日本語学校からこんにちは ~水野外語学院日本語科~

TOKYOベイエリア,市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

手を動かす(「書く」・「自分で調べる」)ということ

2008-08-30 11:53:36 | 日本語の授業
 あの大雨の中を、どこかで生き抜いていたのですね。今日も朝、ミンミンゼミの声がしていました。しかし、どことなく、力なく、最後の「ミーン」とのばすところなど、まるでため息のようでした。

 猫たちも、今日は顔を見せてくれました、茶の猫は、大きく伸びをしながら「あくびの顔」で。黒と白の猫は(私は、彼?を秘かに、“ゴンダ”と呼んでいるのです。鼻のところに、ちょっとかかった黒が、どうも「こそ泥」さんの風貌に見えて仕方がないのです)いつもの家の前に、ちょこなんと座って。

 ここ数日、おかしな天気が続いています。中国語で言うなら、「鬼天気」というところでしょうか。

 昨日も、午後のクラスが終わって、学生達がみんな帰りほっと一息ついた頃。五時半ごろだったでしょうか。教材をコピーしていると、いきなりパラパラと窓を打つ音がしたかと思ったら、ザーザーッと降ってきました。午前・午後と、学生がいる間は、あんなにカンカン照りでしたのに。まあ、確かにムシムシして、耐えきれないほどでしたが。

 (この天気を、カンカン照りで、しかも、ムシムシするこの天気を、ムンバイから来たインド人の学生は「いいお天気ですね」と言うのです。思わず「いいですか」と聞くと、「はい、気持ちがいいです」。私たちの共通理解では、慣れない下手な「冗談を言っている」のか、それとも、「彼は日本語を知らないかであろう」でしたが、そうとも断定できない部分があるのです、彼の表情に。「本当にこういう天気を喜んでいるのではなかろうか」と思える部分もあるのです。まあ、文化も違いますし、人それぞれですから、何ともいえないのですが、これを聞くと、カーッとまた暑くなってきました。ハア-…)。

 というわけで、こういう時間(帰宅時間)に、降ったり止んだりは嫌ですね。いっそ降り続いてくれたら、あきらめがつきますものを。

 今朝もそうです。早朝は降っていました。それから、一時止んで、また降り出し、また止んでと、何回か繰り返したので、降り止んだ時に、傘を抱えて大急ぎでやって来たのです。ところが、今はお日様まで顔を覗かせています。授業が終わる頃にはどうなっていますことやら。

 さて、学校では、毎日のように、新たな問題が起こってきます。新しく日本語を始めようという人に、「せっかく、勉強しようとしているのだから、条件をつけてはまずい」とか、「そう言う言葉のニュアンスもわからない相手にどうやって、それを伝えるのか」といった、向きもないわけではないのですが、どうしても、条件をつけたい国の人がいるのです。

 「授業中に、『既習の単語の意味』を、他の人に、大声で聞くのはやめてもらいたい。自分で出来ることは、してきてもらいたい。他の人が授業を受けるのを妨害しないでもらいたい。教師がそれを注意すると、プライドを傷つけられたとプイッとして、来なくなるのをやめてもらいたい。そんなことで来なくなるくらいなら、始めから来ないでくれ。(来始めてしまうと、こちらも上手にさせようと努力してしまうのです。こんな相手でも)」。

 前の課や、随分前の課の単語を覚えていないので、隣の人に聞いたり、前の人に聞いたり、時には二列か三列も離れている人に聞いたりする国の人がいるのです。完全に授業妨害です。何度も中止を受けているらしいのですが、なぜそれがいけないことなのかが、理解できないらしいのです。言葉の問題でなく、文化的に理解できないようなのです。

 「私はお金を払っている」。他の人もお金を払い、ここで勉強しているのだということが、わからないのです。そうとしか、こちらには思えないのです。先生が説明をしている時や、みんなで口頭練習をしている時に、他の人に聞いたりすることは、「みんなに迷惑をかけることになる」ということが、理解できないのです。

 もう、こうなったら、「搦め手」から行くしかないと、帰りに、同じ国から来た男子学生を捕まえました(これは「初級Ⅰ」のクラスの出来事です)。

 「あなたと同じ国から来た人がいますね。授業中、単語が分からないとすぐ聞きますね」と水を向けると、ニコニコしながら
「はい。○○さんですね。私は教えます。」
と屈託のない様子。これは、いいことをしたと褒めてもらえると思っているなと直感したので、思わず、
「いけません。あなたは、来年大学を受験します。大学へ行きたいです。あなたは、まだ漢字ができません。カタカナもすぐ忘れてしまいます(7月生です)。あなたは、自分で勉強します。○○さんも自分で勉強します」。
「はい」
「ここ(教科書を指して)は、学校で勉強します。みんな一緒に勉強します。単語(対訳の本を指して)は、家に帰ります。家で勉強します。一人で、勉強します。わかりますか」
「はい」

 どうも、かれは、「先生は私のことを大切に思ってくれている。うれしい」くらいにしか、理解は出来なかったようなのですが、これからは、「教えない」と約束してくれました。彼自身、まだまだ一緒に練習していかなければならないレベルなのです。他の人に教えてやる余裕など全くないはずです。

 勉強の面では、どんなに利己的になれるかで、勝負が決まるというところがあります。親切で、人の面倒ばかりみてやっている人は、だいたい勉強する時間がなくなってしまいます。みんな、学校で勉強しながら、アルバイトもしているわけですから、勉強する時間が豊富にあるわけではありません。

 短いその時間を、「いかに有効に使わせることができるか、授業時間しか勉強できない人に、いかに計画的に、合理的に教えていけるか」が、教師の仕事の重要な一部分を占めています。

 特に就学生においては、そうです。時間が限られているのです。その上、非漢字圏の学生は、漢字も覚えていかなければなりません。覚えるという前に、「書かねば覚えられない」という、漢字圏の人間から看れば当たり前のことを、納得させ、それを習慣にさせていかなければなりません。しかも、ただ「書けばいい」のではなく、「覚えるという『意志』をもって書かねば、なんにもならない」ということを理解させておかなければならないのです。

 この学生にしてからが、「七月生」ですから、まだ「道半ば」なのです。「やっと、書くようにはなった」のですが、「意志をもって」書いてはいないのです。塗り絵のレベル(私はそう思います)の書き方で、「『覚えよう』という意志」をもっては書いていません。これでは覚えられるはずがありません。

 それなのに、「自分のことだけ、していればいい。自分で出来ることをしていない人にかまう必要はない」と、私が罵声を浴びせたくなるような、自己認識の仕方なのです。

 「自分で調べられる」というのも、「自分では調べない。常に人に聞き、耳で覚える」というのも、文化の一種なのかもしれません。そうだとするなら、東アジアではなく、西南アジアの人にとっては、日本語を学ぶ上で、まず「書く」ということも、「忘れたら、自分で対訳の本を見て調べる」ということも、一つの越えねばならぬ、大きな関門なのかもしれません。

 こう書いているうちに、バケツをひっくり返したように、雨が降ってきました。どうやって帰りましょう。止むまで待つしかないのでしょうか。この雨の中を、強行突破など、したくはありません。帰るタイミングを狂わせて仕舞いました。失敗、失敗です。

日々是好日
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『となりのトトロ』を見て

2008-08-29 08:13:16 | 日本語の授業
 今日は、大雨が降るらしいのです。昨日も、帰りは、「『雨』さんの隙を突いて」バアッと飛び出しました。今朝もそうです。「雨音がしているな、どうしょう、歩いていった方がいいのかしらん」と耳を欹てているうちに、どうやらあたりの空気が変わって来たのです。

 窓を開けてみると、誰も傘を差していない…。ソレッとばかりに自転車で駆けてきました。時々、稲妻が光ります。「舗装されているから」とでも言いようがないのですが、水たまりが所々に出来ています。そのたびに速度を緩め、弧を描くようにして避けて走ります。

 あ~あ、ぽつり、ぽつりとやって来ました。心は急いても、技術がありませんから、急ぐ心を押し殺して、ゆっくりと安全運転、安全運転です。今朝は、さすがに、のんびりと毛繕いをしている野良猫を見かけませんでした。どこか屋根のあるところで、寛いでいてくれるといいのですが。

 昨日「初級Ⅱ」クラスと、「上級」クラスの学生達に、アニメーション『となりのトトロ』を見せました。その前日に、三曲ほど映画に出てくる歌の指導をしました。「単語の読み」とその「粗訳」です。

 こういう、映画で用いられている「歌」というものは、映画を見ぬ限りは、そのイメージが捉えられないようにできているようですね。そのときの学生達の反応は、「単語の意味は分かった。歌詞全体の説明も分かった。しかし、それがなんなのだ」という具合なのです。もちろん、説明の時は、それは無視です。見れば分かることですから。

 そして、当日です。「初級Ⅱ」の学生達には、その前の時間に、再度歌を流し、一緒に歌っておいてもらいました。「上級」の学生が下に降りて、また、流します。声が昨日よりも聞こえていました。歌詞のプリントを見ながら歌っている学生と、画面を見ながら歌っている学生とがいます。それから、まず、登場人物の名前を板書し、粗筋を言っておきます。

 さて、映画が始まると、早速「あの歌」が流れてきました。いつもなら、この導入の時にざわざわしていますのに、画面を見ながらの、「これがトカゲ」。「これがバッタ」「これが蜘蛛」という私の声に、きちんと反応してくれます。特に「初級Ⅱ」の学生の中から、「アア」だの「オウ」だのいう声が上がっていましたから、一昨日の私のまずい絵ではどうも分からなかったみたいです…ちょっと反省。

 まず、三輪トラック(?)と田舎道の様子に、声が上がります。サツキの男の子のような行動にも、メイの無邪気なかわいらしさにも、お父さんの様子にも歓声が上がります。そして、トトロが登場し…と言う具合に、見る者を飽きさせません。

 「日本の文化」とは、「茶道だ」、「剣道だ」、「生け花だ」というふうに、何も大上段に構えて言うものではないのです。この映画の中に「『現れる』すべてのもの」が、日本人にとって、「ああ、自分たちだ」、或いは「懐かしさを込めて『想える』」ものなのです。

 古くから、トトロのような、謂わば、「森の聖霊」とも「森の主」とも言える存在は、強い力を持ち、時には恐怖さえ、人々に与えながらも、人々が「守られねばならぬ存在」でした。人々の心からそれが失われた時、「消えていくしかない」ものなのです。

 「そんなことをすると『川の神様』が怒るよ」とか、「この『樹』は、長い間生きてきて、みんなを見つめてきた。『愚かな人間』のことをずっと見て来た。しかし、愚かな人間は、『この樹を切り倒すほど愚かではなかった』」こういう類のことを、日本人は子供の頃から、「おとぎ話」のように聞いて育ってきました。いえ、育ってきたはずです。

 しかし、戦後、「語り部」たる「祖父母」、あるいは「村の長老」たちの存在が希薄になり、この文化も失われつつあるかに見えました。日本がアメリカに負けて、アメリカの文化が怒濤のように、日本の全土を席巻したのですから、しょうがありません。

 初めは、欧米文化の母体とも言うべき、「ギリシャ神話」や「北欧神話」、「新約聖書」「旧約聖書」などを通して…。いつしか、「日本の昔話」と同じ程度に、そういうものに親しむようになっていたのです、子供の頃から。なんといっても、「負けた」のですから。「勝ちを得たもの」の方が、いいと思ってしまうのは当然でしょう。

 それが、いつのころからでしょうか。アメリカで「日本の経済力」が、実質以上に喧伝され始めた頃からでしょうか。少しずつ、日本人は「『日本人であること』に対する自信」を取り戻していきました。

 けれども、「日本文化に対する『誇り』」というか、「それを、『日本人』は大切に守らねばならぬという『覚悟』」めいたものは、なかなか回復しませんでした。今から見れば、「見失っていた」のかもしれません。「日本文化などあるのか」と、「あるのなら、見せてくれ」と言われるほどに、分からなくなっていたのです。敗戦後、すべてが否定されましたから。大衆娯楽たる「歌舞伎」まで、占領軍によって「可不可」を決められていたのです。

 その頃は、日本はまだ貧しく、政府も、とにかくはやく「みんな」を、「すべての日本人」を「貧しさから救う」ということが緊急課題でしたから。政経一体だったと言ってもいい時代でした。

 「日本文化」のことにまで、「心」が回り始めるのは、「戦後」でも、「戦後はもう終わった」と言われた時代でも、なかったと思います。その頃、「公害」と「『農業政策』の失敗」で、田畑は荒れ、海は悪臭を放っていましたから。

 そのうちに、日本の文化を体現していた人達が、一代、一代、また一代と滅んでいきました。そんな時代、バブルで狂っていた時代に、この『となりのトトロ』や『もののけ姫』が、日本人の失われつつあった原風景を映像化し、日本人の子供達に「伝えていくべきもの」「伝承していかねばならぬもの」を、みせてくれたのです。

 「伝承文化」というのは、本当に大切にしなければ、すぐに消えてしまうのです。か弱く、か細く、儚いものなのです。見えなくなったら、もうそれで「お仕舞い」なのですから。森の樹と一緒なのです。切ってしまったら、もう「終わり」なのです。

 こういう日本の、「古くから日本人の心に存在していたもの」と、彼ら(外国から日本へ来ている人達)自身の国の、そういう古いものとを、比較しながら、ある人は「共通点を見つけるべき」だし、ある種の人達は、共通点や同質性でなく、「違いを見つけるべき」なのでしょう。

 そのためにも、「となりのトトロ」を、この学校では必ず見せています。説明を必要としない、「文化の伝道者」として。

日々是好日
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(日本の)大学の学費は?

2008-08-28 07:44:27 | 日本語の授業
 今日は曇り空。雷雨の予報が出ていましたが、とにかく、ムシムシしています。暑い。

 さて、昨日、大学の学費のことで、どうも腹に据えかね、学生たちに注意してしまいました。

 日本人の間では、金銭に関することは、普通、話題にするのを「はばかる」という傾向があります。「『銭、銭』と言う人を卑しむ」のです。もちろん、お金は「大切」です。お金が「大切」であることと、それを「口に出す」こととは違います。

 「あぶく銭」だの「『濡れ手に粟』で稼いだ」だの、こういうことを言っている連中は、「堅気ではない」とか「『地に足のついた』生活をしていない」とか言われてしまいます。「バブルで踊っていた人」が、最後に警察に捕まった時も、やっぱり「こんなでは日本はだめになる」と言われたものでした。

 しかし、外国人を相手の仕事では、「お金のこと」を声高に言わねばならぬ時が少なくないのです。「知識は『お情け』でなく、『自分の力で買うもの』」であり、「学校に通うには、お金を払わねばならない」という認識が、一般に、途上国では薄いのです。

 まあ、考えて見ますれば、途上国で知識があるのは、だいたい「有産階級」と決まっています。、働く必要もない人達なのです。つまり、親から子へと伝わってきた、先祖伝来の財産で、食いつないでいる人達ですから、貧しい人に「知識を『施す』」のに、抵抗はないでしょう。どうせ、自分や両親が「汗水垂らして、稼いだ金」で得た知識ではないのですから。

 そこが、日本との違いという所でしょうか。口幅ったい言い方をさせていただくならば。

 日本では、「格差」が広がったと言われる現在ですら、途上国に比べれば、「格差」とは言えないほどのものです。こういう国では、努力すれば、「自分の力で」知識や技能は得ることが出来るのです。

 「熱心さ」と「ひたむきさ」で自分を売り込み、すばらしい「技術(陶芸や染色など)」を身につけた人もいます。この時には、お金がなくても、相手の方(師匠、先生)がその学生(弟子)を見込めば、住み込みにしてくださったり、安いアパートを(保証人になって)紹介してくださることもあるでしょう。

 これは、「お金」の代わりに、「労働」で「学費」を払っているというわけです。

 話は元に戻ります。最初の「大学の学費」の件です。実際の所、「日本の大学の学費は高い。こんなに払えない」という外国人の学生は、少なくないのです。

 しかし、そうでしょうか。

 日本の大学には、多く「減免」という制度(?)があって、外国人の学生を優遇してくれています、それは「外国人に」だけであって、「日本人の大学生にはない」のです。そのことも彼らは知りません。外国人の中には、「『喚き得』の国」から来た人達もいます。こういう人達は「騒いでいれば、(うるさいし、面倒だから)他の人は折れる」ことを、伝統的に身体で知っています。一人が「喚け」ば、すぐに皆が「唱和」します。

 彼ら(外国人)と反対に、私たちの認識は、「外国人は優遇されている」です。

 「日本人」の高校生や予備校生の中には、「(大学の)学費が高くて、大学に行くのをあきらめたり、高校卒業後、何年間か働いて学費を貯めて、それから試験を受ける人もいる」のです。

 そう説明すると、「アメリカ」の大学院を出て、日本へ来たという台湾の女学生が、「ええ!『日本人の方が高いの!』どうして?『アメリカ』じゃ、外国人は『アメリカ人の学費の2倍か3倍』なのに」と驚いていました。

 案外、こういうことは知られていないようです。

 去年、ここで学んでいたチリから来た学生は、その前に、「イギリス」に留学していたのですが、留学生は「イギリスでは、働くことが許されていなかった」ので、とても大変だった。(もちろん、こっそりアルバイトをしていたそうですが)」と言っていました。

 言いにくいことですが、「この『減免』のお金も、私たち日本人の税金から出ている。もし、勉強する気がないのなら、日本へ来ないでもらいたい。来る人が多ければ多いほど、私たちの税金が使われてしまうわけだから」とまで言ってしまいました。

本当に、私たちは、勉強したい人を教えたいのです。その人達だったら、私たちはいくらでも力になれると思うのに、そう言う人達はなかなか、私たちの「『網』にひっかかりません」(なんだか、書いているうちに、自分がいい学生を求めてさまよっている、「蜘蛛」に見えてきました。もう10年もしたら、私の体力もなくなり、教えることが出来なくなるような気がするのです。『上級』は講義形式でもいいのですが、『初級』は「肉体労働」ですから)

 その上、「『日本人』が、学費が高いことが理由で、大学進学をあきらめざるを得ないのに、税金も払っていない父母の子である『外国人』が、安く大学へ入ることが出来るのはおかしい」と、経済的に余裕になくなった日本人が、言い出すかもしれない。そうなったら、もっと高くなるでしょう、日本人と同じになるわけだから。

 それでも、留学生に「アルバイトを禁じている」国や、自国の学生よりも、「二倍も三倍も学費をとる」他国に比べれば、どれほど「まし」か、しれないのですから。

 中国もそうですね。比較にならないくらい、外国人は高かった。けれど、当時、中国は、貧しかったし、私たちも「外国人から『ボル』より仕方がないのだろう」と、ヨーロッパから来た留学生達と一緒に話していました。

それに、北京大学の学生と話している時のことです。彼に「どうして北京大学は、日本の大学に入れなかった人までいれるの。大変だろうに」と言うと、「お金さ。決まっているだろう。自分の国の大学生にさえ、十分な教育が出来ないのに、他の国の学生、特に先進国から来た学生なんかに、教育なんてしてやる必要がどこにある。居させてやって、『北京大学卒業』の肩書きを売ってやって、それで、中国の学生や教師に豊かな生活をさせてやれるんだからすばらしいことさ」と答えていました。それは、国策なんでしょう。育てる必要のある学生は、皆「国費」で来るわけですから。

 けれど、「外国人より『日本の学生の学費の方が高い』」ということ、日本の学生の中には「『学費が払えない』という理由で、大学をあきらめている人も少なくないのだ」ということは、彼らに知っておいてもらいたいと思うのです。

 日本で、「日本の大学に入れる」ということは、「彼らの、つまり、自分の力だけではない」のです。無形の、税金をまじめに払っている無数の、日本人や日本在住の方々のお陰でもあるのですから。

日々是好日
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若年層の日本語教育

2008-08-27 08:25:59 | 日本語の授業
 今日は、本当に久しぶりのいい天気。「青空ってこんなに青かったかしらん」と、もう少しで、空の「青」を忘れてしまうところでした。

 来る途中、小学校の桜の樹に「黄葉」を見つけました。少し前なら、陽の激しさに灼かれた「病葉」としか、見なさなかったでしょうに、今では、自然に「黄葉」と見ている自分に驚かされます。

 しかしながら、昔の人は便利なものを考え出しましたね。雨が続けば「しょうがない。秋の『長雨』と昔から言うではないか」とため息をついたでしょうし、晴れが続けば「やはり『秋空は爽やか』と決まっているもの」と喜んだでしょう。

 同じように、五月も厄介です。「五月雨」という言葉から連想するのは、その前の「菜種梅雨」から続く、「雨天」のイメージですし、「五月晴れ」と言われれば、これもやはり「清々しさ」さえも感じてしまいます。

 もちろん、「晴れっぱなし」のお天気の頃には、別に「晴れ」に、希少価値があるわけでもないので、そんな言葉など作られはしないでしょうし、「雨」が多い季節だからこそ、「晴れの清々しさ、爽やかさ」を、よりいっそう強く感じてしまうのでしょう。

 さて、この学校には、今、非常に年若い学生が、6名います。いずれも中学校か、或いは、本来ならば高校に行っていなければならない年頃の子達です。いわゆる、大人と一緒に学んで行くには、本人の資質が関係するとはいえ、多少無理があるといえる年頃なのです。

 この中に、同じ年齢でありながら、全く異なった状況の下で、日本語を学んでいる子が、二人います。

 一人は、日本の中学二年生に編入しており、放課後の二時間ほどという約束で、日本語を学んでいます。

 もう一人は、一年後には母国へ帰り、そのときに学業は続けるので、日本語だけ身につけられればいいと、いわゆる「通常のカリキュラムに則って、『みんなの日本』を、通常の時間に」大人達に混じって、学んでいます。

 これも、どちらの方法がいいのか、私たちの乏しい経験からは、何とも判断のしようがないのですが、我々のこの半年を振り返ってみますと、いくつか考えさせられることがありました。

 もちろん個人差はあります。しかし、両名とも、母国では、「出来る子(学校)」で通っていたということ。ご両親が双方とも勉強熱心であるということ。日本語がここで生きていく上で、必要不可欠なものであるということなどを、はっきりと認識していることが共通しています。

 大人の中で学んでいた、フィリピンの子は、学びながら考えて、考えながらまた学ぶという勉強の仕方が身についていましたから、勉強の面ではそれほど心配していなかったのですが、この14歳から15歳という時期は、勉強だけでなく、友人や友だちとの「遊び」などもまだまだ必要です。(もちろん、『数学』や『社会』などの教科の勉強も)

 勉強を始めてから、二ヶ月くらい経った頃でしょうか、何となく、精神的に不安定になっているような気がしました。友だちがいないせいか(同年齢の子供と、一緒に遊んだり、勉強できないせい、或いは、同年齢の子達との社会生活が出来ていないせい)とも思われましたので、中学校入学を考えてみるように親御さんに勧めてみました。

 私たちに、出来ることには「限り」がありますので、子供達の様子から、何かしら問題が生じた場合は、その解決策を探り、もし、ここで解決できないような場合は、出来るだけすみやかに、親御さんと連絡を取り、対策を考えてもらうようにしています。ただ提案は出来るのですが、決定権は我々にはありません。

 そのうちに、また「戻り」、また「不安定になり」を、それから、二度ほど繰り返したでしょうか。今は安定しています。少々取り越し苦労だったかとも思ったのですが、それは今だから言えることで、この時期の子供は、普通に暮らしていても、バランスが崩れやすいのです。今では、もうすぐ『みんなの日本語(Ⅰ)(Ⅱ)』が終わり、9月の第二週からは、『中級』に入れるでしょう。うまくいけば、帰国するまでに、『中級』が終われるかもしれません。

 この子は、それなりのやり方も(ご両親の考え方、この子の覚悟など)も、分かりましたので、後は残された期間に、出来るだけ日本語を入れることを考えているだけです。それくらい、この学校にいる時間が「濃密」だったと言えましょう。フィリピン人は一人でしたし、初めの頃は、子供も一人だったので、課外活動で外へ出る場合などは、出来るだけいつも一緒にいて、ひとりぼっちにさせないようにしていました。

 そんなわけで、今、私たちがちょっと考え込んでいるのは、もう一人の、日本の中学校に、学年を落として入っている子(本来ならば、中学三年生ですが、ここでは二年生)のことです。

 彼女は、日本に来てからも、タイ語の分かる人達や、ボランティアの方達の間では、「ああ、あの頭のいい子」で通っていたそうです。確かにまじめで、宿題はしてきます。けれども、日本語を学ぶ時間が圧倒的に少ないのです。その上、日本語だけに集中するわけにはいきません。学校の勉強も進んでいるのですから。

 二人は、ほぼ同じ時期(今年の4月)に、この学校に通い始めました。一人は通常の「日本語のカリキュラム」通り、一人は「変則的」で、一日二時間の約束でも、学校の帰りが遅いと、それが一時間になったり、「なし」になったりします。

 一人は、たとえ「大人」の中であろうと、同じように練習し、他の人が練習する時は、それを聞くことが出来ます。いろいろな国の人からなっているクラスなので、共通言語は日本語しかありません。宿題も大人と同じです。この半年間、日本語だけに集中することが出来ました。

 一人は、日本の中学校にいて、言葉の問題はあるにしても、同年齢の子達の中で過ごすことが出来ました。が、日本語は、一時間かそこいらしか、学ぶことができません。

 少し日本語が出来た頃から、まず、それほど日本語を必要としない「数学」、それから今では「英語」も少しずつ入れているのです。そうしないと、中学校において、いつまでも、特別カリキュラムの中でしか、過ごせなくなってしまいます。他の日本人の子達の中で、学ばなければ、日本の中学校に入っている意味がないのです。そうでなければ、ここで、文法などの基礎的なことを学んだだけで終わり、それを生かして使う「場」が、なくなることになってしまうのです。

 この学校の正規のカリキュラムに則ってやるには、時間が少なすぎますから、自然に「練習」や「応用」が少なくなってしまいます。

 初めは、中学校に通っているから、「友だちを通して、会話は上達できるだろう」くらいに、簡単に考えていたのですが(彼女に聞く限り、或いは我々が見る限り)、友人も同じ学校に通うタイ人の女の子、いつも彼女と一緒です。これでは、我々の思っていたほどには、中学校で日本語を使う機会がないのです。

 ご両親は、「この子は頭がよいから」と簡単に考えて、9月からでも正規の中学校の授業に参加できるだろうくらいに思っています。非漢字圏の子供の場合、高校受験は、少なくとも2級レベルの日本語でなければ、難しいのではないかと我々は考えていますが、ご両親の考えは、「すぐ日本語が上手になるはずだ。この子は頭がいいから。だから大丈夫」なのです。

 子供の実態を、説明しても分かってもらえない部分があるのです。漢字の分かる中国人でさえ、中学の二年、三年で日本の学校に入ってしまうと、大変なのに、非漢字圏で「文章が読めない」状態の人が、すぐに(わずか半年、日に一時間程度学んだだけで)日本の学校の授業についていけると考えるのは、どう考えても無理があります。

 初級の教科書『みんなの日本語(Ⅰ)』も20課前後から、スピードが落ちました。頭の中で混乱しているということがよく解ります。夏休みだったこともあり、「初級」の午後のクラスに入れて(彼らはまだ「16課」ですから、復習になってちょうどいい)、今はちょっと息抜きをさせています。年の近い、17歳や19歳の中国人の女の子と話しているのを見ると、私たちも安心します。

 彼女は、確かに日本語は上手にはなっています。けれども、使わなければ(使う機会がなければ)、すぐに忘れてしまいます。まだ、子供なのです。大人のように「頭」で理解し、どうにか出来ると言うものではないのです。

 初級の教科書が終わる「半年」ほどは、中学校へ行かずに、却って日本語に集中させた方がよかったのかもしれないと、今考えたりすることもあります。その方が、勉強の習慣もついている、まじめなお子さんにとっては、学校へ通うことになっても、友だちも作りやすいだろうし、勉強の負担も軽くなるとは言えないにしても、理解できることが増えるのではないかと思うようになっているのです。

 しかし、もう学校に通っていますから、できれば、午前中は「中学校でみんなと一緒に勉強」し、午後は「日本語学校に来て、外国人達と一緒に日本語を勉強する」形をとれないかと、思っているのですが。

 もちろん、これはお金のかかることなので、何とも言えないところもあるのですが。

日々是好日
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お札の「顔」は、文学者

2008-08-26 07:45:54 | 日本語の授業
 今日も雨です。小雨がぱらつく中を、自転車を走らせてきました。濡れた町はしっとりとして、いいものです。空気までが違います。雨の匂いというのはいいですね。「緑の匂い」まで運んできてくれます。

 公園のそばを通った時、ふと虫の音が「草むら」から響いてくるのに、気づきました。ほんの数日前までは、「空」から降っていましたのに。

 今日は、道を少し変えて、普段は通らない所を走らせてきました。新しい発見がありました。そこに、ちょうど一軒分が空き地になっているところがあったのです。まだ草ボウボウです。整地は、されていません。

 少し山の方だったら、きっと「ヘビの棲み家」にでもなっていたことでしょう。しかし、ここは海の近くですから、怖いヘビなんていません。そこを、宵待草と露草とエノコログサが占領していたのです。なんだか、久しぶりに宵待草を、見たような気分がしました。その茂みの中からも、虫の音が響き渡っていました。

 なにやら寂しげですね。秋は「物思う頃」とも言いますが、反対に「よく眠れるようになる頃」「太る頃」でもあります。夏の間は、夜間、冷房を切っては、つけ、つけては切りを繰り返し、暑さの中で「のたうち回っていた」ものでしたが、夜間の冷房が、必要なくなる今日この頃は、ぐっすりとよく眠ることが出来て、本当に幸せです。冷房をつけるという「罪悪感」に駆られることもありませんし。

 そういえば、こういう頃が「泥棒さん」の「一番いい『稼ぎ時』」だとか。みんな鉄砲玉が降ってこようが、槍が降ってこようが、起きるこったあ、ありません。

 さて、昨日、生徒さんの作文を見ている時、こんな件がありました。

 「紙幣に登場する人物というのは、普通どの国でも、国のトップか、有名な政治家なのに、日本の紙幣には知識人や作家が、登場している。これはとても珍しい」

 (この生徒さんというのは、在日の方で、日本に来て十数年。大学での専門は英語だったそうですが、現在、日本の大学や講座などで中国語を教えています。自分の学生さんに、日本語で評を書きたいと、ここへ通うことを決められたそうです)

 これは、この方の職場の休憩時間での出来事で、そこで、「千円札の顔」が話題になったのだそうです。きっかけは、英語を教えているカナダ人の教師の言葉で、それが上述したあの一件なのです。

 そういわれてみれば、そうなのかもしれません。だいたい、王制の所では、国王の肖像画だし、中国でもそうです。まあ、王様ではありませんが、それに等しい絶対権力の持ち主が、高額紙幣の顔となっています。

 日本では、今、千円札は「夏目漱石(作家です)」ですし、二千円札は「紫式部(平安時代の作家です。千年ほども前の女性ですが)」です。五千円札は「樋口一葉(明治の女流作家で、惜しいことに夭折しました)」ですし、一万円札は「福沢諭吉(明治の啓蒙家にして教育者)」です。

 王様(例えば、エリザベス女王)や独立戦争などの志士が、お札に登場しないのはどうしてでしょうね。外国の方はこんなことにも、不思議を感じてしまうのでしょう。(私などは、どうして日本画や工芸家が、「お札の顔」にならず、文学者が優遇されてしまうのかと、却って不満に思ってしまうのですが。政治家は論外です)

 さあ、どうしてなのか。まず、自分が「紙幣の顔」になっていたらと、少々図々しいことから考えてみましょう。

 嫌ですね。財布の中に突っ込まれていたり(真っ暗です)、時にはしわくちゃにされたり、「面を張られ」たり、踏まれたりすることもあるかもしれません。

 そうされても、許してくれそうな人というと…。

 まあ、そういうわけではないのでしょうが。戦前だったら、日本の王様、天皇を「紙幣に登場させる」なんて、絶対に考えられないことだったでしょう。そんなことを提案しただけで「不敬罪」として、牢にぶち込まれたでしょう。いえ、いえ、それどころか、絞首刑になっていたかもしれません。

 国の象徴的人物を、紙幣にする国とは、そこのところが違うのかもしれません。天皇の象徴は「菊の御紋」ですから、「その御紋」を載せることはあっても、「お顔」は…やはり、今でも考えられないですね。

 それが、時には女帝も交えて、1500年以上も、連綿と続いてきた「天皇家」の、すごいところなのかもしれません。もし、だれかが、今、それを、提案したとしても、「天皇のお顔を、お金にするなんて」と、多分、今でも、多くの人達は嫌がることでしょう。

 このように、外国の人達の「何気なく発せられた一言」が、普段私たちの気づかないもう一つの「自分たち」を見せてくれることがあります。

 大学や専門学校の受験準備に、よく「日本へ来てびっくりしたこと」とか、「うれしかったこと」「嫌だったこと」などを書かせるのですが。あるスリランカの学生が「東京湾の海は青くなかった。黒かった」というのがありました。

これは、「東京湾の海水が汚染されて、汚い」というのではなく、南国特有のあの「コバルトブルー」ではなかったことに、驚いただけなのですが。

 ロシアからやってくる流氷を、こういう南国の学生達には見せたいものですね。彼らは「東京には雪が降る」という、この一事を楽しみに、冬の寒さに耐えていたのですから。

日々是好日
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オリンピック、「宴の後」

2008-08-25 07:47:00 | 日本語の授業
 今日は、明け方、雨が降っていたようです。ビニール袋に包まれた新聞に、わずかに、雨滴がついていました。

 こういうのは、過剰包装とは、言わないでしょうね。雨でびしょ濡れになると、読みにくくなるし、「朝っぱらから…」という気分にもなりやすい。これは、読者の気持ちを考えた、サービスと見なすべきでしょう。

 今日、学校へと自転車を走らせていますと、路上に、力尽きて、落ちてしまった蝉を何匹も見かけました。轢いてしまわないようにと、気をつけて走らせていたのですが、中には、車や自転車にひかれた姿のもあり、昨日、一昨日の雨とも併せ、何となくうら寂しい気持ちになってしまいました。夏の、華やいだ季節が、これで終わり、沈黙の冬へと静かに移行していくのでしょうか。

 さて、北京オリンピックも、終わりました。オリンピックやワールドサッカーが始まると、嫌でも気づいてしまいます(これは、「そのことを知らなくても」という意味です。実際問題として、そういうことはあり得ないのですが)。

 授業中、眠たげな学生が増えるからです。中には、耐えきれず、うっぷしてしまう不埒者もいます。それでいて、「眠くない。眠くない」を繰り返すのですから、とんでもない奴らです。授業中は、垂れてくる瞼と格闘しているくせに、なぜか休み中は元気なのです。といって、「テレビを見ていた」などと金輪際「吐かない」のです。聞けば聞くほど、カエルさんの口が横に引き結ばれていきます。それで、授業中は「吐かす」作業をやめて、授業を進め、休み時間にそれとなく耳を澄ませておりますと、聞こえてくるのは、すべて「オリンピックか、サッカー」の話。本当にどうなっているのでしょうね。

 さて、宴の後、中国は、どうなるでしょうか。

 そもそも、このオリンピックは、不思議なオリンピックでした。「開会式」を巡っても、中国人と、日本(「大部分の先進国の」とも言ってもいいでしょうか)人の考え方、主張の仕方に、多くの違いがあることに、少なからぬ人々が気づきましたし、この期間、ずっと、「何事も起こらなければいい」と思う気持ちと、「何事も起こらなければ、却って、中国にとって悪いことになるのではないか」と不安になる気持ちとが、交錯していました。

 それに、「金メダル」も、不思議でした。

 普通は、各国の「お家芸」とでも言いましょうか、例えば、陸上競技の100㍍、200㍍、リレーなどで、その神業的な速さを披露した、ジャマイカなどがその例なのですが、「この競技は、この国」といったものが、あるのです。

 中国は、メダルこそたくさん取ったようですが、何か、「みんながスポーツをやっていて、幸せな国」とか、「たくさんの人が、スポーツを楽しむことが出来る国」といったイメージがないのです。スポーツに付随する、明るいものがないのです。

 何でも、数、数、数、多ければ、多いほどいい。それに、一番、一番、一番じゃなければだめだ。「わあ、わあ、わあ」応援の声は大きければ大きいほどいい。自分の国が一番なんだから、自分の国だけ応援していればいい。他の国なんて知ったことか(せっかく参加してくれている国のことなんて考えません)。そして「どうだ。中国が一番だろう。もう、中国は世界で一番だ。すごいだろう」と臆面もなく、喚いている国。そういうイメージが湧いてくるだけなのです。

 私は、実際に中国で生活したこともありますから、この中でも解る部分、そうなってしまうだろうなという部分があるのも、それなりに理解は出るのですが、そうでない人には、これがわからない。「嫌だ。中国に行っていたの。あの国は…」という声が、オリンピックの間、よく聞こえてきました。

 それに、私は、中国人で、すばらしい人を何人も知っていますが、その人達とこの(オリンピックの)イメージとが結びつかないのです。その差に苦しんでしまうのです。

 「あの人達も、こういう形のオリンピックを喜んでいるのだろうか」と。「中国にとって、(たとえ、中国の政府の人が言ったように、『中国には未開に近い〈この言葉に近い言葉でした〉人達と、現代人とが同居している。これらの人達を束ねていかねばならない所に、政府の苦衷がある』としても)、よかったのだろうか」と。

 スポーツは、嘘をつかずにやるから、みんなが見るし、感動するのです。嘘があったり、「なあなあ」でやったりしたら、もう「スポーツの祭典」とは言えないでしょう。

 昔、ギリシャでは、オリンポスの神に捧げられたものでした。人間は騙せても、神を騙すことはできません。それ故に、「暗黙のルール」というものがあったのです。勝利者には月桂樹の冠だけが与えられました。それでもよかったのです。この冠がすべての名誉と栄誉を意味していたのですから。

 この「おとぎ話」に、もう一度立ち返ってみるべきなのではないでしょうか。

 いつの世にも、「おとぎ話」は必要です。それを「信じられた」から、ヒトという種は進化出来たのでしょうし。また、今でも「おとぎ話」に「夢を見て」、人生を歩んでいる人達が、ごまんといるのも、それを証していると思うです。

 一時、止んでいた雨がまた降り出しました。今日は、このように「遣らずの雨」になって、ヒトをこの場に押し止めてしまうのでしょうか。

日々是好日
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「中学生さん」達の補講

2008-08-23 12:30:56 | 日本語の授業
そろそろ「オープンキャンパス」の頃ですね。楽しく行って、楽しく帰って来られるといいのですが。

 大学の先生方にもお願いです。何かのご縁があって、せっかく見学に行った外国人の学生達です。嫌な思いをさせないように、「お心遣いの程を」、お願いいたします。

 それはさておき、また、「中学生さん達」の話です。水曜日はバラバラとやってきました。一人は、定刻の二十分くらい前に、一人はお金をおろしたので遅れたと、定刻より二十分くらい遅れて。タイの子は、その一時間後に、お弁当にパンを抱えて(しかし、かわいそうに食べられなかった。すぐカードを渡して、覚えるように言ったので。多分明日からは食べてから来ることでしょう)ニコニコしながら、やって来ました。

 早く来た子は(定刻前にきていても、始まる時間まで)、ぼんやりしているのです。中学生に毛の生えた程度の子達ですから、しょうがないと言えばしょうがないのですが、これではね。早く行くように親に言われ、その通りに来ていても、学校に来てから「後がない」のです。中学校ではありませんから、友だちもいませんし。早く来たことを、ただ「褒めてもらってうれしい」だけの顔をして。それを見て、「ふむふむ。来たらすぐに、単語カードを渡し、自習の習慣をつけさせねば」と、心を新たにしたのですが。

 まず、一番始めに来た子に、「1課」から「12課」までの絵カードのうち、「動詞」の半分を渡し、覚えるように言いました。その子が、ワッサワッサと覚えているうちに、もう一人が来たので、残りの半分を渡し、同じように言います。

 一時間ほど過ぎてから、タイの子が来たので、「12課」までの「形容詞」の絵カードのうち、半分を渡し、覚えるように言いました。そのうちに、前に来た子から、「覚えた」という声が上がりましたので、「動詞」の「13課」と「14課」の絵カードも入れていきます。

 彼らの「覚えた」は、正確に言うと、「覚えた」ではありません。「二回ほど、(教科書の)翻訳を見て、確認が取れた」という意味なのです。母国でも、きっとそうだったのでしょう。

 後は、「『覚えた絵カード』を、まだ『覚えていない絵カード』と交換するというやり方で、10時まで個人作業です。個人作業といっても、私が、すぐ目の前で、「耳をそばだてて」、「単語」や「発音」の間違いを言い立ててやろうと待ち構えているのですから、気が休まる時間もないでしょう。その上「文句(三人から見ればそうでしょうね)」をつけたりしたものですから、一時間もしないうちに、最初に来た子が音を上げてしまいました。「先生、疲れたあ」と。

 やはり、身体は正直なもので、「来た順」に疲れていきます。

 それが終わったら、もう一度、絵カードを使って、みんなで確認をし、次に「昨日渡したプリント」の読み合わせです。昨日よりよかったところは、書いている言葉以外の単語が出始めたことでしょうか。それが終わってから、カタカナの練習です。そして、11時から12時まで、「問題集」をやっておくように言って、私は別のクラスの授業に行きました。

 さて、翌日の木曜日です。またタイの男の子が遅れました。「昨日あれだけきつく言っておいたのに」と、ムカムカしながら待っていると、10時過ぎにハーハー言いながらやってきました。そして、電車の遅延証明を見せて、「先生、先生」と言います。妙典の駅で事故があり、それで、「電車」が遅れたのであって、「自分」が遅れたのではないということを言いたいのです。けれど、(言いたいけれども)言えない、言える言葉がない。言葉はないけれども、言いたい。その繰り返しで、いらいらしながら、全身を揺らしています。

 解りましたので、わたしも「ハイ、大丈夫」と言い、すぐにカードを渡しました。もう何をすればいいのか解っています。絵カードを見ては、大きな声で言い上げます。覚えていない単語は、翻訳を見ていきます。タイの学生は、特に「発音の問題」が大きいので、一斉授業では、なかなか時間をとりにくい。このような「一対一」で教えられる時に、指導を加えておきます。中国人の発音も「ナ行」と「ラ行」が混乱しているという例はありますが、ここにいる二人の中学生達にとって、「発音」は、それほど大きな問題ではありません。

 タイの子は「ヒ」と「イ」が同じに聞こえるのでしょう。「ハヒフ…」と言うと、「あ。『ヒ』だ」。と言えるのですが、単独だと聞き分けられないのです。けれども、まだまだ、一ヶ月。耳の問題は、時間がかかります。

 もっとも、本人はそうはいっていられないようです。似た「音」が多く、聞き分けられないので、自分で自分に怒っています。「チ?」「シ?」。「シャ?」「チャ?」小首をかしげながら、「うん、うん」言っています。「大丈夫、大丈夫。いらつくな。直によくなる」と、こちらも目で言って、まずは1課から15課までの単語の復習です。それから、三人に、「カタカナ」のテストをしました。「表」は書けるけれども、カタカナで書かれた単語を読むのは難しいようです。

 そして、金曜日。昨日はタイの男の子が一番乗りです。そして、一生懸命、「3時に起きた」と言います。「『朝起きられないのではないか』と心配で、眠れなかった」と言うのです。見たところ、目も赤いようでしたし、大丈夫かと心配になりました。聞いてみると、力なく頷いて「大丈夫」と応えます。ますます心配になって、「何時に寝たのか」と聞いてみると、「9時」。全く、もう。心配しただけ損をしました。

日々是好日
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卒業生と『大学入試の面接』

2008-08-22 07:34:44 | 日本語の授業
 三年前に卒業した学生が、昨日「研究室の先生と一緒に、みんなで長崎へ行ってきた」と、お土産のカステラを持ってきてくれました。

 そのときに、実習(少し古いのですが、私にとってはこういった方が、ぴったり来る)のこと、卒論のこと、就職のことなども話していたそうです。

 私は、あいにくなことに、授業中でした。けれども、ちょっと覗いてくれたので、その時と、職員室に戻って、次の授業までの5分ほどしか話せなかったのですが、この日本語学校に対する「彼の思い」と、今の大学に対する「誇り」、そして自分に対する「自信」のほどは、十分に見て取ることは出来ました。

 ありがたいことです。この学校を忘れずにいてくれること、そして進んだ大学で、すばらしい先生方や友人に出会えたこと、また、そこで自信を持てるまでに学べたこと。すばらしい限りです。

 それにつけても、思い出されるのは、この学生が、大学進学を勧めた時に見せた「躊躇」でした。

 中国人の学生は、レベルが高かろうが、低かろうが、可能か不可能かに関わりなく、ほぼ例外なく「大学へ行きたい」と言います。

 けれども、彼ら(スリランカ人)は、そうではなかったのです。少なくとも、私たちの学校に来たスリランカ人は。

 彼らの周りの人達、つまり、彼らよりも先に日本へ来ていたスリランカ人は、アルバイトに精を出し、よくて専門学校、悪ければ、どこかへ行ってしまうといった風だったらしいのです。これも、彼らを入れてしまってから、気づいたことで、知ってから愕然としてしまいました。

 しかし、彼は、スリランカでも、いわゆる「進学校の出」で、しかも、勉強をする知的能力も、知的体力も、肉体的体力もあるのに、いざとなると、専門学校と言い出したのです。

 アルバイトと勉強とで、疲れ果てていたのかもしれません。今でも覚えているのですが、彼は、『初級(Ⅰ)(Ⅱ)』は二冊とも、暗記していました。『中級』に進んでからは、漢字と首っ引きで、とにかく、よく勉強する学生でした。

 大学に進んでからも、二年の時には「日本語能力試験(二級)」に合格し、今年は「一級」を狙うと言っています。彼は10月生でしたから、「あいうえお」から始めた場合、一年半と二年という差は大きいのです。大学入試は、ほぼ一年で受けなければならないわけですし。

 そんな彼でも、周りが、楽をして(スリランカ人はヒアリングと会話はすぐに上達します。これはどうも知的能力とは関係ないように思われてなりません)お金を稼いでいるのに、また、大学へ行ってこんな大変な勉強を続けるのかと、先が見えないことから(大学へ進み、知的好奇心を満たすと同時に、彼らの国では出会えないような先生方と近づけるという経験を持っている同国人が少なかったせいでしょうか?)挫けそうになったのかもしれません。

 一つ目の大学の面接に行った後、どんなに説得しても、「大学は嫌だ。難しい」と言い張って、言うことを聞かなくなったのです。当時、私たちは、「彼は大学進学以外考えられない」と思っていましたので、ちょっと冷却期間をおいて、ゆるゆると説得することに決めました。

 そして、一・二週間がたった頃、解ったのですが、いわゆる、最初の大学の面接による「トラウマ」だったのです。最初の大学で、面接した大学の先生が「君は、漢字は解らないだろう。」と、中国人と比較して、そんな学生は、「面倒だ」的な応対をしていたらしいのです。しかもネチネチと。それで、(そのときの面接も、私たちが騙し騙し行かせたものでした)もう嫌!という風になってしまったのでしょう。

 彼からそのことを聞いて、本当に頭にきました。「成績で切る」ならまだいい。人物を見るわけではありませんから。「面接」というのは、「点数に出ない」部分を見るために行うのです。彼は、「あいうえお」から、わずか一年で、あれだけの状態にまでなれたわけですから、そんなことは話せば解ります。漢字云々するのなら、読ませたり、書かせたりすれば、解ることです。とんでもない大学であり、先生だと腹が立ちました。大学の先生というのは、研究者と言うだけではありません。教育者というもう一つの面も持っていなければならないはずです。

 この、「面接でひどい目にあった」というのは、彼だけのことではありません。他にも、オープンキャンパスに行った時に(オープンキャンパスですよ。大学入試の面接ではありません。お祭りです。誰も行かなかったら、「枯れ木も山の賑わい」にさえ、なりはしないじゃないですか)、皮肉を言われたりした学生が何人もいます。

 もちろん、そういうことを聞けば、私たちも、「そういう大学、乃至そういう大学の学部を、二度と学生に勧めることはありません」。また、他の外国人に聞かれても、「やめた方がいい。外国人に親切じゃないから」と言います。

 外国人が、日本で暮らす場合、「受け入れ機関」が、何よりも気をつけておかなければならないことは、「孤立させない」ということです。特に、日本語学校の学生は、大半が「専門学校」や「大学」進学(或いは「日本企業」就職)を考えていますから、彼らの進学先が、ただ単に大学のレベルだけでなく、外国人に親切に応対してくれるかどうかも考えておかなければなりません。

 これも、実際に進学した学生達の言葉から類推していくしかないのですが、一つ確かなことは、学生が生き生きしているかどうかということなのです。特に、勉強が目的の学生が生き生きと勉強していられるかどうかなのです。

 この学校でも、いい加減に勉強していた学生が、進学先の大学の悪口を言っても、私たちは相手にしません。結局、お互い様なのです。そういう学生でもいいから来てくれと言った大学と、どこでもいいから大学に行きたいと思った学生と、似たもの同士の共存です。文句を言ったら、(両者共に)罰が当たります。

 けれども、よかった、よかった。彼は本当に楽しそうでした。悩みも当然あるでしょうが、それを凌ぐものが見つけられたのでしょう。

 あとは、「一級試験の合格」と「採用された」という報告を待つばかりです。就職は再来年の話ですが(オニさんも、おなかを抱えて笑っていることでしょう)。

日々是好日
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『大学院』合格の知らせ

2008-08-21 07:53:14 | 日本語の授業
 今日も蒸し暑い日が続きます。

 昨日、今年、卒業して、研究生として学んでいたミャンマーの学生から、連絡が入りました。「『東京大学大学院の修士』に合格した」と。

 日本に来た時から、「どうしても国際的な舞台で働きたい。難民問題を専攻したい。しかも、医療の分野で役立ちたい」という、なかなか大変な夢を持っていました。母国の大学での専攻は英語です。聞いた時はどうしょうと思ってしまいました。常識からいくと、無理なのです、どう考えても。

 そういうことが勉強できる大学も研究者も、日本では少ないのです。そうしているうちに、彼女が捜し出してきたのが、東大のある先生でした。けれども、医学の専門知識もない彼女に困ったのでしょう、初めは断られたと聞きます。それでも、「困っている人々の役に立つ仕事をしたい」という彼女の情熱と、ミャンマーでも国際機関の手伝い(通訳だったらしいのですが)をしたことがあるという経歴を見て、専門家としても、放ってはおけなくなったのでしょう。

 「この先生なら、彼女を指導してくれるかもしれない」と、同じ東大の、ある先生を紹介してくれたのだそうです。それから、彼女の「馬車馬」めいた活動が始まります。

 まず、大学院で指摘されたのが、英語の読解力(専門分野の)だったのだそうです。それで、しばらくこの日本語学校に在籍したまま、東大の授業を受けながら、英語を勉強してもいいかと、断りに来たのです。私たちも彼女の行動力に感服し、同時に、それに付随した幸運に感謝していましたので、もちろん喜んで許可しました。困ったことがあったら、すぐ連絡するようにという一言も入れて。

 ミャンマーから持ってきたお金(日本においてはそれほどの金額ではないのですが)を頼りに、アルバイトもせず、部屋に閉じこもったまま、勉強漬けの毎日だったそうです。東大の他の学生達から見れば、何の知識もない、何も出来ない彼女はお荷物だったのでしょう。けれど、そこが彼女のすごいところで、負けません。先生が、海外に出張の時に、研究室の人に冷たい扱いを受けると、「先生は、許可してくれた」と主張して、一歩も退かなかったそうです。

 私たちは、何ほどの手伝いも出来なかったのですが、強いて言えば、日本人との交流の仕方を指導したことでしょうか。

 卒業式の時に、参加した彼女が、それを学校に感謝してくれていましたから。

 他の国で勉強するためには、まず、「私は知っている」「私はできる」という言葉や主張を捨てなければなりません。

 「知っているのなら、出来るのなら、なぜここへ学びに来たのか」と反感を持たれるのがオチですから。自分のできることを見つけて、それを(騒ぎ立てて)「人に知らせる」必要なんてないのです。みんな専門家なのですから、「出来るか出来ないか」なんて、見れば解ります。

 そうではなく、学問の府では、「自分の出来ないことを捜し出す能力」が必要なのです。

 私たちが、彼女に言ったのは、この一言。「『お山の天狗』になっていてはいけない」でした。

 日本と違い、彼らの国では高等教育を受けることが出来るのは、かなりの地位と資産のある家庭の子達と決まっています。その上、彼女のように、努力して今の知識や経歴を掴んできた人は、一言で言えば、「天上天下唯我独尊」なのです。

 この日本語学校で授業を受けていた時も、決して他者に譲りませんでした。先生にも譲りませんでした。言い方もきつい(既に国で「日本語能力試験の二級」に合格していました)ので、日本人から、決して、好感を持たれるというタイプではありませんでした。その態度を、徹底的に指導していきました。

 ただ、「潔い」のです。それが救いでした。自分が誤っていたということに気づいたら、認めるのです。その良さを、大学院の先生方を始め、研究室の方達にも解ってもらいたいと思います。

 初めは、私たちのこのような指導に、反感を持っていたようですが、実際に東大に通い始めるようになると、少しずつ変わってきました。

 ミャンマーでのやり方を押し通そうとする度に、「出る杭は打たれる」式にやっつけられたのだそうです。専門家の集団ですからね、うろ覚えの知識や、こけおどしは効きません。すぐに突いてこられます。専門分野においては、誰も手を緩めないのです、なんといってもそれで喰っている人達なのですから。

 いつ頃からでしょうか、「先生達の言う通りだった」と、しおらしいことを言い始めたのは。私たちが「丸くなったな」と思い始めた頃、おそらく彼女の気持ちも「自己主張(たとえ、出来なくても、『出来る』と言い張れば、『出来た』ことになる)」の国から、「実力」が尊ばれる国に、移動が完成したのでしょう。

 「教授方との面接」の指導は、そこに重点をおいて行いました。「情熱もある、経験もある。ただ、専門分野の知識は乏しいし、言葉遣いにも態度にも、難がある」。そういう学生は、出来るだけその人の長所に、日本人の目がいくようにしなければなりません。第一印象で嫌われたら元も子もなくなるのです。

 もっとも、大学院の先生は専門家ですし、「同じ専門分野を、これほどの情熱を以て学びたい」という学生を放っておくはずがないとも思いました。それが、ある意味で一か八かかける上での、私たちの信念だったのです。

 一度認めてもらえば、彼女のやる気は「岩をも動かす」的なものでしたので、大丈夫だと思いました。

 けれども、本当に合格してしまいますと、また別の感慨があります。他のミャンマーの学生達が、易きについたり、怠けたりしているのを見るに付け、彼女のがんばりは光るのです。

「おめでとう。けれども、これからですね。がんばってください。」(教職員一同)

日々是好日

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友だちを日本へ呼びたい

2008-08-20 08:09:05 | 日本語の授業
 今日は、「朝から、穏やかな日差しが…」というよりは、「無風状態で、日が昇ってからの暑さが予感される…」ような朝であります。

 昨日、小学校の校庭に沿う道を帰ったのですが、その、校庭の木々の間から、三種類ほどの蝉の声が降ってきました。もう季節は移り変わろうとしているのですね。

 この校庭には、桜を主とする樹が植えられています。こういうのもいいですね。一色であれば、あったで、それなりにきれいなのですが、こういうのもいい。四季折々に楽しめますから。

 春には、花で、その名乗りを上げ、秋には、紅葉の違いでその存在が知られるという風なのです。何か、新しいものが、いつも発見できるわけですから、道行く人も楽しめるます。

 今は、なんでしょう。ちょうど端境期とでもいいましょうか、みんな緑が濃くなっていて、「深い緑、深い緑」のオンパレードです。解らないですね、何の樹だったのか。けれど、今の主役は、樹や葉や花ではなく、そこの住人、つまり、セミたちです。鬱蒼とした木の葉の、その影の中から、「ミーン、ミーン」だの、「シャー、シャー」だのを響かせ、短い命の限りを尽くしています。

 さて、例の「中学生さん」ですが、昨日は、タイ人の男の子が、おなかの調子が悪くて、一時間ほど遅れたこともあり、中国人の男の子二人と、用意した文型をもとに、中国語を交えて雑談めいたことをしました。

 私は、普段、教室では、よほどのことが無い限り、中国語を使わないのですが、子供達相手には、そういっていられません。彼らは勉強の習慣もついていないし、自分がどんなところにおかれているのか、自分の立場さえもわからないのですから。

 もちろん、学生の母語が話せないから、日本語教師として、ふさわしくないというものではありません。反対に、非常に流暢な外国語を話せても、ただの通訳に終わってしまえば、その人は「教師」とは、言えないでしょう。「教育めいた」ことが何も出来なければ、「文法」や「外国語」の知識がいくらあっても、それは日本語教師ではありません。

 まず、「教育」なのです。「授業」なのです。もし、これをごらんになっている方の中に、「日本語教師になりたいから、外国語を勉強しなければならない」と考えていらっしゃる方がいらっしゃったら、そんなことを考えずに、まず「教育力」をつけることに専念なさったほうがいい。「外国語は副次的なものでしかありません」。出来なければならない、というものではないのです。

 とはいうものの、「日本語を教えて、外国で暮らしたい」というのなら、話は別です。「外国で暮らす」のが「主」で、「日本語を教える」のは「従」なのですから。

 外国語は、話せなくても大丈夫です。必要になるのは「生活指導」の時だけですから。「初級教科書」の、その「単語の翻訳(母語)」すら解らないようであったら、普通の日本語学校の手におえる学生ではないのです。だから、特殊の状況と考え、考慮する必要はないのです。「そのときになったら考えればいい」だけです。

 本当に、「生活指導」では、「話せなくてもいい、解らなくてもいい」というわけにはいきません。中国人の場合は、当校でも、私の他にもう一人、中国語が分かる教師がいますので、大丈夫なのですが(その上、中国人の学生は必ず、だれかしらいますので、通訳してもらえます)、タイ語とか、シンハラ語とか、スワヒリ語などの時は、大変です。

 在日の方の場合は、たいてい彼らの知り合いに、日本語のわかる人がいますので、その人を通して(何か問題があったときは)伝えます。

 「就学生として、日本に呼びたい」という時には、「だれの紹介」かを見ます。在日の方の紹介であれば、その人が「ここで半年なり、がんばれた」かどうかを見、そうであれば、ほぼ無条件に受け入れを考えます。「ここにいたことがある」と言っても、勉強していなかった人は、よほどのことがない限り、断ります。就学生であれば、なおさらです。

 「類は友を呼ぶ」という言葉は、あまり使いたくないのですが、そうなる可能性が、かなり高いからです。いくら学生が「自分とは違う」と主張しても、結局、来た学生に「学校のルールなり、勉強の仕方なり」を説明するのは、その人なのですし、来たばかりの学生は日本語が分からないのですから、その人を頼るより他に術がないのです。

 もし、「誤った考え方、誤ったやり方」を吹き込まれでもしたら、大変です。たとえ、国では、何の問題もない人であっても、日本ではまだ簡単に、彼らの国では稼げないようなお金を稼ぐことができますし、一緒に悪いことをしようとささやく人もいますから、日本語が分からないうちは、誰がその人に説明するか、が大切になってくるのです。

 そういう例を、嫌と言うほど見てきました。「だれが、日本へ呼んだか」というのは、本当に抑えておかなければならない大切なことです。たとえ、経済的に貧しくても、目的を持ち、がんばれた人は、「成功経験」があるので、自分の友人や親戚にも、それを語ることができます。いくら経済的に豊かであっても、人頼みで終わっていれば、「枯れた蓬」のように、風任せにあっちへ行き、こっちへ行きするだけでしょう。しかも、人は弱いから楽な方へ流れてしまいやすいのです。

 「日本へ呼びたい人がいるが…」と言ってきた人を私たちが、知らなかった場合は、書類などを見て検討するしかないでしょうが、手がかりになる人を知っているわけですから、それは、ある意味で学校の責任になってしまいます。

 昨日、一人、インド人の学生が「友だちを呼びたい」と言ってきました(彼は家族ビザです)。この学生はインドの大学で、ITを専攻しています。けれども、日本語が壁になって、仕事が見つからないのです。それで、今、ここで日本語を勉強しているのですが、自分の経験を踏まえ、同じように日本で働きたいという友人には、まず、日本語学校に入って、日本語を勉強しながら、仕事を探したほうがいいと勧めたのだそうです。

 彼の友人なら、問題はありません。早速書類を渡し、一度目を通し、それから、今日、相談することにしました。何か問題があったら、彼がすべて説明してくれることでしょう。この三ヶ月あまり、彼も随分苦労したようですから。

 日々是好日
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「休み明け(大人と中学生さん)」

2008-08-19 07:44:06 | 日本語の授業
 「今日も涼しい。よかった、よかった」と思いながら、自転車で来ましたのに、着くと、汗が吹き出してきました。やはり昨日とは違います。風は、同じようにひんやりと感じられても、湿気が多分に含まれているのでしょう。

 今日は、夕方から「雨が降る可能性が高い」と出ていました。朝のお天気がこのようだと、なんとなく信じてしまいますね、お天気予報のおじさん、おねえさんを。

 さて、昨日から『初級(Ⅰ)』と『初級(Ⅱ)』で、新学期が始まりました。『上級』は、来週からです。

 7月くらいから、通い始めた人は、ヒヤリングがしっかり(?)落ちていました。今日のヒアリングの問題に、眉をしかめているのが目の端にも映りました(「ご主人や友だちと、中国語でしか話していなかったんでしょう」と、その中の一人に聞くと、そばにいた二人が、カエルさんの口になっていました。そこから類推するに、休みの間、完全に中国語の世界に戻っていたのは、合計三人ですね)。

 ちょっとかわいそうですが、しょうがないですね。これからの一週間、がまんできるかどうかが、「天王山」になります。まじめに毎日通っていれば、一週間で取り戻せますから。がんばってください。

 もっとも、本当のことを言うと、せめて三ヶ月くらい勉強してから、休みだとよかったのです。けれども、あいにくなことに、7月生は、一ヶ月経つか経たぬうちに、「お盆休み」に入ってしまい、この一週間は、一人で勉強するということになってしまうのです。

 このように、大人には、「がまん、がまん。すぐに戻る」と言い続ければいいのですが、例の「中学生さんグループ(15歳から17歳くらいまで)」の三人には、この手は効きません。この一週間の間に、完全に「異星人」になっていました。(この三人の中には、7月の中旬にやっと通うようになった子もいます)

 まず、『初級(Ⅰ)』の五課まで、カードで確認です。「うろ覚えだった」部分が、「知らない」部分になっていました。「困ったさん」顔になる度に、翻訳を見るように諭すのですが、ため息です。この状態の時、私たちが、何より怖いのが「もう、だめ。難しいから、できない。やーめた」となること。日本で、怪しい日本語を話す大人になってしまうと、いわゆる「先(将来)」が、暗い方へ暗い方へとずれていきます。

 この子達は、この日本語学校が「楽しい」と言ってくれているようなので、このスキに「覚えさせてやれ」なのですが、大人が思っているようには、いってくれません。まだ、三人とも(中国二人、タイ一人)、単語や文型を覚える以前の、カタカナや特殊音でも引っかかってしまうのです。

 4課からは、教科書の「B問題」をしながら、復習していきます。「さあ、大好きな『時間』です(こう言うと、この部分だけは、聞き取れるのです。『あーあ、いやだ、いやだ』の大合唱。ため息の音はどこの国でも同じようですね、腹の立つことに)」。一時、二時…。一分、二分…。今日、昨日…。来ます、来ません、来ました、来ませんでしたと、動詞も入れていきます。

