まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第37番「浄瑠璃寺」~西国四十九薬師めぐり・16(大仏鉄道と岩船寺)

2020年03月08日 | 西国四十九薬師

西国四十九薬師めぐりの次のスポットは浄瑠璃寺である。サイコロの出目では「加茂」としていたが、かつては相楽郡加茂町、現在の市町村でいえば木津川市加茂町である。ただ、JR大和路線の大和路快速の終点でもあるし、大学時代の友人でここから通っていた人がいて、私の中では「加茂」という地名でインプットされている(その友人も加茂からだと長距離通学だったが、それでも加茂まで電化が進み、大阪まで直通の快速が運転されるようになったから自宅から通えたとのこと)。

浄瑠璃寺へのアクセスとしてはJR・近鉄の奈良駅からもバスが出ており、こちらのほうが早く着くのだが、せっかくなのでサイコロの出目に敬意を表していったん加茂駅まで行くことにする。加茂駅からは木津川市のコミュニティバスが出ている。また、コミュニティバスに乗ると同じ木津川市にある岩船寺(がんせんじ)や、石仏が並ぶ当尾(とうお)の里も経由する。せっかくなので岩船寺にもお参りして、石仏もみることにする。道は岩船寺から浄瑠璃寺の方向が緩やかな下り勾配になっていて、歩くならばこの順序の方が楽だという。日付は、土曜日出勤の代わりに平日に有給を取得して出かける。

大和路快速で加茂に到着する。改札口前の連絡通路では、周囲の観光スポットとして浄瑠璃寺、岩船寺のほかに海住山寺や恭仁京跡などがPRされている。京都府とはいっても奈良に隣接しているところで、歴史的にも平城京~奈良との結びつきが強いイメージがある。

その中でふと目につくのが「大仏鉄道」の文字。大仏鉄道というのは明治時代、わずか9年だけ存在した路線である。正しくはそうした名前の会社があったわけではなく、当時大阪、奈良、三重、和歌山を中心に路線を展開した「関西(かんせい)鉄道」の路線の一部の愛称である。関西鉄道は官鉄の東海道線のルートから外れた東海道の地域と東海道線を結ぶ目的で設立されたが、後に合併などで路線を西に広げ、名古屋と大阪を結ぶ路線網を構築した。後に国有化されるのだが、現在、関西鉄道の流れを汲む路線としては大阪環状線の一部、大和路線(関西線)、草津線、学研都市線(片町線)、奈良線、万葉まほろば線(桜井線)、和歌山線といったところがある。

大仏鉄道は加茂から奈良を結ぶ区間として1898年に開業して、伊勢や名古屋方面から奈良の大仏への参拝客も乗せて賑わったそうだが、途中の勾配が難所であったという。そのため、木津を経由するルートが新たに建設され、それを受けて1907年に大仏鉄道のルートは廃止になった。ただ、廃止されて100年以上が経過してもトンネルや橋梁の跡が当時の姿でいくつか残っており、昨今の廃線跡めぐり人気にも乗っかってPRするようになったという。

加茂駅の横にも開業当時のレンガ造りの倉庫(現在も使用されている)がある。

そろそろ寺に向かうとして、10時14分発のコミュニティバスに乗る。まずは道順として岩船寺に向かい、その先は徒歩で石仏めぐりをしながら浄瑠璃寺に向かうことにする。駅近くの住宅地を抜けると早速当尾の里にさしかかる。カーブが多く、竹藪に囲まれた一帯を走り抜ける。上り坂も続き、さすがに加茂駅から岩船寺まで徒歩で・・・となるとちょっとしんどい。

15分ほどで岩船寺に到着。平日ということもあってかバスを降りたのも私だけだし、クルマを含めた他の参拝客の姿もまばらである。それでも石段を上がったところの拝観受付では若い僧侶が愛想よく出迎えてくれる。

岩船寺は夏のアジサイや秋の紅葉といった花の寺として知られる。この時季にはこれといった花がまだ咲いていないのはさておくとして、山の中に小ぢんまりと建つ寺である。寺の縁起としては奈良時代に聖武天皇の勅願で行基が阿弥陀堂を建てたこととされているが、実際には平安時代に入り、弘法大師空海の甥であり弟子でもある智泉大徳が開いたとされている。

どうぞご自由にというので本堂に入る。建物自体は昭和の再建だが、まずは正面に堂々と座る本尊の阿弥陀如来像にうなる。平安中期、10世紀半ばの作とされる。阿弥陀如来にイメージされる金色のものではないが、その分どっしりと構えているように見える。この脇を鎌倉時代作の四天王が固める。

さらに奥には象に乗った普賢菩薩像や、十二神将像、十一面観音像などが祀られていて、保存状態もよいようである。こちらでお勤めとしたが、西国四十九薬師の札所ではないので朱印はいただいていない。

本堂を出て右手に、池を挟んで三重塔がある。嵯峨天皇が智泉大徳に皇子誕生の祈願をさせたところ、めでたく皇子が誕生した。三重塔はこの皇子が成長して仁明天皇となった後、自身の出生にも縁があった智泉大徳の遺徳をしのんで建てたとされている。現在の塔は室町時代に再建されたものだが、四隅の垂木には木彫りの邪鬼が祀られ、四方を守護している。

三重塔の奥に「貝吹岩」という案内があるので、どんなものかと山道を上る。5分ほど進むと山道が行き止まりになり、大きな一枚岩が現れる。ここから木津川の景色、さらには生駒、北摂の山々を遠方に見ることができる。かつて岩船寺は当尾周辺に39の塔頭寺院を従えていたそうだが、その僧たちを集めるのにここでホラ貝を吹いたとある。結構豪快である。こういう展望スポットがあることは知らなかった。

本堂の中の仏像は木造のものだったが、境内には石仏も目立つ。祠にある厄除け地蔵をはじめとして、五輪塔、石室不動明王像がある。いずれも鎌倉時代のもの。

また山門の石段の下には石風呂もある。当尾の39坊の僧たちが岩船寺に入る前に身を清めたものだという。

岩船寺の中にも石仏がいろいろあったが、ここから浄瑠璃寺までは石仏めぐりのウォーキングコースとして紹介されている。こうしたところをぶらつきながら向かうことにする・・・。

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