「偶然」という出来事は無機質で、生命も、意思も、ない。
でも
それが何度も何度も続いたりすると
ヒトはそこに「意思」があるかのような錯覚を、
往々にして起こす。
だけどその実体は単にランダムで、裏も表も何もない。
対して
「必然」という出来事は有機的である。
そこには意思と、エネルギーと、方向性がある。
生命も、ある。
そして
この「世界」というところは
そんな
「無機物である偶然」と「有機物である必然」が
まるでモザイクのように、
もしくは
美しい織物のように
縦糸と横糸みたいにして
紡がれて紡がれて紡がれて紡がれて・・・・・・・・・・・・・・・・・
その結果、
現出している「場」なのではないか。
そしてその「場」は
我々という「主体」なしには存在し得ないモノ、であろう。
だからさ、
何が言いたいか、っていうと
「ヤル気」をなくすべきじゃない・・・・・ってこと。
「必然性」を持ってして、
世界中の全ての「偶然」を味方につけようではないか。
俺達にはそれが出来るはずなのだ。