まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第23回中国四十九薬師めぐり~国宝松江城

2023年02月18日 | 中国四十九薬師

中国四十九薬師めぐり、常栄寺を訪ねた後は国宝松江城である。大手門跡で堀尾吉晴像が指すのが天守閣である。平山城だが、そこまで急な坂や石段があるわけでもなく気軽に訪ねることができる。

そして天守閣の前に出る。その前には武将が一人陣取り、観光客と言葉を交わしたり、記念撮影に応じている。「まつえ若武者隊」の方である。「若武者」にしては風格があるように見えるが・・。

松江城は全国に12ある現存天守の一つである。先般訪ねた姫路城のようは華麗さはないものの、落ち着いたたたずまいである。今回は中に入ってみよう。

松江城を築いたのは堀尾吉晴だが、その後は跡取りがなく改易、京極氏の時代を経て、徳川家康の孫である松平直政が城主となる。以後、松平氏の治世となり、その中には「不昧公」と呼ばれる松平治郷がいる。この「不昧公」という呼び名、私は初めて目にした時「不味公」と見えたものだ。「まずい公」はまずいなあ・・・。

明治となり廃城令が出され、松江城も櫓や門が解体され、天守閣にも売値がついたが、解体を惜しんだ地元の豪農や旧藩士らにより買い戻され、何とか解体を免れた。戦火に遭うこともなく、現在も当時の姿を残している。

松江城が国宝に指定されたのは2015年と最近になってからである。様々な研究の中で江戸時代初期、慶長年間の建造であることが明確になったことと、優れた技法で建造されたことが評価されてのことという。姫路城のように何層にもわたる巨大な柱はないが、2層分の短い通し柱を多用して天守を支える構造である。また、柱の体裁を整える「包板」も多く張られている。

最上階から松江の町並みを見る。宍道湖を見やることもできる。こうした眺めも国宝に指定された一因といえるのではと勝手に思う。

天守閣を出て、城周辺には武家屋敷や小泉八雲の旧邸宅もあるが、そのまま松江駅に戻る。この後で第39番・安国寺に移動しようかとも思ったが、結局翌日以降にするとして、駅近くの「グリーンリッチホテル松江」にチェックイン。しばらく客室にてのんびりと・・・。

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