昔はなかったもの②

2010-09-17 10:01:06 | Weblog


念のため言っておくのだが俺は、

「昔はよかった」などと言いたいわけではない。

どちらかと言えばその逆に近いのだが・・・・

良し悪しの問題ではないのかも知れない。


この「昔はなかった」っていう感覚って

当然ながら世代によって全然違う

俺の親くらいの世代ならTVも「昔はなかった」だし、

(TVなんてなくてもいいんだけどね。)

冷蔵庫もきっとそうだ。

その前の世代まで行くと「電話なんてなかった」・・ってなる。

さらにその前だと電灯・・ってか電気が。

しかもそれはその当時の、まぎれもない現実なのだ。

電気がないって、どんなだろうと思う。

電車もクルマもない・・・となると人々の生活圏は

ずいぶん狭いものになるよね。

ちょと窮屈な気もするが、でもそれが自然なのかな、とも思う。


さて・・・・

「電卓」も、俺が子供の頃は

まだ一般に出回り始めたばかりで、ずいぶん高価だったはず。

俺は、いつか近い未来に「電卓」が普及したら

「算数」という学問はこの世から消えてなくなるのだろうと

本気で思っていた。・・・甘かった。


スポーツドリンクというのもなかった。


そして・・・・

昔はCDがなかったけど

言うまでもなく、レコードとカセットテープの時代だった。

俺はわりとノスタルジックな人間だから

CDよりレコードが好き・・・と言いたいところなのだけれど

やっぱりA 面B面をひっくり返すのは面倒臭かったし、

傷がつくともう取り返しがつかなくなってしまうのは悲しかった。

俺は昔、猫を飼っていたことがあって、

猫がまたレコードにジャレつきたがるのだ。あああ・・。


でもレコードのあの”ジャケットの大きさ”はよかったな。

CDの小さいジャケットとはもう、次元が違う感じ。

アレがあったからROCKはよりアートに接近できたのだと思う。


カセットテープに関しては偏愛的に好きで、

とてもとてもとても好きで、

世間から消えてしまったのは悲しい。うまく言えないけど。


「古着屋」ってのも、昔はなかったものの一つだ、と俺は思う。

いや、実は、歴史的に相当古くからあったはずなのだけれど、

少なくとも俺の生活圏にはなかった。

何でかな・・・きっと、カジュアルではなかったのだ。


俺が初めて古着屋に出会ったのは

1980年代後半の大阪・アメリカ村でのことだった。

古着屋だらけだった。

カッコよくてゾクゾクした。


感激のあまり・・なのか、縁があったのか、

友達の紹介でその古着屋の中の一軒で働くことになる。

デザイン学校にはもう、行くつもりもなかった。


その頃から”自分の憧れ”みたいなものと

”自分の生活”が少しずつ近付いていったような気がする。

「今」が幸せだと思えるようになったのだ。


そういう感覚も俺にとっては、

「昔はなかったもの」だったんだよ。








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする