穏やかな日が続いています。朝空も、「朱」、「黄」、「青」、「紺」というふうに順を追って明けていきます。今年も、余すところ、あと数時間となってしまいました。
きれいな「夜明け」を見ているうちに、ふと、幻想的な山の景色を思い出しました。あれは、いつのころでしたか、よく「奥多摩」の方に行っていた頃のことです。行き当たりばったりに電車を降り、良さそうな山をめざして歩いていたのですが、あろう事か、運悪く、「ゴルフ場」の近くに迷い込んでしまいました。
「ゴルフ場」というのは、己の望まぬ木を切り倒し、いわゆる「雑草」を刈り、虫を殺したりしなければ、経営していけぬものです。「しまった」と口にする間もなく、連れの一人が、「とんでもない」と怒り始めました。何でも学生の頃、「ゴルフ場建設反対運動」をしていたのだそうです。
私たちも折角、美しいものに触れるためにやってきたのですから、こんなものは見たくありません。すぐに、道を変えて歩き始めました。
それから、どれほど歩いたでしょうか。いつの間にか山に入り、どんどん上へ上へと登っていました。12月の終わりか、もしかしたら、1月になっていたのかもしれません。空気はあくまで冷たく、清々しく、あまりに気持ちがいいものですから、みんなで深呼吸をしてみました。すると、どんどん空気が体の中に入ってくるのです。不思議ですね。こんなに深く空気を吸ったことがこれまでにあったでしょうか。空気を吸っていることを意識できるなんて、まことに得難い体験でした。
周りを見渡すと、木々も葉の先端に氷の滴を抱えていました。それが風が渡ると同時に、一斉にきらめきながら降って来るのです。小さな氷が雨のように降るというのを、この時、初めて見ました。青空と、山の緑と、そして全山を覆う氷の煌めき。
自然は時折、すばらしい贈り物をしてくれます。
それからも、上へ登っていきますと、山肌からしみ出した岩清水が、せせらぎを作っている処がありました。よく見ると、そのせせらぎに絡め取られた草に氷が付着していたのです。ある所では、せせらぎのかなりの部分を氷が占めていました。そして、その下に、秋のもみぢ葉が透けて見えたのです。色鮮やかなまま。
山が美しいのは、秋や春だけではありません。人が絶えがちになる冬も、春夏秋に劣らず美しいのです。
日本は先進国の中でも、随一と言っていいほど、木々が豊かな国だと言われてきました。しかし、今、本当にそうなのでしょうか。山に登れば、荒れた姿が嫌でも目に入ってきます。山の木々も根付く大地を失い、土砂は川に流れ込み、押し出されて海を汚しています。その山の危機を、一番に感じたのが、(本来なら遠い存在であったであろうに)海の男や女達でした。海神の人々は、「海の森を守るために」山の木々を育て始めました。海で魚を捕りながら、山でも木を植えはじめたのです。もう、数十年も前のことです。
「自分たちの生活を守るためには、何をしなければならないか」、「海を元の状態に戻すためには、自分たちに何が出来るか」を、専門家を交えながら話し合い、そして、しなければいけないと思ったことをし始めたのです。
ところが、昨今の不況は、個人が出来ることの限界を、わたし達に見せつけています。個人が、他者のために尽くせる限度を超えています。けれど、彼らが始めたこの運動は、今では、もう無意味なものになったのでしょうか。いえ、いえ、無意味どころか、今でも、日本全国の人々の心に、形を変えて灯っています。
まず何より、「海彦」と「山彦」が一つになったということがすばらしかったのです。これまで「遠い存在だ」と互いに思っていた、けれど、本当は川で結ばれていた「親戚だった」ということに気づいたのです。
「地球が一つになった」と言われるようになってから、もう随分経ちました。「グローバル化」に反対して、「ローカル化」や「スローライフ」も叫ばれましたが、それとても、(日本で言われるようになってから)10年か20年は経っているでしょう。
けれど、本当は、「山」と「海」をつなぐ「川の存在」があるように、「グローバル化」も「ローカル化」も、そんな区別なんて、ないのかもしれません。
大地を流れる川を、海の側から見てみれば、巨大な樹のように見えるではありませんか。「生命の樹」の姿としか考えられないではありませんか。
「額に汗して働く人が食えない」という世の中はおかしい。「簡単に儲けられる」という仕事も胡散臭い。「働いて、並の生活ができない」というのは、間違っています。「働かずに簡単に儲けられる」なんてことは、あるはずがありません。たぶん、そういう社会は、壊されなければならないのでしょう。ただ、人は、なかなか動けないのです。特に問題が大きすぎて、自分たちの手に余ってしまうと感じたとき、どうしていいのかわからなくなってしまうのです。
その時は、まず、自分の仕事をすることです。足が宙に浮いてしまうのが一番いけない。やることがなければ別ですが、しなければならないことがあるなら、まず、それをすることです。それから、なにか、いいと思えることをします。
「匹夫にも、天下国家の責はある」と言った古人もいました。けれど、普通の人の「責」はその人が出来る範囲の「責」なのです。それぞれが身の程に応じた「責」を果たせばいいのです。大きいことばかり考えていたら、「足が地に着いていない」、ただの愚か者になってしまいます。
この一年は、いろいろに形容されています。どれも来れも禍々しい文字で表されています。こんなのは嫌だけれども、どうしていいのかわからないという人も大勢います。ただ、どのようなことがあっても、忘れてはならないのは、「人は一人では生きていけない」ということです。そして、「一人で生きているつもりでも、だれかに助けられている」ということです。互いに結びついているのです。
この学校にも、志を得ないで帰国するという人がいました。これから道を切り開こうと大学や大学院をめざしている人もいます。この一人一人が、他者と繋がっているということを自覚しながら、これからも生きていけたらいいと思います。
