まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第23回中国四十九薬師めぐり~第36番「神宮寺」(日御碕をめぐる)

2023年02月23日 | 中国四十九薬師

一畑薬師、出雲大社と来て、ここから中国四十九薬師の札所がある日御碕に向かう。札所の名前は神宮寺で、名前からして元々は日御碕神社と神仏習合で一体だった寺だと推察される。

稲佐の浜から日御碕への道は日本海にほど近く、この日は穏やかな眺めが広がる。途中に温泉旅館がある。出雲を回るにあたり、目の前に日本海が広がるこの宿に泊まることも検討した。結局松江駅前の宿泊となったが、こうして現地に来てみると、旅の良い思い出になりそうなところだなと思った。

日御碕が近づくと、神社を遠くに見ることができるスポットがある。入江に面したその境内は、出雲大社とはまた違った存在感である。

まずは神宮寺を目指すとして、日御碕灯台、そして神社への分岐とは反対の方向に進む。神宮寺がすぐそこという案内板が見えたが、寺はあっても境内にクルマは入れないようだ。路肩に停められないこともないが、少し先にコミュニティセンターの敷地が広がる。一応、日御碕への観光客向けにも駐車場として案内しているようなので、そちらに駐車して歩いて戻る。ちょうど窪地に建っているように見える。

境内も実にコンパクト。奥に本堂があるが、曹洞宗の寺院ということで祀られているのは釈迦如来。中国四十九薬師としては、その手前にある小ぢんまりとした薬師堂である。

薬師堂の扉に手を掛けると開いたので中をのぞく。方丈ほどだろうか。この中でお勤めができるようになっている。

寺の言い伝えによると、神宮寺は平安時代、村上天皇の勅願で日御碕神社の境内に伽藍が建てられたのが始まりとされる。その後、江戸時代に火災で焼失したこともあったが、江戸時代末期には早くも廃仏毀釈の声もあり、日御碕神社の境内から離れた現在地に移ったという。もっとも、薬師堂に祀られている薬師如来像が伝教大師作と伝えられていて、日御碕神社の本地仏、そして一畑薬師の姉仏ということから保護されたそうだ。そして明治の廃仏毀釈の時代も乗り越えて、神宮寺として現在に至る。

その神宮寺薬師堂だが、その維持については厳しい状況のようだ。薬師堂の外と中には瓦志納のお願いの張り紙がある。中国四十九薬師霊場会としても何とかしたいところだが、寺としては檀家だけでなく、信者、篤信家からの浄財をもって維持したいという意思を示している。

薬師堂の中に朱印の台紙が置かれている。瓦一枚にもならないが、納経料に少し色をつけて箱に納める。

この神宮寺を踏まえたうえで、日御碕神社に向かう。出雲大社の「祖神(おやがみ)」として崇敬を集めている。日の出を守護するのが伊勢神宮、そして日の入りを守護するのが日御碕神社と言われているそうだ。出雲大社と比べれば知名度は低いだろうが、知る人ぞ知るスポットである。

まずは拝殿にて手を合わせ、境内を一回りする。現在の境内は江戸時代に整備されたものだそうだ。

その中に、昭和天皇の御歌の記念碑がある。島根県で国体が開かれたのに合わせて参拝した時のもので、「秋の果ての碕の浜の みやしろに をろがみ祈る 世のたひらぎを」とある。令和の今も変わらぬ祈り、願いである。

ここまで来たら、日御碕灯台まで行こう。神社を後にして港に向かうと、ウミネコの鳴き声が響く。目の前の経島(ふみしま)はウミネコの繁殖地として知られており、ちょうどこの時季、越冬するウミネコたちが集っている。島の高台に鳥居が見えるが、かつてはここに日御碕神社の下の宮が置かれていたそうだ。

坂道を上り、海の幸を扱う食堂や土産物店の間を抜けると灯台に出る。上がることもできるが、まあ、それは遠慮して、しばらく岩場を散策する。灯台の一帯は遊歩道が整備されている。

さすがは日の入りの名所ということで、展望台もある。季節によって変わる日の入りの場所の案内もある。

松江から始まり、一畑薬師、出雲大社を経て日御碕まで。神仏と自然に触れる一時であった。ここで折り返しとして、今度は出雲市の南にある第37番・延命寺に向かう・・・。

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