まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

近鉄特急「ひのとり」に乗車

2020年03月14日 | 鉄道企画もの
前の記事で3月14日のダイヤ変更について書いた。当日朝のNHKのニュースでは、新たに開業した高輪ゲートウェイ駅や、9年ぶりに全線の運行を再開した常磐線の浪江駅からの中継があった。

その中で近鉄では新型特急「ひのとり」がいよいよデビューした。私もデビュー当日の夜の便、名古屋から難波に向かう列車に乗ることができて、この記事も缶ビールと味噌串カツをやりながらスマホに入力している。

さて、名古屋からの帰りで「ひのとり」に乗っているわけだが、ならば名古屋までどうやって行くか。近鉄の週末フリーパスを使い、近鉄を代表する特急に乗りながら名古屋に向かうことにした。

そのコースだが、

大阪阿部野橋~(青の交響曲)~橿原神宮前~(普通列車)~大和八木~(伊勢志摩ライナー)~賢島~(しまかぜ)~名古屋~(ひのとり・レギュラーシート)~大阪難波

以前に日帰りで近鉄特急の乗り比べツアーというのがあったのを見て、こういう乗り鉄もありかなと組んでみた。特急券をネット予約したのが2月の半ば。新型コロナウイルスの対策で学校の臨時休校が始まった頃である。

それ以降、新型コロナウイルスによるいろんな自粛が広がり、プロ野球の開幕延期や選抜高校野球の中止が決まるなど、世間のムードは暗いまま。そんな中でのお出かけだが、普通に列車に乗っているだけだからリスクは低いとして、雨の中、予定通り出かけることにした。

で、「ひのとり」の乗り心地だが・・良かった。アーバンライナーがデビューした当時もかっこいい列車ができたと思ったが、「ひのとり」も次の近鉄のエースにふさわしい車両である。また追々、記事にすることに・・・。
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3月14日ダイヤ変更

2020年03月13日 | ブログ
3月14日はJR各社のダイヤ変更が行われる。

これを「変更」というのか「改正」というのか、何が正しいのかは見解が分かれるという。「改正」というとプラスのイメージがあるが、実際の中身は減便や廃止ばかりで、「改悪」ではないかと不満を持つ層がいることもある。ならば事実だけを表した「変更」が無難なのかな。

JRのダイヤ変更だが、それほど劇的に変わるというわけではないようだ。その中で個人的に目についたのは、新潟地区のキハ40系が新型車両に置き換わるとか、常磐線が東日本大震災から9年を経て全線復旧するということだ。

その中で、常磐線の全線再開は朗報である。福島原発事故の影響で立ち入り制限、地元の人たちの避難生活は続くが、東京から浜通り経由で仙台までの鉄道がつながったのは明るい話題だ。仙台から常磐線経由で東京に向かう特急「ひたち」が復活したのもプラスである。またいつか、そんな列車で東北に行きたいと思う。

さて、3月14日のダイヤ変更は近鉄でも行われる。その中で目玉なのはやはり「ひのとり」。名阪特急アーバンライナーを次世代車両に受け継ぐもので、その1期生がいよいよ登場する。

2月から先行の試乗会が企画されていたが、新型コロナウイルスの影響で中止。デビューはぶっつけ本番である。

当日のプレミアムシート、私は予約開始のタイミングを失念していて、気づいた時は終日満席になっていた。あわてて何とか夜の名古屋から難波行きのレギュラーシートを押さえた。

その中で、近鉄特急の乗り比べはどうかと企画した。特急券は無事に確保。週末フリーパスを活用して近鉄線内を楽しもうと思う。コロナウイルスのリスクは低いということにして・・・。
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プロ野球はいつ開幕になるか

2020年03月12日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
NPBプロ野球の開幕が延期となったが、実際はどの時点で開幕となるのだろうか。

いろいろ協議される中では、4月10日というのを一つのボーダーラインにしているそうだ。五輪中断期間や交流戦を含む公式戦全日程を消化して、クライマックスシリーズ、日本シリーズを11月末までに終わらせるためにはギリギリだという。

ただ、今の状況が3月下旬になれば好転して、4月10日の開幕にたどり着けるものかどうかはわからない。安倍が「概ねあと10日ほどの自粛を要請する」と読み上げた原稿の内容が繰り返されるかもしれない。

またプロ野球ということで独立リーグを見ると、四国アイランドリーグは3月28日、ルートインBCリーグは4月11日開幕にて日程表が発表されている。こちらは例年その頃の開幕なので今のところは「予定通り」なのだろうが、今後の動向次第でどうなるか。

これは余談だが、NPBプロ野球とサッカーJリーグが連携した新型コロナウイルス対策会議が開かれた。その中で、観客の応援に関してウイルス感染のリスクが高いとして禁止を検討するものが挙げられたという。

その対象としては、

・ジェット風船の応援
・肩組み、飛び跳ねなど集団での動きの伴う応援
・立ったり座ったりを繰り返す集団での動きの伴う応援
・トランペット・ホイッスル等の鳴り物応援
・ビッグフラッグの応援
・観客のハイタッチ
・両手をメガホン代わりにした大声での応援
・フラッグ応援

というのが例示された。

私個人としては「あっぱれ」「英断」である。普段試合を観に行って、応援団と称する輩が座席を仕切ってエラソーにしていたり、そうした応援に従わない、ついていけない人たちをバカにして排除したり、そんなものである。私は、ファンである球団には勝ってほしいが、私設応援団に対しては良く思っていない。応援をするなということではないが、私設応援団どもが既得権益を得て球場でデカイ顔をしているのが気にくわないだけ。居酒屋にいる常連面のオッサン以下。

