雨が上がって

2016-05-11 20:32:33 | Weblog




何もかもが無駄だった、とは思わない。







確実に、「素敵なこと」はあったし、


頭がぶっ飛ぶくらいに感動したりした。それも、何度も何度も何度も。


今になってみると、残されたものはそう多くはない。


ガラクタに見える・・・っていうか、そうとしか見えないものも、ある。


でもそんなことは問題じゃなくて


大事なのは


あのときの火が、今でもまだ燃えている、ってことかもしれない。


大した火じゃないんだが、それでも。


しかもそれは「残り火」じゃないんだ、どっちかっていうと


「延焼」って感じか。・・・燃え広がってるのね。


火勢の規模は小さくなっているかもしれない。


でもその内燃の温度は、確実に上がっている。


遥か遠くの、青く見える恒星みたいに。


あれは凍っているのではなく、


超高温で静かに燃えている。そんな感じで。





そして


悔しまぎれに言うのではないのだけれど、


何ひとつ、無駄ではなかった。


・・・・・・・・・・・・・・そう思えるのはいいことだ。




もうひとつ。




君のことを含めた何もかもを、


忘れられないのも「いいこと」にしておく。










・・・・・・・・・・・それでいいのだ。











さてさて、


「雨上がり」は、いつも嬉しい。


いろんなことがうまくいく・・・・みたいに思えるし、



それはきっと錯覚じゃないんだぜ。







それじゃね。






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サンピ

2016-05-06 17:02:12 | Weblog



サンピリョウロンっていうものが「在る」のは、いいことなのだ。

あまりにも多様な「好み」が混在する

現代のような世界において、「圧倒的な正しさ」は存在しないし、

「圧倒的な悪」もまた、存在しない。

「私」には理解できない考え方が眼も眩むほど、存在する。

冗談抜きで、

「ほとんど誰とも友達になんかなれない」

と言ってもいいくらいだ。

でも、その中で我々は、友達になれたよね。

それは本当に希有なことだった・・・・と俺は今でも思っている。

我々の間に「共感」ってものが存在したから。

「それ」はとても大事なものだ。

そうそう、どこにでも転がっているモノではない。


それで、もし・・・例えばアナタが

俺のしてることを否定したければすればいいと思うよ。

そんなの自由だし、

「敵」だってある程度、必要なものでもあるから。

ほら、「必要悪」って言葉もあるだろ。

誰かと徹底的に「敵対」してみたら、そこから見える物事もあるかもしれない。

ああ、もちろん、殴り合いは抜きで。武器とかも、ナシで。

「手回し」とかもナシね。「謀略」とか「策略」も、抜きにしよう。

とにかく、徹底的にまっすぐに、意見を表明し合うのだ。逃げないで「討論」するのだ。

そうすると、

「敵」が最強の「味方」になる、なんてことが稀にだが、本当にあるし。

敵対した結果「わかりあえなかった」としても。

俺自身のこと考えても、そんなことは何度もあった。

そしてそれは

サンピリョウロンの「ピ」だったりするから、

結局のところ「サン」も「ピ」も、

何というか、等価なもの・・・・であってもおかしくない。

ってことはだからこそ、

「サンピリョウロン」ってなのが成り立つんだな。

そしてそれを踏まえたうえで俺は願う、

「サン」よ、「ピ」を超えろ・・・・と。













5月の新緑はとても素敵だよね。

さて、明日から頑張りましょか。










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リーヴィング・ホーム

2016-05-03 08:14:25 | Weblog

最近、名古屋辺りのラジオでやっている引越し屋のCM(ラジオだから声だけ)

で面白いのがあって、


父「出て行け!」

息子「ああ、出てってやるよ!盆と正月とゴールデンウィーク以外は帰らないからな!」

バタン!(←ドアの音) 

