まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

室戸から高知へ~クジラ料理も堪能

2022年01月27日 | 旅行記G・四国

戸岬から安芸営業所行きのバスに乗車。岬から今度は海岸を西に見て走る。国道55号線を走るが、四国第25番の津照寺、第26番の金剛頂寺最寄りのバス停も通過する。

以前に八十八ヶ所めぐりで訪ねた時、2016年の大晦日だったが、最御崎寺から金剛頂寺まで歩いた。その時、安芸方向から子どもたちを含めたウォーキングの団体に遭遇した。高知から室戸岬まで12月30~31日の2日間かけて歩き、最御崎寺のユースホステルに泊まった後、室戸岬で初日の出を見るという「初日の出徒歩ホステリング」というイベントだった。高知県ユースホステル協会主催だったが、コロナの影響もある中、今でもやっているのかな。

さて、途中下車したのは道の駅キラメッセ室戸。ここで昼食である。目指すのはレストラン「鯨の郷」。

名前にもあるように、高知はかつて捕鯨がさかんだったところだ。その名残で鯨料理をいただくことができる。注文したのは「鯨御膳」。鯨の竜田揚げ、たたき、さえずり酢味噌、刺身と味わえる。刺身は半解凍だが、これを舌の上に置いて少しずつ解かすのがよい。さまざまな食べ方を楽しむことができた。今回、高知で一献とまでの時間はないので、高知名物はここ室戸で味わったことでよしとする。

敷地内にあるのが鯨の資料館である「鯨館」。室戸と鯨のかかわりを紹介するスポットである。時間はそれほどないが立ち寄ってみる。

まず出迎えるのは、江戸時代の捕鯨の様子の描いた絵図をデジタルアート化した巨大スクリーン。鯨が海面を跳ね、それを追ういなせな男たちが躍る。

中央には鯨の骨格標本、模型とともに再現された勢子船が置かれている。この中央の席に座り、受付で渡されたヘッドセットをかぶる。そこで見えるのは、VRの世界。しばらく勢子船が進むと海の中に潜る。そこにはサンゴ礁が広がり、数々の魚が泳ぎまわる。そこへやって来るのが巨大な鯨。時間にして5分もなかったと思うが、360度の海底の世界を実感できる。これは子どもたちは喜ぶだろう。

室戸の捕鯨は和歌山の太地から伝わり、江戸時代に本格的に行われるようになった。海流の流れの関係か土佐沖は鯨の回遊コースになっていたこともある。改めて、当時の絵図で出漁から捕獲、そして解体までの流れを見る。鯨一頭で周辺の村は大いに潤うことができ、その解体の時は村挙げてのお祭りのようなものだったという。

その捕鯨は室戸から足摺まで土佐一帯で行われていたが、実際に捕鯨が許されていたのは室戸の鯨組だけで、足摺の人たちは制限されていたという。足摺といえばジョン万次郎が有名だが、彼の家は貧しいほうの漁師で、自身も漁に出た時に遭難し、助けられたのがアメリカの捕鯨船だった。万次郎は捕鯨船の乗組員として働き、後にアメリカのゴールドラッシュでの金の採掘で資金を得て、晴れて日本に帰国。その後は捕鯨、造船、英語を通して日本とアメリカの架け橋としても活躍した。同じ土佐、そして捕鯨船に縁があったということで紹介されている。

今は捕鯨はできないが、鯨は変わらず回遊してくる。そのため、今ではホエールウォッチングが室戸観光の目玉の一つとなっている。さすがに道の駅から遠くを眺めるだけでは遭遇しないだろうが・・。

次のバスに乗り、水切り瓦、漆喰壁の家並みが続く吉良川を過ぎる。当初はここも途中下車の選択肢に入っていた。

これで室戸岬をぐるりと回り込み、奈半利町に入る。八十八ヶ所めぐりではここの「ホテルなはり」で1泊した。奈半利はまぐろの遠洋漁業の基地があることから、ホテルではまぐろ料理を堪能した。また機会があれば泊まってみたいものである。

土佐くろしお鉄道の奈半利駅に到着。ここからは本式の鉄道への乗車だ。「ごめん・なはり線」の名称があり、各駅には「アンパンマン」の作者・やなせたかし氏がデザインしたキャラクターがいる。奈半利駅にいるのは、「なは りこちゃん」。

土佐くろしお鉄道のオリジナル車両はシートがゆったりしたもの、片方が展望デッキになったもの、さらには安芸キャンプで縁のある阪神タイガースの塗装をほどこしたものと、バラエティに富んでいる。

次に乗る14時03分発の土讃線直通の高知行きはさてどの車両がと思っていると・・・やって来たのはJRの1200型。あらあら・・・。

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