日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

今日から「Eクラス」も冬休みに入ります。そして学校は今日が「大掃除」。明日から、一月八日までお休みです。

2023-12-27 08:44:33 | 日本語学校
晴れ。

昨日、帰りにきれいな「月」が、ちょうど交差点の赤信号と同じ高さに、同じような大きさで浮かんでいました。見ていると、隣にやってきた自転車に乗った男の子が、母親に「まん丸だね」。すると、同じく自転車に乗った母親が、「まん丸かな。少し違うような気がするなあ」。同じように待っていた皆も、多分、「まん丸だ」とか、「いや、まだまん丸じゃないな」とか思いながら月を見つめたことでしょう。皆が同じように月を見つめ、丸いだの、丸くないだの思っている…の図。平和な日常です。

地震が起こったり、津波に襲われたりして、そのまま仮設住宅に住むことにでもなれば、最初に思い出すであろう「日常」。多分、こんなたわいもないことが「日常」なのでしょう。今の日本人は「戦争が起こったら」なんて、考えてもいない。あくまで「日常」を奪うものは、天変地異でしかないのです。

しかしながら、考えてみれば、今流行りの地政学的に考えてみれば、日本列島なんて危険極まりないところに位置している。日本人から言えば、「地震、津波、火山の噴火、何でも来いのこの地を欲しがる人なんているの」くらいのものなのですが、人間の欲なんてきりがありませんし、思い込みなんてのもある。それが怖い。

平和なお月様を見て、いろいろなことを考えてしまいました。

で、今朝です。

位置は東と西が入れ替わったくらいもので、昨日と同じような「まん丸なお月様」が、昨日と同じような高さで浮かんでいました。しかしながら、見ていた人は私くらい。朝は、皆、せわしないのでしょうね。足早に通り過ぎていきます。師走だし、今日が仕事納めという人もいるのでしょうね。

あれやこれや考えながら学校に着くと、それでもう、少し汗ばんでいました。私のようにタラタラ歩いていても、歩けば、ホカホカになってきます。ドアを開け、「ジャコバ」さん、おはようと見やると、真っ白かった花が、うっすらとピンクがかっていました。水飴を練りに練るとこんな感じになる…。きれいやなあ、本当に。

さて、学校です。

一クラスだけ、授業が続いていた「Eクラス」。テスト明けともなると、さすがに疲れてきた。しかも、「…自分たちだけ」ですものね。「元気がないですね」にも気弱に返事をするくらい。先週の金曜日に『みんなの日本語(1)』終了のレベルチェックテストをして、それでとどめを刺されたか…。聞くところによると、テスト終了後、「来週から休み?」と聞かれたそうな。「いえ、26日まで勉強」。月曜日は本当にぐったりしていた。

とはいえ、授業は昨日が最後でした。前半の授業時に「休み中の注意」と「漢字など復習のやりかた」などを話した後、「よいお年を」と「明けましておめでとうございます」を入れると、その時だけは元気になった。…ちょっと違う(日常で使える)日本語を、言いたかったのね。

ただ、このクラスには、応用があまり利かない人が、まだ二人いるのです。真面目で、頑張っているけれども、「本に載っている」部分が限界…これ以上は…やめてくれと目が物語っている人が二人ほど。ということで、下手に変えてしまうと、途端に、「何?それ?知らない。判らない。ついて行けない」と、目が泳いでしまう。…普通は、『みんなの日本語(Ⅰ)』の間は、かなりいても、『(Ⅱ)』に入る頃には、一クラスに一人くらいのものなのですが。頑張っているのが判るだけにそれだけは避けたい…ということで、どちらかと言えば、緊張感のない授業になってしまいがち。

もちろん、私の方でも、そういうのに飽きて、復習の時は時々大きく変えてやらせてしまうこともあるのですが。この「飽きて」。教師が「飽きている」時は、学生達の方でも「飽きている」。その逆もまた成り立つ。私の方が、面白くないな、どうにかしたいなと思っているときには、学生達の方でも変化を求めていたりする。相乗作用でしょうね。教室の中では、様々なことが起こりうる。わあっとなれば、時間は短く感じられるし、つまらないなと思えば、時間は長く長く感じられてしまう。

とはいえ、絶望的な顔つきになってしまう人が出てしまうと、それはそれでまずいので、まずは大人しく授業を進めています、今のところ。けれども、『みんなの日本語(Ⅱ)』ともなりますと、応用が利きそうな人が、一人、二人と増えて来て、だんだん復習時に応用が増えるようになってきました。このクラスには二人、『(Ⅰ)』を何回かした方が良さそうな人もいるし、頑張っているけれども、どうも「日本語」とは無縁そうな人も一人いる。

その人達を除けば、どうにかなるかなとも思えます。授業は楽しい方がいいし、多少、間違えていても、羽目を外しても、人間はコンピューターじゃありませんから、その方がどんどん幅が広がって、面白くなる。面白くなると、次に誰が何を言い出すか、そしてどう発展していくか判らなくなる…とはいえ、一日の授業は前半と後半で二人の教員が担当しますから、あまり勝手なことはできません。まずは基本を押さえながら、勝手な応用は「中級」に入ってからのこととなります。ただ、一人だけ、目新しいことをやらないとすぐに飽きてしまう学生がいるのです。簡単なことはイヤ。かといって地道に漢字を覚えられるかというとそれはできない。ですから、「飴と鞭:の使い分けが多少面倒。もっとも、彼一人の授業ではありませんから、まずは自覚を促していくのが先ということになります。「頑張っていくと、こういうおいしいことがあるよ」みたいな。

子供っぽいなと彼を見ながら、同じようなことをやっている自分も子供っぽいと思ってしまいます。まあ、人間誰でもそうでしょうから…いいか。

日々是好日
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「スーパーにあった、あれは何?」…「鏡餅のことでした。不可解な物体だったのでしょうね」

2023-12-26 09:00:22 | 日本語学校
晴れ。

朝、まず、お湯を沸かそうと、台所へ行けば、「ジャコバサボテン」が、また賑やなことになっていました。ヒイ、フウ、ミイ…と数えていけば、20は超えていましたね。窓側、つまり裏側にも花は咲いているでしょうし…。そのうえ、プックリと膨らんだつぼみがあっちにもこっちにも…。

日が当たれば、ここだけは白いお花畑。まあ、きれいですね。

今年の予想は暖冬とのことでしたが、これも温暖化のせいでしょうか。このあたりの今日の気温は、朝は5度くらいで、昼は13度くらいになるとか。もとより、朝は冷える。ただ乾燥しているので、底冷えというのは、それほどは感じられません。そこが救いかも。

さて、「クリスマス」も過ぎ、あとは「大掃除」に「年越し」に、「正月」にと、まあ、いろいろなことが控えています。「大掃除」だって、「そば」だっていつだっていいようなものの、これも習慣でしょうねえ。

今、ここで勉強している人達の、「(お国)正月」期間というのも、違っているので、「年越し」とか「お正月」とか言っても、「それがなんじゃい」とアッケラカンとしたものです。それぞれの宗教に則った「正月」があるのでしょう。日本人だったら、すぐ(現地の)それに同調して、「さあ、祭り、祭りだ」と浮かれ騒ぐところでしょうが、宗教心のある人達は、いくらその地の祭りだと言っても、流されたりはしないようなのです。

ただ、そういう人達でも、日本にいる時間が長いと、多少気になるところも出てくるようで、昨年でしたか、「スーパーにあった、あれは、一体何なんだ」と訊かれたことがありました。手で、「こんなの」とかたどって訊かれたのですが、絵を描いてもらって、やっとわかりました。なんと「鏡餅」。

この学校に来て、やっと訊く気になれたのでしょう。それまでは、気にはなっていても、近い(同国人か同一宗教の)人達に訊けなかった。叱られるかもしれないと思っていたのかな。もし、(気になるものが)自分の宗教とは無縁の、別の宗教的なものであったらどうしようと思っていたのかもしれません。その点、私たちは「無害」ですから、すぐに「ああ、あれはね」ですもの。

私たち日本人の習慣も、宗教に堅く結びついているものと言うより、むしろ「文化」であり、「慣習」である(もちろん、昔は宗教に根ざしてはいるのでしょうが)ということが判ったから訊けたのでしょう。

一度訊くと、あれもわからない、これもわからないと、いろいろなことが出てきます。

ただ、残念なことに、そういうことが訊けるくらいの日本語力がついた頃に卒業ですから、全部、中途半端な形になってしまいます。

もっとも、これからは友達に訊けばいいし、進学先にも先生がいますから、その方達に訊けばいい。それにアルバイト先にも日本人がいるでしょうから、その人達にも聞けばいい。もしかしたら、その人達の答えが皆違っているかもしれませんが。その生まれ育った土地によって、過ごし方も違うということがわかれば、それに越したことはありません。それもまた、日本理解の助けとなるでしょうから。