ジェット風船なんかもただのゴミ撒き散らしだし、今回の措置案は、いい意味でこうした輩どもを排除して、球場の雰囲気を変えるきっかけにしてほしいとも思う。

さて、どうするか・・・。
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「復興ハイウェー」の一方でBRTや三陸鉄道は・・

2020年03月11日 | ブログ

3月11日、東日本大震災からちょうど9年である。

今は新型コロナウイルスに対してどうするか、どうなるかというのが差し迫った出来事で、東日本大震災関連の報道というのも以前と比べれば減っているところ。犠牲になった方たちへの慰霊についても、コロナウイルスの影響で規模を縮小したり取り止めたりという対応が目立つ。

その中で、NHKは震災関連についてニュースでコーナーを設けたり特別番組を放送しているのだが、NHKスペシャルで「復興ハイウェー」というのをやっていた。

震災復興の事業ということもあり、国道45号線が通っていた三陸地方に、三陸自動車道が整備された。内陸部を結ぶルートを含めてもほとんどの区間で整備が進み、時間短縮や安定した輸送ルートの確保のメリットについて取り上げられていた。

そのメリットを受ける例として陸前高田が取り上げられていた。「奇跡の一本松」があるが、昨年に道の駅が開業して、震災の被害について伝承する施設もできた。「復興ハイウェー」でアクセスしやすくなったことで遠方からも多くの人が訪れているという。当初は住宅地での再建を目指しながらも思うように進まなかったエリアについても、東京の大手資本が参入することもあって商業地として活性化できるのではないかとプロジェクトが進められている。

一方、「復興ハイウェー」で外部からのアクセスや参入が容易になったために、地元の中小規模の事業者が苦しんでいるという面もあるようだ。中央の大手企業と地元の中小企業との生存競争である。地元企業は地元でしかできないサービスや商法で対抗しようとしているが、現実は厳しいようである。

「復興ハイウェー」の一方で公共交通はどうだろうか。三陸鉄道、JR東日本のBRT区間もある。大船渡線、気仙沼線のBRT区間については鉄道での復旧はなくなったし、三陸鉄道も観光客人気はあるが、昨年の台風で新たな被害を受けてこれから再開である。「復興ハイウェー」が便利になった一方で、こうした鉄道路線も引き続き厳しい運営になるのだろう。せめて、このたび全線で運転再開となるJR常磐線がよいきっかけになればと思うのだが、こちらは原発事故の影響もあるし・・・。

昨年、三陸を旅することができて三陸鉄道も乗ったし、「復興ハイウェー」の三陸自動車道も通ったが、この先どうなるのだろうか。関西から東北というのはそうしょっちゅう訪ねることができるわけではないが、またいつか機会をつくって、こうしたところの様子を見てみたいと思う。時間切れや見落としで行けなかったエリアも多いので・・・。

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第37番「浄瑠璃寺」~西国四十九薬師めぐり・16(浄瑠璃世界から極楽浄土へ)

2020年03月10日 | 西国四十九薬師

浄瑠璃寺の参道を歩く。早咲きの種類だと思うが、もう桜の花も開いている。

門をくぐると正面には池がある。境内はこの池を回遊する造りになっていて、門から見て左手奥に三重塔、右手に本堂がある。この左手の三重塔に薬師如来が祀られ、池を挟んだ右手に寺の本尊である阿弥陀如来が祀られている。これは浄土世界を表現した造りだという。

方向としては三重塔が東、本堂が西に位置する。薬師如来がいるとされる「東方浄瑠璃世界」と、阿弥陀如来がいるとされる「西方極楽浄土」を表している。薬師如来は病気をはじめとする現世の苦しみを除く仏とされ、来世には阿弥陀如来がいる極楽往生を願う。そうした浄土式の庭園というのが平安時代に広がった。ここは寺としての名前は浄瑠璃寺だが本尊は阿弥陀如来となっている。

浄瑠璃寺が開かれたのは11世紀の初めで、元々は本尊が薬師如来で、寺の名前もそのつながりでできたが、浄土信仰が広まったこともあったのか、後に新たに本堂を移して阿弥陀如来を新たに本尊として祀り、薬師如来は京都のどこかの寺から移築した三重塔に祀ったのではないかとも言われている。

案内には拝観料がかかるとあったが、本堂の中に入る場合のみである。庭園を回り、本堂と三重塔を外から拝むぶんには無料である。ここはせっかくなので本堂に入る(三重塔は通常非公開)。受付が納経所も兼ねているので先に朱印もいただく。

本堂はその当時の建物が残されており、国宝にも指定されている。受付から本堂の裏側をぐるりと回り、外陣に入る。内部は撮影禁止。ここに祀られているのは9体の阿弥陀如来像で、中央に大きな阿弥陀如来、そして両脇に4体ずつ阿弥陀如来が安置されている。もっとも現在は順次修復工事に出されているとのことで、左右1体ずつが抜けている。阿弥陀如来が9体祀られているというのは、浄土教の経典の一つである「観無量寿経」で説かれる「九品往生(くほんおうじょう)」の考えを表しているという。ただ実際にこうして祀る寺院は数少なく、その意味で浄瑠璃寺には歴史的価値があるとされる。

