日当たり

2012-06-14 09:00:04 | Weblog



みんなどんなところに住んでるんだろう?

どんな部屋?

窓はどっちの方角にある?


昔は日当たりなんて、大したものだとは思ってなかった。


初めて一人暮らしをした部屋は

小さな小さなワンルームマンションで、

南向きに小さな窓があったのだが、

寄り添うように建物が建っていて日当たりはゼロだった。

真夜中に行動するのが新鮮でスリリングだった頃だから

はじめはそんなの、苦にもならなかった。

でも俺は大体が「夜型」というよりは「朝型」で、

まったく日の当たらない部屋で何年か・・・4年位か?

過ごして、じわじわと・・太陽の光の有り難さというのが

身にしみてわかってきた。

外はいい天気なのに部屋はまっくら、というのは

精神衛生上悪い。カビも出現する。

大げさでなく「太陽光」はすべての生物のエネルギーのもとなのだ。

誰でも、「太陽光」なしでは生きていけない。

でも、はじめての一人暮らしをした部屋だから、

そのこと以外は

とても楽しい思い出ばかり残っているんだけどさ。


その部屋を出て次に住んだワンルームは

四面のうち二面が窓で、

ほとんどガラス張りの温室みたいな部屋だった。

もう二度と暗いところには住みたくない、と思って

そういうところを探した。

極端だ・・・でもよかった。幸せだった。

一日中、陽が差すので、貼っていたポスター

(映画「ROCKERS」)が色褪せてしまった。

その部屋は大阪の玉造というところにあって、

近くに中島らもさんの仕事場があったはず。

あの部屋を出てからもう、二十年近くにもなる。


それから大阪市内で2回ほど引越しして、3回目で大阪を出た。


今住んでる部屋は高台にある、思いっきり南向きのベランダで、

一日中明るい。

初日の出も部屋から見れたし、日蝕も。

朝焼けや、夕方の風景も とても綺麗だ。




そういえば以前訪れた

某ロック・ヴォーカリストの部屋は

大きな窓に無造作に木の板を打ち付けて暗幕を張って、

完全に太陽光を遮断していた。

・・ドラキュラみたい。

すごいなぁ・・・・いろんなひとがいるなぁ・・・・

と思った。


素朴な感想だな。



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A DAY IN THE LIFE

2012-06-11 17:11:38 | Weblog


物事は「ありのまま」でしかないかも知れない。

必要以上にチカラを入れても、無駄だったりとか。

「何か」を変えたくても変えられないし、

変わるときには何もしなくてもスッと

変わることだってある。


何だか僕は・・・疲れ気味。

もう何でもいいような気もするし、

いやいや、そんなんじゃ駄目だ・・とも思う。


「どうせいつか死ぬ」けれど、

それまでの膨大な、気の遠くなるような時間。

僕の、永遠に引き伸ばされた時間。


何を話そう?

初めて出会ったときのことを覚えてる?

それとも、もう忘れたかな?

