中国四十九薬師めぐりの札所には参加していないが、島根でお薬師さんといえばここは外せないだろうと、勝手に「番外、特別札所」に決めた一畑薬師に参詣した。その後、日御碕にある第36番・神宮寺に向かうのだが、その手前に鎮座するのは出雲大社。さすがに素通りするわけにはいかないだろう。
出雲大社には何回か参拝しているが、クルマで来るのは初めてである。出雲大社の正門であり、記念撮影のスポットでもある二の鳥居(勢溜の大鳥居)の前を過ぎ、道なりに境内の西へと進む。そして駐車場に着き、何とか空きを見つけてクルマを停める。名高い神社だが駐車料金が無料というのが、出雲らしい大らかさを感じさせる。
そしてこの駐車場を出て少し歩くと神楽殿に出る。さらに横に進めばもう拝殿である。一畑電車やバスで訪ねたなら勢溜の大鳥居から参道をてくてく歩き、それはそれで大社への参拝のムードも高まるのだが、駐車場が結構近いのには驚いた。まあ、これでご利益に差があるとは思わないが・・・。
神楽殿といえば、これでもかという大きな注連縄である。長さ約13メートル、重さ約5トンとあるが、これだけの注連縄を作る材料を集めるのも大変だろうなあ。
意外な形で出雲大社の境内に入ったが、せめて「ムスビの御神像」は見ようともう一度外に出る。そして、改めて一応正面から入り、拝殿にて二礼「四拍手」一礼でのお参りとする。
この後、八足門から本殿に向かって手を合わせ、ぐるりと回る。「神有月」に八百万の神が宿舎とする摂末社や、本殿の背後を護るように建つ素鵞社などに手を合わせる。拝殿、本殿の正面から手を合わせてそのまま境内を後にする人が多いのだが、こうして本殿の周りを一通りめぐる人もそれなりにいる。
アラフィフ・・というか、今年ちょうど50歳となる私。いまさら出雲大社に願掛けして「縁結び」・・・というつもりは毛頭なく、長い歴史を持つ神社に手を合わせるだけである。改めて神楽殿に来たが、代々出雲国造の家柄で出雲大社の権宮司を務める千家国麿さんと、高円宮家の典子女王が結婚したのは、出雲と大和の末裔同士ということで注目されたなあと思い出す。
この先札所めぐりが続くが、まだ時間は早いが欠食を防ぐために昼食としよう。ここに来たなら出雲そばだろうと、神楽殿から駐車場に向かうすぐのところにある「松の屋」に入る。
そして割子そばを注文。味は・・・そばの評価というのは私にはわからないのだが、不味くはなかったし、「ここで出雲そばをいただきました」・・と記念になる店といえる。ただ、途中で変化をつけてもよかったかな。
そして、前日の宿泊でもらった「全国旅行支援」の地域クーポンも門前の土産物店の買い物の足しにする。出雲大社の御神酒でもある「八千矛」も買い求める。
・・・さて、出雲大社から改めて日御碕に向かうのだが、まず出雲大社から西に1キロほど向かった突き当りにあるのが稲佐の浜。ここは国譲り、国引きの神話で知られる浜だが、初めて訪ねる。名前は知っていたが、こういうところだったか。
砂浜の前にあるのは弁天島。ここで砂をいただき、出雲大社の素鵞社にてお清めの砂と交換するのが、いつしか出雲大社参拝の一つの作法になったそうだ。八百万の神が神有月に出雲に到着する玄関口が稲佐の浜で、そこから「神迎えの道」を通って出雲大社に赴くのだそうだ。
だとすると、出雲大社に参拝した後に稲佐の浜に着き、そこで砂をいただくというのはまったく逆の行いのようだ・・。まあ、だからといってもう一度出雲大社に引き返すつもりもなく、ここはそういう場所だったのだなと知ることができてよかった・・ということにする。
改めて、この先にある日御碕を目指そう・・・。