浄土教では、生前の行いによって、極楽往生する時に9つのパターンがあるとしており、上中下の「三品」と、上中下の「三生」の組み合わせで合計9つとなる。一番上級なのは「上品上生(じょうぼんじょうしょう)」といい、一番下級は「下品下生(げぼんげしょう)」とされ、功徳を積んだ程度によって分けられる。今の「上品(じょうひん)」「下品(げひん)」の語源ともされている。

阿弥陀如来が9体(この日は7体)祀られているが、どれが「上品」でどれが「下品」を担当しているのか、見たところはよくわからない。それよりも、「下品下生」にもちゃんと阿弥陀如来は付くのだなということに感心した。内心どう思っているか知らんけど。

中央の大きな阿弥陀如来の前に正座する。「正面に座して合掌し静かに見上げたとき 最も美しい佛の像がそこにある」と書かれた紙が柱に貼られている。ちょっと見上げる感じだが涼しげな表情をしている。そしてお堂全体に阿弥陀如来がずらりと並ぶのも壮観である。やはり本堂に来たのだからと一通りお勤めとする。

阿弥陀如来の脇、本堂の端にはこれも国宝の四天王像(のうち2体。残りは国立博物館にて保存)、重要文化財の不動明王像も並ぶ。これも写実的な姿をしている。

庭園に出て一周する。本堂の正面外側が格子戸になっていて、上のほうが少しだけ開けられている。外が明るいため中の様子は見えないが、この奥に中央の阿弥陀如来像の顔を見ることができるそうである。

池を回って三重塔に出る。こちらで薬師如来を祀っており、西国四十九薬師めぐりとしてはこちらで手を合わせるのが目的である。三重塔の説明書を読んだのだが、この寺の正式なお参りの仕方として、先に東方浄瑠璃世界の薬師如来を拝み、そこから後ろを向いて池の向こうの西方極楽浄土の阿弥陀如来を拝むとある。あら、順番が逆だった。寺に来たらまずは本堂からということで先に阿弥陀如来に行ったが、現世利益~来世往生というお参りをするのなら確かに薬師如来~阿弥陀如来の順のほうが理にかなっている。これが逆だとあの世から生き帰って来たかのようだ。

ということで改めてここでお勤めを行い、その後で向きを変えて池の向こうを拝むことにするが、どうせならとここでサイコロとする。くじ引きでの出目は・・

1.奈良北(般若寺)

2.橿原(久米寺)

3.五條(金剛寺)

4.奈良公園(興福寺、元興寺)

5.羽曳野(野中寺)

6.福知山(天寧寺、長安寺)

今回は6つのうち4つが奈良県で、先ほど当尾の石仏めぐりをする中で道標が出ていた般若寺、興福寺も含まれる。特に興福寺・元興寺の出目は初めてだが、ここで候補になったか。もし二つのいずれかが出ればこのまま歩いて向かうことになるが・・・・出たのは「3」、奈良でも南の五條である。五條も初めての登場だが見事一発で当選した。

さて帰りだが、変化をつける意味で浄瑠璃寺から近鉄・JR奈良駅に向かう急行バスに乗る。日中1時間に1本運行とあるが、これから乗ろうとする12時台は便の設定がなく、ちょうど1時間待ちとなる。ならば、石仏めぐりの続きでもう少し回ることにする。

バス通りを岩船寺方面に少し戻ると、藪の中三尊磨崖仏がある。藪の中にある岩に地蔵菩薩、十一面観音、阿弥陀如来の3体が彫られている。

ここから分かれる細道に入る。しばらく行くと倉庫の奥に首切地蔵というのを見つける。かつて処刑場の中に安置されていたという。これが1262年の作ということで、銘が入ったものでは当尾で現存する最古の石仏とされている。

さらに奥に進むと春日社があり、その前には石仏や石塔を集めた一角がある。寺の境内でもたまにこうしたものを見かける。元々は道端や畑の中にあったのだろうが、いつしか荒れ果てて朽ちてしまいそうなのを見かねて集め、永く供養するということか。

この道を下ると、大門大仏に出る。道から向こうの谷にその姿を見ることができる。当尾の石仏で最も大きな磨崖仏であり、高さも3メートル以上だるだろうか。木津川市のガイドでは近くには行けず谷を隔てて遥拝するとあったが、現地に来てみるとわずかな細道ができている。一度谷に下りると、地元の人が整備したのか草も刈られて近くまで行けそうだ。

ちょっと苦戦しながら上り、磨崖仏の足元にたどり着く。造られたのはいつの時代か確定していないようだが、長い年月を経て姿形も丸まっていて、阿弥陀如来か大日如来かははっきりしないという。元々彫られた当初というのは目鼻立ちもくっきりとしていたのではと思うが、それにしても、この斜面にこうした大仏を彫ったのはどういう意図があってのことだろうか。

細道を抜け、バス道に合流する。浄瑠璃寺に戻る上り坂が続くが、こちらでも路傍の石仏をいくつか見た後、浄瑠璃寺の門前に戻る。

その上り坂をやってきて浄瑠璃寺で折り返す奈良交通の急行バスは、途中西小(にしお)、浄瑠璃寺口、梅美台西のみ停車である。数人の客を乗せて13時46分に発車する。

府道44号線に出ると、また「大仏鉄道」の案内板がちらほら見える。地図を見るとちょうど加茂駅と奈良駅を結ぶルートに当たっており、県道じたいがかつての大仏鉄道の路線を受け継いで延びているように見える。現在バスで通るぶんにはどうということもない道だが、当時の機関車や車両は小さかったというから難所だったのだろう。

