ヒッピーORパンク

2012-06-18 08:40:36 | Weblog


ジョン・ライドンの自伝「STILL A  PUNK」

(原題「NO IRISH、NO BLACKS、NO DOGS」)

をまた読んでいる。

この中でもやっぱり言ってるのだけれど、

ジョン・ライドンがヒッピーを毛嫌いしていた(している)せいで、

ヒッピーの世間イメージが悪くなってしまった。


・・・・ランブルフィッシュに「ヒッピーの忘れ物」という

名曲があるのを知っているひとは、

俺と佐治がヒッピーに憧れ・・・とまではいかないけど、

少なくとも良い印象を持っていたのを知ってるかもしれない。

あれは佐治が書いた歌だから、聞いてみればよかったのかもしれないけど、

あの歌の中に出てくる「ヒッピー達が忘れて行った詩集」は、

俺は漠然とリチャード・バックの

「カモメのジョナサン」かな?と思ってた。

あれは詩集じゃないけど、詩のような寓話だよね。

「ジョナサン」でなかったとしたらギンズバーグの「吠える」かな?

ケルアックの「メキシコシティ・ブルーズ」かな?

当時の俺達はそんなことまるで知らなかったのだけれど、

ヒッピーは「ビートニクの子孫」、とでも言うべき存在だ。

語源だって、ビートの頃の「ヒップスター」から来ているはず。


当時の俺達が好感を持ったのはヒッピーの持つ

「アンチ商業主義」的な雰囲気だった。

1980年代当時・・・・・世間では「イタカジ」とかいうのが

隆盛を極めつつあった。

最悪。金の匂いしかしない「イタカジ」。大嫌いだった。

おぞ気が走るくらい嫌いだった。


当時の大阪で、そういうのの対極にあるように見えたのが

少しずつ出来つつあったインド屋・・・っていうか

いわゆるエスニック・ショップだった。

ナチュラルだし、精神主義的だし、実際安いし、すごくいいじゃないか。

エスニック・・・インド方面、プラス70年代ロックときたら

これはもう「ヒッピー」しかない。



しかし、「精神主義的」で「アンチ商業主義的」なら

オリジナル・パンクにけっこう近いじゃないか。


俺は後にジョニー・サンダースやテレヴィジョンを愛するようになって、

心はパンク・ムーヴメントにも近付いていく。

クラッシュは昔から好きだった。

ニューヨーク・パンクとロンドン・パンクの間を

実際に渡り歩いたのはジョニー・サンダースだった。

悪名高いナンシーは「ハートブレイカーズ」を追って

ニューヨークからロンドンにやってきたのだ。・・・怖い。


まぁそれはさておき。



ヒッピーかパンクか。


むむむ。


合体して「ヒッピー・パンク」ってのはどうかな?(笑)






コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする