日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「閏日」。「電話した。相手の日本語がわかった!」。

2012-02-29 08:37:30 | 日本語の授業
 小雪が舞っています。朝、外を見ると、どこの家の屋根も真っ白に染まっています。予報通り、雪のあしたです。けれども、ありがたいことに道は濡れているだけ。これなら少し用心すればどうにか歩けることでしょう。先だっての雪の日には、転ばないように気をつけていても、往生しましたもの。今朝は、皆、肩を竦めながらも、足捌きよろしく、サッサッと歩いています。

 雪は、軽そうに舞ってはいますが、それでも風が強いのでしょう、傘にあたって雨音のような音がします。建物に、行く手を阻まれたり、車に追い立てられたりするのでしょうか、右から左から、あるいは角度を変えてと千変万化の舞い方をしています。粉雪ですから、よけいにそう感じられるのかもしれません。

 さて、今日は閏年の閏日、四年に一回の二月二十九日です。「二月は逃げる」と謂われていますが、なにやら一日得をしたような気分です。

 昨日、タウンワークを見ていますと、市川浦安地区の人材派遣会社を見つけました。それで学生にそれを見せ、留学生であるということ、この地区に住んでいるということを言い、登録できるかどうか聞いてみるように言ってみました。

 「初級」がもうすぐ終わり、「中級」に行こうとしている学生たちです。ある程度のこと(日本語)はわかります。工場での仕事は、すでに何名かしており、特別困ったこともないと言います。ただ、彼らにはなかなか一歩が踏み出せないのです。つまり、自分で行動を起こすという一事です。

 皆、友達がお膳立てをしてくれるのを待っている、誰もしてくれなければ、「先生がして」となるのです。

 これまで、この学校では中国人が多かったので、このように「口を開けて待っているだけ」の人たちというのは、あまりいませんでした。いたのかもしれませんが、互いにどうにかできていたのでしょう。

 もちろん、中国人にしても、高校を卒業したばかりの人たちは彼らと同じだったはずです。どうしていいかわからなかったでしょう。けれども、先に来ていた人達が、どんどん、自分で電話がかけられるようになる(なっていなくても、です)と「募集中」の所に電話をかけてみたり、あるいは、自転車で募集中の店を探したりして、生活力を見せてくれていました。

 中には、タウンワークを持ってきたり、ハローワークへ行って仕事捜しを手伝ってもらったりする人もいました。当然のことながら、最初は、タウンワークなどを見てもわかりませんから、聞きに来ます。その説明は私たちがするにしても、それからあとは、つまり、実際の行動は、彼ら自身がしていました。私たちは、ただ「頑張れ。独り立ちするのだ」と声援を送るだけ。それだけで、高校を出たばかりの女の子でも向かっていけたのです。

 ところが、今いる学生たち(実際に仕事をしなくてはならない人)のうち、大半は「待っている」のです。切羽詰まっても、自分からはできないのです。

 多分、彼らの国では経済的にも恵まれており、そういうことをせずともよかったのでしょうが、それは中国人とても同じです。親が丸抱えしてくれ、苦労しなくてもよかったのは同じです。

 やはり世界に飛び出し金を稼ぐという点では、中国人はすごいのですね。最近は、外国の大学へ行っても、「ねえやがいないと何もできない」という中国人の若者の話が、よく笑い話のように出てきますが、少なくとも日本語学校に来るような中国人(直接、中国から日本の大学に入った学生は、アルバイトをせずに皆、親からの送金だけで暮らしていけるそうですから違うのでしょうが)の若者は違います。

 こういう若者は、かつての日本の逞しかった人たちの姿と重なります。

 日本では、「若い頃の苦労は、金を出しても買え」と言われていますが、こういう異国での辛い思いは、人生において、貴重な財産となるはずです。「おんぶに抱っこ」で、どうにかなるなら、外国に出て行く必要なんぞありません。しかも勉強もしたい、そのための金も必要というのですから、普通の根性ではなかなかできることではありません。

 今の学生たちが、この関門を早く越えることができるといいのですが。

 ただ、救いは、昨日二人の学生が、電話したけれども断られたと知らせてくれたとき、いかにも嬉しそうだったことです。

「これは日本語の練習だと思ってやりなさい。いつまでもただ待っているだけではだめ。何もいわないのもだめ。自分で探しに行け。自分で交渉してみろ」。彼らは、それをやってみて、「相手の日本人の言ったことがわかったよ」というのがうれしかったのでしょう。

 こういう積み重ねが、人に度胸をつけ、日本での生活に幅を持たせてくれるのです。今度は、募集中と書いてある店を捜し、そこに行ってみて、頼んでみることですね。そして、「こんなことを言われたけれども、これ、どういう意味?」と聞きに来てくれることを楽しみにしています。

日々是好日
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「薄氷。日本語がゼロに近い状態で日本へ来て、しかもアルバイトがしたい…とは」。

2012-02-28 11:42:03 | 日本語の授業
 また、冬に戻ってしまいました。今朝、鉢の下にうっすらと、それこそ薄氷(うすらい)が張っていたのです。氷だ…。

 さて、またアルバイトの話です。生活が安定していなければ勉強とて、なかなか思うようには、参りません。学生たちも、我慢に我慢を重ねても、やっと三ヶ月か四ヶ月ほどがせいぜいでしょう。それ以上は、どうにか互いに融通し合って凌ぐにしても、先を考えると不安でたまらなくなってしまいます。特に、高校を卒業したばかりで来日している学生たちは、不安な気持ちがそのまま外に現れてきます。

 日本語がある程度の水準に達していれば、在校生や知り合いに紹介されてアルバイトを見つけることもできるでしょうが、「初級1」程度からなかなか上へ進めない学生たちであれば、紹介されても、紹介された方が、困ってしまいます。

 アルバイトがないなら、その間、必死に勉強しておけばよいと考えるのは、おそらく彼らからしてみれば、自分たちのことを判っていない者の弁とかし考えようがないらしいのです。多分、「だから、どうしなければならないか」を考えることができるのも「才能」のうちなのでしょう。

 「(アルバイトが)ない、ない」と地団駄を踏みながら、人に、おめき回っても、なんら結果を生み出せるはずもなく、人はそれをかわいそうと思うよりも先に、なぜ勉強しないのかと、却ってその人を見下してしまうものなのです。私たちにしても、その理を話したくとも、だいたい日本語が通じないのですから、「今は勉強しなさい」としか言いようがないのです。それで恨まれても(こういう人は自分を責めません。人が悪い、社会が悪い、自分にアルバイトをくれないすべての者が悪いということになってしまうのです。だからいつまで経っても、どうにもならないのでしょう)、どうしようもないのです。

 そんなことをしていけば、人の心は離れていきます。アルバイトが必要であるならば、まず、人に頼まず、自分で捜してみることを考えた方がいい。その方が見つかることだってあるのです。自分で捜してみれば、どうしてアルバイトができないかがわかるでしょうし、それゆえに、今、自分が何をしておかねばならないかも分かるでしょう。
 
 時々、どうしてこうまで(精神的に)幼い人、日本に寄越したのだろうと、(彼らの)親が不思議に思えることがあります。手元から離せば、子は勝手に成長するとでも思ったのでしょうか。それとても、ある程度の経済的な余裕があればまだしも、そうではないのですから。子どもの方は、ますます不安に駆られて、それどころではなくなるでしょう。

 仕事が先にあって来日する研修生とは違い、留学生という形で日本へ来て、(しかも日本語はゼロに近い)簡単にアルバイトが見つかるとは考えない方がいいのです。もちろん、同国人同士が融通し合ったり、人材派遣会社への登録を紹介するとか、手段は多々あるようですが、もし不況になった場合、真っ先に削られるのは、やはり日本語ができない学生たちです。

 経済的にそれほど余裕がないのであれば、母国で日本語をある程度勉強してから来るという、当たり前の道を辿ってから来た方がいい。だれそれは、それでうまくやっていたからというのは、来てみればわかることですが、もう、今の日本では通用しないのです(当時でも、通用したとは思えないのですが)。

