「キレイゴトを言ってる場合じゃない」とか
「キレイゴトを言うんじゃねえよ」とかっていう
物言い・・・・というか、考え方って、あるよね。
そう、僕だって清廉潔白な人間ではない・・・し、
ヒキョーなところだて、多く・・ある。
そういう人間であることを承知の上で言うが、
我々は
「キレイゴト」を言い続けるべきなのではないか。
「なりふりかまわず」みたいに行動してしまいそうなときに、
ふっ・・と立ち止まって「キレイゴト的」に
考え直すべきなのだ。
憲法九条は、キレイゴトだと思う。
「集団的自衛権の放棄」も、キレイゴトだ。
でも、そういうものを大事に、大事にして
壊されないように守っていけば、
その「キレイゴト」はいつの日か「現実」に、なるのではないか、と
僕は、真剣に思うのです。
そして、そう考える人間は僕だけではない。
そんな風な「信頼感」を、見知らぬヒトにでも僕は、持つ。
今回は行けなかったんだけど、「デモ」に参加したときなんかは、特に。
今日、2015年9月16日の夕方、
新安保法制は強行採決されるかもしれない。
もし、そうなったとしても(状況は絶望的だが)、
我々は
「キレイゴト」を大声で、言い続けよう。
めげずに、そうしようぜ。