「神様は一柱のみ。日本人はおかしい。だから日本人は信じられない」そう言われても、「へえ、そんなもんか」とヘラヘラと笑ってやり過ごせる我々の考え方の欠けらでも見えるかもしれません。

とはいえ、「お正月」です。その前に「除夜の鐘」。そして「元旦」。「お節」、「雑煮」を食べ、「初詣」に行き、「書き初め」をする。七日に「七草がゆ」を食べて、11日は「鏡開き」で、15日に「どんど焼き」をする…。まあ、やろうと思えば、かなり忙しいですね。

その土地に古くから住んでいる人が多ければ多いほど、勢い、風習も残り、守られてもいるでしょう。ただ日本でも失われるものが少なくはないのが実情。だから、宗教と関係のない学校で、それを保存していこうとするのです。

日本の小中高の公立学校というのは、宗教とは関係のないものなので、あまり気にせずに、皆と同じように楽しんでもらえるといいのですが…。

日々是好日
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同じように「雪」といえど、「粉雪」「淡雪」…そして「ドカ雪」。

2023-12-25 08:15:26 | 日本語学校

晴れ

「冬至」が無事に過ぎてしまうと、どうもこれからは日が長くなり、春が近づいてくるぞみたいな気持ちになってしまうから不思議です。本当は、本格的な寒さは、これからでしょうに。

暖かい日が続いていて、時たまぐっと冷え込むというこのあたりとは違い、ぐっと冷え込んだときの北海道や東北地方、また日本海側の大雪は、テレビ画面を通しても、すごかった。降っている雪の、形が判るほどに大きく、しかも重そうで、それが、簾のように連なって落ちていたのです。すごい。同じ「雪」とは言いながら、南国の軽やかに舞いながら落ちてくるものとは、全く違います。その上、南国は地面が暖かいので、落ちてもすぐに溶けてしまいます。かすかでも、2,3日、形をとどめられたのは、木の上などに落ちたものくらい。雪が珍しいので、猫が、ジャンプして雪を捉えようとしていたくらいでしたから。

雪と言えば、数年前、もしかしたら10年ほども前だったのかもしれませんが。授業中、せわしなく窓の外を見ていたミャンマーの学生が(今日は雪が降るかもよなどと言ってしまった私が悪かった)、不意に「雪!」と叫んだことがありました。こうなってしまうと、もう授業にはなりませんから、「はい、10分休憩。雪を写したい人はどうぞ」。言うなり、一斉にどやどやと外へ。寒いのになあ…。

みんな、大喜びででていったのはよかったのですが、なにせ、見えるか見えないかくらいの、本格的な(?)粉雪でしたから、さあ、どうかしらん。案の定、教室に戻ってきた学生が、見せてくれはしたものの、雪の「ゆ」の字の欠けらさえない。「ええ!雪なのに…」。ふるさとに送って喜んでもらおうと思っていたらしい彼女らには本当に気の毒でした。写っていない…のあのがっかりした表情は、雪の話が出る度に思い出されてきます。もっとも、大学に行ったり、専門学校に行ったりした学生達、ほとんどが日本に残っているでしょうから、もう、雪国に行ったこともあるでしょう。中にはベトナムの学生達のように、決まった就職先が、豪雪地帯で、長い冬を雪と格闘せねばならなくなった人もいるでしょう。

今の気持ちはどうかしらん。

日々是好日
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「冬至」。晴れてきましたけれども、本当に底冷えのする寒さの朝です。

2023-12-22 07:47:21 | 日本語学校
曇り。

今朝は空気が澄んでいて、「一番星、見つけた」と、非常に気持ちがよかった。

今日は「冬至」。

明日から、だんだん日が長くなるぞと、暖かさを求める理由は、今朝も…寒いから。「冬至」とは、冬ど真ん中のこと。つまり、一年で一番寒いはず…。今年は、昨日、一昨日と最低気温が一桁台。雪も降っていなければ、お日様が隠れるでもない「ここ」でも、寒い。今年は暑さ寒さが急勾配で、やってきたり落ちていったりでしたから、冬だからこんなもんと言いながらも、まだ慣れていないような気がする。だからでしょうね、寒さをヒシヒシと感じてしまう…。

そこに「ジャコバサボテン」の「ジャコバ」さんが、きれいな花を見せてくれた。その上、どんどん葉先(もしかしたら、あれは茎?)の蕾が膨らんでくれていますから、頑張ろうという気にもなる。…年末年始は学校はお休み。満開の時に、誰もいないことになる…かも。そうなったら、ごめんね、「ジャコバ」さん。

さて、学校です。

今、「A・Bクラス」と「Cクラス」「Dクラス」が冬休みに入ってから、授業のない午前中(9時から12時頃まで)、11月の中旬に入ってきた学生の補講と、二年生の面接乃至受験手続きとを同じ教室でしているのですが、今日は真面目な男子学生の番(大学受験グループのうち、残っているのは二人だけです。休み中、アルバイトがあるので、一人は月曜日、もう一人は火木金としています)。

女子学生の方は勘もよく、こちらの質問に対する答えも、的を得ていて、特に、問題はないのですが、問題は男子学生の方。質問をちょっと変えただけで、途方に暮れてしまうのです。「同じ事でしょ、さっきと同じ事を言えばいい」と言っても、なかなかそれができない。「ああ、そうですか」と言うのの繰り返し。それを面倒と思ってはいけない。こういうのも学習ですから。

こういう人には、質問の方向を少しずつ変えていくつかやり、慣らしていくしかない…のです。もっとも、やりながら、「ホントにボンボンやな」。

もし、私が騙す気でいたら、すぐに引っかかるだろう。それでいいのか…と、少々意地悪な気にもなってくる。そう言うと、「大丈夫です。この学校の先生は、みんな優しいです」とニコニコしながら言う。本当か。顔を見ると、あながち、私が目の前にいるからでもなさそう。

なぜか、そばにいて、他のことをしている、日本語学習歴一ヶ月の学生の方が、わかって、クスリと笑っている。そうだよな。おかしいよな。そんなことが何回もある。けれど、彼、それが全然気にならないらしい。まあ、いいのですけれども。彼に時間を取られている分、彼女の補講時間が短くなるだけのものですから。もっとも、彼女。与えたカードを覚えたり、単語や文法を見たりしているから、気にはならないらしい。

この二年生を見ながら、つい、自分の事を考えてしまいました。年を取ると、住み慣れた家から出たくないと思うのは、その家で、年と共に、失敗が増え、それを繰り返しながら、その都度、「修正」して来たからではないか。一回転んで、一つ賢くなるようなもので、その住処が変わると、また一から学び直さねばならない…。それが面倒であり、イヤでもある。

こういう、愚かしいほど簡単なことでも、自分で経験しなければ、本当に判ったとはならなかった…みたいですね。判ったつもりであっただけのこと。頭では「それ、常識」と思っていたのですけれども、「判り」が違う。

何十年生きていても、今日という日は初めてであるから、「『知っている』は無い」は、本当のこと。今朝も、一つ失敗をして、一つ賢くなって来ています。

日々是好日
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やっと冬らしくなってきました。急に冬になったみたいで、寒さは倍にも感じられます。

2023-12-21 08:36:09 | 日本語学校
曇り。

「ジャコバサボテン」の花が、日ごとに増えていきます。葉の先っぽに咲くのですが、今日はこちらの方、昨日は向こうだったと、まあ、数えるのも、楽しみですね。

さて、学校です。

学生の勉強はどうかと尋ねられたとき、答えにちょっと躊躇うことがあります。相手が、学校のことをあまり知らない人である場合、説明しても、こちらの意図するところがうまく伝わらないのではないかと考えてしまうのです。

「大丈夫ですよ」と言っても、クラスのレベルや傾向が違っていれば、同じ一言であっても、全く意味が違ってくる。

「このクラスなら(いつもは大したことはないので)、ここまでいっていれば御の字だ」の「大丈夫」と、「このクラスは、いつも、ほとんどできている。今回は『ほとんど』じゃない」ので、「大丈夫じゃない」とは、意味するところがかなり違う。訊いた相手を考えて言葉を選べる場合と、前のクラスの授業を引きずっていて、思わず口から出る場合ともまた違ってくるでしょうし。

いつもは漢字の本を見ているだけ、書いて練習しようなんて考えていないだろうと思われていた人が、「書いていた」…。「すごい。書いて練習している!」となりますよね。で、戻ってきて、「○○さんは頑張っていた」と言おうものなら、みんな、いつも頑張っているのかと思ってしまうかもしれない。本当はそうではなく、その時だけ…。であっても、教師としては、見ているだけだった学生が、少しでも「書こうとした、書いた」で、すごいと言ってしまうのです。