 とはいえ、日本語ができない学生に限って、そうは思ってくれないようですから、私たちとしても、説明のしようがないのです。

日々是好日
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「コツコツと勉強する者の…強さ」。

2012-02-27 14:04:46 | 日本語の授業
 「ジンチョウゲ(沈丁花)」が、足踏みを続けています。蕾に紅さが目立つようになってから数週間、ずっとそのままの姿…のような気がします。冷たい風に身を竦ませて、縮こまっているような風情なのです。

 今朝もそうです。今朝も寒い。おまけに風まで吹いています。冷たい風です。春は一進一退で、今日は二歩も三歩も退いたような感じさえします。暖かいと背中が伸びて、寒いと縮こまる。きっと「ジンチョウゲ」の蕾もそうなのでしょう。

 さて、先週は、最後の駆け込みと言ったらいいのか、三人、どうにか、大学に合格できたようです。喜びもひとしおでしょうが、さてこれからが大変です。この学校のように、近くに、いつも、だれかがいてくれるというわけではありません。自分一人でやっていかなければならないことばかりです。

 そうは言いましても、三人のうちの二人は同じ大学の同じ学部を受け、合格できています。この二人はこれからも助け合っていくことができるでしょう。

 一人は、人なつっこく、おしゃべりが好きで、どんどん友達を作っていけることでしょうし、もう一人は、少々口が重いものの、コンピュータが好きで、何事によらず、考え考えポツポツと話し始める方。面接や作文書きの練習のときでも、互いに連絡を取り合い、助け合ってきたわけですし、試験の時も時間を待ち合わせ、一緒に行ったのです。

 試験が終わって連絡をくれたときも、二人が「かわりばんこ」に、「こんなことを聞かれた、こんな問題が出た」と楽しそうに教えてくれたのです。 

 とはいえ、こうやって、どうにか自分の考えを話せるようになった頃、みな学校を出て次の世界へと羽ばたいていくのです。どうも、いつも感じることなのですが、この時期に。大学にいいとこ取りされているような、そんな気がしてきます。

 学生たちは、来日したときには、だいたい二十歳前後(大学や短大などを出ている人以外)、大人であり、また子どもでありといった、どっちつかずの顔をしています。

 この時に、どういう人の影響を受けるかで、それからの日本での生活が決まってくると言えます。目的もなく日本へ来た学生のうち、小才のきいたのは、アルバイトの工場などで彼らよりも先に日本に来ていた同国人(日本語がわかりませんから、頼りになるのはどうしても先に来ていた同国人なのです)から、話を聞いたりして、「なんだ、一生懸命勉強しなくても、適当に日本で生活できるじゃないか」となったりしがちなのです。

 結局は、コツコツと毎日の勉強をしていったもののほうが、大学に合格できたり、専門学校へ行くにしても、本人の希望する専門を勉強できたりするのですが、そういう(適当にうまくやろうとしている)学生に限って、コツコツ勉強している者を小馬鹿にしたりするのです。自分はそうまでしなくても、やつらよりも(日本語が)うまいと。

 こういう学生は聞いたり話したりは適当にできます(初級程度では、器用さでなんとかごまかせるところもあるのです)から、それで自分は(まじめに勉強している者達よりも)できると勘違いしてしまうのです。

 ただ、中級、上級へと進んでいくにつれ、大半の者は自分の勘違いに気づくものなのですが、気づいたときにはもう遅いのです。どこからわからなくなっているのかさえ、言えないでしょうし、かといって、いまさらコツコツやるのは…でしょうし。

 おそらく、彼らの国では、適当にパッとやってどうにかなっていたのでしょう。もしかしたら、コツコツした経験なんて全くなかったのかもしれません。「頑張る力」というのは、どうも一朝一夕に養えるものではないようです。

日々是好日
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「アルバイト、派遣の仕事」。

2012-02-24 08:33:40 | 日本語の授業
 今朝は、気温は、まるで春ですね。風はあるものの、新聞を取りに出たときに、上着を必要としませんでした。ただ、この風は、「春一番」といった生暖かさが感じられるものではなく、やはりまだ、二月は二月、二月の風なのです。
 明日は雨が降り、冬にもどってしまうという予報が出ていましたから、まだまだ、春は「遠きにありて思うもの」なのでしょう。

 さて、学校です。
アルバイトの件が、のど元に刺さった骨のようになっています。学生たちがよく利用している人材派遣会社は遠くにあって、私たちが話を聞きに行こうにも一日仕事となってしまいます。おまけに、当然のことながら、この会社が紹介する工場も、かなり遠い…ところにあるのです。
 学生たちの中には、本気で「観光を学びたい」とか、「オートメーションを学びたい」とか思っている者もいて、彼らは遠くに行くのは時間の無駄だし、工場で働くのはお金のためだが、これでは日本語がうまくならないと思っています。

 ただ、いくらそう思っていたとしても、日本語が下手なのですから、どうにもなりません。それで、次の一歩が踏み出せないのです。踏み出そうとしても鼻面で戸がぴしゃりと閉められて、前へ進めないのです。

 結局は、日本語力で決まったしまうのです、彼らができるような仕事は。まだ高校を出たばかりで、何の力もないわけですから。あとはどれだけ頑張れるかも関係してくるのかもしれませんが、大半は「聞く、話す」が、どれだけ「できるか」で決まってしまうのです。
 それが、わかる学生は(わかっているので)黙っているのですが、中には「アルバイトがない」と喚くだけで、それならば身を入れて日本語の勉強に励めばいいのにと言っても、そういう言葉は、まるでシャッターが降りでもしているかのように、入っていかないのです。で、日本語力の問題で、アルバイトは見つからないのです。

 派遣会社のほうでも、仕事が少なければ、まず日本語力のある学生の方に回しますから、当然(日本語力のない学生は)干上がってしまいます。これは誰の責任でもない、自分の責任であると思うのですが、そういう状況に追い込まれている学生に限って、それが見えないようなのです。
 かわいそうに思うのですが、こういう学生ができる仕事というのも、限られてしまいます。外国で己の才覚で道を切り開いていけるような力はないのですから。

日々是好日
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「ナノハナ」。「高校合格」。

2012-02-23 08:53:42 | 日本語の授業
 雨。シトシト雨です。以前ほどの冷たさはありません。春の雨と言ってもいいのかもしれません。

 今朝、鉢植えの「ナノハナ(菜の花)」を見つけました。ここ、千葉県の県花は、その「ナノハナ」だそうで、一面に咲き乱れる「ナノハナ」の黄は、確かに、華やかで美しい。実用的であればあるほど、そこに美を見出そうとした先人達の思いが伝わってきます。衒わない、明るい、ただ前を見つめている。そこに人の思いを重ねれば、それはもう立派な人の生き方を変えさせる力を持った生き物になります。

 「男は潔さである(男の価値は潔いかどうかで決まる)」そのような意味の言葉を言った先人もいました。言葉を換えれば、「潔くない者は、共に事をなすに値しない」ということなのでしょう。
 日本語には「女々しい」という言葉もあります。これを聞いたとき、小学生だったのですが、クラスの中が一度に沸騰したようになってしまいました。小学生の頃は、まだ女子の方が大きいですからね、強いのです。
「これはいったいどういうことだ。何が、女は女々しいの。先生、どうしてこんな意味の言葉に『女』という漢字を当てるの」

 先生は困ったでしょうね、今から思えば。その時の先生がどうやってその場を切り抜けたのか、残念なことに覚えていないのですが、本当に困ったでしょうね。子ども相手に、まさか、まじめに歴史的文化的な話をするわけにも行かないでしょうし、かといって、切り捨てるわけにもいかないでしょうし。

