まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第17番「六波羅蜜寺」~西国三十三所めぐり3巡目・19(京都国立博物館の特別展とともに)

2020年09月13日 | 西国三十三所

西国三十三所の開創1300年の記念事業の一つとして、京都国立博物館で特別展「聖地をたずねて~西国三十三所の信仰と至宝~」が開かれている。当初は4月11日~5月31日の予定だったが、新型コロナにともなう緊急事態宣言のために開催が延期され、7月23日~9月13日の会期となった。

西国三十三所を回る者としてこの特別展は楽しみにしていて、本来なら7月23日の始まってすぐにでも訪ねるところだが、中国観音霊場の夏の札所めぐりに出かけたり、そもそも「夏の猛暑の京都は避けたい」という思いがあって、結局7月、8月とずるずると引き延ばしていた(これは、西国四十九薬師めぐりの次の札所である三千院にも行けていない理由でもある)。ただ、9月に入り、これではいけないと最終日前日の12日に出かけることにした。

この京都行きで使ったのが、近鉄の「1dayおでかけきっぷ」。大阪、京都、奈良エリアの近鉄全線が1日乗り放題で1000円。前日までの購入が必要だが、12日に出かけると決めて、11日に購入した。

これで藤井寺から橿原神宮前まで乗り、橿原神宮前から京都までの直通の急行に乗る。ほぼ一直線に奈良県から京都府に向かうが、1時間15分の乗車。なかなか乗りごたえがある。

京都に到着。駅構内で軽く昼食をとった後、市バスで国立博物館まで移動する。この敷地の中に入るのも随分久しぶりのことだと思う。入口では特別展のパネルがあり、数々の観音像が顔を揃えている。さっそくここで記念撮影をする人もいる。

現在は特別な時にしか開かれない明治古都館、ロダンの「考える人」像を見た後、現在の平成知新館に着く。

館内が密にならないようにと、一度に入場するのを5人ずつという措置を取る。そのために入場口には少し列ができていたが、1~2分おきに次の5人を入れていたからそれほど待つこともなかった。

入口にて音声ガイドの機器を借りる。ナビゲーターは『見仏記』など仏像ファンで有名なみうらじゅんさん、いとうせいこうさんが務めており、展示物の「解説」というよりは、親しみやすい視点での「感想」を語り合うというもので、この後展示室で思わずニンマリする場面もあった。声をあげて笑ってはいけないのだが。

展示は33の札所が所有する貴重な宝物が満載で、一つ一つを見るだけでもうなるばかりである。3階から2階、1階と下りてくる順路。内部は撮影禁止のため、簡単に紹介すると・・

第1章「説かれる観音」。観音は33通りに姿を変えて人々の悩みや苦しみを救うと説かれており、観音経の経典や古い時代の観音像が展示されている。青岸渡寺や壺阪寺、一乗寺所蔵の観音像、岡寺の半跏思惟像も出展されている。中にはオペラグラスを手に仏像の細かなところを観察する人もいる。

第2章「地獄のすがた」。西国三十三所は、長谷寺を開いた徳道上人が仮死状態になった際、地獄の閻魔大王から巡礼の功徳を広めるようにと33の宝印を授かり、中山寺に埋めたのが始まりだという伝説がある。地獄からの救済というのも観音信仰のご利益であるが、その地獄について「六道絵」、「餓鬼草紙」、「十王図」などで説いている。今の世で見てもなかなかの凄みがある。

第3章「聖地のはじまり」。西国三十三所の始まりは、上記の徳道上人、そして平安時代に巡礼を行ったとされる花山法皇といった人物が登場するが、なぜその寺が三十三所になったのかはいまだよくわかっていないところがある。ここでは長谷寺、施福寺、石山寺、清水寺などの縁起絵巻などが紹介されており、「観音のこうしたありがたいご利益があるのだぞ」というアピールが強いところが次第に三十三所を構成するようになったのかなとも感じられる。

第4章「聖地へのいざない」。当初は修行僧など「プロの巡礼」が行っていた西国三十三所巡礼だが、時代が下ると一般庶民にも巡礼が広がった。そこで、新たな巡礼を募り、また天災や戦乱で荒廃した寺院の建物を再建するために、曼荼羅図や勧進帳によって各寺院の歴史や功徳を説くようになった。特に曼荼羅図は、荒廃する前の姿や「こういう理想の姿」を描いたものとして、イメージを膨らませることができる。三十三所それぞれの札所本尊像をずらりと並べた曼荼羅もあり、これも壮観である。ここでは、私の地元にある葛井寺関連でも、室町時代のものとされる曼荼羅図や再建勧進帳が紹介されていた。

