まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

「せとうちノスタルジー号」にて尾道ノスタルジー散策

2022年01月31日 | 旅行記F・中国

キハ47の旧国鉄急行色「ノスタルジー号」を使って運転される団体列車「せとうちノスタルジー号」。「尾道行き急行」という演出で運転されている。

9時47分、笠岡に到着。笠岡では10時32分の発車まで45分停車である。一般列車や貨物列車を通すための対応だが、こう書くと笠岡駅には失礼かもしれないが、ホーム、構内にどこか昔ながらの雰囲気を感じるところが往年の急行、汽車旅に似合っているようにも見える。

先ほどの倉敷と同じようにホームからの撮影タイムとなり、乗客もほとんどが外に出ていろんな角度からカメラを構えるが、さすがに停車時間を持て余す感じである。今回の旅のルール上とはいえ、笠岡で改札の外に出ることができないのが残念だった。混乱を避けるためだとは思うが、改札のすぐ横にセブンイレブンもあるし、買い物くらいできてもよかったのではと思う。

席に戻り持参の本など読んでいると、お楽しみ抽選会ということで添乗員が各座席を回ってきた。ボードに古今東西の列車名が書かれた付箋が貼られていて、列車名を選ぶと添乗員が付箋をめくって景品名が現れるという「コロナ対策手作り式」。「ムーンライト山陽」を指定した私が引いたのは、アンパンマントロッコのマグネット(非売品とのこと)。冷蔵庫にでも貼りますか。

笠岡で待つ間、貨物列車や黄一色の115系が行き来する中、同じ黄色ながらも117系がやって来た。この両者が並ぶ光景というのもなかなか見られるものではない。

「せとうちノスタルジー号」は45分の長時間停車を終えてようやく出発。その代わり、この先尾道まではノンストップだ。県境を越えて福山市に入る。JFEの専用線や東福山駅の案内放送もある中、この列車の目玉の一つである「福山通過」を迎える。夜行列車ならともかく、日中の列車で福山を通過するのは初体験。昔実際に走っていた急行でも、福山通過というのはほぼなかったのではないか。

芦田川を渡り、福山市の西部を走る。結局笠岡からはノンストップで尾道に向かうようだ。造船ドックが見えると尾道水道、尾道の町である。昔からの寺や坂道が並ぶ中、国鉄急行色の気動車が走るのも懐かしい景色だろう。あらかじめ狙っていた撮り鉄だけでなく、沿線でたまたまこの列車に出会った観光客が驚いた様子であわててスマホを取り出す光景も見られる。

11時、尾道に到着。岡山から2時間あまりかかったが(そのうち半分は倉敷・笠岡での停車だったが)、駅や地元スタッフの方からの歓迎を受ける。

「せとうちノスタルジー号」はいったん糸崎に回送される。尾道発は12時57分。12時30分すぎから再び乗車できるとのことで、それまで自由時間となる。1時間半ほどあるがどうやって過ごそうか。尾道発車後にツアーオリジナルの弁当が配られるため、昼食はそちらとする。尾道ラーメンはまたの機会だ。

とりあえず駅前に出る。目の前の尾道水道の景色は何度来ても和む。

そこへ向島からの渡船がやって来た。駅前渡船である。歩行者100円、自転車110円で気軽に利用できる。わずか3分ほどの船旅だが、こうして向こうに渡るだけでも尾道観光の一つになる。せっかくなので向島までピストン往復としよう。

向島に渡った後、またすぐに本土に戻る。今度は少し離れた福本渡船に乗ってみる。こちらは歩行者60円とさらに安くなる。いずれも待つほどもなくやって来るという感じで、地元の人たちが気軽に利用する、あるいはなくてはならない乗り物だ。

現在はもう1航路、少し東側を通る尾道渡船があり、合計3航路あるが、その昔はもっと多くの渡船会社があり、ひっきりなしに尾道水道を行き来していたという。しかし、尾道大橋、さらにはしまなみ海道に通じる新尾道大橋が開通し、本土と実質陸続きになったことで撤退する業者も見られるようになった。ただ、橋が開通しても回り道になることや道路渋滞があることで、今でも渡船の優位性は保たれているそうだ。しまなみ海道を自転車で走破するルートにも渡船が組み込まれている。ただ一方で、担い手不足や高齢化も課題になっているとか。

再び本土に戻ったが、時間はまだまだある。ふと見上げると千光寺の本堂もそれほど遠くないところに見える。今回は札所めぐりの要素は一切ないと思っていたが、ここまで来たら千光寺まで上がり、観音様に手を合わせることにしよう。ロープウェー乗り場まで行かずとも、歩いたほうが早いだろう。

アーケードを抜けるが、やはり活気が見られない。今回出かけた1月15日当時、全国に先駆けて広島県には「まん延防止等重点措置」が適用されたところである。その影響か、あるいはその前からか、休業中の施設もある。またそのようなタイミングで出かけることについて異論を持ち出す方もいるだろうが・・。

山陽線の低いガードをくぐり、石段を上がる。猫がいるかな・・と思ったが残念ながら遭遇せず。

千光寺に到着。参詣の方はちらほらといったところ。ここ千光寺は中国観音霊場の第10番、千手観音を本尊とする。今回は数珠や経本を持ってきていないので、真言のみとする。中国観音霊場めぐりで来た時は大阪から1泊で来たが、その時は尾道に宿泊し、朝から尾道七佛めぐりで千光寺のほか、浄土寺、西国寺などを回った。このうち西国寺については中国四十九薬師の札所であるので、尾道にはまた来ることになる。なお、中国四十九薬師めぐりについては、先ほどの長時間停車をもって岡山から笠岡までコマを進めたことにする。

本堂の後は大師堂でも手を合わせ、その下の天寧寺の三重塔を含めた尾道の景色を楽しむ。ノスタルジーを売りにした列車で、ノスタルジーあふれる尾道までやって来た。ちょうど黄色一色の鈍行が町中を走り抜けるが、先ほどの旧国鉄急行色がこの景色を駆け抜けるのも風情があってよさそうに思う。私は乗るほうなので同時にそれを楽しむことはできないが、沿線にたくさんいた撮り鉄の皆さんでも、さすがに千光寺の境内から「せとうちノスタルジー号」を狙う人はいないだろうな・・。

駅に戻ると「ノスタルジー号」が入線しており、もう中に入れるようだ。

そこに、広島からの「etSETOra」が到着した。こちらも同じキハ47をベースとした車両だが、ゆったりした座席を備えた観光列車に改造されている。この対比も面白いところで、一斉にカメラが向けられる。今回、「ノスタルジー号」は団体列車として尾道に乗り入れたが、尾道を境界として「ノスタルジー号」と「etSETOra」を相互に乗り継ぐ片道旅行というのがあっても面白いのではないかと思う。昔ながらのボックスシートと、リニューアルしてゆったりした座席との比較を楽しむとか。

駅員やギャラリーの見送りを受けて尾道を出発。今度は「『急行』せとうちノスタルジー 万富行き」としての運行だ・・・。

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