 けれども、考えてみれば、「潔くない」にせよ、「女々しい」にせよ、どこかしら、未熟さ、青臭さがつきまとっています。腹を括れないのは、無智だからという側面もあるのでしょう。もちろん、これは百戦錬磨の武将にしても、「女々しくなり、潔くなくなる」時はあるでしょうから、この「言葉」の意味は、「これぞという時に」ということなのでしょうが。
 その反対に「潔くない」「女々しい」に「年期を経た古狸」を想像することもできるでしょう。下手に世故に長けているが故に「潔くできない」「女々しくなる」のです。

 さて、この一年間、中学校の授業が終わってから、ずっと(この学校に)通ってきていた女の子が無事に高校に入学できました。試験のすぐ前の日まで、「どうしょう。合格できなかったら、どうしよう」とウロウロしていたのに、昨日はすっきりとした顔で、報告にやってきて、「合格だったよ。先生、見に行った。よかったね」と胸を張って、ニコニコ、ニコニコ。

 中学校の授業が終わってから、服を着替えて、勉強道具を背負って、自転車を飛ばしてやって来ていたのですから、よくぞ一年続いたものです。彼女の場合、勉強が終わると、時にはお母さんの店へ行って店番をしなければならなかったり、そのまま家に帰っても晩ご飯作りの当番だったりで、日本の子ども達のように、おんぶに抱っこで勉強できるというわけではなかったのです。

 この学校での勉強を始めた頃は、わがままもよく出ていました。ここへ来るなり、「眠いです」だったり、「勉強したくないです」、「わからないです」だったり、(私もこの言葉が移ってちょっと困ったのですが)「嫌だです」だったりと、目に見えない形でどこかしら(自分の現在の境遇に対する)抵抗を続けていました。

 そうでなくとも、だいたい三十分くらいで集中力が切れてしまい、そうなると、「もう、嫌だです」の連続です。「はい、勉強だよ。これを書きなさい」と言っても、「嫌だです」とお餅のように膨れてしまうこともありましたっけ。

 けれども、どうにか一年間続けることができたのですから、なかなか見上げた根性です。いつの間にかわがままも言わなくなり、勉強するようになったのですから。

 とはいえ、合格するなり、「タイへ帰りたい。でも私は帰れない。いやだ」と以前の口調が戻っていました。

日々是好日
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「お湯が出ない…寝ぼけてた…」。「入試の面接が終わって…」。

2012-02-22 14:03:37 | 日本語の授業
が窓に反射して、こちらの目を灼くほどに強くなっています。

 一昨日「Dクラス」の学生が、寮のお湯が出ないと言ってきました(5時頃です)。それから、教員が直ぐにガス会社に連絡し、そして、昨日、十時頃でしたが、修理の人が寮に来てくれました。ところが、だれもいなかった…らしい。困って、「だれもいないです…」という連絡が学校にありました。

 だれもいない?…。午後のクラスの学生が二名いるはず。で、私は、寮に電話してみました。すると、いました、いました、寝ぼけた声で、「ファアアイ、ああ先生。なに」。

 「寝てますか。起きて、起きて」「んん。今、寝てます」「今、ガス会社の人が来ています」「……,」「こら、寝るな」「ファファファファファア」「いいですか。昨日、お湯が出ないと言ったでしょ」「お湯?先生、何、お湯?」「お湯。お湯、昨日言ったでしょう」「ファファファファ…」「寝るな」とまだ寝ぼけて頭のはっきりしていない学生と格闘していると、さっさと「(午前の)Cクラスに同室者を捜しに行った教員が、「Cクラス」の学生を連れてきて、寮に行ってもらおうとしています。何と言いましても、こういう場合、頼りになるのは、やっぱり、言葉のわかる「上のクラス」の人たちです。

 話を聞くなり、彼は直ぐ帰って行きました。そしてそれから五分と経たないうちにまた戻ってきました。「先生。大丈夫」「えっ。もう終わりましたか」「それは…,わかりません。直しています。でも大丈夫です。起きました。私がいなくても大丈夫です」

 彼が言うのなら、多分、大丈夫なのでしょう。それに、ガス会社の人はとてもおとなしそうな人で、電話を掛けるのはいかにも申し訳ないというふうな「言い方」で電話を掛けてきたそうですから。

 そんなことをしている間に、昨日入学試験だった学生から電話が入ってきました。「先生、今終わりました。作文はとても難しかった。どう書いていいかわからなかったけれども、とにかく書きました。面接もいろいろなことを聞かれた。あっ。○○さんもいます。変わりましょうか」「はい」「先生、作文は難しかった。かくかくしかじかでこういうふうに書きました。よかったですか」こういう時は力づけるしかありません。「よし、よし。よくそういうふうに書けましたね」「面接では、私の国のことを聞かれました。それでいろいろ答えました」この学生は大学を出てから日本に来ているので、社会問題とかに関する知識もある程度ありますし、まずは大丈夫でしょう。

 「どうしたのですか。口の重い○○君が。きょうはえらく話しますね」と、からかいますと、「ええっ。そんなことはないですよ。面接で自己アピールをするように言われて、私は口が重いですって言ったんですよ」

 すると、また二人は変わります。「先生、あのね、私も自分の国のことを聞かれました。よくわからないので困った」、この学生は、高校を出て直ぐに日本に来ています。以前「自分の国」どころか、「生まれた市のこと」も知らないと言っていました。そして女の人は自分の家の近くのことしかわからないのが普通だと言っていましたっけ。そんな彼女ですから、それは困ったことでしょう。

 二人ともかなり興奮していて、いつにまして、おしゃべりになっていました。特に女の子は次から次に言葉が溢れてくるようで。けれども言うだけ言ってしまうと、「先生、どうしょう。きっとだめでしょうね。難しかったもの」

 そうは言いましても、先生方は(面接で)いろいろな質問をしてくださったようで、それに考えながら言うことができたのがうれしくてたまらないようでした。

 先生方の質問が、自己を表現していくということに繋がっていることがわかったのでしょう。質問に答えながらも自己実現をしているような、そんな感覚を味わえたようでした。

 それに、大学の先生方と差しで向き合い、話をできたということもうれしかったのでしょう。「出願は大変でも、大学の先生達は違うよ。入ってからいろいろなことが勉強できるよ」という私たちの言葉を、ある意味で確認できた面接時間であったのかもしれません。

 「先生、だめだったらどうしょう」という言葉には、「今日一日はよいことだけを考える」。後はそれからのこと。合否の発表のあと、考えればよいことだからとだけ、答えておきました。

日々是好日
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「今日は、入試の日。それで思い出したこと」。

2012-02-21 12:11:56 | 日本語の授業
「春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やはかくるる」(凡河内躬恒)

 昨日はきれいな星が瞬いていました。そういえば、最近富士山の姿をよく見かけるようになりました。テレビのニュースの冒頭に、きれいな富士山の姿が映り、「今朝の富士山です」なんていうのを見たりすることもあるくらいですから。確かに冬は空気が澄んでいるのでしょう、富士山の姿が関東地方でもくっきりと見えることが多いようです。

 さて、きょう、学生二人が某大学の入学試験に参ります。私たちが思っているほどには、学生に切迫感がないので、あれれという感じだったのですが、それでも、彼らも、出願までが大変でした。

 実は、この大学には、これまで数人の卒業生達がお世話になっています。彼ら曰く、いい先生がいる(つまり、学生たちに、これを勉強したいと思わすことのできる先生がいる)。それで、私たちも、どうせなら、漠然と大学に入るのではなく、後々のことを考えれば、この大学に入った方がいいのではないかと思い、それで学生たちにも(この大学を)勧めたりしていたのですが、なにさま、出願までが大変なのです。出身地域や国に関係なく一律に同じ書類を要求されたりするのです。

 どうも大学の方で、どの国であれ、要求すればどの書類でも出してもらえると思い込んでいるような節があるような気がするのです。国や地域の法律や仕組みは様々で、「ある国では出してもらえる書類が、他の国では出してもらえない(だいたいそんなものはないのです)。また出すにしても一回こっきりだったりする」ということが、あまりよくわかっていないのではないかと思われたり、あるものに関して言えば、屋上屋を架すにすぎないのではないかと思われたり。とはいえ、学生たちはそのことがわかりませんから、その度に、オロオロしてしまいます。「先生、どうしよう。こんなのは私たちの国にはない…」。

 言い方は悪いかもしれませんが、思わず○○でしょうと言いたくなってしまいます。うちはそれほど大きい大学ではないからと言われるかもしれませんが、その分野の専門家はいなくとも、各国の状況などは、日本語学校などよりもよほど調べることができるはずです。そういう人たちが事務局にいなくとも、です。

 教員というものは、大学であれ、また専門学校であれ、学びたいという心を持っている学生を望みます。また、我がもとに来る者にそうあってほしいという願いを持っています。しかしながら、もしかしたら事務局の方では、それよりも、入管に睨まれないように、どんどん書類だけは増やそうとしているのではないかと、そう勘ぐりたくなるような時もあるのです。もっとも、留学生の件で、前に一度か二度、あるいはそれ以上痛い目を見て、それでより安全な方に舵を切ったというところなのかもしれませんが、それでも、それが度を超すと、学生たちが尻込みをし始めてしまうと思うのです。

 この学校の教員達は(どの学校でもそうでしょうが)は、学生たちに嫌な思いをさせたくない、特にまじめに一年半ないし二年ほども頑張ってきた学生には尚更、そうさせたくないと思います。

 一応日本に来ることができている学生たちは、もうその時点で入管が許可してくれているわけで、彼らの高校までの学歴にせよ、経済的な状況にせよ、「可」と出ているわけです。日本に来て留学しても大丈夫と出ているのです。それなのに、入試を控えた時期、だいたい10月に入ってから、ピークは12月の半ばくらいまでなのですが、その頃は留学生試験はあるは、日本語能力試験はあるはで、本来なら日本語学校としても、学生たちを休ませたくはないのです。それが何度も(日本語学校を休んで)往復させられ、しかも、連絡があったのでまた持っていくと、それを要らないと突き返され、キツネにつままれたような顔をして学生が駅に戻るやいなや、また電話があり、やっぱりいる…それはないでしょう。

 この学生は、合格したものの、草臥れ果ててしまいました。で、結論は「行かない」、いや「行きたくない」だったのかもしれません。「入るまでに、こんなに大変なら、入ってからどういう目に遭わされるかわからない」と言うのです。

実を言うと、この大学のことは、学生が自分から「入りたい」と私たちに言いに来ていたのです。前年に入学していた学生に聞いて、そんなら自分もと思ったと言いました。

 それで、私たちも、「最初はあんなに入りたいと言ったじゃないか」と幾度も考え直すように言ったのですが、まあ家庭の事情もあったのでしょうが、本人は「もう、いやだ」の一点張りだったのです。

 そのことを、近所に住んでいるこの大学の、やはり事務局の方が見えたときに伝えたのです。すると、大いに気の毒がってくれ、そして今回の出願の時には、彼女が(事務局に)いるときに持っていき、それなりに注意してくれることになりました。

 学生たちの合否はともかく、私たちとしても、これで、入試以前に、願書のことで学生が右往左往しなくてすむということがわかって、彼らに願書の提出に行かせても、安心できるようになりました。

 まあ、最初の学生はかわいそうだったのですが、そのおかげで今回の学生たちは、嫌な思いをせずに済んだのです。その一回目の学生の分まで、今日のテストは、頑張ってほしいと思います。

日々是好日
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「何を以て『普通』というか。その場での、平均的な意味での『普通』」。

2012-02-20 08:49:42 | 日本語の授業
 快晴。今日の気温の予想、9度~0度。

 金曜日の夜、雪が降り、土曜日の朝は、まさに「雪のあした」となりました。どこもここも真っ白で、それがそのまま凍てついて、歩けばサックサックと音がするのです。その雪も日が昇ると直ぐに解けてしまいました。そして、昼過ぎからは、体中の熱を奪ってしまうような北風がビュウビュウと吹き荒れ、ほんに土曜日は寒い一日でした。ただそれに続く日曜日は風もなく、久しぶりのいいお天気でした。

 ところが、どうも(寒さ)対処の仕方を誤った私は、金曜日の夜から体調を崩し、それでも土曜日の昼には薬のおかげか持ち直し…たと思ったので、歯医者に行くやら買い物に行くやら…。そのせいか、土曜日の夜はひどい目に遭いました。夜中に、ゼエゼエと咳き込むやら夜中に何度も目が覚めるやら。しかしながら、それもまた薬のおかげでしょう、小康状態が保てた…と思ったので、生姜を買いに走ると…またゼエゼエが戻ってしまい、また、薬、薬…。

 これが平日だったら、学校のそばのお医者さんのところまで行ったでしょうが、それでもまだ薬で治る程度だったので、家におとなしくしていればよかったのです。食糧がないわけでもなし。馬鹿なことをしたものです。日本の寒さにも、日本の風邪にも慣れているはずなのに。

 学生たちが最初に風邪をひき始め、そのうちに教員たちの中にもゴホンゴホンが始まり、そしてどうも、それが遅ればせに私のところまでやって来たようです。これが今年度最後の風邪となればいいのですが。

 さて、学校です。
 最初はどうなるかと思われた「Eクラス」の学生たちも、どうやら、彼らなりの学習リズムが作られてきたようです。こうなりますと、私たちも彼らのリズムに合わせて、多少それよりも多めだったり少なめだったりすることもあるでしょうが、まあ、それなりにやっていけそうです。

 しかしながら、根性もそれほどなく、能力も普通、学習習慣もあまりついていない、集中力も誇れるほどではない、それでいてアルバイトはせねばならないという学生が、母国で、これほど日本語を勉強せずに、ノホホンと(日本へ)やって来られるものなのでしょうか。時々、フッとではありますが、そういうことに怖さを感じてしまいます。

 経済的に余裕があり、来日後は日本語の習得に専念できる環境にあるのなら、そう考えてしまうというのもわからないわけではありませんが。来日後、初めて(彼らがまだ母国にいるときに、この学校からも口を酸っぱくするほど伝えてありますし、在校生からもそれを言わせてあります。それなのに、馬耳東風、馬の耳に念仏、暖簾に腕押し、全く役に立っていなかったのです)大変だということに気づき、それも、一応、大変だと思ったらしいのですが、だからといって(来日後の)日本語の勉強に身が入るわけでもなく、彼らなりのやり方で、学校に来て座っている。

 もし、半ば強制的にする(授業時間以外にも学校に来させて勉強する習慣をつけさせようという)意思のない学校に来ていたとしたら、このままで二年間を過ごしたでしょうね。それほど、多分、彼の地では、ごくごく普通の人たちだと思うのです。

 そして、この中に、普通(この普通というのも、何を以て判断しているかというと、なかなか、言い難いところがあるのです。それも、いろいろと列挙することは、言われればするでしょう。が、結局は勘としか言いようのないものなのです。しかも、場合によってはこの「普通」の意味がその都度変わってしまうので、自分でも始末に負えないのですが)の学生が入れば、「おお、俺も満更捨てたものではない。彼らはこんなにできないではないか。自分は三四回やればできる。おれは頭がいい」ということになるのでしょう。

 その思い違いは、教師がいくら言ってもどうにもなるものではなく、おそらくは「留学生試験」や「日本語能力試験」の結果待ちということになるのでしょう。母国でそれがわかるほどに鍛えられていなければ、それもしかたのないことですが。

 ただその人数が一人か二人くらいならまだしも、学校の規模の割には、少々多くなりすぎると、事後処理に追われる(つまり勘違いをしていれば、愚かなショックを受けるのは当然ですから)身となれば、後のことを考えて、先走って銷沈してしまったりするのです。
これも困ったものです。

 ただこういうことが長く続くはずがない…と思います。学生たちを送ってくる彼らの母国の学校の方でも、そのことをわかった上で、学生たちの教育をしてくれなければ、彼ら自身の首を絞めることになる…ような気がしているのですが…。

日々是好日
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「自習室でのワイワイガヤガヤ」。

2012-02-17 08:28:59 | 日本語の授業
 今朝は寒いと聞いていたので、いつも通りの恰好で出てきました。それなのに、学校に着く頃には、びっしょりと汗を掻いていました。風がなかったからかもしれませんし、7度から1度というわりには、どこか厳しい寒さが緩んでいたのでしょう。北海道や日本海側では大雪が続いているようですが。

 さて学校です。
昨日も、二手に分かれて大学入試の面接準備をしていますと(一組は、以前のABクラスの教室を使い、私たちは自習室にいました)、「Eクラス」の自習組が、宿題をしながら、あれやこれやと言っています。

 ちなみにいたのは、タイ、中国、ベトナムから来ている学生たちです。どうも皆の意見が違っていたようです。「わからない(多分、皆で言っているうちに混乱してしまったのでしょう)」「先生、先生」という大きな声が聞こえてきます。

 参考書もありますし、皆で、日本語で、ワイワイガヤガヤやるのも楽しいはずですし(日本語を使っていなければ、直ぐに口を出しますが)。というわけで、知らん顔を決め込んでやりました。相手にされないということがわかると、また元に戻って、(「Eクラス」の学生たちは)ああでもない、こうでもないとやっています。ひとしきり騒いでいるなと思いながらも、こちらはこちらで、「Bクラス」の学生と面接準備を続けています。そして、ふと気がつくと、(「Eクラス」の学生たちは)いつの間にか静かになって、テープを聞く者は聞く、宿題をする者はするというふうに、それぞれの作業に戻っていました。

 私がいたからということもあるのでしょうが、来日後直ぐの頃とは大変わりです。その頃は、(寮の部屋では)勉強する習慣がほとんどないベトナム人学生に(もちろん、日本語が全くわかりませんから、アルバイトなどしていません)、少しずつ勉強の習慣をつけさせねばと、半ば強制的に、授業の前に学校に来させていたのです(学校まで歩いて二三分です)。

 その頃は、午後1時15分から授業でしたので、11時半には帰していたのですが、それでも9時からですと「ひらがな」「カタカナ」そして「新出語彙」を覚えるだけの時間はあったはず…だったのですが、もうこれはテープを聞くのはそっちのけにして(いえ、彼ら曰く、テープを聞きながら)集まれば、いつも茶話会と化していたのです。この自習するはずの時間が。

 それでも私たちは、まず授業時間以外に、学校に来て、教科書を開いてみるということから習慣づけていかねばと思っていましたから、勉強するしないは二の次(最初の頃です)と考えていました。

 まず、来させる事、が大切だったのです。学校に来ていれば、いつもは会えない他のクラスの人たちとも知り合いになれますし、話をする機会もあるでしょう。上のレベルの人たちが勉強していること(いつまでも「これはつくえです」のレベルではなく)もわかるはずです。

 もちろん、自習室に、私たちが行くと、さっと「(勉強している)ふう」を装います。けれども、小さな学校ですからね、丸聞こえです。筒抜けなのです。ドアを通して、ベトナム語がやんややんや。

 それが、「朝、学校に来て勉強してもいいの?」と、このグループに中国人の学生が加わり、時には「Dクラス」の学生が加わりしているうちに、少しずつ変わっていったのです、雰囲気が。ベトナム語だけというわけには行かなくなってきたのでしょう。

 そして、午後のクラスから朝のクラスに授業時間が変わりますと、皆、朝の9時から授業を受け、そして昼ご飯を食べてからまた戻ってくるという形になり、朝が苦手で来られなかったイ人学生もこの集団に加わるようになりました。こうなりますと、ベトナム語だけで茶話会をやるというわけには参りません。(まだ10課ですが)ありったけの日本語単語と文法を駆使して、そして表情とジェスチャーで、どうにか、自分の言いたいことを言わねばなりませんし、相手の言っていることの意味を掴まなければなりません。

 それが成功したり(時々誤解で盛り上がったりしているようですが)すると、また楽しいので、言いたくなる。それと同時に、互いに親近感を増していくし、互いの様子も掴めてくる。

 これは「仲良くなるのがいい」と言っているわけではありません。国や民族は違っても、結局は同じように、まじめな人も、不真面目な人もいるし、いくら努力しても進歩が遅々たる人もいる。器用に、適当にササッと言えるけれども、直ぐに忘れてしまう人もいるというふうに、「同じなんだ」という感覚を持ってもらうことが大切なのです。

 「同じ時に同じ場所にいて同じことを学んだ」だけでも、人は互いに心を近づけることができるはずです。それは「同じ国から来た」からではなく、「同じ経験をした」からなのです。

 こうやって、一歩一歩、互いが近づき、それと同時に日本語もうまくなり、勉強の習慣もついてくれれば言うことはないのですけれどもね。

日々是好日
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「捨てし身を いかにと 問はば ひさかたの 雨降らば降れ 風吹かば吹け」(良寛)

2012-02-16 10:02:02 | 日本語の授業
「捨てし身を いかにと 問はば ひさかたの 雨降らば降れ 風吹かば吹け」(良寛)
 「捨てばち一歩手前」とか、「自暴自棄の寸前」とか、今少しで、破れかぶれになるとも取れるような、そういう限界ぎりぎりのところに踏みとどまって、そして居続けながら、詠んでいるような気がするのです、良寛の歌というのは。

 それでいて、春風駘蕩といったものもあるのですから。

 とはいえ、
「老いが身のあはれを誰に語らまし 杖を忘れて帰る夕暮れ」(良寛)
こういう「ちょいとした」ものも、そのままに表すことができるのです。人が、フッと心を寄せることができるのも、こういう歌があるからでしょう。

 そうでなかったら、彼とても、ただの禅僧に過ぎなくなってしまいます。野孤禅とも言われているように、下手に悟り済ました禅僧というのは、全く始末に負えないものです。

 世を捨てるまでに至らない人は皆、捨てばちにならないように、そしてそういう状況に追い込まれないようにと、世間とのバランスをとりながら、時には己の心に背いても、そとそっと生業を続けているのです。

 その中にあって、天職を見つけられたり、また「仕事は楽しんだ者勝ち」などと言えるのは、まずは幸福な人であるといえるでしょう。

 さて、学校です。
 異国から来た人達は、この地に生まれ、ずっと過ごしてきた人間とは違い、悩むことも自然に多くなります。特に、二月の中旬も過ぎ、次は自分たちだという気分が学生たちの中から生まれてきますと、その悩みがいっそう深くなってくるようです。もちろん、これも、なければないで困るのですが。

 ほとんどの学生たちが、大学や専門学校を卒業後、就職できるような専門を選びたいと言うのですが、中には、その専門に対して全く関心がないにもかかわらず、「だれだれが、就職できたから」というだけの理由で、(この専門を選んだと)言って来る人もいます。

 その度に、「興味も関心もなければ、四年間は続かないよ」とか、「(その学部にいる日本人は)その専門が好きな人たちだから、関心がなければ(話せるものがないわけで)友達ができないよ」とか、あるいは「四年後には社会がどうなっているかわからないよ。まず関心があったり、好きなことを選んだ方がいいよ」とか言って聞かせるのですが、どうもそのことがうまく通じないのです。

「思ふこと 一つかなへば 二つ三つ 四つ五つ また六つ(難)かしの世や」です、全く。

日々是好日
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「寒さに慣れない一月生」。「『ふん』と『はい』」。

2012-02-15 14:00:10 | 日本語の授業
 曇り。今日は、日中、久しぶりに10度を超えるようです。予報では、11度から4度と出ていました。が、体感温度としては、朝は、やはり寒い。陽が出てくれば変わるのでしょうけれども。ただ予報官の表情が、昨日までの凍てきったものから見ると、かなり違って感じられました。それからすると、もはや「一雨毎に寒さが和らいでくる候」とはなったのでしょう。北海道は、今も、吹雪いているそうですけれども。