住宅街やロードサイドの大型店が並ぶ梅美台に妙な建物がある。木津南配水池という給水塔である。「バベルの塔のような外観」とも評されるが、イメージしたのは木津川市名産のタケノコだという。

このまま奈良市に入り、野球場や球技場がある鴻池運動公園を抜けて、近鉄奈良駅の西側に到着。バスはJR奈良駅まで行くが、帰りは近鉄奈良線で大阪まで出ることにする。

駅前の行基像の噴水のところに、奈良市出身の徳勝龍の優勝を祝う横断幕が掲げられている。大相撲も無観客開催、初の上位総当たりとなる徳勝龍もどこまで通用するだろうか。この記事を掲載したのは春場所3日目だが、三役相手に3連敗である。あらあら。

この日は昼食を取るタイミングを逃した形となり、せめて夕食用にということで奈良の地酒「春鹿」と柿の葉寿司の折詰を買い求めて急行に乗り込む(車内では飲んでません)。

・・・さて、新型コロナウイルスの連日の報道は世間のムードをくら暗くしている。スポーツではプロ野球も開幕延期となり、次は高校野球の判断が注視されている。

一方、各地の寺社ではコロナウイルス退散の祈祷も行われているそうだ。行政や医療機関がやらなければならないこと、私たち個人個人ができること、いろいろあるが、非科学的かもしれないが神仏に手を合わせることも一つだろう。特に薬師如来は病疫から人々を救うと信仰されてきただけに・・・。

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第37番「浄瑠璃寺」~西国四十九薬師めぐり・16(当尾の石仏たち)

2020年03月09日 | 西国四十九薬師

3月20日予定のNPBプロ野球の開幕が延期されることになった。まあ、こうした状況であれば致し方ないところだが、ならばいつ開幕になるのか、どういう状況なら開幕してもよいと言えるのか、そこはまだこれからのようである。東日本大震災の時は電力事情や交通事情などを勘案し、一部は開催球場を変更する対応もできて、まだ計算を立てることができたが、今回は出口の見えないウイルスである。例えば2週間延期するのか、大型連休のところでいいのか判断がつかないだろう。一ファンとしては早期の収束を願うしかない(3~4月はすでに何試合かチケットを購入しているのだが)。

そんな中で、国会での人をバカにした安倍の薄ら笑いには殺意を覚える。安倍はこの混乱に乗じて非常事態宣言を出して、国民の財産から自衛隊までまるごと我が物にして、独裁者ごっこをやるという。それを止めるなら実力行使しかないだろう。

個人が何を言っても何にもならないし、どうせ今の仕組みではそうなるのだろうから、せめて国民が安倍に殺されるまでは淡々と記事を残すことにする。

・・・さて話は西国四十九薬師めぐり。屋内に人が密集するわけでもなく、外を一人ぶらつくぶんには札所めぐりはまだ安全だと思うのだが。まあ、都合のいい解釈かもしれないが。

前回の記事で木津川市の岩船寺を訪ねたが、改めて目的地である浄瑠璃寺に向かう。その途中で当尾の石仏めぐりをする。

この地は奈良に近いことから奈良仏教とのつながりが深かったが、京都や鎌倉の仏教と対立して寺を離れたり、大きな寺のあり方に飽きたらない修行僧たちがこの地に集まって庵やお堂を建てた。その塔が山の尾根のように連なったことから塔尾→当尾という名前になったそうだ。また、庶民の間に信仰を広め、土地の人たちも浄財を集めて石仏や石塔を立てて拝むようになった。それが現在も残されている。

標識が出ているのでこちらを見ながら細道を行く。なお石仏はこうした細道にあることが多いので、クルマで回るのはちょっと厳しいと思う。

今回最初に訪ねたのは岩船不動明王磨崖仏だが、これも細道からさらに石段を下った谷間にある。5メートルはあるだろうか、巨大な岩の真ん中にかすかに不動明王の形が見える。鎌倉時代に彫られたという。修行の場として似合う配置である。一願不動の名前もあるそうで、一つお願い事をしておく。

険しい石段が続く。昔の遍路道を連想させる。そこを下ると少し広い道に出る。

こちらには「わらい仏」がある。中央に阿弥陀如来、左右には観音、勢至菩薩が並ぶ阿弥陀三尊である。笑っているかどうかはさておき、先ほどの不動明王より輪郭もはっきりしている。700年以上鎮座しているのも驚きだ。
 
その横には「眠り仏」というのもある。半身が土の中に埋まっているのが、布団に入ってスヤスヤ眠っているように見える。

しばらく緩やかな下り道を歩く。両側には杉や竹が植わっていて、山村の風情を出す。これはのんびり歩くのが似合うコースである。

四つ辻に出る。何やら歌碑もあるが、その向こうに「からすの壷二尊」というのがある。からすというのは、そう言われれば見えなくもないが鳥のカラスだろうか。いや、四つ辻には中央をくり抜かれた形が粉をひく唐臼に似ているから「からす」と名付けられた岩があるから、そこから来ているようだ。