学年のみならず(この学校では一年に四期、募集しているので)、期毎に学生の性質も傾向も「やる気」の有無も違ってくる。これは日本の普通の学校もそうでしょう。今年の生徒はレベルが高いとか、今年は難物が揃っているなとか、そういったものです。

留学生の場合、ほとんどの学生の目的は進学です。ただ大卒者が多い場合は、卒業後、就職を考えている者もいる。そうなると「『N2』は取っておかねば(漢字圏は『N1』です」となるのが普通なのですが、それが日本に知人親戚がいて、卒業後が保証されているとなると、それほど勉強しなくてもいいかとなったりもする。

結局、クラスの雰囲気を決めるのは、「やる気」の有無。どうして「やらねばならないか」が判っていなければ、「やる気」なんて出ようがない。言葉は悪いけれども、そういう「餌」というか、目的が必要になってくるのです。

「『N2』まで頑張れたら、こういうことができる」とか、「漢字が読めたり、書けたりすると、日本人が自分を見る目が変わる」とか、あるいは、「日本語が上手になったら、自分の勉強したいこと、やりたいことがもっとよくできるようになる」とか。

もっと身近なことでは、アルバイトの面接に行ったとき、日本語が上手だったので、すぐに合格したとか。そういう日々の積み重ねが、日本にいる限りは、やる気を生んでいくのでしょう。

ヒアリングは時間が解決してくれますから、日々真面目に学校に来て勉強していれば、いずれは上手になれます。時間が解決してくれないのが、「漢字」なのです。こればっかりは練習しなければ身につきません。母国で勉強してきたのと同じやり方で、暗記に頼っていれば、すぐに落ちていきます。他の人が「N2」の漢字テストに入っているのに、一人だけ「N5」の漢字テストを繰り返していたり、その時だけよかったらいいからと、カンニング(これも母国での習慣でしょうね。しない人は、できなくてもしませんもの)に走ったり。

ただ、今の「Eクラス」に一人だけ、本当に一生懸命書いて練習しているようなのですが、でも、覚えられないという人がいるのです。他の人が一回で合格しているのに、彼女は三回目でやっとギリギリで合格したりする。まあ、漢字なんてのも、書いて、書いて、書いているうちに、なんとなく、手が覚えてくれるものですから、地道に頑張るしかないのですが。

さて、来週の火曜日まで、「Eクラス」の授業が続きます。やっと少しずつ芽生えてきたかに見える「やる気」、冬休みの間に萎んでしまわなければいいのですが。

日々是好日
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「重ね着」は「常識」?

2023-12-20 08:16:44 | 日本語学校

曇り。

風は無し。風がないと歩いていても気持ちがいい…寒いですけれども。今朝も6度くらいかな、昼も15度には行かなそうですけれども。

昨日、面接の練習に来たフィリピンの男子学生。寒い、寒いを連呼していました。二年目の冬でも…慣れないか、まだ。…慣れません」ときっぱり。「夕方、アルバイトから帰る時が一番寒い…」。そうですね。自転車ですものね。風を切って…そこまで行かずとも、風は起こります。それに、暖かい教室から、重装備で帰っていくときが、これまた、寒い。で、「さようなら。寒い、寒い」と言いながら帰って行きました。

初めての冬を過ごす学生の中には、寒さにやられてというよりも、寒さの中を、どういう過ごし方をしていいのかわからずに、体調を崩してしまう人が出ています。さすがに、もう、靴下無しの人はいないようですが。

それで、玄関チェックの時に、よしよしと見ていると、そうは問屋が卸さない。先だって、寒い日があった時のこと。学校に来てコートを脱ぐと、現れ出でたのは、半袖のTシャツ。で、ニコニコしてこちらを見ている。なかなか「重ね着」をするというふうにはならないのです。寒い日には重ね着をするという、我らの「常識」が、彼らの「常識」にはないのです。

もっとも、今年は私たちにも、半袖から、突然に、コートになったような感があり、あまり文句を言えたようなものではないのですが。まあ、例年ですと、夏の暑さから、ジワジワと涼しさが進み、いつの間にか、それが、寒さと入れ替わって、そして、それにコートが加わり、オーバーかダウンへと変化する。そのコートの前に、重ね着なるものが存在するので、そのままコートを羽織るとなるのでしょう。

もっとも、ほとんどの学生は、いわば、「常夏」の国からの人。「冬」という概念も、国によって違っているようで、随分前の学生でしたが、「日本には四季があります。冬があります」と言ったところ、スリランカの学生が、「私の国にも四季があります。冬があります」。「うう~ん。何度ですか、冬の気温は」。訊くと、彼女、はたと困った…。「さあ…」

多分、彼女曰くの「冬」と「夏」の気温の差というのも,3、4度くらいのものなのでしょう。肌寒ければ、それが冬。もっとも、どこであれ、高原地帯はそれほど暑くはないでしょうが。

さて、学校です。

「Eクラス」は、随分まとまってきました。もちろん、どのクラスにも、勉強とは無縁であるという人はわずかながら入っているのですが、その人達を除けばです。

言い間違えたら、睨まれるというのがわかっているので、間違えたときに、ちらっとこちらを窺う…睨んでいないかな。そして目が合うと、「しまった」。毎回、繰り返していると、もう遊びみたいなもの。間違えた、睨まれる。目が合った。…で、次の行動は十人十色。

ある者は、「ごめんなさい」と言う…これも、最初は「ソーリ」だったのです。「母国語ならわかるけれども、そうではない。日本語を学んでいるのだから、日本語で言え」と言うと、最初の頃は、それが口癖だったからでしょう、口をついて出てしまうのが、例の「ソーリ」。それが、言い直させていくうちに、口ごもりながらも「ごめんなさい」が出始めた。…別に「ごめんなさい」なんて、言わなくてもいいのですけれども。多分、英語で言いなれていたからそうなったのでしょう。まあ練習です。そのうちに、言いよどむことなく出るようになって、いまではすぐに…というか、条件反射さながらに「ごめんなさい」が出るようになった。

また、ある者は、目が合うなり「はい」と言う。何が「はい」なのかわからない。でも、「はい」なのです。この二人は男子。

女子は違いますね。目が合うと、もじもじして、「困ったちゃん顔になる。あるいは、「ああ」と言いながら、眉を寄せる。こちらが、男子ほどには睨まないのを知っているのです。

一般に、間違えて楽しんでいるのが男子。で、間違えて、「う~ん。しまった」顔となるのが女子。まあ、どちらも、こちらから見れば楽しいのですけれども。

一昨日は、字を書くのが苦手で、隙あらば、逃げようとしている男子が、漢字の練習をしていたので、「わっ、わっ、わっ。字を書いている。どうした、どうした」と大仰に驚いてみせた。すると、はっとこちらを見て、ばつの悪そうな顔をする。「大変だ、大変だ。雪が降る。台風が来る。大変だ、大変だ」。みんな、彼が「書く練習をしない」のを知っているので、まあ、笑いましたね。もっとも、数人キョトンとしていて、他の人に理由を聞いていましたけれども。

こういう外国人間の共通語、ここでは日本語ですが、日本人の日本語よりも、彼らの言葉兼動作、仕草の方がずっとわかりやすいらしく、まだ日本語力が『みんなの日本語(1)』に尾っぽを生やしたくらいであっても、互いにわかり合えるのです。下手にこちらが要らざる説明をせぬ方がずっといい。

で、そう言いながら、私は教室を「ずらかった」のですが。彼、ばつの悪そうな顔をしながらも、練習していた成果はあったようで、後半の漢字テストでは、ギリギリで合格できていました。前回は、机の下に置いてあった「カンニングペーパー」を見て書いていたので、取り上げたのですが。

とはいえ、漢字テストもまだ四回目。『みんなの日本語(Ⅱ)』が終了するまでには、「N4漢字」を終えておかねばと思っているのですが、ただテストは週一ですからね。来週から「N4」に入るというのに、テストの方は追いついていません。それでも、負けん気の強い人は、頑張れるようで、そう、頑張っているうちに、いつの間にか、読め、書けるようになっていますよ。

日々是好日

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「ビール」の絵カードを見ても、それが「ビール」と、ピンと来ない。そうか、酒類は遠い存在なんだ。

2023-12-19 08:15:50 | 日本語学校
曇り。

寒くなりました。冬ですね。「冬至」を目前にして何を言っているのかと言われるでしょうが、寒い。冬です。

今朝は風が無い…あっても、感じられるほどではありません…からか、まあ、歩く分には楽といえば楽。とはいえ、寒い。公園の近くの園芸店の「白菊」が、今朝は寒げに見えたほどです。この「白菊」、見る度に「あるほどの菊投げ入れよ」という歌が心をよぎってしまうので、少々辛い。どうも気高く香り高い「菊」が死に直結しているようでいけません。