 さて、学校です。
「Eクラス(一月生)」では、風邪引きさんが目立つようになりました。一月に来た学生たちにとって、この寒さが、たまらなく辛いようです。ならば、暖かいものをたくさん着ればいいと思うのは、日本人や寒さに慣れた地方から来た人間の言うことで、彼らにとっては、それが、どうもできないようなのです。

 厚めのシャツにセーター、そしてダウンを着ればいいのにと思っていても、彼らはそういうことをせずに、南国で着ていた服(私たちから見れば、夏物の服です)の上に、ダウンを羽織っているだけという恰好で、学校に来て「ゴホン、ゴホン。寒い、寒い」と言うのです。

 「そんな夏物の服を着ているから寒いのです。ちゃんとセーターを着なさい。暖かい下着は持っていますか。○○で売っています」と言うと、「持っています」という答えが返ってきます。「なぜ着ない」。「気持ちが悪いから、嫌だ」。

 おそらくは着慣れないからでしょう。厚い服が、ゴワゴワとして感じられたり、モサモサとして感じられたりで、どうも落ち着かないようなのです。

 寒さに慣れた人間は、冬になったらこういう服を着ればいいとか、このくらいだったらもう一枚重ねれば大丈夫だとかいった、いわゆる「寒さに対する勘」が、自然に働きます。けれども、それが養われていない南国の人たちにとっては、重ね着をするということ自体が大問題で、そもそも、どう(衣服で)調節したらいいのかわからないというのが本当のところなのでしょう。

 もっとも、二度目の冬ともなると、だいたいは、いかにも着慣れたように重ね着をしてきますから、これは、いわば、最初の、「冬の洗礼」といったものなのかもしれません。ただ、今年の一月生は、最初から、靴下だけは履いてきていましたから、まだましなのかもしれませんが。

 今度は、「Dクラス(10月生)」のことです。
一応多少なりとも、話ができるようになってきたのですが(現在、39課です)、それでも1人でアルバイトを探しに行くほどではありません。行っても、「先生、わからなかった」と言って帰ってくるだけです。けれどもこれくらい(話が少しはわかる)になってきますと、全然話せなかった頃には、それはそれで通っていた(日本語ができないから、しようがないと言われて済んでいた)彼らの習慣というのが、問題になり始めてきます。

 「はい」という返事がどうしてもできずに、日本人から見れば、相手を小馬鹿にしているとしか思われない「ふん、ふん」という返事をする学生がいるのです。私が叱ると、「でも、先生。私の国では、『はい』の意味。大丈夫、『はい』だから」と言うのですが。

 たとえ、そうではあっても、アルバイトが決まるまでには、この習慣を変えておかねばならない…と、そう思っていたのです。ところが、それが習慣になる前に、アルバイトが決まってしまいました。

 ヒアリングがいい学生ですので、却って誤解されはしないかと心配してしまうのです。それで、昨日はいつもにもまして、「『ふん、ふん』じゃないでしょ。『はい』でしょ」。「ふん」。「違うでしょ。はい」。「ふん」。「はい、はい、はいでしょ」。

 全くこうなってしまいますと、どっちが、どっちに対して「はい」と返事せねばならないのか、全くわからなくなってしまいます。いつも最後には(学生の方で)面倒くさくなって「先生、大丈夫。外ではちゃんとできる」と逃げにかかるのですが、うちでできないことが外でできるはずもなく、かといって、そのことだけに時間を費やすわけにも行かず、いつも中途半端なままで終わってしまうのです。

 こういうことは、本人が痛い目を見るまではだめなのでしょう。それがわかっているから、できるだけそういう目に遭う前にと思っていろいろな注意を与えているのですが、そうはいいましても、全く想像できないから、言われていることがストンと腹に落ちないという面も、確かにあるのでしょう。

 中国人学生の時もそうでした。中国と日本という、非常に近い国であってもやはり習慣はかなり違うのです。私たちにとっては、「これは、ゆるがせにできない、大ごとであると思われるようなことであっても、学生からすれば、「(そんなこと)大したことはない」となるのでしょう。結局、こういうことは、外部の人に、言われるまではだめなのだろうなとなってしまうのです。が、学生たちが出会う、最初の外部の人というのは、たいていがアルバイト先の人たちですから、損得付きの関係先からの注意ということになり、それこそ、下手をすると大ごとになってしまいます。その前にわかれば、傷は小さくて済むのですが…。

 ともかく、こうやって、一人が、一応の上がり(アルバイトが見つかったという意味で)。前に、これも卒業生に紹介してもらって、二人、工場の方にアルバイトをさせてもらっていますから、三人目ということになります。もちろん、卒業生に紹介してもらうときも、先にこういう学生なんだけれどもと一言、説明をしておきます。

 卒業生の方でも、「だいたい、いつ頃日本に来たか」とか、「今『初級Ⅱ』のどのくらいを学んでいる」とか聞けば、彼らの日本語のレベルのおおよそは掴めますから、「この仕事は無理だと思う」とか、「あっちの方の仕事はどうだろうか」とか、教えてくれたり、アドバイスしてくれたりするのです。

 とはいえ、まだ仕事を探している「Dクラス」の学生たちは何人もいます。今は派遣で仕事をしているようですが、派遣先の工場がかなり遠いのです。しかも、交通費は自分持ちですから、頑張ってやっていても、かなりの持ち出しになってしまうようです。

 結局は、日本に来て日本語ができなければ、何もできないということが、来日後、初めてわかるという愚は、またしても繰り返されてしまうのです。

日々是好日
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「魔の月曜日」。

2012-02-14 12:11:15 | 日本語の授業
 月形半平太の、「春雨じゃ、濡れて参ろう」が浮かんでくるような、小糠雨です。おそらく半平太の時の雨は、もう少し、服の上に光の粒が見えるような、中くらいの大きさの雨粒だったのかもしれません。今日は、しかとはわからぬほどの小ささで、見たところ、傘を差していたのは、20人中1人くらいでしたし。冬の雨なら、普通皆、少しでも濡れるのを厭います。つまりそれほどでもなかったのです。今朝の最低気温は4度、最高気温は8度で、昨日と比べれば3度から4度ほども高い。これなら多少濡れても、いいか…だったのでしょう。

 さて、学校の「一月生クラス」のことです。だいたい「初級Ⅰ」の頃は、教員にとって、月曜日の朝が難関、箱根の関所くらいの難所です。特に、一二時間目は難所中の難所。前の週に、月火水木金とリズムをつけて、毎日勉強して(三日くらいは必ずその課の復習を入れていますから)いるので、木金辺りになりますと、教える方もちょいとばかり、楽になっているのです。

 それが、月曜日の一二時間目は、オチャラになっている…ああ。ニックキは休みである土曜日曜であります。母国で、家で勉強する習慣のない(学校に来て座っていれば、おそらくそれで充分であったのでしょう)学生たちに、授業とは別に二時間ほど学校に来させて、テープを聴かせたり、宿題をやらせたりしていても、土曜日曜で振り出しに戻ってしまうのです。

 月曜日には何も覚えていなくとも(もちろん、ゼロではありません)、ニコニコして全く困ったふうをしてくれない学生の顔を見ていると、なんとなく、焦っている自分の方が愚かに思え、「まっ、いいか」という気にもなってくるのです。が、ある程度の日本語が話せたり、聞き取れたりしていませんと、アルバイトの面接に行っても、それこそニコニコと「またね。上手になってから来てちょうだい」と言われてしまうだけです。

 こういう人たちは、もともと生活力が、それほどないのかもしれません。「昔に比べれば…」といつも言われている今の中国人留学生にしても、男であれ、女であれ、彼らに比べれば、ものすごい生活力を見せてくれます。

 ただとても素直なのです。まるで田舎の坊ちゃん、嬢ちゃんといった様子で、叱られても抗うこともなく、困った顔をして座っています。そして叱りながらも彼らのその様子に微苦笑を禁じ得ない私たちの、そんなわずかな変化に、直ぐに気がついて、「いいじゃないの、怒らないで」とばかりに、またすぐにニコニコし始めるのです。