母「ひろしー!」

「お引越しは××社へ!」


・・・・・というもので、つい笑ってしまった。

そうなんだよね。

しかし「盆と正月とゴールデンウィーク」って、あまりにも日本的、というか

ネイティヴ、というか。

泥臭いなあ、我々は。

産まれた故郷を離れて、遠くで暮らす人ってきっと、日本中にたくさんいるのであろう。

あれだけ道路が渋滞するんだもの。

俺も、例によって、そのクチなのだけどさ。


「実家を離れる」という事で思い出すのは

漫画、「ピーナッツ」(←スヌーピーの出てくるアレです)の一遍だ。


主人公のチャーリーブラウンに、妹のサリーがねだる。

「お兄ちゃん、ブランコの背中を押してよ!」

チャーリーが「駄目だよ、今忙しいんだ」と言うとサリーが言い返す。

「人生は短いのよ!今はこうして一緒に暮らしてるけど兄弟なんて

いつか離れ離れになるのよ!気がついたときにはあたしは誰かと結婚してて、

遠くの町で暮らしてるわよ!」

最後のコマでチャーリーが「やれやれ」という顔をしながら

サリーの乗ったブランコの背中を押している。サリーは満足顔。


中学生のときに初めて読んだときにはそんなに心に響かなかったのだが、

後年、家を出て、何かの折にそれを読み返したときには、切なかった。

サリーの言った通りになってる・・・・。

俺の場合は、自分が家を離れて、遠くの町で暮らしているのだが。


でも時々は、実家に帰る。

「盆と正月とゴールデンウィーク」には。



では、行ってきます~。






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2016年4月のファンダンゴの夜

2016-05-01 14:01:51 | Weblog


来てくれた皆さんドモアリガットでした。

「追憶のファンダンゴ」。

ファンダンゴは相変わらず、素敵なハコだった。

俺はとにかく、いつの頃からか、「ライヴハウス文化」そのものを深く愛しているのですが

やはりファンダンゴが(俺にとっては)世界で一番素敵な場所かもしれません。

初出演から28年の時を超えて(その間も無数に出演してるけどさ)、

またまたファンダンゴに出演できるなんてね。一体俺、何歳なの?とか、つい思ってしまうけど。

もう、年齢は今後言わないことにしよう。だって関係ないもの。


昨夜は他の出演者達もみんな素敵だった。

正垣祐樹の弾き語りはやはり、絶品。叙情的にして、深く美しく、騒がしいときは徹底的に騒がしい。

正垣健在。安心する。

ローリングサンボは、ミライノスの過渡期なのであろう。タローがカホン、サンボと二人だけの編成。

なのにグルーヴィン。リズミックな歌が際立つ。

三組目が我々、ROCA’66 。

ベースレスでガレージロックよろしく、騒ぎまわった気分。トモダチには評判良かったので、

この荒い感じを4人の、本編ROCA’66のほうに持ち込むつもり。

ご期待クダサイ、ドゾヨロシック。

そして桜川春子ASレミーマルタン。

まぁ・・・・・大したエンターテイナーに成ったものだわ。エライ。

バンドも手堅く個性的。「娯楽的」なところがいい。気に入った。

そして最後はFAMILYTONE。たこさんの山口君がギター弾いてるバンドなのだが、

これも大したものだった。強烈にグルーヴィン。ファンキーな、踊れる音楽。

セッションっぽい感じが70年代的だ、と俺は思ったね。

70年代にはこういう、上手くてセンスのいいバンドがあったな・・・って気がした。

このバンド、ベースが一番すごかったかもしれない。



懐かしい顔もたくさん見ることができた。

俺自身もいちおう「健在」なのを知ってもらえただろうか。

「相変わらずヒドイねえ」と思われたか?

まあ、どっちでもいいや。

これからも、ライヴやっていくからね。

このあとが我々の「黄金期」になる・・・・・ようなことがあったって全然おかしくないと思うんだぜ。



重ね重ね、来てくれた人にありがとう。

呼んでくれてありがとう。



またやろうぜ。








写真は、昨夜のファンダンゴ。
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