表には阿弥陀如来が彫られ、同じ岩の少し陰になった面に地蔵菩薩が祀られている。岩をくり抜いて灯籠用の場所もある。

ここから、木にぶら下げられた案内を見て、水呑地蔵経由の浄瑠璃寺行きのルートを取る。元より徒歩用のルートだが、前日か前々日かに降った雨のためか、道もぬかるんでいる。所々は泥になっていて、それを避けたり、あるいは落ちている石や竹を踏み台にしてやり過ごす。結構ハードで、ルート選択を誤ったかなとも思う。

水呑地蔵に着く前に、赤門跡という開けた四つ辻に出る。かつて、浄瑠璃寺の仁王門があったそうだ。右に行けば浄瑠璃寺だが、水呑地蔵に行くにはいったん左に行くことになる。ちなみに、左にずっと進むと県境を越えて、同じ西国四十九薬師めぐりの札所である般若寺、さらには興福寺まで道が続くようだ。興福寺まででも10キロ以内とある。もしこの後浄瑠璃寺で行うサイコロで般若寺もしくは興福寺が出れば、このまま歩いて行ってもいいかなとすら思う。

それはいいが、この赤門跡に来るとカラスの鳴き声が四方から連鎖する。先ほどの「からすの壷」を連想するが、四方の昔ながらの景色と合わさって、今ここで刀を抜いて真剣勝負というのが起こっても不思議ではないなという思いが沸き上がる。

別に私に危害はないが、カラスの鳴き声が続く不穏な雰囲気の中、脇道を下りて水呑地蔵に着く。この地蔵のためだけに山道を開いているようにも見えた。

再び赤門跡に戻り、浄瑠璃寺に向かう。石仏めぐりで他に行きたいところもあるが、先にお参りとしよう。

道端に猫が5~6匹いる。人にも結構馴れた様子だ。その先には焼き物や骨董品を扱う店がある。ここの飼い猫かな。

そして目を転じると、石柱に浄瑠璃寺の文字。先ほどの赤門跡から来れば正規のルートなのかもしれないが、ここまでの歩きからして突然着いたようである・・・。
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第37番「浄瑠璃寺」~西国四十九薬師めぐり・16(大仏鉄道と岩船寺)

2020年03月08日 | 西国四十九薬師

西国四十九薬師めぐりの次のスポットは浄瑠璃寺である。サイコロの出目では「加茂」としていたが、かつては相楽郡加茂町、現在の市町村でいえば木津川市加茂町である。ただ、JR大和路線の大和路快速の終点でもあるし、大学時代の友人でここから通っていた人がいて、私の中では「加茂」という地名でインプットされている(その友人も加茂からだと長距離通学だったが、それでも加茂まで電化が進み、大阪まで直通の快速が運転されるようになったから自宅から通えたとのこと)。

浄瑠璃寺へのアクセスとしてはJR・近鉄の奈良駅からもバスが出ており、こちらのほうが早く着くのだが、せっかくなのでサイコロの出目に敬意を表していったん加茂駅まで行くことにする。加茂駅からは木津川市のコミュニティバスが出ている。また、コミュニティバスに乗ると同じ木津川市にある岩船寺(がんせんじ)や、石仏が並ぶ当尾(とうお)の里も経由する。せっかくなので岩船寺にもお参りして、石仏もみることにする。道は岩船寺から浄瑠璃寺の方向が緩やかな下り勾配になっていて、歩くならばこの順序の方が楽だという。日付は、土曜日出勤の代わりに平日に有給を取得して出かける。

大和路快速で加茂に到着する。改札口前の連絡通路では、周囲の観光スポットとして浄瑠璃寺、岩船寺のほかに海住山寺や恭仁京跡などがPRされている。京都府とはいっても奈良に隣接しているところで、歴史的にも平城京~奈良との結びつきが強いイメージがある。

その中でふと目につくのが「大仏鉄道」の文字。大仏鉄道というのは明治時代、わずか9年だけ存在した路線である。正しくはそうした名前の会社があったわけではなく、当時大阪、奈良、三重、和歌山を中心に路線を展開した「関西(かんせい)鉄道」の路線の一部の愛称である。関西鉄道は官鉄の東海道線のルートから外れた東海道の地域と東海道線を結ぶ目的で設立されたが、後に合併などで路線を西に広げ、名古屋と大阪を結ぶ路線網を構築した。後に国有化されるのだが、現在、関西鉄道の流れを汲む路線としては大阪環状線の一部、大和路線(関西線)、草津線、学研都市線(片町線)、奈良線、万葉まほろば線(桜井線)、和歌山線といったところがある。

大仏鉄道は加茂から奈良を結ぶ区間として1898年に開業して、伊勢や名古屋方面から奈良の大仏への参拝客も乗せて賑わったそうだが、途中の勾配が難所であったという。そのため、木津を経由するルートが新たに建設され、それを受けて1907年に大仏鉄道のルートは廃止になった。ただ、廃止されて100年以上が経過してもトンネルや橋梁の跡が当時の姿でいくつか残っており、昨今の廃線跡めぐり人気にも乗っかってPRするようになったという。

加茂駅の横にも開業当時のレンガ造りの倉庫(現在も使用されている)がある。

そろそろ寺に向かうとして、10時14分発のコミュニティバスに乗る。まずは道順として岩船寺に向かい、その先は徒歩で石仏めぐりをしながら浄瑠璃寺に向かうことにする。駅近くの住宅地を抜けると早速当尾の里にさしかかる。カーブが多く、竹藪に囲まれた一帯を走り抜ける。上り坂も続き、さすがに加茂駅から岩船寺まで徒歩で・・・となるとちょっとしんどい。

