奇妙な行為。

2018-09-13 22:33:05 | Weblog
 

「歌」をつくる、というのは考えてみたら奇妙な行為である。


それは 無限の中から選び取った言葉と 

同じく、無限の中から選び取ったメロディを組み合わせて、固定する・・・ということに過ぎないから。


しかもその「歌」自体に、

物・・・みたいな実体があるワケではない。


楽譜に書き出したりすれば「その歌の譜面」というものが存在するが、


我々は(というか僕は)そんなもの不要だから書かない。

頭の中で覚えているだけだ。


歌詞とコード進行は紙に書いたりするが

メロディはただ、記憶しているだけだ。


「歌」って、それだけで存在している。考えたら危うい存在だと思う。


つまりこういう事だ、

「彼」が逝ってしまった時、彼と共に 多くの美しい「歌」が永劫の闇に消えた。

(「彼」も、譜面は書かなかったからね。)

それはどうしようもないこと・・ではあるがやはり、

とても哀しいことだった。



世の中には「歌をつくらない人」もいるが、

「つくる人」も、けっこう多くいる。


それは単に「好み」の問題でしかない。

オムライスをつくるひともいるし、つくらない人もいる。その他色々。


それとは関係なく・・・・多くの人に知られているような「ヒット曲」なんてのも、世の中にはある。


我々のようなインディーズ(自主独立)のバンドは

ライヴハウスでのライヴが、自作の楽曲を披露するメインの「場」だ。

最近はYOUTUBEとかもあるが。


そういう「場」があることは本当にありがたい。


昔・・と言っても30年位前ならライヴハウスに出るのもなかなかハードルが高かった。


ライヴハウス自体少なかったし。

現代はそういう意味ですごくいい時代だと思う。



たくさんのたくさんのバンドが世の中に存在して、

その多くが自作曲を持っている。


・・・中には聴くに耐えないものもある(多い?)が、

まれに「おおおおおおおっ!」というような

ものすごく良い自作曲を演るバンドがいたりする。


そういうのに出会えるのがライヴハウスの一番の面白さだ、と僕は思う。


そんな「良い楽曲(歌)」を演るバンドもいつしか解散して、

その「ものすごく良い楽曲(歌)」が世に出ることなど、結局はない・・・のかもしれない。


いや、「ない」ことの方が多いだろう。


それでもいいのだ。


「良い楽曲(歌)」の存在価値は、

例えすっごく少ない人数であった、としても


「ひとの心を動かす」ところにあるのだ。




僕も、そうありたい。





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と、いうような「自作曲」を披露できる希少な場、「ライヴ」が、近々あります。



片山道郎アコーステイック・ソロ・・・で、アサオカ01とツーマンで、


9月16日 日曜日、京都は伏見の、京阪「中書島」駅の近く、

喫茶・バー「MICA」。



そして片山道郎がヴォーカル/ギターを務めるバンド「ROCA'66」のライヴは

その次の週末、9月22日 土曜日に

大阪は中津のライヴハウス「VI-CODE」にて。



出来たら両方来てくれたら嬉しいんだけど。


あ、でももちろん、どちらか片っぽでも、


来てくれたらそりゃあ、嬉しいよ。





追記;


 今日載せた写真に、特に意味はない。


僕がいつもこれを書きながら無意識に見ている風景


・・・つまりパソコンのモニターの上の壁(の風景)だから。



ははは。




コメント
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