第5章「祈りと信仰のかたち」。このコーナーは仏像のオンパレード。西国三十三所は7種類の観音で構成されており、聖観音、千手観音、十一面観音、如意輪観音、不空羂索観音、准胝観音、馬頭観音がある。ケースに入れず「生」の姿で展示されている仏像もあり、中には一つ一つに手を合わせる人もいる。実際の本尊は秘仏とされていても、そのお前立ちだったり、それを模したとされる像があり、その姿を通して本尊を思い浮かべることができる。中には、元々は聖観音だったり十一面観音だったものが、後の世に手を付けくわえて十一面千手観音となったのでは?という像もあり、みうらじゅんさんの感想に「カスタマイズできるんですねえ」というのもあった。人々の状況に応じて33の姿に変わることができるという教えを仏像でも表しているのかな。

第6章「巡礼の足あと」。こちらは現在の札所めぐりに通じる内容で、西国三十三所の案内図や案内本、笈摺、納経帳、納め札などが紹介されている。ここまでの構成で、西国三十三所の1300年の信仰の歴史が各方面から伝えられる。

第7章「受け継がれる至宝」。ここは観音信仰にとどまらず、それぞれの寺に受け継がれている貴重な宝物が紹介されていたが、さすがにここまで来ると結構疲れたので、最後は流す感じで見学した。

・・・ここまで見終えて、入館から2時間近くとなった。もっと熱心な方なら1日いても飽きないだろうし、会期の途中で一部展示替えもあるので複数回来た人もいることだろう。この記事を掲載した9月13日は特別展の最終日だったが、今後、ここまでの規模の展示が行われることはあるのだろうか。

実際に札所めぐりを行う中ではこうした仏像や宝物に出会うことは少なく、たいていは寺の本堂でも外陣から中の様子をうかがいながら手を合わせることが多い。そこに他の観光の要素が加わったり、あるいは寺に行くことそのものが朱印目当てのスタンプラリーかダンジョンの攻略のようになっていたりもする。今回、西国三十三所の長い歴史について、仏像や宝物を通して視覚的に少しでも学ぶことができたのは改めて意義があったと思う。これからもさまざまな歴史に思いを馳せながら回りたいものである。

せっかく西国三十三所関連の展示を見たので、どこか一つ回ることにしよう。現在は3巡目の途中だが、国立博物館からほど近い第17番の六波羅蜜寺がまだである。10分ほど歩いて訪れる。

六波羅蜜寺の名物といえば宝物館にある空也上人、平清盛の像だが、これまでの参詣で見物しているので今回は省略して、シンプルにお参りだけとする。特別展と合わせて訪ねる人もいるのか、結構多くの人たちが入れ替わり参詣している。あるいは、コロナ禍が少し落ち着いていることで京都を訪ねる人そのものも増えていることもあるのだろう。

外陣に上がり、マスクを着けて小声でのお勤めとする。本堂内の納経所もビニールシートを垂らしての対応である。

京都市内にはもう1ヶ所、第19番の行願寺革堂が3巡目でまだ残っているが、これは別の機会にするとして、河原町五条から市バスに乗って京都駅まで戻る。

近鉄の「1dayおでかけきっぷ」を使っているので、藤井寺から京都まででも元は取れているが、帰りも近鉄に乗ることにする。変化をつける意味で、別途料金はかかるが大和西大寺まで特急に乗る。車両はビスタカー、2階建ての階上席に陣取り、寺参りも終えたので「飲み鉄」解禁である。車両の中央部で振動も静かな車内で、車窓を見ながらの一杯。これも札所めぐりの楽しみの一つ。

大和西大寺からは奈良線で大阪市内に出ることにする。乗り換えに合わせて、橋上駅ナカにある展望デッキをのぞく。奈良線の大阪難波方面、京都線の京都方面の線路が合流するところで、近鉄の鉄道名所の一つである。

奈良線も先に普通の尼崎行きが来たが、L/C車でちょうどクロスシートになっていたので乗車する。別に大阪まで急ぐ必要もなく、生駒トンネルを経て大阪平野が広がる車窓を楽しむ。おでかけきっぷのメリットも活かすことができたが、これはまたお出かけに使ってみようと思う。

西国三十三所めぐり、今年はコロナ禍の影響で拝観停止や納経所の閉鎖があり、先達研修会も中止となったが、その中で少しずつ落ち着きを取り戻し、この特別展も盛況、1300年記念事業も延長されることになった。ある意味、それこそ先に触れたかつての曼荼羅図や勧進帳のようなことをやっているのかもしれないが、こういう状況だからこそ観音信仰の持つ力、意味というのが求められるのではないかと感じる。現実生活には行政がもっとしっかり機能して安心感をもたらずことが必要だと思うが、一方で、心の安らぎをもたらすものは別にあってよいところ。それを得つつ、これからの札所めぐりにつないでいこうと思う・・・。

コメント