待ったでしょうか、今か今かと待っているうちに、先頭の赤いダウンが見えました。「わあ」と、歓声が上がった途端、一瞬で水しぶきの中。こうして最後のグループが終わってから、出口へと急ぎます。出てくる顔は、驚くほど明るく、はち切れそうな笑みに満ちていました。「面白かった」「面白かった」体中が、魚のように跳ねています。

 ということで、団体行動はこれで終わり。あとは各自に任せます。中学生レベルの人たちが数人いるのですが、上の人たちが「大丈夫。一緒に回るから」と請け合ってくれました。で、みんなに任せて、私たちも食事に行きます。

 食事をしながら、自分が少しも疲れていないのに驚きました。例年ですと、いなくなった学生を探し回ったり、また、少しも動こうとしない学生達を急がせたりと、いつも、もう口も開きたくないくらい疲れているのですが、今年は、まだまだ余力があったのです。

 それで、船の上から、学生の一人が「先生、あれに乗りたい」と言っていた「ウエスタンリバー鉄道 」に乗ってみることにしました。釣られたんですね、学生に。「駅舎」は、とても懐かしい佇まいをしていました。階段の様子もそうです。私が出た高校は明治時代に造られていましたので、正面の建物にはこんな感じの階段が残っていたのです。この駅舎には、その他にも「カンテラ」があったり、「裸電球」があったりとノスタルジアを掻き立てられます。

 一日中、とても暖かく、夜になっても、それほど寒くなりませんでした。残ったついでに、光のパレード、「東京ディズニーランド・エレクトリカルパレード・ドリームライツ」も見ましたし、「クリスマスウィッシュ・イン・ザ・スカイ」の花火まで見てしまいました。

 学生達はどうしたでしょうね。みんな、10時までいると声を揃えて言っていましたが…。月曜日に聞くのが楽しみです。

 さて、これで、形の上では今年の授業も終わりました。ただ「Bクラス」と「C・D合併クラス」は12月25日まで授業があります。また「Aクラス」の学生は、大学入試や大学院準備などで、常時学校へ顔を出さねばなりません。まだまだ「学校の2008年」は終わりそうにありません。

日々是好日
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「明日はディズニーランド」。「冬休み(今年)の予定」。

2008-12-11 18:16:42 | 日本語の授業
 さて、明日はいよいよ「ディズニーランド」です。というわけで、明日は、学校へ寄らずに、直接「ディズニーランド」へ参ります。

 「ディズニー映画」と「ウォルト・ディズニー」で明け暮れた、この一週間の成果が少しは現れるでしょうか。登場人物などがわかり、楽しんでくれるといいのですが。それに、「東京ディズニーランド」の「接客術」にも注意を促したいもの。

 来週から、(形の上では)「Aクラス」は冬休みに入ります。けれども、行き先(大学・大学院)が、まだ決まっていない人は、12月25日まで、学校へ来なければなりません。

 また、「Bクラス」は12月25日まで授業は続きますし、「Cクラス」から「Bクラス」へ上がる人達も、それに加えての補講が待っています。「Cクラス」の非漢字圏の学生と漢字圏の中学生さんは「Dクラス」に混じって、『初級Ⅱ』の30課から、復習です。

 勉強は続きますが、明日は天気予報によると「晴れ」とのこと。明日は存分に楽しく過ごし、鋭気を養って、来週からの勉強に備えましょう。

 遅刻する人がいないといいのですが…。

日々是好日
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人生は、選択するのも「自分」、築くのも「自分」、新たに継ぎ足すのも「自分」。

2008-12-11 08:27:38 | 日本語の授業
 今朝、公園のそばを走らせていた時のことです。つい先日まで、どこにいてもわかる程、華やかな名乗りを上げていた「イチョウ」の樹が見あたらないのです。よくよくみると、ほとんどの葉を落とし、黒く立ち尽くしているではありませんか。やっと黄金期がきたと思われていたのに、「サクラ花」と同じように、もうその盛りは終わっていたのですね。栄枯盛衰、凋落の速さに今更ながら驚かされてしまいます。

 長寿のものでは何千年もの間、その地に佇むことになる木々は、春夏秋冬の「天の巡り」に従い、芽を出し、葉を出し、花を咲かせ、花を散らせ、葉を落としを繰り返しながら、生きていきます。黙々と「定め通り」に、己が生を全うしていくのです。人においても、おそらくはそうなのでしょう。槿花一日の栄えなど、何事かあらんです。そのようなものを追い求め、そのようなものに喰い殺されるなど、全くもって烏滸の沙汰…なのでしょう…か。人が人たるゆえんなのか、そうも言い切れぬところが、生身の人たる我々の、またこれも「定め」なのでしょう。

 とはいえ、その人生を歩まねばならぬのが、人として生まれた我々なのですから、その定めは定めとして、自分自身の人生を歩んでいかねばなりません。

「運命の女神は、己に従う者を導き、抗う者を引きずっていく」でしたかしらん。怖ろしい言葉が西洋にはありましたっけ。

 日本には、「生きかはり 死にかはりして 打つ田かな」という村上鬼城の句がありました。これを初めて目にした時、どうして「生きかはり」が先で「死にかはり」が後なのかが、判りませんでした。若い頃は『万葉集』の「挽歌」にばかり、心が奪われていましたから、「死」の文字の方に目が移ってしまったのでしょう。

 けれど、すっかり忘れていたこの句を、最近また、目にすることがありました。すると、「生きかはり」が、頭に来るのが当然に思え、もう「死にかはり」の文字の魅力は薄れていたのです。

 年齢によるのかもしれませんが、「生きかはり」が先に来て、句全体を「勁く」覆うことにより、「時」の永遠性や「無名」の人々の「すばらしい愚直さ」が生きてくるように思われました。「田を打つ男」の後ろには、かつて「田を打ったであろう」無数の人々の影があり、その前には、これからも続くであろう人の影までも暗示しているように感じられたのです。

 そこには、表面的には書かれていませんが、「宗教的な荘厳さ」まで、読む人に感じさせる力があるような気がします。若い時には「生きかはり」と「死にかはり」が同じ分量のような気がしていたのでけれど、違っていたのですね。意味の重い方を前にもっていき、軽いものを後にする。しかも、意味の上では同じ。ただ、訴える力は違う。まるで斜めにした三角形のよう。繰り返しながら、尻すぼまりに行くはずの最後のところに、「かな」という詠嘆の言葉でもって、強く引き締め、余韻を持たせ、永続性を与え…ているのでしょうか。

 さあ、それはさておき、「中級」クラスでは、「日本語能力試験」の興奮も冷め、そろそろ来年の6月に向けて歩み出さねばなりません。これも「定め」の第一歩。運命の女神の敷いてくれたレールは思いの外、広くて可塑性のあるものなのかもしれません。選択するのも自分、築くのも自分、また新たに継ぎ足すのも自分なのですから。

 まずは、「文系」か「理系」か。それが決まったら、理系の者は「生物」「化学」「物理」の中から、二科目を選んでおかなければなりません。選んだら、今度はまた元に戻ります。しばらくの間は、日本語に専念すること。「生物」が出来なくても、「物理」が出来なくても、「化学」ができなくても、「総合問題」が出来なくても、(日本では)外国人は行ける大学はありますが、「日本語」ができなかったら、入れる大学はないのです。

日々是好日
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