15分ほどで岩船寺に到着。平日ということもあってかバスを降りたのも私だけだし、クルマを含めた他の参拝客の姿もまばらである。それでも石段を上がったところの拝観受付では若い僧侶が愛想よく出迎えてくれる。

岩船寺は夏のアジサイや秋の紅葉といった花の寺として知られる。この時季にはこれといった花がまだ咲いていないのはさておくとして、山の中に小ぢんまりと建つ寺である。寺の縁起としては奈良時代に聖武天皇の勅願で行基が阿弥陀堂を建てたこととされているが、実際には平安時代に入り、弘法大師空海の甥であり弟子でもある智泉大徳が開いたとされている。

どうぞご自由にというので本堂に入る。建物自体は昭和の再建だが、まずは正面に堂々と座る本尊の阿弥陀如来像にうなる。平安中期、10世紀半ばの作とされる。阿弥陀如来にイメージされる金色のものではないが、その分どっしりと構えているように見える。この脇を鎌倉時代作の四天王が固める。

さらに奥には象に乗った普賢菩薩像や、十二神将像、十一面観音像などが祀られていて、保存状態もよいようである。こちらでお勤めとしたが、西国四十九薬師の札所ではないので朱印はいただいていない。

本堂を出て右手に、池を挟んで三重塔がある。嵯峨天皇が智泉大徳に皇子誕生の祈願をさせたところ、めでたく皇子が誕生した。三重塔はこの皇子が成長して仁明天皇となった後、自身の出生にも縁があった智泉大徳の遺徳をしのんで建てたとされている。現在の塔は室町時代に再建されたものだが、四隅の垂木には木彫りの邪鬼が祀られ、四方を守護している。

三重塔の奥に「貝吹岩」という案内があるので、どんなものかと山道を上る。5分ほど進むと山道が行き止まりになり、大きな一枚岩が現れる。ここから木津川の景色、さらには生駒、北摂の山々を遠方に見ることができる。かつて岩船寺は当尾周辺に39の塔頭寺院を従えていたそうだが、その僧たちを集めるのにここでホラ貝を吹いたとある。結構豪快である。こういう展望スポットがあることは知らなかった。

本堂の中の仏像は木造のものだったが、境内には石仏も目立つ。祠にある厄除け地蔵をはじめとして、五輪塔、石室不動明王像がある。いずれも鎌倉時代のもの。

また山門の石段の下には石風呂もある。当尾の39坊の僧たちが岩船寺に入る前に身を清めたものだという。

岩船寺の中にも石仏がいろいろあったが、ここから浄瑠璃寺までは石仏めぐりのウォーキングコースとして紹介されている。こうしたところをぶらつきながら向かうことにする・・・。

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習近平と会いたかったら貴様が勝手に行って来いや・・・そのまま帰って来るな。

2020年03月05日 | ブログ

安倍、貴様のことや。

今さら何をごちゃごちゃと。

習近平に忖度したから日本にこのような混乱が起きている。

安倍こそ、万死に値する。習と会うことが目的ならさっさと行って、そのまま客死してください。

テレビやネットニュースでブタ顔を目にすることさえ不快。

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「野球の力」は見せられるのか?

2020年03月05日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
新型コロナウイルス感染拡大の影響で、その開催について注目されていた選抜高校野球。3月4日の会議にて、19日から無観客試合での開催をベースとしつつも、中止の可能性も残すとして11日に最終結論を出すということになった。政府が2月下旬に出した「1~2週間が正念場」というその2週間後が3月10日だから、その時にはまた政府も何らかの指針を出すものと思われる。それを踏まえてぎりぎりまで様子を見ようということのようだ。

大相撲の無観客開催の時以上に賛否両論出ているが、大相撲と比べると「中止にすべき」の論調が多いそうだ。全国から選手、関係者が移動することのリスク、大会期間中は旅館で合宿のため集団で過ごす時間が長くなることのリスクが言われている。また、他の高校スポーツ大会が中止になったり、学校そのものも休校が要請されている状況なのに、なぜ野球だけ特別扱いするのか?という意見もある。

一方賛成派は、日常の通勤電車と比べれば濃厚に接触するわけではないとか、プロ野球のオープン戦も各地を転戦するが感染の報告はないとか、頑張ってきた球児の夢を壊したくない(特に選抜の場合は21世紀枠などがあるため)とか主張しているが、ちょっと弱いように見える。

まあ、中止を主張するのがネットの書き込みで、マスゴミではそこまでトーンが上がっていないように見える。特に大手マスゴミ2社にとって高校野球は貴重な販促ツールだから、高校野球を否定することは自分の首を締めることにつながるようだ。

ならば私はどうかといえば・・感情論と思われるかもしれないが、安易に中止というのはいかがなものかと思うので、無観客開催やむなしと思う。いや、高校野球を中止したら、次の矛先は翌日20日開幕のプロ野球に向かうし、さらには(報道されることはほとんどないだろうが)独立リーグにも向かうだろう。

お互いどうしてもというのなら、各校1回戦だけ親善試合として戦っておしまいというのはどうだろうか。優勝、準優勝は決めないが、出場校は甲子園の土を踏んで、試合することはできる。21世紀枠の高校にもせめてもの実績になるかな・・。うーん、それなら不要不急になってしまうか・・。

