まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第15回中国観音霊場めぐり~第26番「一畑寺」

2020年09月28日 | 中国観音霊場

一畑電車から出雲市生活バスを乗り継いで、一畑寺の駐車場に到着する。ここに参詣する人のほとんどはクルマで、あとはタクシー、生活バス、徒歩で1300段の石段を上がるというものだろう。

一畑寺としてはこちらが玄関口のようで、饅頭やせんべいを売る山上商店街が軒を連ねている。その途中に、先ほど一畑口駅で見かけた目玉おやじのモニュメントが出迎える。「欲にころぶな 元気におまいり」、「うん(運)と頂く結縁の道」、「果報はねてまて 涅槃おやじ」というメッセージも書かれている。

商店街を抜けると境内に入り、「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」という薬師如来の真言の碑が建つ。今回は観音霊場めぐりで来ているが、一畑寺は一畑薬師の名で知られるように薬師如来が本尊の寺である。

◯に一の文字をあしらった灯籠が並び、その向かいには「南無一畑薬師瑠璃光如来」「南無大慈大悲観世音菩薩」の幟が交互に並ぶ。観音のほうも篤い信仰を集めているようで、薬師と観音が組み合わされば現世利益は最強ではないだろうか。

1300段の石段の(本来なら)表参道と合流する。ここから本堂までは100段あまり。目玉おやじも「あと一息じゃ!」と声援を送っているようである。

山門をくぐり、もう少し上がって境内に到着。出雲では有名な寺院ということで人出もそこそこある。

ここで出迎えるのは「のんのんばあ」と、少年時代の水木しげるの像。「のんのんばあ」とは、幼い頃に水木家のお手伝いさんだった景山ふさという人で、一畑薬師を篤く信仰していた。「のんのん」とはこの辺りで「神仏に手を合わせる」を意味する言葉だという。水木しげるはその「のんのんばあ」に連れられて一畑薬師にもお参りしたが、道中でも妖怪やお化けの世界をいろいろと語り聞いた。それが後に多くの作品を生み出すベースとなった。

まずは正面の本堂、薬師如来にお参りする。私も極度の近視で子どもの頃から眼鏡が手放せないのだが、そこに別の眼病が出ないよう願って手を合わせる。薬師如来は病気を癒す力があるとして信仰されている。

では一畑が「目の薬師さん」なのはなぜだろうか。本堂の柱に絵巻と一緒に解説が貼られている。平安時代、この辺りの漁村に与市という漁師と、目の見えない母親が住んでいた。

ある日与市が漁をしていると海中に光るものがあり、それをすくってみると立派な薬師如来像が上がってきた。与市はこれを持ち帰って大切に礼拝していると、ある夜、薬師如来が夢枕に立ち、「あなたの信仰心の深さを示すために百丈の滝から飛び降りよ。母親の目は治る」と告げた。

与市はそのお告げを信じ、体に千把のワラをつけて百丈の滝から飛び降りた。すると母親の目が見事に開き、与市も無事だった。これを奇跡として与市は現在の地に伽藍を建て、みずからも比叡山で得度して僧侶となり、今の一畑寺を開いた。後に臨済宗の寺になったが、その後も子どもの目が治ったという霊験が広まり、いつしか「目の薬師さん」、「子どもの無事成長の仏様」として信仰を集め、戦国時代の尼子氏、毛利氏、江戸時代の松平氏からも手厚く保護された。

現在では、これまでの歴史で一畑薬師の分身を勧請した各地の寺院を束ねる意味で、「一畑薬師教団」の総本山でもある。「教団」と書くと、何やら怪しい銭儲けの新興宗教ととらえる人がいるかもしれないが、行われていることは普通にイメージするお寺と何ら変わりないのでご安心を。

で、中国観音霊場めぐり。本堂を向いて右手前に観音堂がある。こちらの本尊は「瑠璃観世音菩薩」という。つまり薬師如来に姿を変えた観音さんということで、そこはあらゆるものに形を変えて人々を救う観世音菩薩の最たるものといえる。