さて、学校です。

昨日、絵カードで単語の確認をしたところ、「ビール」の写真を見せても、それがビールとすんなりと出てこない…。そうか、ビールとは(彼女にとって)遠い世界のものなんだと今更に感じられて、ちょっと困った。

そういえば、イスラム社会の女性というのは、これまで、留学生の中にはいませんでしたね、この学校に於いては(…20年くらい経っているので、もしかしたらいたかもしれませんが)。家族と一緒で来たか、夫に連れられてやってきていたという人達ばかりでした。故に、日本語どころか、日本に関する知識はゼロに等しく、文字だって、彼らの社会では一つ一つ覚える必要など無かったでしょうから、漢字に入ると途端に、ガーンとなってしまっていた。けれども、生活に必要だから、『みんなの日本語1』か、『Ⅱ』くらいは学びたい…。

それが、最近は、この学校で日本語を学び、それから、「高校」や「大学」を目指したいという人が、ぼちぼち出てくるようになった。以前は、タイやフィリピン、ペルーくらいでしたが。

これも、世界のグローバル化や流動化が進み、それが、こんな東京近郊の町にも押し寄せてきた…ということなのでしょう。

東西線で、最寄り駅から日本橋まで20分というアクセスの良さ、都心とは違う物価の安さ、それに治安の良さ。それから、外国人が多い(イスラムの服装やら、インドのサリーなどを着ていても、特に目立たない)ことなども、ある意味、住みやすさが彼らを惹きつけているのかもしれません。

さすがに、「ブルカ」や「ニカブ」などを着ている人はそう多くはありませんが、それでも普通にスーパーで買い物しているし、「ヘジャブ」をかぶっていても、何の違和感もありません。フランスで何で問題になるのかがわからない…ような、宗教的には「何でも来い」のお国柄だからなのでしょう。「これは『宗教的』もの」などと声高に言われない限りは、ただのファッションでしかないのです。だからいいのです。「私は○○の信者だから」などと言わなくても、見ればわかる。そのまま、ごく自然に、この社会で生活していればいいことなのです。言われると、もしかしたら、反対に、途端に目立つようなことになってしまうかもしれません。それは避けた方がいい。彼らにしても暮らしやすいからいるだけのことで、伝道が目的ではないでしょうから。

他の地から来ている人々の、例えばインドのサリーもパキスタンの衣装も、男女を問わず、普通に着て、街を歩いていますから、それを聞かれても「それが何か?」と、この地に住んでいる日本人も答えるでしょう。ごく普通の光景なのですから。

却って、外国人の方が、駅から出たとき、「外国人が多い!」とびっくりしているようです。

こういう服装も、宗教や民族性などとは、いつの間にか無縁になり、いわば、ファッションの一部でしかなくなっています。かっこよくて、着安ければ、老若男女を問わず、誰でも、同じように来るでしょう、「こいつはいい」と。もっとも、さすがに暑かったり、寒かったりすれば、遠慮してしまうようですが。

ただ、日本人が身にまとっていても、宗教とは全く関係が無いので、彼らに逆対に誤解されると困るくらいのもの。浴衣だって日本の夏に合うから着ているし、甚兵衛さんだってそう。

こういうふうに、自然に、いろいろな服装が街に溶け込み、それが彩りとなっているのはいいですね。そして外部から来た人達も、それを楽しんでもらいたいと思います。違いを引き出して、声高に主張するのではなく、それぞれが毎日の、自分たちの、自分なりの生活を営んでいく、それができたら、いいですね。もっとも、共通語は日本語ですから、それをお忘れ無く。

日々是好日
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発音の問題。同じ国でも、同じ地方から来ていても、大変な人とそうでもない人とがいる…。

2023-12-18 08:19:02 | 日本語学校
曇り。

「晴れる」とのことですが、今のところ、曇りです。

「ジャコバサボテン」の花が咲きました。先々週、蕾に気づき、今年もそんな頃になったのだなと、この鉢を持ってきてくれた卒業生を思い出しなどしていたのですが、今朝来てみると、もう数輪の花を咲かせていました。土日はかなり暖かかったので、さあっとばかりに、一気に花開いたのでしょう。

本当に土日は暖かかった。土曜日の夜など、久しぶりに「蚊」のブ~ン、ブ~ンに起こされたくらいでしたもの。一体どこに潜んでいたのでしょうね。幾度か寒い日もありましたのに。

日本は、日本海側と太平洋側でお天気が大きく違ってきます。その上、関東地方は西の山にも守られ、雨雲がここまでやって来ないことだってある。おまけに、この地は東京湾沿いで、晴れて暖かい日が続くことも少なくない。ただ、「(日本では)雪が見られるはず」と期待してやってくる留学生達にとっては、「当てが外れた…感が拭えないみたいですね。

先日、いつでしたか、ここでも寒かった日が、2,3日続いたことがありました。その時、東北地方の雪の様子を見せたのですが、その画面の前には、いかにも羨ましそうな顔の面々が…並んでいましたね。で、「雪は、確かにきれいだけれども、そこで暮らす人にとっては、魔物のような存在で、暮らしは大変なんだ」と、チラッと言ったのですが、皆の視線は、「雪、ゆき、ユキ」とそちらの方に引き寄せられており、あまりこっちの話は耳に入っていきませんでした。

その時、一人が、「(雪を)見たことがある」。すると、皆、ハッとして、我に返り、一斉に彼の方を見た。…すごい、見たことがあるんだ…。「何年前か、北海道に行った時に見た」。…そうか、北海道へ行かなければ見られないのか…。残念そうな顔をしていましたね、他の学生達は。

「いえ、いえ。そんなことはない。この地でも降ったことがあるし、電車でちょっと行ったところでは毎年のように雪が降っている…。」と言っても、どうも(雪を)身近には感じてもらえなかったようですが。

今朝は、少々寒く、歩いていると、風は確かに冬の風だった。私としては、学校の玄関を開けたときが勝負(冬)だと思っているのですが、ところが、ドアを開けた時、なぜかムワッとした空気が…。そうか、土日暖かかったからそれがまだ残っているのかと、少々、気が緩んでしまいました。

さて、「一月生」のことです。

年齢的にも、外国語を始めるのは少々難しいかなと思われていたのですが、それよりも何よりも、発音の問題で、どうも、担当教員は苦しんでいるらしい。タイの学生で、発音が少々「大変だ」と、それはもう、本当に「大変に」なります。ただ、「わかりましたか。はい、わかりました。いいえ、わかりません」を言わせてみたときには、それほどの問題とは感じられなかったのですが、多分「ラ行」「ナ行」がかなり「大変な」のでしょう。

10年以上前に、中学校に行くからといって来たタイ人女子生徒を、夏休みの間だけ、教えたことがありました。真面目な明るい子でしたが、発音が「大変」どころではないほど「大変」で、「ありがとう」も「さようなら」も「おはようございます」も、何を言っているのかわからない。学校に来た時に言ってくれる「こんにちは」が「こんにちは」に聞こえない。言っているのがあの言葉であるということがわかっていても、う~んと唸ってしまう。

本人が一番「大変」だったでしょう。彼女の負けん気と頑張りがなければ、まず、難しかったでしょうね、新学期に間に合わせることは。彼女の必死さに支えられてこちらも頑張れたようなもの。高校を受験するときも、中学校の授業が終わってから毎日ここへ来て、勉強していました。合格したときは大喜びで、制服姿を見せに来てくれたのですが、あれくらい、勝ち気で負けん気の強い人でなければ、ちょっと難しかったかもしれません。

発音のことで、中学校で多少いじめに遭っても、「ここまで頑張って来たんだ。文句あるか」くらいの気迫で相手に向かっていけば、それに刃向かえるような中学生なんてそんじょそこらにいるはずもなく、それどころか、他の外国人女子生徒を庇って男の子と戦ったという武辺話を言いに来たこともありました。

外国にいる場合、(問題が生じたときのことですが)自分が悪いからかな…と、相手に要らざる配慮をしてしまうと、却って面倒な結果が生じることがあります。譲るべきでないときには譲らない方がいい。譲ると、途端に相手を見くびって、図に乗る相手だっているのですから。

彼女は頑張れたけれども、さて、この一月生はどうかしらん。正規の授業は来年の一月から始まりますから、それまでに多少なりとも、身につけておくことが必要になるのですが。

日々是好日

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「冬休み中」の授業。これは受験のための「面接練習」とか、「願書書き」とは別です。「初級」の学生は不満も言わず、素直に来ています。先輩連だったら、不満タラタラというところだったでしょうね。