東日本大震災の後、当時楽天の嶋選手が「見せましょう、野球の力を」と言った言葉に共感した人も多いと思うが、今回のコロナウイルス感染問題ではそれもはばかられるような雰囲気だ。あの震災の時は地震、津波、原発事故のために当然中止、延期しなければならないものや、物理的に開催が無理とか、計画停電や節電、さらに自粛ムードもあった。ただその一方で、通常の経済活動が可能なところはそうしてくださいというPRもあった。そうしないと本当に日本全体が大変なことになっていたかもしれない。ただこの頃の混乱は、震災の時と比べても嫌らしく、日本全体がピリピリしなければならない状況である。まあ、安倍みたいな輩とその取り巻きが仕切っている時点で最大の不幸なのだが。

スポーツは野球だけではないのはわかっているが、「野球の力」というのは9年前と比べても低下しているのだろうな。今オープン戦で誰が打ったとか、こういう新戦力が出て楽しみとか、ニュースにもならない。(関西のマスゴミは相変わらず西宮球団の偏向報道に血眼をあげているのかな?・・・観ないから知らんけど)

この3月、いろんな意味で動きがあるだろうし、冷静な判断も求められるだろう。その中で、自分なりに動いていこうと思う(マスク、トイレットペーパーは騒動以来買えてませんが(笑))・・・。
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第8番「長谷寺」~西国三十三所めぐり3巡目・13(ここでもコロナウイルスが影落とす)

2020年03月03日 | 西国三十三所

3月に入った。世の中は依然として新型コロナウイルスの感染拡大と、それにともなう社会への影響が話題になっている。私の担当業務についていえば、3月1日に就活情報サイト主催の大型イベントに出席するのをはじめとして、順次、自社での会社説明会も予していたが、全て中止となった。また趣味のほうでも野球オープン戦や大相撲の観戦も「無観客開催」のためにお流れになった。安倍をはじめとした政府の取り組みには不満はあるが、この記事ではそれには触れないことにする。

寺参りはどうだろうか。不要不急の外出に当たるのだろうが、個人が自己完結の中で出かけることじたいは極端に制限されるものではないと思う。西大寺の裸祭りではないのだから・・。

部屋にこもるほうが体に良くない(あれ、1週間前の私は体調が悪かったのでは?)と、予定がポッカリ空いた3月1日に出かける。行き先は長谷寺。西国三十三所開創1300年の記念印をまだ納経帳にいただいていない札所の一つであり、ちょうど3月1日から春の特別拝観で、本尊の十一面観音に直に触れてお参りすることができるというので行くことにした。

長谷寺駅に到着。これから寺に向かって歩くが、参道の人通りが過去の記憶と比べても少なく感じる。3月1日というのはシーズンオフなのかもしれないが、やはり新型コロナウイルスの影響で、外出を控えようという人が多いのかなと思う。

さらにこの数日は、デマに惑わされているとはいうものの、店頭からトイレットペーパーやティッシュペーパーが消えて混乱している。その確保で朝から走り回る人も多いのだろう(私も多少危機感持っているが、何とか騒ぎが終息してほしい)。

3月30日に開催予定の大相撲の桜井場所のポスターも通りのあちこちで見かける。ポスターに出ている力士の顔ぶれ(大関だった人とか、先ほど引退した人がいるとか)はさておくとしても、春場所が無観客開催となった状況で果たして行われるのかどうか。巡業は力士と地元の人たちの触れ合いの場としての要素が強いため、無観客でやる必要性は薄く、下手をすれば春巡業は全て中止になるのではないかと言われている。

門前の土産物店、食堂にも人の姿はほとんどなく、そのまま長谷寺の山門に着く。

これまで訪ねた時は修復工事中だったが、ようやくすっきりした姿を見ることができた。改めて立派な建物だと思うが、現在の山門が建てられたは明治時代という。これは意外だった。

山門をくぐると本堂まで続く回廊である。以前来た時はインバウンドの人も多く「ここまで来るか!」と驚いたと記憶しているが、この日は回廊にも人はまばら。

宝物館である宗宝蔵もこの日から春の公開。閻魔大王の像や、十一面観音、不動明王、銅板法華説相図などの展示を見る。

回廊を伝って本堂に着く。まずは舞台を一回りして、西国三十三所のお勤めである。長谷寺の十一面観音は西国の札所の中でも有名どころの一つ。参詣や観光の人が数多く訪ねるはずだが、本堂の周りも人の姿はまばら。通行の妨げになるので勤行は外の舞台で・・とあるが、この人出なら本堂の中の通路でも支障はなかった。

せっかくなので本尊十一面観音に直接触れる特別拝観とする。本堂の受付にて塗香と五式の紐を施していただき、内陣に入る。十一面観音を前にして係の人に声をかけられるが、観音像の足元に触れるに当たって、希望者には薄紙を渡すという。これも新型コロナウイルス対策のようだ。十一面観音像を媒介としてウイルスに感染するリスクを減らすそうだ。

うーん、そこまでしないといけないのかな。コロナウイルスからも人々を救うのが観音様ではないのかなと思いつつ、そこは直接足元に触れて額付く。そうした人向けに、観音像の出口にアルコール消毒液のボトルが用意されている。ここまで配慮する(配慮しないといけない)のかな。

十一面観音を囲む壁板には、観音菩薩が三十三通りに変わるというその姿が紹介されている。

本堂を出ると、ちょうど法螺貝の音が響くところ。時刻は正午である。清少納言の『枕草子』でも「ただかたはらに、かいをいと高く、にはかに吹きで出でたるこそおどろかるれ」と記されている。案内板によると、時を告げるだけではなく、周囲の昔ながらの山々に宿る神々と結びつく行事でもあるそうだ。長谷寺の舞台も単に景色を眺めるだけでなく、周囲の山の神々とのつながりを感じるための装置だったという。