観音堂では、「百八観音霊場」のお砂踏みができる。納札が入ったカプセルがあり、それぞれの札所のお砂が入った座布団を踏んで回ることで、108寺院を回ったのと同じご利益が得られるという。ちなみにこの「百八観音霊場」、現在私が回っている中国観音霊場に、四国三十三観音霊場、九州三十三観音霊場を加えた霊場である。せっかくなのでお砂踏みをしようと思ったが、ここは全体に向けて手を合わせるにとどめた。これは私の勝手な思いなのだが、中国観音霊場めぐりの中で住まいが広島に移ることになったことを受けて、いずれ四国や九州を、「お砂踏み」ではなくガチの札所めぐりで訪ねる日が来るのではないかということが頭によぎる。

一畑寺はそうしたことに熱心なのか、観音堂の中では中国観音霊場、百八観音霊場のPRもあるし、奉納された納経軸も多く掲げられている。

境内から宍道湖方面の眺めもよい。天候が良ければ遠くに大山の雄姿を見ることもできるとある。一畑寺と大山寺、歴史的なつながりがあれば面白いと思う。

また本堂を囲むように八万四千仏の薬師如来が奉納されていたり、十六羅漢像の前には絵馬が多くかかる。「め」の字が多い。これを見て連想するのは壺阪寺。思わず「走るよ目っ!」とやってしまう。

しばらくすると本堂で読経が始まった。祈祷を申し込んだ人たちが外陣に入り、経典を読む。僧侶が「都度ページ数を言いますので」と、薬師如来に関する経典を読み、最後は般若心経で仕上げる。

そのお経を聞きながら朱印をいただく。私は中国観音霊場で来たが、一畑寺は他にも出雲国神仏霊場や出雲十大薬師などさまざまな札所を兼ねている。ただし、新興勢力の中国四十九薬師霊場には入っていない。そこは一畑薬師のプライドがあるのかな。

「お茶湯」のお接待がある。一畑寺の井戸水で沸かしたお茶を薬師如来にお供えして祈念したもので、ありがたくいただく。目を守ってほしい人はまぶたにつけて拝むとよいという。

そろそろ下山することにする。時刻は11時半、下りということを考えれば、12時51分発の列車には間に合うだろう。帰り道を行くと先ほどの商店街に出るので、再び参道を歩き、目玉おやじのモニュメントがある石段に出る。一畑電車の物故者の慰霊碑もここにある。

今度はここから下る。かつてはこの1300段が名物だったそうだが、今はクルマが走るジグザグ道がメインで、この石段を上り下りする人はほとんどない。私が下りた時にすれ違いで上って来たのは二人だけだったが、トレーニングで走っている格好をしていた。それだけに石段もところどころ欠けていたり、かつての灯籠も崩れて倒れていたり、時代の移り変わりを感じる。

下りだからそれほどしんどいこともなく、幸い膝や脚に来ることはなかったが、これが上りならヒイヒイ言って、本堂に着いたらへたりこんでしまうのではと思われた。もし真夏の猛暑日なら、目の薬師さんでも目も当てられない姿になっていただろう。

中間点と石段の麓に目玉おやじのモニュメントがあり、一畑口駅を含めて7種類すべてを見ることができた。これもご利益とする。

ここから一畑口駅までは一本道。少し下った後は平坦な道のりである。途中に小さな滝や、先ほどの車道との交差点に初代な石灯籠を見る以外は淡々と進む。これはこれでしんどい。

ようやく前方に一畑口の駅舎が見えて、行き止まりの線路を目にしてほっとする。一畑寺からは1時間少しかかった。列車まで時間があるので、ホームのベンチでしばらく涼む。

出雲大社前からの列車が来た。また宍道湖沿いに走るが、寺参りでほっとしたのか松江しんじ湖温泉まではのんびり、うたた寝である・・・。

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