 もちろん、それだけで終わりというわけでもなく、彼らには彼らなりの闇もあるのでしょうが、今のところ来たばかりの人たちにはそれは感じられません。

 来日後二三年も経って、すっかりスレッカラシのようになってしまった人たちにも、皆こういう時期はあったのでしょう。そして来日後直ぐの、その時期に、どういう人たちと出会うかで、大きく、それからの人生の道は分かれることになってしまったのでしょう。

 本当に、特に外国で過ごすことを選んだ人たちにとって、その地で、どういう人たちと出会うかは大きな問題です。だって、異なる地へ行くことによって、それまでの自分と切り離されてしまうことになるのですから。もう困ったからといってお父さんやお母さんが直ぐに飛んできてくれることはできませんし、知り合いや手蔓を頼んで、どうにかしてもらうこともできないのですから。

 その上、過去と切り離されても、直ぐに新しい「個」をその地で築けるほど、人は強くないわけですし。だから、最初は、どうしても同国人や同郷の人間が互いに惹きあうことになり、自然に群れてしまうのでしょう。互いがどんなに遠くにいても、心が欲しているから、直ぐにわかるのです、同郷の人間のいる所が。どんなに急いでいても、どんなに多くの人の中にあっても、片言でも故郷の音が聞こえれば、それで思わずハッと振り返るほどに、敏感になっているでしょうし。

 そして自然に集まった群れの中で、在日の長い人たち(つまり多くの情報を持っている人間)と連絡を取れる者が、アルバイトにしても、金儲けにしても、大きな顔をし始め、そしていつの間にか彼自身が顔役のようになって行き、人を顎で使うようになるのかもしれません。

 最初は(同国人、同郷人で)群れていても、日本語がわかるようになるにつれて、その群れから、学校でのクラスメート、アルバイト先での友達のグループへと、居場所を移すことができれば、異国へ来たことは決して無駄にはならないのでしょうけれども。自分自身も変わることができたわけですから。

 ただクラスの中で一つの国から来た人が半分以上を占めていたり、アルバイトが順調に探せていなかったりしますと、(傷を舐め合うには、言葉がおなじ者同士の方がいいものですから)また元の木阿弥になってしまいます。

 こうならないためにも、まずは、日本語に一生懸命になってもらわなくてはなりません。

日々是好日




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「春、いずこ」。

2012-02-13 08:45:58 | 日本語の授業
 曇り。
 また冬に戻りそうです。ただ風はほとんど感じられません。梅が咲き始めようとも、水仙が疾うに満開になっていようとも、青いはずの空が厚い雲に覆われて、陽射しが全く感じられませんと、「春いずこ」という気分になってきます。

 確かに立春は過ぎました。その前日、節分の日には豆も撒きましたし、巻き寿司も食べました。けれども、カレンダーを見やれば、春分はまだまだ先のこと。しばらくは、この状態のまま一進一退していくのでしょう。

 「目に見えるものは、いつも他の何かを隠している」。だれでしたっけ、確か画家の言葉だったような。もっとも、画家ならずとも、人はフッとそう思うときがあるようです。見えぬものなら、素知らぬ顔をしておいた方が(「見ぬこと清しですし)よかろうものを。見えたものから、見えないものを探ろうとすると、却って罪作りをしたり、されたりすることになりかねません。

 だいたい、探り出したと己が思ったものでさえ、事実とは言いきれず、もしかしたら単なる己の認識(あるいは妄想)の描きだした淡雪のようなものであるかもしれぬのです。

 それよりも、
「なんと 丸い月が 出たよ 窓」(放哉)
と言って喜んだ方がいい。
「久しぶりの雨だ 雨だれの音」(放哉)
「雀のあたたかさを握る はなしてやる」(放哉)

 放哉にしても、寂しい句が多い中で、勘ぐらぬ素直さから出た優しさや微笑ましさが出た句もあるのです。どうせなら、そういう面だけを、そのままに見ていた方がいいのかもしれません。

 どうしても、教員なんぞをしていますと、対象となる学生たちを「見なければ」ならないことが多く、人は自然に抱かれた生き物に過ぎないなぞと、口ではほざいていても、「どうしてこうするのか」とか、「ここは改めさせねば」などと、先走って考えたりしてしまうのです。木々や花を見たり、風を感じたりするように、人を見ることができないのです。

 時々、自分は、以前から「こうだったのかな」と思うことがあります。もう少し、人を懐かしげに見ていたような気がするのですが、どうなのでしょう。人を見ようとし、そして見つけた諸々に文句を言っている間に、自分の本性がわからなくなってしまっています。

 そこは大らかに、
「子ども叱るな 来た道だもの。年寄り 笑うな 行く道だもの」とやった方がいいのかもしれません。

 冬の終わりを告げる花々が咲き、木々の新芽が膨らみ始め、今、正に春を招き寄せようとしている時ですし。

日々是好日
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「江戸東京博物館」。「(能力試験)発表の後」。

2012-02-10 09:03:24 | 日本語の授業
 晴れ。昨日と違い、少々薄い雲が所々に見えるものの、快晴です。

 昨日は「江戸東京博物館」へ行ってきました。熱心に見ている学生もいれば、何か「おもしろいこと」(彼らなりに遊べるもの)がないかと、フラフラしている学生もいました。「Aクラス」であれば、一応、20世紀の東京の姿は映像で見せてありますし、江戸時代の生活もいくつかの映像で見ていましたから、他のクラスの学生たちに比べて理解できるところは多かったはずです…が、どうでしょう。

 どうも、「Aクラス」であることに安住していた人が多かったような気がして…これでよかったのかな。しかも、「日本語能力試験」の発表があっての翌日ですから、どうも「不合格ショック」で立ち上がれないまま、やって来た人や、そのまま沈没してしまった人が幾タリか、いたようです。

 中国人(漢族、朝鮮族)の場合は、あっさりしたもので、失敗しても、「だって、(不合格だったのは)勉強が足りなかったから」で終わっていたのです。合格するには、どれほどの量(文法や単語、漢字の読みなど。また文章を読んでおく)をこなさなければならないか、あるいは一日にどれほどの時間を費やしておかねばならないかが、(日本に来る前の高校段階で)わかっていたのしょう。

 つまり、何かに合格するための勉強をきちんとやった経験ががあったので、わかっていたのだと思います。それに、彼らの高校のクラスには、自分より上のレベルの人たちがたくさんいたのでしょう、これは学校の勉強での成績でですが。

 それゆえに、「自分は頑張っても、これくらいの成績しかとれなかった」という経験が事実としてあったので、合格すれば、「あれ、これくらい(あまり勉強していなかった)で合格していいのかな」だったし、不合格でも、ああそうかで終わっていたのでしょう。

 ところが、今回は、それがない。毎日学校に来ていて、それほど勉強しているようには見えなかったのに、「Aクラス」にいて、下のクラスには落ちていなかっただけなのに。もちろん、学校で勉強はしていても、合格するには、勉強したことを復習しておくとか、自分が不得手な部分を見直しておくとかしなければ、なかなか合格できるものではありません。

 「非漢字圏」の学生にとって、「N3」までは、「まじめに学校に来ていたし、学校にいるときは言われるままに教科書も問題集もやった。わかったにせよ、(やってはいても霧の中に佇んでいるように何をしているのかも全く)わからなかったにせよ、ともかく、他の学生たちと一緒に、毎日教科書を読み、書けと言われれば書いていた」状態でも、とにかく、まじめに学校に来ていれば、だいたい一年ほどで皆合格できるようになっているようです。

 ただ(非漢字圏の学生にとって)「N2」は、かなり難しい。教室の外でも勉強しておかねば合格はできないだろうと思われます。それに、「読解力」を問われるものは、本人が母国で、どれほどその力が、培われていたかが問われます。これは毎日本ばかり読んでいたから読解力があるというものでもないのです。が、そうであっても、読解力のある人には、書物に魅力を感じている人が多いのは事実です。ところが、ほとんど本を読む習慣がないのです、学生たちに。