先達用の納経帳に西国1300年の記念印もいただく。こちらも、そろそろ目処がついてきた。

この後は弘法大師堂、本長谷寺、五重塔、奥の院の興教大師堂などを回り、本坊に出る。

ここからも本堂の舞台がよく見える。回廊などと合わせると一つの砦にも見える。

さてこれで長谷寺参りはおしまいで、人出の増えない門前町を通る。草餅やにゅうめんなどの売り声もどこか寂しげである。私も何となく入りそびれて、そのまま駅に戻った。かといって他に寄り道もなく、単に長谷寺まで往復する形になった。

訪ねた当日の3月1日は、東京マラソンで大迫選手が日本記録更新の走りで五輪代表に大きく近づくという明るい話題はあったものの、その沿道に大勢の観客が集まったことへの批判も起こった。また、大相撲の無観客開催がこの日決まったのも先の記事通りである。プロ野球も果たして無事に開幕を迎えられるのか怪しい。世の中に自粛ムード、暗い雰囲気が漂っている。先が見えない日々が続くが、何か明るく過ごせないかとも思う・・・。

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大相撲も無観客開催

2020年03月02日 | ブログ
スポーツなどのイベントの中止や「無観客」開催が相次ぐ中、大相撲春場所について理事会にて「無観客」での開催が正式に決まった。世間の流れからして、数日前から「通常開催」はあり得ず、「無観客」か「中止」のいずれかになる見通しであると伝えられたが、結果は「無観客」となった。

聞くところでは大相撲の「無観客」というのは、太平洋戦争中に傷痍軍人だけを招待した本場所が行われたことがあったそうだが、観客を全く入れないというのは初めてのこと。八百長問題の時には春場所は「中止」、続く「技量審査場所」は無料という形で観客を入れていたから、力士、関係者やファンもどういう形になるのか未知の世界である。私や両親も観戦に行けなくなるのは残念だが、これは仕方がない。相撲協会としてせめてもの取り組みというのは、チケットの払い戻しを行うのと、テレビ、インターネット中継は従来通り行うというものである。懸賞金も出るそうだし、三賞の表彰も行うが、優勝者への副賞やパレードはないという。

テレビとしてはどういう映りになるのだろうか。「前相撲や序ノ口と同じような雰囲気」という声もあるが、これまで私が観戦した経験でいえば、確かに朝の8時半頃というのは観客もまばらだがゼロではなく、いい相撲には拍手も起こるし、力士と出身地が同じとか、部屋の後援会だかの人からの声援も起こる。今回は横綱や幕内の人気力士でもそうした歓声も起こらないということになる。テレビの向正面の解説の親方は、マス席の中に一人ちょこんと座っているのだろうか。いろいろ気になる。

これは勝手な思い付きだが、少しでも雰囲気を出すために、かつての取り組みでの歓声の音を体育館内に流すとか、取組のない若手力士や手の空いた呼び出しさんをマス席に座らせて「炎鵬」や「朝乃山」などのタオルを広げさせるとか、横綱が負けたら座布団を投げさせるとか・・・。いや、かえってわびしいか。

ある意味歴史に残る本場所になるとは思うが、朝乃山の大関挑戦、炎鵬の上位戦、先場所優勝の徳勝龍がどこまで力を出すかなど、見どころはあると思う。ファンの声援という後押しはないかもしれないが、その分それぞれの力士の実力や、モチベーションの維持というものが試される場所である。順当にいけば横綱の優勝のところ、ひょっとしたらまた意外な展開になるかもしれない。そうしたことも楽しんでみたいと思う。

また、相撲の土俵入りには地鎮や災厄払いの意味も込められている。都合のいいことと批判する人もいるだろうが、開催にあたっては、そうした「神事」の意味もアピールしてはどうかと思う。

余談だが、1~2月にかけて、新型コロナウイルスが日本でも感染拡大の騒ぎになりつつある頃に、各地でマラソン大会や行事が行われている様子が中国のネット社会で驚きをもって伝えられたそうだ。その中で反響が大きかったのが、2月15日に岡山の西大寺で行われた会陽だという。神木争奪に、1万人の褌姿の男たちが挑む「裸祭り」である。

西大寺のホームページをはじめ、いろいろ動画があるが、確かに異様に見えるかもしれない。主催者側は、体調が悪い人は参加しないよう呼び掛けたり、会場にアルコール消毒液を置いたりしたものの、褌以外は時計や眼鏡も禁止ということからマスクは禁止だった。それで、あのもみくちゃである・・。岡山県では新型コロナウイルスの感染者は確認されていないそうだが、もし会陽が2月29日開催だったら、どのような判断をしただろうか。

ここで出るのが「神事」ということだろう。何百年も続く行事と、コロナウイルスの「予防」を天秤にかけるとして・・いや数年前に死亡事故があっても取り止めになることはなかったくらいだから、国の自粛要請があったとしても、「神事」として普通に(他の行事は縮小するかもしれないが)行われただろう。それも伝統である。

話が長くなったが、こうした機会に、スポーツとは違う面も持つ相撲について、放送の中で神事としての歴史を取り上げてもよいのではと思う・・・。
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