子供の頃に住んでいた家の夢をよく見る。
・・・と言っても、7歳まで住んでいた新宿の戸山ハイツではなく、
そこから引っ越した先の、福山の家。
戸山ハイツの記憶は、実はあまりないのだ。
一昨日も実はその家の夢を見た。
今現在の僕がそこに居て、古い古い便所の廊下に居て、
え?ここってまだ残ってたんだ・・・・と感激している夢。
ちなみに、現実のその家はとっくの昔に壊されていて、
今はもう跡形もない。跡地にはコンビニが営業している。
ははは、いいだろ?コンビニだぜ。確か、ローソン。
しかしなぜ、しつこくあの家の夢を見るのか?
福山での子供時代が特に幸福だった記憶はない。
しかし、目の前にあるみたいに鮮明に、あの家のこと思い出せるのも
事実ではある。
これくらい鮮明に戸山ハイツのこと思い出せたらいいのに、
とも思う。
あの家のほかに、古い土地の夢を見ることはない。
あの家だけなのだ。
なんか不思議。
でも今になって考えてみれば楽しいこともいっぱいあった。
どいけん が突然、窓から入って来たのもあの家だったし、
高校生の僕と岩佐が夏休みに訪れて、
ギターとベースだけでRCの「ノイローゼダンシング」を演奏したのも、
佐治と庄司が訪れて部屋の壁に小さく壁に落書きしていったのも、
九州ツアー帰りのランブルフィッシュ御一行が寄ったのも、
全部あの家だったのだ。
始めてギターを買ってもらって、必死でコード押さえる練習したのも
あの家だったし、
やっぱ、いわゆる「中二」を含む、思春期の時期を過ごした家って
一種、特別なのかも知れない。
もう「ない」から、余計焦がれるのかもしれない。
まぁ、こんなの・・・・・・・・・・・・・・
どうでもいいような話なんだけど。
もっと差し迫った危機は、いろいろある。
トルコの大地震だって、ちゃんと身近に考えなきゃいけないし、
ウクライナは蹂躙され続けている。
老朽原発の再稼働認可、なんていうグロテスクな話もある。
あぁ、でも
そんな風に危険で脆く悲しい世界だからこそ、
僕なんかは内向世界へ耽溺してしまうのかもしれない。
・・・・・・・・・・・・・・・現実に対峙せねば。
しっかりしろ、道子。