 5課の復習はちょっと手を焼きました。「どこ」「なん」「だれ」「いつ」の疑問詞も、頭のどこかに引っかかっていたはずなのに、遙か彼方へと消えていたのです。おまけに、「へ」やら、「で」「と」やらで攻められますし、「に」は、あったりなかったりで、混乱状態。その上、一月、二月…。一日、二日…。覚えておかなければならないのが、続きます。

 ここまでして、休み前のテストを返し、答え合わせです。「問題の1番」は、一緒に読んでいきます。「問題の2番」は、意味の確認をとりながら、説明していきます。三人ともお利口さんで、解らなくても、解ったふりがお上手です。

 そこで、「2番」まで終わってから、確認をとします。当然、「解った。大丈夫」と言います。大丈夫なはずはないのに、速くやり過ごしたいのでしょう。で、「では、左に日本語、右にタイ語(中国語」でその訳を書くように」と言ってみました。すると、途端に、三人とも「瞬間冷凍されたマグロ状態」。

「『さては、解らなかったのに、解ったと言ったな。どこが解らないのだ、言って見ろ』と怖い顔をして、問い詰める」ということをします。中学生さんには、これが効きますね。焦ってあたふたと、教科書をひっくり返して、調べ始めました。本当に小学生と遊んでいるみたいです。

 すると、一番小さいのが、急に手を挙げて、「先生、カリナさんは、中国語で何と書くの。わからない」。「考えるべきことが他にあるだろう。そんなことばかり考えるな」。やぶ蛇です。叱られて、半べそです。「でも、解らないのに…」と呟きながら。

 「『ニューヨーク』を、漢字でどう書いていいのかわからない」というのは許せます。が、「『コンスー(会社)』を、中国語でどう書いていいのかわからない」というのは、許せません。この子達は、中国でもそれほど勉強していなかったでしょうし、中国の漢字が定着する前に、日本へ来てしまったのでしょう。

 大人対象の一斉授業の中に、こういう子供が入ってしまうと、こちらの調子も狂ってしまいます。図体はでかくても、子供はやはり子供なのです。

 もっとも、最初はかなり時間がかかるでしょうが、シナプスの回路が出来てしまうと、大人よりもずっと速く、日本語の電気信号が、神経回路を走るようになります。それで、心配はしていないのですが、水門が開くまで、それまでは、一苦労も二苦労もしなければなりません。大人のように、頭で理屈を考えて、どうにかするという風にはいきませんから。

 それで、彼らは、正規の授業(午後1時15分から、4時45分まで)の他に、朝も来させています(9時から12時まで)。こうして、勉強する習慣をつけさせておかないと、将来どの道に進むにせよ、困ることになりますから。

日々是好日
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『先』が見えれば、がんばれる

2008-08-18 07:57:32 | 日本語の授業
 一昨日の土曜日は、ずっと開かなかった天の一隅に穴が開いて、まとめて「降るわ、降るわ」「雷様が鳴るわ、光るわ」で大変でしたが、昨日は「寒かった」くらいでした。

 お天気おじさん、お姉さんによると「9月中旬ごろ」の温度だったそうです。なるほど、私も部屋の中で震えていました。昔の人だったら、びっくりしたでしょうね。現代の人間だってそうですもの。

 今年は、8月の上旬に一週間ほどここを留守にしていただけでしたのに、蝉の抜け殻を見ることなく、本体が地上に転がっているのを見るという羽目になってしまいました。

 例年ですと「蝉の抜け殻が目につき始める頃、大合唱が聞こえ始め、それが衰えていくと同時に、蝉の身体も大地に帰って行く」のはずなのですが、始めがなかったのです。

 何にでも、物事には流れがあって、それが理解できて初めて、納得に至るものです。特に、四季の移ろいがはっきりしている日本では、「春の移ろいの中に、夏が育まれゆき、夏の移ろいの中に、また秋が育まれゆく」と、それこそ「貫く棒のごとく」流れていくのが、当たり前なものですから、そうでないと、このように、どこか居心地が悪くなってしまうのです。

 さて、「今朝は」と申しますと、どこもかしこも「秋」でした。

 空も、「見覚えのある秋色」でしたし(雲の形も、その流れ行く姿も)、風も、「台風一過」の如き、澄み切った匂いがしました。緑も、「夏の華やぎを失い、次の色鮮やかな華やぎまでの小休止」であるかの如く、沈んで見えました。

 こうやって、いつの間にか時が過ぎ、7月生も、もう来校後、一ヶ月ということになりました。

 こういう仕事をして、特に第三世界(以前は、非漢字圏の人が、多くいました。今は、それほどでもありませんが)の人達を、多く対象にしていると、感じさせられることがあります。

 「経済的なことは何とかなる」が、「がんばれない人は、どうにもならない」ということ。それと、「『将来』、つまり、一年先、二年先が見えないと、人はがんばれない」ということです。

 先日、二年前に卒業し、専門学校へ行った学生が、就職が決まったと挨拶に来ました。
その時に「先生、専門学校を出た後に、日本で就職出来るなんて思ってもいなかった。それが解っていたら、もっと日本語を勉強していたのに。でも、もう遅いよね、先生」。

 もちろん、横浜や箱根から、ここへ通うことは不可能です。かわいそうですが、あとは自分の力で、現場で、勉強していくしかありません。

 彼らは、専門学校を出ても、就職出来ないと思っていました。だから、日本にいる間、「力」を「勉強の方」ではなく、「アルバイトの方」に注ごうと思っていたのでしょう。「もし、『将来』が多少なりとも、見えていたら、もっと勉強していた」というのは、彼らの本心だと思います。

 同じようにその会社に採用された学生が、自分よりもずっと流暢な日本語を話し、漢字も書ければ、嫌でもそう感じてしまうでしょう。

 「人の話を聞ける」というのも「能力」です。特に、外国へ行って、その国のルールを「先に来た同国人」の「言いなりに」なることなく、「理解する」というのも能力です。彼らには、そのことを「耳だこ」ところか、「耳こぶ」ができるくらい言っていましたのに…。

 おそらく、これで「骨身にしみて」解ったことでしょう。そして、これからは、信用できる日本人を自分の力で見つけ、教えてもらいながら、がんばっていくしかありません。
そうやっていけることを、祈らずにいられません。
 
日々是好日
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「休んでしまって…」追いつけない時は。

2008-08-16 11:11:19 | 日本語の授業
 天気予報を見ている限り、今日は雨が降る確率が、いつもにも増して高いと思ってしまうのですが…本当に台風が近づいているのでしょうか。

 昨今は、「手に取れるもの」、「実際に見聞きできるもの」が、圧倒的に少なくなりました。臨場感はあるものの、テレビやインターネットなどで映し出されたり、語られたりするもののうち、どれほどが、「自分の耳や目で確認したこと」と同じだけの「真実」に近いのかと疑ってしまいます。

 もちろん、人間とは「自分に都合よく出来ている生き物」ですから、無意識に「自分の見たいもの」、「聞きたいもの」を選別しているそうで、何が真実かと申しましても「真実などない」としか、言いようのないのが、「本音」だそうですが。

 しかし…台風のことです。今ここで取り上げているのは、何も難しい政治のことではなく、伊豆地方に近づきつつあるという台風のことです。

 本当でしょうか、台風が、たとえ今海上であろうとも、近づきつつあるというのは。窓の外は「カンカン照り」なんですけど。ここ、行徳は、雨が降りませんねえ。100年ぐらい前でしたら、きっと、「アメノウズメノミコト」ばりに、雨乞いの踊りをしていたことでしょう(彼女がしたのは「アマテラスオオミカミ」を「天の岩戸」から出すためであって、雨を降らそうとしてではありません…念のため)。

 いつも、朝来てすぐに、一階の教室の前の花にだけは、水をやっているのですが、もう土が硬くなって、なかなかしみ込んでいきません。どうしてでしょうね、慈雨が欲しくて、あえいでいるはずですのに。花だけではなく、人もそうですもの。

 さて、昨日は、学生も来ないこともあって、静かな一日を過ごしました。来週からは、休み明けの授業が、「初級(1)」と「初級(2)」のクラスで始まります。その打ち合わせも、しておけねばなりませんし、まずなんといっても、月曜日の授業です。ちょっと計画をしておいて…と。どうせ、まず復習から始めなければならないでしょうが。

 今日は、朝、プライベートレッスンが一つ入っています。彼は既に去年教えて、「一級試験」にはパスしているのですが、やはり日本で働くには、それだけでは不十分であるということで、もう少し「会話」をやりたいと通っているのです。

 去年、一年近く教えていましたので、彼のだいたいの「人となり」もわかっていますし、それ故、計画も立てやすく、教える身としては、楽な相手です。まじめで、なんといっても、週1の授業の時のディクテーションをほとんど間違えないのです。上級に入っても、一日一課のペースは崩しませんでしたが、それにもついてきました。そうしなければ、「一級合格」が難しいといことが理解できたので、がんばれたのでしょう。

 しかも、約束を守れる(時間や、やるべきことなどです)。ふわついていない。何よりも、「己の至らざる所を知っている」というところが、教師にとってはありがたい。

 ただし、今はよく脱線しています。日本で生活していく上では、いろいろな知識が必要になります。知識欲があるので、江戸時代の話をしたり、話が自由民権運動」に話が及ぶこともありますが、あまりいやな顔は見せません。それで、ドンドン話が脱線していってしまうのです。

 けれども、「一日一課」のペースは崩していません。そのために通っているのですから、毎日会社で仕事をしながら。けれども、「上級」の教科書を勉強していた頃に比べれば、雲泥の差と言ってもいいくらい、楽です。内容も、語彙も自由自在とまではいかなくても、それに近い。説明が日本語で出来ると言うのは、いいですね。やはり、日本のものは日本語で伝えるのが、いちばんふさわしい。

 ところで、在日の人を教えていく時、いま一つ計画が立てられないのです。「せっかく日本に来たのだから、日本語を少し囓っておこう」くらいなら、それはそれはいいのですが(「初級」だけ、せいぜい「三級レベル」くらいなら、それでもいいのですが)、先が全然見えないので、彼らなりのカリキュラムを、当方が立てられないのです。

 就学生ではありませんから、「ここまではこの段階で教えておかなければならない」ということも、確としたものは決められず、しかも、夏休みや春休みなどに、家族と一緒に帰省してしまうこともありますから。

 「漢字圏」の人なら、一・二週間であれば、それほど苦労せずに追いつけるのですが、「非漢字圏」の人が、一度帰省して、何週間か休んでしまうと、なかなか追いついくことができなくなるのです。いえ、「追いつけない」のではなく、「追いつける」ことは「追いつける」のですが、その、「追いつく」までの時間に、耐えられないのです。