日々是好日
きれいな「夜明け」を見ているうちに、ふと、幻想的な山の景色を思い出しました。あれは、いつのころでしたか、よく「奥多摩」の方に行っていた頃のことです。行き当たりばったりに電車を降り、良さそうな山をめざして歩いていたのですが、あろう事か、運悪く、「ゴルフ場」の近くに迷い込んでしまいました。
「ゴルフ場」というのは、己の望まぬ木を切り倒し、いわゆる「雑草」を刈り、虫を殺したりしなければ、経営していけぬものです。「しまった」と口にする間もなく、連れの一人が、「とんでもない」と怒り始めました。何でも学生の頃、「ゴルフ場建設反対運動」をしていたのだそうです。
私たちも折角、美しいものに触れるためにやってきたのですから、こんなものは見たくありません。すぐに、道を変えて歩き始めました。
それから、どれほど歩いたでしょうか。いつの間にか山に入り、どんどん上へ上へと登っていました。12月の終わりか、もしかしたら、1月になっていたのかもしれません。空気はあくまで冷たく、清々しく、あまりに気持ちがいいものですから、みんなで深呼吸をしてみました。すると、どんどん空気が体の中に入ってくるのです。不思議ですね。こんなに深く空気を吸ったことがこれまでにあったでしょうか。空気を吸っていることを意識できるなんて、まことに得難い体験でした。
周りを見渡すと、木々も葉の先端に氷の滴を抱えていました。それが風が渡ると同時に、一斉にきらめきながら降って来るのです。小さな氷が雨のように降るというのを、この時、初めて見ました。青空と、山の緑と、そして全山を覆う氷の煌めき。
自然は時折、すばらしい贈り物をしてくれます。
それからも、上へ登っていきますと、山肌からしみ出した岩清水が、せせらぎを作っている処がありました。よく見ると、そのせせらぎに絡め取られた草に氷が付着していたのです。ある所では、せせらぎのかなりの部分を氷が占めていました。そして、その下に、秋のもみぢ葉が透けて見えたのです。色鮮やかなまま。
山が美しいのは、秋や春だけではありません。人が絶えがちになる冬も、春夏秋に劣らず美しいのです。
日本は先進国の中でも、随一と言っていいほど、木々が豊かな国だと言われてきました。しかし、今、本当にそうなのでしょうか。山に登れば、荒れた姿が嫌でも目に入ってきます。山の木々も根付く大地を失い、土砂は川に流れ込み、押し出されて海を汚しています。その山の危機を、一番に感じたのが、(本来なら遠い存在であったであろうに)海の男や女達でした。海神の人々は、「海の森を守るために」山の木々を育て始めました。海で魚を捕りながら、山でも木を植えはじめたのです。もう、数十年も前のことです。
「自分たちの生活を守るためには、何をしなければならないか」、「海を元の状態に戻すためには、自分たちに何が出来るか」を、専門家を交えながら話し合い、そして、しなければいけないと思ったことをし始めたのです。
ところが、昨今の不況は、個人が出来ることの限界を、わたし達に見せつけています。個人が、他者のために尽くせる限度を超えています。けれど、彼らが始めたこの運動は、今では、もう無意味なものになったのでしょうか。いえ、いえ、無意味どころか、今でも、日本全国の人々の心に、形を変えて灯っています。
まず何より、「海彦」と「山彦」が一つになったということがすばらしかったのです。これまで「遠い存在だ」と互いに思っていた、けれど、本当は川で結ばれていた「親戚だった」ということに気づいたのです。
「地球が一つになった」と言われるようになってから、もう随分経ちました。「グローバル化」に反対して、「ローカル化」や「スローライフ」も叫ばれましたが、それとても、(日本で言われるようになってから)10年か20年は経っているでしょう。
けれど、本当は、「山」と「海」をつなぐ「川の存在」があるように、「グローバル化」も「ローカル化」も、そんな区別なんて、ないのかもしれません。
大地を流れる川を、海の側から見てみれば、巨大な樹のように見えるではありませんか。「生命の樹」の姿としか考えられないではありませんか。
「額に汗して働く人が食えない」という世の中はおかしい。「簡単に儲けられる」という仕事も胡散臭い。「働いて、並の生活ができない」というのは、間違っています。「働かずに簡単に儲けられる」なんてことは、あるはずがありません。たぶん、そういう社会は、壊されなければならないのでしょう。ただ、人は、なかなか動けないのです。特に問題が大きすぎて、自分たちの手に余ってしまうと感じたとき、どうしていいのかわからなくなってしまうのです。
その時は、まず、自分の仕事をすることです。足が宙に浮いてしまうのが一番いけない。やることがなければ別ですが、しなければならないことがあるなら、まず、それをすることです。それから、なにか、いいと思えることをします。
「匹夫にも、天下国家の責はある」と言った古人もいました。けれど、普通の人の「責」はその人が出来る範囲の「責」なのです。それぞれが身の程に応じた「責」を果たせばいいのです。大きいことばかり考えていたら、「足が地に着いていない」、ただの愚か者になってしまいます。
この一年は、いろいろに形容されています。どれも来れも禍々しい文字で表されています。こんなのは嫌だけれども、どうしていいのかわからないという人も大勢います。ただ、どのようなことがあっても、忘れてはならないのは、「人は一人では生きていけない」ということです。そして、「一人で生きているつもりでも、だれかに助けられている」ということです。互いに結びついているのです。
この学校にも、志を得ないで帰国するという人がいました。これから道を切り開こうと大学や大学院をめざしている人もいます。この一人一人が、他者と繋がっているということを自覚しながら、これからも生きていけたらいいと思います。
日々是好日