みつばやま小零庵だより

宇宙の塵、その影のような私ですが、生きている今、言葉にしたいことがあります。

氏神様へ初詣

2016-01-01 14:47:15 | 暮らし
年が明けて霜の朝でしたが、弱霜で穏やかな日和です。犬と鶏の世話などが一段落してから、初詣へ出掛けました。と言っても、普段着のままの徒歩圏内です。先ず当庵から徒歩数分の祠へお詣りしたのは例年通りでしたが、それから本田(ほんでん)の天神様へ向かったのは初挑戦!です。

当庵は新田(しんでん 戦後の開墾による)に位置しています。新田の氏神様も本田のお社だということは以前から聞いていて、そのうち機会があればお詣りしたいと思っていましたが、徒歩では少々遠いし、本田の道にはあまり馴染んでいないこともあり、億劫な気持が先だって、まだ行ったことがありませんでした。しかし、加齢による身体の故障が増えているので、歩けるうちに行こう!と今日は決めたのです。移住して十余年経ち、この土地と村への愛着が増してきたことも後押ししているようです。

背中や腰の不調を庇いながら、ゆっくりゆっくり歩いていきました。日陰に霜が残っていますが日差しはほんのり温かく、緩い坂を上っていると汗ばみそうになり、マフラーを外してリュックに仕舞いました。畑の間の道の向こうから車が走ってきました。新田の長老の車でした。助手席の奥様と共に新年の挨拶を交わしました。お社の場所がはっきり分からない私に、長老が車を下りて丁寧に道順を教えて下さいました。「途中でバテてしまうかも・・」と弱気な私に、「大丈夫だよ、行けるよ!」と励ましのお言葉も貰いました。おかげで私の脚に元気が出てきました。やがて・・右手に鳥居が見えてきました。

     

鳥居を潜ると、鬱蒼とした森の中に参道が伸びています。お詣りを済ませられた御婦人と行き合いましたので、知らない同士でしたが新年の挨拶とお喋り。本田の方でした。拝殿の前には、お餅や蜜柑や飾米が供えられていました。

        

拝殿の脇に大きな石碑が立っていました。菅原道真公(845~903)1千年忌の明治35年(1902年)には、全国各地で記念の大祭が催されたようですね。天神信仰の広さと厚みを感じます。

 

氏神様お詣りの念願が果たせて鳥居を出ると、左手に筑波山。新田から見る筑波山より心なしか逞しく感じられます。