2023-12-14 08:22:38 | 日本語学校
曇り。

起きた時はいつも暗い。それでカーテンを開けるのが遅くなってしまいます。で、自然と、日の出時刻が気になってきます。

学校のヒョロリンコ「サザンカ」。その花数、20余り。よくぞここまで咲いてくれた。これもスタッフが、手入れに励み、あれやこれやの肥料を、専門家に聞きながら加えてくれたおかげ。

朝は、赤い花が、「午前の学生達」を出迎え、暗くなってからは、イルミネーションが「午後の学生達」を見送る。そういう毎年の「光景」が、今年も始まっています。ただ、「サザンカ」の花は、今が真っ盛り…で、これからは、少しずつ寂しくなる…のでしょうね。

今年は、秋を感じる「いとま」がありませんでした。秋の草花が慌ただしく咲き、去って行った…と見ていると、いつの間にか「キク」の花が傲然と立っていた…。もう「キク」の花は「重陽の節句」とは関係なく、「冬の期」の花のような感じがしています。

朝の気温も、いつの間にか一桁になっていましたし。今朝の気温は7度くらいで、最高気温は14度くらいだとか。日較差も10度を超えなければ、まあまあというところでしょう。「日の出」も6時42分だとか。どんどん遅くなっています。今年は「冬至」が、12月22日だそうですから、そこまであとちょっとで、それからはだんだん「日が出」が早くなる…とはいえ、少しずつですものね。なんと言いましても、冬は冬。夏のようにはいきません。

さて、学校です。

午前は、「一月生」中心の授業が11時から、そして、午後は、「十月生」中心の授業が、休み前と同じく、1時15分から始まります。他のクラスは「冬休み」に入りました。

「一月生」中心と言いましても、中にいる「一月生」は、一人だけ。彼は早めに来られたので、正規の授業が始まる前に、少し勉強させておくことになったのです。日本の勉強の仕方に慣れる必要もあるでしょうし。大卒者は日本語「ゼロ」で来ている場合が多く、それではなかなか他の留学生達と一緒にはやっていけません。最初はかなり辛いはず。しかも、「一月生」も、他の「同期」の学生同様、来年の三月には卒業しなくてはなりませんから、少しでも早く、多く、勉強しておく必要があるのです。

彼と一緒に勉強している学生には、11月の中旬に勉強したいと入ってきたスーダンからの在日生が一人と、それから、もう一度勉強した方がいいと見なされた「十月生」が三名。で、合わせて五人が11時から12時半まで、「基礎編」の授業を受けています。時々笑い声が聞こえて来ますから、それなりに判って楽しいのでしょう。

「十月生」三名は、午後も他の「十月生」と共に授業を受けることになっています。このクラスにも、一つ上のレベルのクラスから、勉強について行けなくなっている学生が五名と、高校の受験生一人が入っています。クラスの雰囲気というものがありますから、慣れるまでちょっと大変かもしれません。来た人は女子が多いので、どうもこちらに集中するというよりも、ワサワサと自分たちの中で動いているような感じがしましたから、ちょっと厳しくやっていく必要があるような気がします。

もっとも、一名は休み明けには元のクラスに戻るでしょうから、どこまでクラス経営を考えてやってみた方がいいのかなという感じです。まずはやんわりとやってみて、それから後はその結果次第というところでしょうか。こういう、いわば、成績で問題が少々あると見なされる人に多い欠点というのは、自分ができているつもりでいるということなのです。

動詞の活用が正確にはできない、文が正確には繰り返せないなど、いろいろ不十分なところがあっても、一度やったことがあれば、「やった感」が抜けきれず、初めて勉強する人達を「できないんだああ」とばかりに見てしまう。翌日には、その人達の方が言えて、彼らは前日と同じような間違いをしているというのに。それに気づかない。

もちろん、「十月生」にも、いろいろな問題があります。そのうちの三名は「一月生」と一緒にもう一度やっていますが、その人達以外にも少々問題がある人がいます。「非漢字圏」の人に時々見受けられるのですが、「聞けば判る。けれども書けない」という人の中で、後ろの「書けない」を「そのままにしてしまう(改められない)」人のことです。

「初級」レベルであれば、『教科書』には振り仮名がつけられていますから、読めないことはない、「ひらがな」は、皆、できていますから。しかも、「聞く」のは得意と来ている。それゆえ、活用の練習でも、カードの単語を言う場合でも、皆に先んじて言いたがる傾向にあるのです。「自分はこんな簡単なことをやらせられている。退屈だ」と言わんばかりに、バアッと早口で言ってしまうのです。

実際には言えるだけで、ディクテーションをしてみますと、「っ」が抜けていたり、「う」がなかったりしていますから、正確さには欠けているのがすぐ判るのですが、だからといって気になっているかというと、そんなことはないのです。どうも、「正確さ」をあまり必須条件とは見ていないらしいのです。

彼らの国から来ている人には、まま見られる傾向なので、個人の問題と言うより、彼らの国での教育の為せる「傾向」と見た方がいいのでしょう。これを判らせるのに、一苦労も二苦労もせねばならないのですが、それが、「徒労」になることも少なくありません。三ヶ月は「徒労」でもやりますが、後は「折に触れ」くらいにしています。他にも気をつけなくてはならない人もいますし、言われることに慣れてしまって、相手の心に届かなくなってしまうのです。

変われる人は、だいたいその間に変われます。ということで、三名のうち、一人は、既に変われたように思えるのですが、もう一人は、悪くすると、多分二年間変われないという人達の仲間になるかもしれません。

日々是好日
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昨日、「Eクラス(10月生)」を除けば、皆、うれしそうに帰って行きました。今日から「冬休み」ですものね。

2023-12-13 08:39:07 | 日本語学校
晴れ。

今朝はくっきりとした青空が広がっています。お日様が出ているからでしょうね。昨日も暖かかったのですが、今日はそれに陽の暖かさが加わって、より一層暖かさが感じられます。しかも風がない…。

寒さの中でスックと立つ「菊」の花…と、ならないところが今年の初冬…なのかな。「キク」の花も「ぼやけそう」と、愚痴をこぼしてるかもしれません。満開の姿を見せているのが、「サザンカ」の樹。そういえば、「灯油売りの音楽」をあまり聞いていない…。聞こえて来たときには、「アレッ?」というふうに場違いにも感じられたのですが。

確かに、何回か、日本海側や東北地方で大雪の日はあったけれども、こちらまでそれほどの寒さはやってこなかった…。朝晩も、まだ二桁ですものね、「なるほど、寒くなった。」なんて感想を言っても、まだ二桁。夜に一桁にはなっていない…ような。なった日もあったのかな…あまり記憶にはありません。

さて、半袖にコートを羽織っている学生がチラホラいる教室です。「10月生」のクラスを除けば、皆、今日から冬休みに入りました。

二週間ほども前から、判っているくせに、冬休みの掲示を指さして、「休みですね。…ほほほほほ」という顔をしていた学生。近づくにつれて、「残念です」と言いながら、にやけた笑いが止まらない。

その点、「10月生」は諦めがいい。最初、二種類の「冬休み」の掲示を見て、戸惑っていたようですが、「今年の四月に来た人達と同じように卒業する。同じように大学や専門学校を受験する」…まあ、こんな硬い表現ではなかったのですが、そういうことを言うと、ピタリと「冬休み」に関する話題は封鎖されました。一人が何か言えば、すぐにそれで騒ぎたがるような学生も、何人かいたのですが、それも収まっていますね。(「上級」のクラスで、「10月生のクラスでは、私はいつもこんな顔をしています」と目をつり上げて見せますと、みんな大笑いです。とはいえ、少しでも手を緩めると、途端に砂になってしまうでしょう、それほど資質的にも、勉強に対する考え方にも差のあるクラスです)

このクラスも、今日から『みんなの日本語(Ⅱ)』に入ります。中に一人いる、中国人学生は、皆とは違って、今年中に「N3」の漢字を終わらせておかねば、次に入れません。

特別、勘のいい中国人学生なら別ですが、普通の中国人学生にとっては、「初級」がとても大切なのです。この「初級」期間に、「口を動かす」習慣をつけさせ、「とにかく何でも言ってしまえ」という気持ちを培っておかねば、次の、駆け足でやってしまわねばならない「N3」期間は、それこそだんまりで固まってしまうだけ。読むだけになってしまうのです、その方が楽ですから。それで、「文法は完璧に覚えているのに、口から日本語が出てこない」ことになってしまう人も少なくないのです。特に、あまり日本人と「話さない・聞かない」ようなアルバイトですと。

で、「初級」だけは、皆(非漢字圏、来日時には日本語は白紙状態)と同じで、三日で二課程度のスピードでやり、「中級(N3)」は、彼だけは走らせ、「上級」は、もちろん学生の資質と勉強できる時間が確保できるかどうかにもよりますが、それまでの学習状況などを鑑み、進めていきます。