僕は・・・・ちょっとあやふやだよ(ごめんごめん)、

でもそんなもんだよね。




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心に残る

2012-06-09 08:41:49 | Weblog


深く心に残ることばかり起こる。


6月2日の「がらんどう」と「WORMS」のライヴ、

3日に訪れた岩佐の家、その後に行ったSWEET SOUL CAFE「宝島」、

そこに少し遅れて現れた中川邦彦、

「岩佐君の友達でした」という外国からの電子郵便、その不思議な内容。

バー「USAGI」でのベリーダンスショウ、

きりひと宅での深酒、彼が貸してくれたギブソンのオールド・ギター、

チマキさんとの路上での短い邂逅、

そして昨日の梅雨入り。


もうすぐ また、冒険の夏が来る。


次のライヴは6月20日、神戸108なのだけれど

その後に

片山道郎単体で、6月24日、日曜日に

十三クラブウォーターで行われる「アワタエイゾウ追悼ライヴ」への

出演が急遽決まりました。

ノーチャージだし、トモダチもたくさん出るから

遊びに来て下さい。



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魔性のもの

2012-06-06 13:03:12 | Weblog


「魔性の」としか言えないような

物・・・や者・・・や事柄や出来事が、

この世にはあると思う。


「魔性のもの」・・・(以下『魔』と略す)。


物で言うなら「酒」は、確実に『魔』だ。


麻薬・・・は、まぁいいや、パス。


「ばるぼら」の初期のボケロウの曲で

「女は悪魔」というのがあったが、

人間にとって・・・いや生物全般にとって、

「異性」という存在も『魔』であろう。


全然違うが、「ブランド」も、一種の『魔』だ。

ヴィトンやロレなんか興味ない俺でも、

フェンダーやギブソンのオールドには強烈に憧れる。

「ブランド」に代表されるそういう「虚栄」って、

”お金出せば買える”物では、あるのだけれど・・

これに関しては、 そうではない・・・と俺は思っている。

「運命」でしかないだろう。

なかなかムツカシイところだけど。

とにかく、オールド・ギターは『魔』だ。


・・・上記の問題と直結するのだが、

「お金」は『魔』である。

そいつのせいで人類史上、どれだけの人が悲しい思いをしただろう。

「お金」は人間を死に追いやったり、

徹底的的にスポイルしたりする。

「お金」のことなんか、考えずに済むのならそうしたい。

そんな風に思ってるからきっと、「縁がない」のだろう。

それはそれで、しょうがない。


『魔』。

今の俺にとっての『魔』は、”怠惰”なのかもしれない。

よくわからないけど・・・・・・


我々は『魔』とともに生き、

いつかは『魔』のために死ぬのだ。


きとそうなんだぜ。

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僕たちはいつもそうだった

2012-06-05 09:22:47 | Weblog



僕たちはいつもそうだった。

予定なんか立てたこともなかった。

何時にどこ、なんてね

そんなの そもそもの無駄だって、知ってたから。

それに・・・・・

「自由でいたかった」なんて言うと

青っぽすぎて気障すぎるけどさ、

気分としては本当にそんな感じだった。

運命論なんかを持ち出されるとさ、

自由意志なんてものは始めっからないんだ・・・・

っていうような話になるけど、

やりたいときにやりたいことをやる ってけっこう、

どんな事よりも大事な気がしないか?

そんな風に生きられたら素敵だろうな、って

ずっと思ってたんだ。

え?ああ、そりゃ、もちろん無理だったけどさ。

でもある時期からの僕たちは

時間やら、しきたりやら、決まりごとやら、慣習やら・・・・

遠慮とか無遠慮とか、規則だとか、そういうのから

解き放たれたような気がしたんだ。

おめでたい錯覚だったのかもしれないけどね。

でもさ、人生ってのが一瞬一瞬の繋ぎ合わせなのだとしたら、

その「開放された一瞬」はまるで

金字塔のように高々と光り輝きながら

今でも、そびえ立っているんだ。

それはずいぶん遠くからでも見えるんだぜ。

ふっと振り返ったら どうしたって視界に入ってくるくらい。


ふふふ・・・・・・

形而上的だろ?







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また会おう

2012-06-04 11:13:00 | Weblog

心に残る一日であった。

とても静かな日。

透き通った一日。

変わらずに在り続ける物事、

もう戻ってこない者。、

またここから一年がスタートする。

我々は我々が年老いていくことにすら、

感謝しなければならないと思うのだ。

昨日はありがとう。

いつかまた会おう。
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2012年の6月3日

2012-06-03 12:18:46 | Weblog


僕が心の底から憧れていた友達は

高速道路で亡くなりました。

まだ21歳・・・・・・・・・・・・。

あれから今日で24年も経つらしいのです。


信じられない。


あれから時は止まってしまった、とも言えるし、

まるで幻のように現実は

止まらずに動き続けている、とも言える。

どっちが真実なのか、僕にはわかりません。


あの頃の僕はもういませんが、

あの頃の君はちゃんといる。

なにもかもが錯綜して混線して、

僕はまるで糸だらけの二次元の海で溺れかけているような

錯覚に陥ってしまうのです。


すべての物事がそんな風に形而上的になっていってしまいには

「哀しみ」なんてのもね、

ただの記号のように風化していくのかもしれません。


いつかはきっと。





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