 「初級の段階」では、まだ「定着した」どころではなく、病気で二・三日休んだだけでも、次に来た時に、もう「違う惑星に来てしまった」と不安げな顔をする人もいるくらいですから。授業の内容が「重くなってしまう」のです、休んだ身にとっては。それで、せっかく何ヶ月もがんばってきたのに、日本語の勉強を、その、わずか「一・二週間」のために、あきらめてしまうという人も出てきます。

 残念ですが、それぞれ家庭の事情もあることですし、しっかりとした社会人が大半ですから、無理強いもできません。当方としては、がんばってきた姿を見ていますから、「惜しいな」、「残念だな」とは思うのですが、詮方なく、それきりとなってしまいます。

 しかしながら、お子さんをお持ちの方の場合、お子さんが、小・中学校などに行くようになると、「学校との連絡がうまくできなくて困る」ということにもなりかねません。間に人を立てても、日本語が不十分であるために、言いたいことも言えず、「あのときあきらめなければよかった」と後悔してしまうことも「なきにしもあらず」なのです。

 大変かもしれませんが、我慢してじっと勉強を続けていただきたいのです。必ず、どこかで、何度も復習を入れますから(「三級試験」や「二級試験」の前にも、「試験対策」として「まとめ」をします)。日本語が分からなければ、日本で暮らす楽しさも半減してしまいます。それに、何より、日本人にとっても困るのです。日本に来ているのに、日本語が分からないという相手とは、どうやって、意思の疎通をはかったらいいのか、がわからないのです。

 どんなに大変でも、せっかく始めたことですから、少なくとも、日常生活ができるレベル、「三級試験」までは、がんばってほしいものです。

 もちろん、これは「非漢字圏の人」です。「漢字圏の人」のことではありませんからね。

日々是好日
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「特訓」終了

2008-08-15 09:00:27 | 日本語の授業
 今朝は、この夏一番の暑さだそうです。しかし、どうもこの暑さが、この夏の締めくくりになって、明日の雨からは、だんだん凌ぎやすくなるとのこと。これは、「天気予報」のお話です。(こう書くと、すぐに思い出す話があります。「昔、食いしん坊がフグを食べては、『天気予報。天気予報』と呪文のように唱えていた。その心は、『当たらない』」

 今朝は少し風があるようですが、蝉の声が暑さを呼んでいます。もう、暑い。

 さて、この「特訓」も昨日で終わりました。今日は、中国の高校時代の友だちと一緒にディズニーシーに行っているはずです。

 昨日は、二日目の続き、「第33課」からでした。午前中に「第37課」まで終わり、午後からは、38課から。「じゃあ、朝はここまで」と言った途端、「速いですねえ」とニコニコ顔。こうやって少しずつ自信を取り戻しているのでしょう。『初級』も二冊目に入ると、単語の数も増えてきますし、文型の変化も、一文の中に一つや二つではききません。大変なのは解るのですが、学生の様子を見ながら、スピードを加減し、ちょっと無理かなという所まで速度を上げていきました。

 実は彼女の他にもう一人、学校に来て勉強している学生がいます。自習です。教師はついていません。彼女より一つ年上で、去年高校を卒業したばかりの女の子です。

 初めは、教えている学生と同じ教室で勉強すさせ、間を見ては、少し指導を加えていたのですが、「冷房が嫌いで、寒い」。「上の教室へ行ってもいいか」と言うので、「一人で大丈夫?」と聞くと、「大丈夫。一人でやる」と言うのです。が、やはり心配です。それで、授業の合間を縫っては、三階の教室へ行き、質問を受けたり、ノートを見たりしていました。

 この「時間を縫って」というのは、新しい課ごとに、新出語が出てきますから、ある程度は覚えてもらわなければ、授業が進められません。それで、課毎に覚える時間を与えていたのです。その5分か10分ぐらいの時間です、この自習している学生に割けるのは。

 行ってみると、「大丈夫」と言って見せてくれたノートにしっかりと、中国の簡体字が書かれてありましたね。『初級』のうちは、日中両国の漢字の違いに気がつかない場合が多いのです。しかし、それを丁寧に直していけば、直に勘がつきますから、放っておいても大丈夫になります。それで、それを直し、それから、長文(初級ですから、短いものです)の質問を受け、また、一階の教室に戻ります。

 それを二回ほど繰り返した後、三階にいた学生が「先生、大丈夫。解らなかったら、自分が一階に行くから」と言ってくれたので、その言葉に甘えて、ちょっとズルをすることにしてしまいました(ごめんね)。

 何でもそうですが、文章も「読む『量』」をこなさなくてはだめですね。文法だけ勉強しても、「読めない」のです。実戦には向かないのです。あくまでも「試験対策」にすぎません。

 中国人の場合、無理をすれば、わずかな時間でも一級試験に合格させることはできるのですが、この学校では、それを出来るだけ避けるようにしています。もちろん、「とにかく『一級』に合格出来さえすればいい」という人も、いることはいるのですが、たいてい合格してから、後悔するという結果になっています。

 「読む」・「書く」・「聞く」・「話す」のバランスがとれていないのです。「聞く」はどうしても時間がかかります。「相手の話のニュアンス」まで、聞き取れるレベルとなると、やはり時間をかけた方がいいのです。

 ここにいる人達は、日本の大学や大学院、或いは会社と、日本で暮らすことを考えている人達ですから、「合格証」さえあればいい、という人達とは一線を画する必要があります。

 特に、IT関係で日本に来ている人達に(それを解ってもらうのに)、しょっちゅう苦労しています。なぜか、こういう人達は、自信満々なのです。こちらから見れば、話していても、「私の話の四分の一くらいしか解っていないな」と思えるのに、本人は自信が山をなしているような状態です。これも、無責任に「上手、上手」と言う人がいるせいでしょう。

 日本語で仕事をし始めて(お金や責任がかかっていますから、誰もお愛想に「上手」なんて言いません。「こんなことも解らないのか」と冷たく見られるのがオチです)、初めて自分のレベルに「気づいて」慌てるのです、こういう人は。

 それで、この四分野をバランスよく、レベルを上げていく必要があるのです。そうしておかないと、「一級試験」に合格してから、今度は「ヒアリング」と「会話」のために、ここに通わねばならないということになってしまいます。

 もちろん、今回の学生は、大学をめざしていますから、「ヒアリング」がある程度のレベルに達していなければ、大学の先生がせっかくすばらしい講義をしてくださっても、理解できないということになってしまいます。そうなってしまったら、何のために日本語を学んだのかわからなくなってしまいます。

 一応、『初級(2)』のクラスで終わっている「43課」までは、終わりました。「ヒアリング」は、時間の問題です。焦ってどうにかなるものではありませんから。後は、本人がどれだけがんばれるかです。けれど、今日一日は、大いに遊んでください。来週から、またがんばりましょう。

 日々是好日
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特訓授業「二日目」

2008-08-14 08:53:14 | 日本語の授業
 さて、二日目も終わりました。第一日目は疲れたかなと思いきや、朝の九時に、にこにことしてご登場です。もっとも二冊目に入ると、だんだん難しくなってきますから、いつ頃音を上げるかなというのも、楽しみです。人が悪いようですが。でも、なんといってもひらがなからですから、彼女の場合。音を上げて当然です。

 ただ、高校の時にしっかり勉強している子は、待てるのですよね。そこが違います。ちょっと解らないと「もうだめ」と、捨てることがないように感じます。

 ところで、このお嬢さん。昨日の昼ごろからは、間違えて、「ん?」とか、「こら!」とか言われた時に、「まだ一ヶ月、まだ一ヶ月」と、「葵の印籠」を振り回すことを覚えたようです。困ったものです。昨日まで、何を言っても、「大丈夫、大丈夫」と突っ張っているだけでしたのに。

 もしかしたら、最初、男の学生達を怒鳴りつけている私の姿を見て、恐れていたのかもしれませんね。出来なかったり、無理だとか言ったら、自分も怒鳴りつけられるんじゃないのかと。

 昨日も、うちへ帰って昼ご飯を食べてきたのですが、戻るなり、うれしそうに、「先生、金曜日は休みたい」「どうして」「友だちとディズニー・シーに行きたい」「どうぞ、どうぞ。でも、その分、今日と明日がんばらなきゃ、ね」「ハーイ」

 明らかに、顔に表情が出てきました。人は表情が出てくるとかわいくなりますね。来たばかりの頃は、随分大人びて、無表情に見えたのに、今では年相応に、いえ、時によってはそれ以上も幼く見えます。きっと「高考」に失敗して、周りの大人に責められ、自分でも「だめだ」と思いこんでいたのでしょう。

 今の表情からは、それなりに自信を取り戻し、次のステップへ行こうという意思が感じられます。初めの一ヶ月というのは、本当に大切な期間です。それ以後を決めてしまいますから。彼女のように、「上へ、上へ」と行ける可能性のある人は、「まっさら」で来てもらった方がいいのかもしれません。私たちとしても、染めやすいですから。

 しかし、教えているうちに、まだ「カタカナ」もおぼつかないところがあることがわかりましたし、どうしても「来る」の活用が混乱してしまうのもわかりました。困ったことですが、本人が解っていれば、みんなと一緒にやっているうちに、定着していくことでしょう。

 「学校で教えてもらえること」と、「本人が努力しなければならないこと」を、ちゃんと「区別できる」というのも、一つの能力ですし、その上で、「努力できる」というのも、もっとすばらしい能力です。

 この学生の場合、途中で、二つのクラスに跨って授業を受けることを勧めました。能力もありますし、アルバイトをしなくてもいいという恵まれた環境にあるので、それが出来たのです。

 もっとも、去年もそういう学生がいました。彼女の場合、アルバイトをして、その上で二つのクラスの授業を受けていましたから、もっと大変だったはずです。ただ、彼女の場合は、すでに大学を卒業していましたので、その点は、高校を卒業したばかりの、この学生よりも強いところでしょう。

 そういうわけで、いくらがんばっていても、「初級(1)」のクラスでは力が余っているのに、「初級(2)」のクラスでは、ガクンガクンと躓いてしまうところ(「ナイ形」も、「バ形」も、「可能形」も知らないままですから)が出てしまうのです。そうさせないための特別授業なのですが、どうしても、「要点だけをバアとやってしまう」という形なので、単語でこぼれたり、第三グループの活用が混乱したりと変なところも出てくるのです。

 それで、帰りに、出来ていないところを紙に書いて渡し、家に帰ってよく見るようにと言うと、「わあっ」と手で蓋をせんばかりに隠してしまいました。それが、どうも、喜んでいるようにしか見えないのですよね。しかも、にこにこして「まだ一ヶ月、まだ一ヶ月」と繰り返すのですから。「もう一ヶ月、もう一ヶ月」と言い返しても、全然こたえません。

 もし、第一日目の朝のうちでしたら、「はい」と無表情に言って、それなりだったでしょうに。もちろん、「友だちとディズニー・シーへ行ける」というのも、うれしそうな表情が出た理由でしょうが。

日々是好日
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