資質がいくらあっても、自分で勉強できる時間がそれほどとれないとなりますと、無理に進めていっても何にもなりません。まずは毎日学校に来て、集中して勉強することが先ですから。

このクラス、「非漢字圏」の人達も、一ヶ月ほど経った頃には、既に、かなりはっきりとした差が出ていました。それが二ヶ月半ともなりますと、『みんなの日本語(Ⅱ)』はちょっと無理かなという人が、三人ほど見られます。もちろん、在日生は除いてですが。この人達は本人の希望を無視することはできませんから。留学生達とは違い、友達がほしいからとか、うちにいても気ぶっせいだからという人も含まれていますし、仕事の合間に、できるだけ日本語を「経験」しておきたいという人もいるのです。

ただ、留学生達はそうはいきません。「日本語を学ぶ」こと自体が目的で来日しているのです。同じような速さで学べなければ、もう一度やるしかありません。そうすれば、一度は勉強しているところですから、それなりに判るところも増えてくるでしょうし。その方が本人のためになるのです。で、この三人は、おそらく「一月生クラス」が始まれば、そちらに行くことになるでしょう。もっとも、当然のことながら、本人に聞いてからのこと。なかなかこちらの思い通りにはならないということもあるのです。

日々是好日
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「Eクラス」は、12月27日から、他のクラスは今週の水曜日から「冬休み」となります。

2023-12-11 08:53:17 | 日本語学校
曇り。

今日は一日中、曇りで、陽が差さなそうな…夜には雨が降るかもしれないとのことだし。陽が差さないと、時間はゆっくりと過ぎていき、自動車の音も聞こえなくなる…ような。

土日と20度近い日が続き、学校の「サザンカ」もびっくりしているだろうと思って来たのですが、豈図らんや、あの「暖かさ」にも負けず、満開になっていました。花数も10は越えていますね。華やかです。あたりが暗いと一層華やさが増して見えます。

午前の学生たち。イルミネーションが見られず、かわいそうな気がしていたのですが、「サザンカ」が頑張って咲いてくれたので、ちょっとは明るくなれるかしらん。

さて、今週の水曜日から、「Eクラス(10月生)」を除き、皆、冬休みに入ります。

「Eクラス」は、まだ不平が言えるほどの日本語力はないので、「みんなは26日まで勉強です」に、「そんなもん」という顔をしているだけですが、これが、「A・Bクラス」やら「Cクラス」ともなりますと、ブーブーとブタの子の集まりとなる。で、こちらの方も、負けじと大ブタとなって、ブーブーと言い返す。そんな楽しい言い合いができるようになるのはいつのことでしょうか。

「Eクラス」は、26日まで勉強です。それに「Dクラス(七月生)」の六人が加わります。

日々是好日
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「当て」が外れている人もいそうです。留学生活なんて、楽しいばかりのはずがないのに。

2023-12-08 08:43:48 | 日本語学校

晴れ。

昨日は、陽が高くなり、気温が上がると共に、学校の幟など千切れんばかりの突風が吹き荒れ、三階で授業をしていたのですが、皆、心配そうに外の様子を窺っていました。それも、いつの間にか止み、あれは何だったの…。浮かんだのは、あの「トトロ」の名場面。…猫バスが通り過ぎていたのなら、うれしいんですけれどもね。でも、それにしてはちょっと長すぎたか、風の吹いていた時間が。

クリスマスが近いと言うことで、学校でもイルミネーションをすることに。で、昨日、スタッフが、午後の男子学生二人と共に飾り付けをしてくれたのですが、風が強い中での作業。なかなか大変だったようです。そしてそれを教室の中から見るだけだった女子学生が一人。一緒にやりたくてムズムズしていたようですが、彼女が出ると、早速指図をし始め、皆が命令通りに動かなければならなくなりそう…で、中から口惜しげに眺めさせるだけに…。

帰りに電気がついてから眺めると、皆、ちょっとは心が和むかな。学校にも勉強にも慣れてきて、それなりに、思っていたことと違うとがっかりしている学生もいるようですから。

留学経験者でも、成功した人というか、そういう人が「国」で、年下の者に話すことの中には、「苦労話」や「失敗談」はそれほど多くないようで、結局は「自慢話」で終わってしまうのでしょう。本当は「どんなに苦労したか」、「どんなに大変だったか」などを話してもらった方がいいのですけれども。本当に他国に留学するつもりなら、「おいしい」ことばかりのはずがない。それをわかった上で、来てほしいのです。留学ですから、まずは言語の習得に苦労します。

「聞いて、覚えて」が、これまで(母国で)の学校の勉強のうち、大半を占めていれば、日本へ来ても、それで終わりになってしまいがちなのです。しかも、「漢字」には、「書いて、読んで」という作業が必要になるのですが、それをかなりきつく感じるらしく、三、四回書いて(練習して)、もうイヤとなる人も少なくないのです。根気よく練習できれば、その時は覚えられなくとも、毎日漢字を見ているわけですから、いつの間にか自然と「書ける・読める」漢字は増えていくものなのですが、「もうイヤ」となれば、「ひらがな」レベルで終わってしまう。それに、そう言う人は「カタカナ」もだめのようで、日本語を学ぶと言いながら、文字は「ひらがな」だけとなってしまう。

「面倒だ」が、頭に居座ってしまえば、もう「宿題を書くのも面倒」、「漢字テストに備えるのも面倒」、「テストも面倒」、「勉強の何もかもが面倒」になってしまう。下手に母国でいい成績を取っていると、日本での評価の違いに、「そんなはずはない。どうして日本人は認めないんだ。自分はこれほどの者だぞ」と言いたくもなる。まあ、それは人情でしょうが。しかしながら、「漢字」が書けなければ、いくらペラペラ話せても、職場ではそれほどの評価は得られないでしょう。「書類」にしても「漢字」がゼロではあり得ませんから。「はたらきます」ではなく「勤務」というように、大人の社会では「熟語」を使うことも多いのです。

当てが外れて、やる気を失っている人もいるでしょうね。面白いことばかり、あるいは、東京の街を闊歩している自分の姿ばかり思い描いていたのかもしれません。自分なら、他の連中とは違ってそれができると。まあ、できるかもしれませんが、日本に住んでいる大半の日本人は、ごくごく地道に、生業に励んでいます。たまに羽目を外してしまう若者もいるでしょうが、それはどこの国でも同じこと。大方は地味に生活をしています。楽しいだけの人生なんてありません。どこでもそうでしょう。

それがわからなければ、日本での留学生活は辛いものになるでしょうね。頑張って勉強していれば、言葉の能力も上がり、それにつれて、できる仕事も増えていく。機転が利いて気働きのできる人であれば、時給も上がっていくことでしょう。せっかく素質があるのに、言葉の面で転んでしまえば、自分の持っている才を生かすこともできなくなってしまう。

いつ判ってくれるだろう、いつ悟ってくれると思うのですが、だいたい三ヶ月が過ぎれば、諄く言うのはやめにします。諄く言いすぎれば、聞き飽きて(こちらは言い飽きて)効き目もなくなるでしょうし。お互いにそんなことに力は使いたくないでしょう。こればかりは本人が気がつかないと、どうにもしようがないのです。

どこの国の人だって、「楽しい」や「面白い」だけの中で暮らしているわけではないのですから。

他の世界へ行けば、どうにかなるだろうと思っていても、努力が母国にいるよりも数倍も必要になってくることも少なくない。それが早くわかれば、まだ間に合うのでしょうけれども、いやいや授業に参加し、いやいや漢字を書き、いやいや座っているのであれば、他の人と同じことをしていても、効果は格段に下がります。

いつの間にか、「これもわからないのか。バカだなあ」とばかりに見下していた人に、追い抜かれ、臍を噛むことに。小才が利く人ほど、思い込みで進んでしまうものですから。外国にいる限りは、その国の言語がある程度はできなければ、どうにもならないのです。せっかく言語を学ぶ環境を家族に与えてもらっているのに。「つまらない。もっといろいろなことができる。楽しい暮らしがある」と思っていても、「生活」とはそんなことではないはず。まさか、日本で、日本人は日本語を話しているのに、英語で事足れりと思っていたのではありますまいね。それで事足れりと思っていいのは旅行者だけで、留学生や生活者、就労者ではありません。

日本で大学を出たけれども、授業は英語で受けていたから問題なかった。ただ漢字が書けないから就職できなかった。ここで漢字を勉強したいと来た人がいましたが、その人も話すのは一丁前に話せます。何せ、四年日本にいたのですから、日本人の友達もいたでしょうし、大学で日本語の授業もあったでしょう。でも、テキトーに受けていたのでしょうね。「あっ。漢字。面倒だから」。で、「英語でどうにかなる」だったのでしょうね。結局、彼女の場合はどうにもならなかったので、ここへ来た。

漢字だけなら、友達に習えばいいし、個人授業でやればいい。学校は一斉授業ですから。漢字の導入は「ひらがな」「カタカナ」が終わってからのこと。今の一番下のクラス(10月生)だって、漢字の導入は終わり、既に70文字くらい学んでいます。学校側がやってやれるのは、新しく漢字を入れる事の他には、毎日のディクテーション、週一の漢字テスト、折に触れての復習、宿題に既習の漢字を用いることを勧めるくらいのもの。定着できるか否かは、実際には本人の努力次第です。

今年の四月に来た「Cクラス」でも、一斉に読んでいる時に、既習の漢字がスラスラ読めるかというとそうでもなく、時々詰まってしまっている。それも当然のこと。それで諦めずに、とにかく、漢字を見たら、読む。読み間違いがあっても構わない…まあ、時々睨み付けていますけれども。

そうやって、今の「A・B」だって来ているのですから。「諦めるより、先に慣れろ」です。言葉なんて、慣れたら、「道は開いてきます」。

日日是好日

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「十月生クラス」も、はや二ヶ月あまり。そろそろ本性を現してもいい頃です。

2023-12-07 08:15:02 | 日本語学校
晴れ…。

交差点で空を見上げると、やや左手、東の空に月が…。ふと浮かんだのは「峨眉山月、半輪の秋」。「半輪」というと、半分。半分というと、餃子…。どうもしっくり来ない。もっとも、今朝の月は、半輪どころかもっと抉れている。「鎌」といってもいいほど…。鎌の方が鋭くて、月の光にふさわしい。で、今朝は鎌の月を見ながら歩いてきました。

さて、「Eクラス」です。始まってから二ヶ月あまり、「蜜月期間」も終わり、そろそろ互いに「本性」を出す頃です。

隣の人の宿題や、「漢字テスト」の時には答えを写したりする「習慣」のある人が、二名います。膝の上の暗記用プリントを隠し見る人が、一名います。これも「習慣」なのでしょう。そして一名、それができない人がいます。

「漢字テスト」の漢字など(練習しておかなければ)、チョイ見くらいではスラスラ書けるはずもなく、苦労している…気の毒な。なにせ、こちらを窺い見ながら、隠したものを見るのですから。で、暗記用プリントを中に押し込んでやると、あとは為す術もなく、白紙状態で出すしかなくなってしまう。

初めの頃は、「見てもいいから手を動かした方がいい」くらいだったのです。人によっては、別にそれが習慣というわけではないこともありますから。

しかしながら、一週間か二週間ほども授業をしていると、「この人はこういう勉強の仕方をしてきたな」というのが、それぞれの教員にもわかってきます。もちろん、その対処の仕方は違いますが。ただ基本は、中心は、担任であると言うこと。担任以外が出しゃばって来ると、担任の計画がオジャンになることもありますから。私だって、見ていると口を出したくなることもあります。が、その時は、しばらく黙って見ているか、あるいは担任に言います。もちろん、担任が苦手の分野ではこちらが手を出した方がいいということもありますけれども。

授業に入っていないと、あるいは、入っていても回数が少ないと、学生の様子がわからないこともあるのです。それは毎日のように入っている者の方が、よくわかっているはず。もちろん、見えるかどうかはまた別。10人いれば、10通りの見方がある場合もありますし。ただ対処のし方でしょうね、問題は。頭ごなしにいうのが一番稚拙なやり方。相手の様子を見定める。それから、クラスの共通認識を作る。この二つは注意する上で一番大切。

それはともかく、「Eクラス」では、休みを前にして、「普通」に仕切り直しをすることに。

多分、いくらゆっくりやっても、それほどできないであろうと思われる人には、復習という形でもう一度やらせるしかない。で、今週の金曜日から朝の11時に来させて、一時間ほど勉強します。早めに来た「一月生」が、日本語は「ひらがな」くらいしかできないので、事前に少々勉強するのですが、その機会を利用してするのです。もちろん、これは、他のクラスに入るというわけではありません。午後は従来の「Eクラス」で今まで通り、勉強します。

答えを写していても、しないよりはいいだろうという期間は過ぎています。それに漢字テストは(昨日で)二回目だったのですが、この、わずか二回でも、合格者と不合格者とに分かれて、次のテストで「三回目」のテストに参加できる者と、また「一回目」を受けなければならない者とがいますから、もう隣のものを見るということもできないでしょう。こちらが斜め前に座っていたり、後ろに行ったりすれば、隠しているものも、バッチリ見えますから、隠し持ったものを見るということもできますまい。。

「カンニング」というのも、「習慣」なのです。皆がそうするし、それを許容する文化もある。こういう仕事をしているとそれがよくわかります。「非漢字圏」の大抵の国の学生は、「聞いて覚える」のが勉強のやり方で、「書かなければならない」というのがあまりないようなのです。だから「宿題をノートに書く」、「文字を書いて覚える。それも、10や、20どころの文字じゃない。100覚えても、まだ尽きない」というのが、耐えられない。

日本人や中国人は、「ひらがな」「カタカナ」「漢字」を三種類の文字といい、別々のものと捉えるのですが、彼らにとっては「ひらがな」「カタカナ」「漢字」も一括りの「文字」でしかない。つまり「『文字』が何百あるんじゃい」と悲鳴を上げたくなるほどなのでしょう。

彼らの勉強に関する「習慣」にはないのです、「書く」とか、「書いて覚える」というのが。だから、諄く言っても、じっと「漢字」を見ているだけの時もある。多分、「絵」か「図」を覚えるような感覚なのでしょう。その時、「書け」と言ったり、「日本人は(中国人の学生がいた場合は、中国人のことも言いますが)漢字を書いて覚えてきた。見ただけでは覚えられるものか」と言ったりしても、本当に「右の耳から左の耳へ、左の耳から右の耳へ」、そしてそのまま外へ流れていく…だけ。

やる人は、一度言えばわかりますから、殊更に言う必要もないのです、実際。「ああ、面倒」とやらない人はいくら言ってもやらない。けれども、どこかでやる気になるかもしれないから、手間暇かけても言い続けるしかない…教師の業のようなものです。

ディクテーションの時にも、前日の漢字を入れていますから、次のディクテーションに備えて、練習する人は練習して来るでしょう。ただ、それで定着するかどうかは、不明です。すぐに忘れるものですから。だから宿題にも、習った漢字を使うように言っています。時間があるときには、教科書の既習の漢字に印をつけ、それを書くようにする。時間が、多少かかるでしょうが、それでも、しないよりはまし。

「N3」などに入ると、その日習ったところを写すのを宿題に出したこともありました。もちろん、学校に「定時に来て、座っているだけで終わり」という学生が多いときには別に言いません、ストレスになることもあるからです。ただそういうクラスであっても、言えば、書いてくる学生もいますから、言った方がいい場合もある。あるいは、あるいはさりげなく「書いてきたら、チェックをしますよ」と言うだけの方がいい場合もある。クラスによりますね。

さて、「Eクラス」。「隣の人のを見てもいい」、「答えを見てもいい」というやり方が少しずつ 通らなくなるということで、クラスが締まりますかしらん。イヤ、そう簡単にはいかないでしょう。ただ、「そうしてはいけないという『共通認識』」はできているようなので、少しずつやりやすくなっていくでしょう。国によってはカンニング者を非難すると、反対に、その人に冷たい視線を浴びせかけるような所もありますから。この「共通認識」さえ、きっちりとまとめられていれば、後は進んでいくだけです。

日日是好日
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今は、もう冬に入っていると思うのですけれども…。

2023-12-06 08:21:32 | 日本語学校
小雨 。

今朝は少々風もあり、ちょうど「サクラ」の樹にかかったところで、ハラハラと二、三枚の色づいた葉が落ちてきました。何となく寂しげな風情…秋は深まっていくのか…と思いきや、またこの雨を境に少しずつ気温は上昇し、土日は、暖かくなるそうな。

で、お節介なテレビでは、「年末の大掃除は、ギリギリにせず、今、しましょう。外回りの掃除は今が最後のチャンス」なんて言っている。本当に最後のチャンスになるのかしらん。寒暖が交互にやってきて、「これから静かに冬になります…」みたいな気配とは程遠い。

今年、来た人達は、「ちぐはぐな日本人」を見てなんと思うかしらん。

日本人自身が、戸惑っているのです。心というか、いわば「慣れ」で、冬と思っているけれども、実際には、何が何だかわからないような季節に。「この季節はこうだ」と一言では言えないような気温であり、外の様子なのですから。

