住んでいるマンションの一角に「花壇」があって、
何の因果か応報か、俺がその一部、タタミ一畳半・・・分くらいの面積を
「我が物顔で」使ってもいい、ということに、だいぶ以前に・・・なって、
だから俺は季節季節で様々な花の種をそに蒔いては育て・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
というようなことを繰り返しているのですよここ何年も。
それで今年の初夏は、向日葵の種を蒔いた。
毎朝毎晩、仕事の行き帰りに2リットルペットボトルを2本も抱えて水をやり
(帰りは近所の公衆トイレの手洗い場で水を汲む)、
大風の後には「支柱」など立てて紐で結び、
蝶よ花よとふんだんに愛情を注いで、育ててきた。
写真を見てくれよ兄弟姉妹にお父さんお母さん。
今や「彼等」は、俺の背丈くらいまで大きくなって、
そのうちの一輪だけ既に、花が咲きかけている。他の奴等は、蕾の段階だ。
つまり、花が咲くまであと一歩・・・・・なのだ。
花を育てるのは楽しい。
俺は「農夫」向きなのではないか?などと真剣に思う。
「農夫」とまで行かなくても、これは立派な「園芸」だ。
園芸は、ロックだ。
略して「園芸ロック」だ。問答無用で、それに決まりだ。
それがここに来て、
また台風が来るだと?
冗談じゃねえっての。
こないだはこないだで、「高速道路逆走ジジイ」みたいな妙に世相にタイムリーな台風が来やがって、
危なかったんだよあの時も強風で、
ウチの向日葵、2~3本、死んじまったんだから。
それでどれだけ俺が悲しかったか、君にはきっと、わかんねえと思う。
・・・・・・・・・・嘘。君ならきっと、わかってくれると思う。
「園芸」が哀しいのは、そこだ。
一晩中見張って、身体を張って風を止めてやることなど出来ないし、
一日中見張って、
心の汚れた「花泥棒」から守ってやることも出来ない。
俺に出来るのはただ
種を蒔いて、肥料をやって、毎朝毎晩水をやって、
「彼ら」の幸福を祈ること・・・・・だけなのだ。
これは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・何かに似ているぞ。
そうだ、アレだ、「愛」だ、もしくは「恋」だ。
愛だの、恋だのっていう「恋愛沙汰」は、
人生で一番楽しいことだ、って相場が決まってる。
だからやっぱり園芸はロックなのだ。・・・・・・・・・・・あれ?論理が飛躍したかな今?
まあいいや。
俺の花壇の向日葵たちが今回の無慈悲な台風を生き延びることを祈ってくれ。
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