 「N1」や「N2」で、不合格だった学生は、その読解力で、(点数が)低いのです。もちろん、彼らなりに努力しているのは本当でしょう、単語や漢字は覚えていますから。ただ、その本人の能力(読解力)が、それほど高くはないのです。とはいえ、これは、あくまで文字の世界のこと。他の分野での彼らの才能を否定しているわけではないのです。

 それでも、もちろん、合格はしたかったでしょう。非漢字圏の学生は、「N3」に合格できたから、ストレートで「N2」に合格できると思い込み、また「私はAクラスだし」と思ったりもしていたのでしょう。それに、「漢字圏」の学生も(漢字圏とはいえ、彼らの母語は違いますから、やはり漢字交じりの日本語を読むのは、漢族や朝鮮族に比べれば、ずんと大変なはずです)「N2」の次は、「N1」に合格できるに決まっていると思い込んだりしていたのでしょう。

 もっとも、(試験は既に終わり、結果の発表も)終わったことです。大学や大学院へ行く者は、そこで頑張らざるをえないでしょうし、専門学校へ行く者も、日本語能力試験の結果で学費が安くなったり、奨学金が出るところもあるそうですから、がんばらざるをえないでしょう。

 失敗も経験、成功も経験。どちらの経験の方が人を強くするかというと、(その失敗をしっかりと受け止めさえしていれば)失敗という苦汁を飲んだ者の方が、実は、のちのち成功する可能性が高いのです。

 ただ、「私は当然合格するはずだったのに」という思い違いを、いつまでも引きずっていれば、その可能性はどんどんなくなっていく…のも事実でしょう。

日々是好日
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「人の才能や能力は様々。優れている方面を伸ばせばいい」。

2012-02-09 08:32:10 | 日本語の授業
 晴れ。風はありません。きれいな青空が続いています。今日は皆と「江戸東京博物館」へまいります。

 さて、昨日、午前の学生たちが帰った後、「日本語能力試験」の結果が届きました。中国人(漢族、朝鮮族)が多かった頃は、一年目で「二級」、二年目には「一級」合格が、ほぼ定番のようになっていました。が、今はそういうわけにはいきません。同じような教材を用い、同じ教員が教えていても、なかなかそうはならないのです。自分のレベルがわかっていない人たちが、本当に多いと思います。これはどうしてでしょう。

 以前は高卒の子で、劣等感の塊としか見えないような学生も多くいました。母国での大学入試に失敗したということがトラウマとなっていたのです。しかし、日本で頑張っているうちに、「日本で大学に入る方が、好きなことだけを勉強できるからいい」ということに気づき、「日本語能力試験」や「大学入試」などを通して、立ち直っていったのです。それが日本留学のメリットでした。

 また、大学出であったり、大学院卒であったりしますと、自分に自信がありますから、「日本語の試験」程度で、アタフタはしません。人の才能や能力は様々であり、どの分野に拠らず、専門以外で多少劣っていようと、意に介さないのです。

 まあ、そういう人達はだいたい直ぐに「一級」に合格していましたが。それでも中にはどうしてこうも、読解力がないのだろうと、日頃のその人の態度や能力に比べて、「感嘆さえ覚える」こともありました。学力も高いし、本人も「学力以外にはそれほど人に優れているものはない」と自覚していたようですのに。

 おそらく、世の中には、そういう人は多くいるのでしょう。私の高校時代にもそういう人がいました。高校一年の時は国立私立、文系理系に関係なく、クラスが編成されていましたので、理系の男子などもクラスの中にいたのです。もちろん理系の科目はすごい成績です。国語も随筆などには驚くほどの理解力を示します。ところがそれが「詩」や「小説」、「哲学」や「美学」の方面になりますと、まるで「トテチトシャーン」と頭が壊れているのではないかと思えるような突拍子もないような答えを出すのです。

 普通の人(私のような)からすると、それ(そんな答え)は、聞くだけで無理だろう(成立し得ない)と思われましたし、どうひねくり回したらそういう答えに至るのだろうと、そっちの方が気になってくるほどでした。

 ただ、こういう人は、この分野でどんなにひどい点を取っていても、「困ったなあ」くらいの顔をして終わりです。「だって、判らないもの」なのです。そして、実際にそれでいいのです。人の才能は様々です。優れている方面を伸ばしていけばいいだけのこと。劣っていると自分が思い、無理だなと思うなら、やりたくなったときにやればいいのです。それを気にして、まるでそれだけがすべてであるかのように思う必要なんて全くないのです。とは言いましても、ここは日本語学校ですから、日本語の習得というのが、目的なので、あまりできないと困ってしまうのですが。

 だいたいからして、大人になってから学ぶ言語には無理があります。

 母国でかなりの本を読んでいれば、ある程度の想像力や勘が既に養われていますから、それほどの無理はないのです。あとは本人がどれだけ単語や文法を覚えるかにかかっているだけです。これは努力を要します。非漢字圏の人たちは漢字も覚えなければなりません。これも努力を要します。

 前に非漢字圏の人で、軽々と二年も経たぬうちに「一級」に合格してのけた人がいたのですが、彼は学校で学んだというよりも、自分の力で学んだと言った方がよかったのかもしれません。彼の場合は言語に限らず、他の分野にも才能があったようでしたが。とは言いましても、自分で勉強していくにしても、何(教科書や問題集)を使ったらいいかというのは、だれかに教えてもらわなければなりません。それに、いざ、わからないところが出た時には、だれかに聞かねばなりません。それは、日本人に聞いた方が手っ取り早い。それも教師に聞いた方が早い。何となればそれを生業としている存在なのですから。

 まあ、彼の場合は、タミル系の人だったと思いますが、それも関係していたのかもしれません。漢字や読み方は面倒でも、拾い読みしていれば、だいたいの流れが掴めますし、勘を働かせていけば、答えは自ずからわかります。これは日本語に限らず、どの言語においてもそうでしょう。これも才能のうちでしょうが。

 そう、人の才能は様々です。たかが「日本語能力試験」の成績一つで、天下を取ったような顔をするのも愚かしいことだし、悲嘆に暮れるのもアホらしい。

 本当にアホらしいし、愚かしいことなのですが、母国の教育で、「学校教育」がすべてであり(多分、他の所で勉強しても、認めてもらえないような社会システムなのでしょう)、そこで、認められない限りは、「死ぬまで」うだつが上がらないということになっているのでしょう。それを本人も、親も、世間も知っているから、その一筋にかけてきたし、それを変えることは、いまさらできないのでしょう。

 これも小さな地域で(国の大小は関係ありません)、その中で一番と誇っていても、他に行けば、ずんと品下がってしまうということもあるのです。私はここで一番だったというのは、確かに自信にはなるでしょうが、他国に来てまでそれを言うのはおかしなことです。その、変なプライドが邪魔をして、アルバイトも探せなくなるかもしれませんし、学業も伸びていかなくなるかもしれません。

 また日本語学校のことに戻ります。授業のことです。
日本語の能力がある程度備わっていなければ、他の知識を提供しても理解できませんから、無駄になります。ということは二年をかけて、外国人用の教科書を、ただただ教え、ただただ習っていくしか方法がなくなるのです。

 以前は、たとえ「一級」に合格できていなくとも、「知識」の面で肥やしを与えられると感じられる人たちが多かったような気がしますが、おかしなことですね。今では反対に、たとえ「一級」に合格できていても、この人達にはそれは必要ない(つまり、意味もわからないし、知識に対する関心もない)のではないかと思われることもあるのです。

 こうなると、最後の授業というのをどうするか、ちょっと困ってしまいます。本来なら、漢文か和文の古典を一つ二つ入れておくべきでしょうし、その方が彼らのためになるのでしょうが、それも、彼らにとっては意味はないし…おもしろくない(別におもしろくなくてもいいのですが、イライラしてまで授業はしたくないのです)でしょうし。ただここは、あくまでも学校であり、日本語学校であるのですよね…う~ん。

 困った、困った。ずっと私は困っています。

日々是好日
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