十一月と言えば、例年ですと、もう晩秋も晩秋。年によっては、「冬」と言ってもよさげな日もあった。確かに、今年も大雪の日はあった(日本海側や東北地方、北海道では)。ただ、平気で半袖でうろついても少しもおかしくないような日もあった…。

なんだか、私たちも、外国から来た人達と同じように、季節感のない服装で、毎日を過ごしているような…。どうも落ち着きません、「服装」よりも「心」の方が。

今日が寒いのか暑いのかわからない。寒くなるのか、暖かくなるのかわからない。天気予報を見なければわからない。一週間で区切ってみても、寒暖の差が大きすぎるので、体の方も迷ってしまっている…。

で、結果として、天気予報の指示に頼り切ってしまっている。言われるがままに、「そうか、寒いのか。じゃあ、厚着を」、「そうか、暑くなるのか。では、一枚か二枚減らそう」となって、まるで未来社会。指示通りに動いているなんて。

つまり、自分の感覚と現実とが「ちぐはぐ」になっていて、結局どうなるのかわからないので、指示待ちになってしまっている…。なんか嫌ですね。抵抗したくなる。逆をやりたくなる。…けれども、「インフルエンザ」や「コロナ」がまだ終焉の気配を見せていないから、どうも踏ん切れない。

「古来から、日本には、季節毎に『決められた色』というのがあった。『春』ならば、こういう色、『秋』ならば、また別の色というふうに」なんて偉そうに言っていた自分も、暑い秋には、茶系の色を身につけると、どこかしらしっくりこない。暑苦しくなってしまう。色音痴の自分にしてからがそうなのですから、ファッションに敏感な若者達はどうしているのでしょうねえ。

さて、学校です。

昨日は、「寒かった」と思うのですけれども、「Eクラス」に入ってみると、本当に「今は、いつ」と言いたくなるような景色が広がっていました。

エアコンの、風の通り道には、ダウンを放せない…といった格好の男子が座っていたし、比較的ドアに近く、人の出入りでもあれば、寒いのではないかと思われる所には、半袖のTシャツを着た女子が座っている。思わず、あっちには、「暑くないですか」と問いかけたくなるし、そっちには「寒くないですか」なんて訊きたくなる。

まあ、何も問題がなければいいのですけれども。

日々是好日

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まず「日本人の習慣」がわかった上で、どうするか考える。日本人の習慣・考え方がわからぬまま、自分のやり方を押し通せば、軋轢が生じるのは理の当然と言ってもいいこと。面倒ですが。

2023-12-05 07:58:12 | 日本語学校
曇り。

うちを出るのがまだ暗いうちなので、空が晴れているのかどうかはわかりません。ただ来る時に「月を見なかった」で判断するくらいのもの。月がきれいに見られれば、雲の懸かりがなければ、晴れで、雲がかかっていたり、月のそばに雲あれば、曇りというわけ。で、
今朝は月が見られなかったので、曇り。夜が明けるのが遅くとも、これなら非常にわかりやすい。

うちから学校までの道、大した距離ではないのですが、最後の角を曲がったところに、「サクラ」の樹が一本立っている。その樹の下に、花びらや木の葉が溜まっているのを見る度に、思い出す人がいるのです。

ここ数年、その人の姿は見ていません。私の方も歩けなくなり、膝の手術をしたりして、それと気づいても、そのままになっていた…。

その人は、「サクラ」が満開を過ぎ、散り始めると、決まってその片付けをしていました。まるで「葬花式」のように。その人を見かける度に、私もですが、通る人達が声をかけていきます。

「私は田舎育ちだから、何かしていないと落ち着かないのよ」とか「こうして片付けていると落ち着くんですよ」とか言っていたのを思い出します。道行く人も、「御精が出ますね」とか話しかけて行ったり、朝の挨拶をしながら、四方山話をしたりしていました。 随分お年を召していたようでしたから、少し気になりますが、そうやって、知らぬまま年を重ねていくのも、また人生なのでしょう。

さて、学校です。

教員も互いに年数を重ね、皆それなりに慣れてきたようです。それぞれ、得手もあれば不得手もある。日本語教師だけというわけではないのですが、教員というのは、「不得手」がわかる必要が他の職業以上にあると思います。それ(不得手)をわからず、時々、自分には不得手がないものと思い違いをする人が出てきて難儀をする。気がつかないのです。学生相手に教師風を吹かせている間に、自分が見えなくなってしまうのでしょう。そうなると、教師はそのレベルで止まってしまい、それ以上の技術は身につかなくなるのです。

自分が小中高と過ごしてきて、他の誰かよりも少々点が高かった…その時はその「他の誰か」のレベルにもよるのですが、その経験から「自分はできる」と思い込んでいたり、「見える」ものでしか、人を判断できなかったりすると、それはそれで、大ごとになってしまいます。

学生にしても、二十歳を疾うに過ぎていたり、他の仕事をした経験があったりすれば、自分たちよりもずっと上のレベルだなと思われる人も中には出てくる。その人と、全く勉強する気のない(本人はしているつもりでも)人達とを、金太郎飴のように思ってしまえば、向こうは向こうでムカッと来るだろうし、言った方も「どうして自分の言うことをきかないんだ」と、それなりに腹を立てる。だいたい、一度言えばわかる人と、おそらく10回、20回言ってもよくわからない人とがいるのですから(この「わからない」というのも曲者で、向こうの国の習慣で理解できないだけなのです。彼らにしても「どうして文句を言われるのか」なのです。それをわからせる必要があるのですが、まだ『みんなの日本語(Ⅰ)』レベルでは、わからせるための言葉がないのです)。

これは困ったことなのですが、よくあること。だから、初めの頃は、用心シイシイ対しています。だんだんにクラスの他の人達がわかり始めれば、しめたもの。クラス全体の共通認識というものができてきます。もちろん、教師に対する信頼関係もそれに伴って育っていることが前提ですが。これが狂えば、そりゃあ、後始末も大変になる。

学生達の祖国はまちまちで、宗教も、だいたい、キリスト教、イスラム教、仏教とに分かれるけれども、キリスト教やイスラム教にしても宗派が違えば、また考え方も違ってくる。

民族や習慣によって、「はい」一つにしても違ってきます。首を横に振る者もいれば、縦に振る者もいる。腕組みが目上に対する態度である国もあれば、それを不遜と見る国もある。同じドラマや映画の、あるシーンで、笑いだす者もいれば、目に涙を浮かべる者もいる。習慣も考え方も、また、それの表し方も違う

特に時間に対する考え方が違う場合は厄介ですね。「だいたい」とか「テキトー」で、やってきた人達に、きちんと時間を守らせるのは、非常に厄介なこと。そういう人達に、「5分前」とか「10分前」とか言っても、まず、意味がわからない…こと。

「同じ民族、同じ宗教、同じ国」の者であっても、できる人はできるが(当たり前か)、できない人は一年や二年くらいでは、どうにも変われないらしい。おそらく、よほどひどい目に遇わない限りは。彼らにとって、(時間を)守る守らないは、別にたいしたことではないのです。集合時間に遅れて、悠々とやってくれば、日本では顰蹙ものです。しかし、彼らの国では皆がそうなので、なぜ文句を言われるのかが理解できない。筋違いと思うらしい。そう、まだまだ理解できないのです。

学校としては、徐々にそれを改めさせていくしかないのですが、5人いれば、そのうち一人か二人でも、一年の間に変われればモッケモン…くらいに、私は考えている…そうしないと無駄に腹を立てることになる…。

ただ、そうなると、日本での生活は大変ですね。アルバイトでテキトーにやっていれば、そりゃあ、嫌われるか、もう来なくていいと言われるかでしょうし。特別な才能や技術があれば、目を瞑ってもらえるでしょうが、まだ日本語学校で日本語を学んでいるレベルでは、だれもその人の才にも技術にも気がつかない。気がつけないのです。まだ海のものとも山のものとも定まっていない彼らですから。それなりの才があっても、それにふさわしい場所にいないでしょうし、日本語が不自由なので、それを表す術もない。考えてみれば、孤立しています。自分がそんな状況に置かれたらと考えてみれば、わかることです。孤独ですよね、誰もわかってくれる人がいないのですから。

ただ、民族や宗教が違えど、人として同じなのは、皆「幸せ」になりたいということ。周りの者を大切にしたいし、大切にされたい。家族を背負って来日している人もいる。なにせ「幸せ」になるためには、知識や技術が必要なので、それを学ぶために来た。そのためには努力をするでしょう…。全員がと言うわけではなさそうなのですが。

そのことさえわかっていれば、相手がどういう行動をとろうと、こちらの対処の仕方も決まってくる。と、そう思いながら、もしかしたらというか、かなりの割合で、徒労になりそうな努力を続けています。

日々是好日
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