浄瑠璃寺の参道を歩く。早咲きの種類だと思うが、もう桜の花も開いている。
門をくぐると正面には池がある。境内はこの池を回遊する造りになっていて、門から見て左手奥に三重塔、右手に本堂がある。この左手の三重塔に薬師如来が祀られ、池を挟んだ右手に寺の本尊である阿弥陀如来が祀られている。これは浄土世界を表現した造りだという。
方向としては三重塔が東、本堂が西に位置する。薬師如来がいるとされる「東方浄瑠璃世界」と、阿弥陀如来がいるとされる「西方極楽浄土」を表している。薬師如来は病気をはじめとする現世の苦しみを除く仏とされ、来世には阿弥陀如来がいる極楽往生を願う。そうした浄土式の庭園というのが平安時代に広がった。ここは寺としての名前は浄瑠璃寺だが本尊は阿弥陀如来となっている。
浄瑠璃寺が開かれたのは11世紀の初めで、元々は本尊が薬師如来で、寺の名前もそのつながりでできたが、浄土信仰が広まったこともあったのか、後に新たに本堂を移して阿弥陀如来を新たに本尊として祀り、薬師如来は京都のどこかの寺から移築した三重塔に祀ったのではないかとも言われている。
案内には拝観料がかかるとあったが、本堂の中に入る場合のみである。庭園を回り、本堂と三重塔を外から拝むぶんには無料である。ここはせっかくなので本堂に入る(三重塔は通常非公開)。受付が納経所も兼ねているので先に朱印もいただく。
本堂はその当時の建物が残されており、国宝にも指定されている。受付から本堂の裏側をぐるりと回り、外陣に入る。内部は撮影禁止。ここに祀られているのは9体の阿弥陀如来像で、中央に大きな阿弥陀如来、そして両脇に4体ずつ阿弥陀如来が安置されている。もっとも現在は順次修復工事に出されているとのことで、左右1体ずつが抜けている。阿弥陀如来が9体祀られているというのは、浄土教の経典の一つである「観無量寿経」で説かれる「九品往生(くほんおうじょう)」の考えを表しているという。ただ実際にこうして祀る寺院は数少なく、その意味で浄瑠璃寺には歴史的価値があるとされる。
浄土教では、生前の行いによって、極楽往生する時に9つのパターンがあるとしており、上中下の「三品」と、上中下の「三生」の組み合わせで合計9つとなる。一番上級なのは「上品上生(じょうぼんじょうしょう)」といい、一番下級は「下品下生(げぼんげしょう)」とされ、功徳を積んだ程度によって分けられる。今の「上品(じょうひん)」「下品(げひん)」の語源ともされている。
阿弥陀如来が9体(この日は7体)祀られているが、どれが「上品」でどれが「下品」を担当しているのか、見たところはよくわからない。それよりも、「下品下生」にもちゃんと阿弥陀如来は付くのだなということに感心した。内心どう思っているか知らんけど。
中央の大きな阿弥陀如来の前に正座する。「正面に座して合掌し静かに見上げたとき 最も美しい佛の像がそこにある」と書かれた紙が柱に貼られている。ちょっと見上げる感じだが涼しげな表情をしている。そしてお堂全体に阿弥陀如来がずらりと並ぶのも壮観である。やはり本堂に来たのだからと一通りお勤めとする。
阿弥陀如来の脇、本堂の端にはこれも国宝の四天王像(のうち2体。残りは国立博物館にて保存)、重要文化財の不動明王像も並ぶ。これも写実的な姿をしている。
庭園に出て一周する。本堂の正面外側が格子戸になっていて、上のほうが少しだけ開けられている。外が明るいため中の様子は見えないが、この奥に中央の阿弥陀如来像の顔を見ることができるそうである。
池を回って三重塔に出る。こちらで薬師如来を祀っており、西国四十九薬師めぐりとしてはこちらで手を合わせるのが目的である。三重塔の説明書を読んだのだが、この寺の正式なお参りの仕方として、先に東方浄瑠璃世界の薬師如来を拝み、そこから後ろを向いて池の向こうの西方極楽浄土の阿弥陀如来を拝むとある。あら、順番が逆だった。寺に来たらまずは本堂からということで先に阿弥陀如来に行ったが、現世利益~来世往生というお参りをするのなら確かに薬師如来~阿弥陀如来の順のほうが理にかなっている。これが逆だとあの世から生き帰って来たかのようだ。
ということで改めてここでお勤めを行い、その後で向きを変えて池の向こうを拝むことにするが、どうせならとここでサイコロとする。くじ引きでの出目は・・
1.奈良北(般若寺)
2.橿原(久米寺)
3.五條(金剛寺)
4.奈良公園(興福寺、元興寺)
5.羽曳野(野中寺)
6.福知山(天寧寺、長安寺)
今回は6つのうち4つが奈良県で、先ほど当尾の石仏めぐりをする中で道標が出ていた般若寺、興福寺も含まれる。特に興福寺・元興寺の出目は初めてだが、ここで候補になったか。もし二つのいずれかが出ればこのまま歩いて向かうことになるが・・・・出たのは「3」、奈良でも南の五條である。五條も初めての登場だが見事一発で当選した。
さて帰りだが、変化をつける意味で浄瑠璃寺から近鉄・JR奈良駅に向かう急行バスに乗る。日中1時間に1本運行とあるが、これから乗ろうとする12時台は便の設定がなく、ちょうど1時間待ちとなる。ならば、石仏めぐりの続きでもう少し回ることにする。
バス通りを岩船寺方面に少し戻ると、藪の中三尊磨崖仏がある。藪の中にある岩に地蔵菩薩、十一面観音、阿弥陀如来の3体が彫られている。
ここから分かれる細道に入る。しばらく行くと倉庫の奥に首切地蔵というのを見つける。かつて処刑場の中に安置されていたという。これが1262年の作ということで、銘が入ったものでは当尾で現存する最古の石仏とされている。
さらに奥に進むと春日社があり、その前には石仏や石塔を集めた一角がある。寺の境内でもたまにこうしたものを見かける。元々は道端や畑の中にあったのだろうが、いつしか荒れ果てて朽ちてしまいそうなのを見かねて集め、永く供養するということか。
この道を下ると、大門大仏に出る。道から向こうの谷にその姿を見ることができる。当尾の石仏で最も大きな磨崖仏であり、高さも3メートル以上だるだろうか。木津川市のガイドでは近くには行けず谷を隔てて遥拝するとあったが、現地に来てみるとわずかな細道ができている。一度谷に下りると、地元の人が整備したのか草も刈られて近くまで行けそうだ。
ちょっと苦戦しながら上り、磨崖仏の足元にたどり着く。造られたのはいつの時代か確定していないようだが、長い年月を経て姿形も丸まっていて、阿弥陀如来か大日如来かははっきりしないという。元々彫られた当初というのは目鼻立ちもくっきりとしていたのではと思うが、それにしても、この斜面にこうした大仏を彫ったのはどういう意図があってのことだろうか。
細道を抜け、バス道に合流する。浄瑠璃寺に戻る上り坂が続くが、こちらでも路傍の石仏をいくつか見た後、浄瑠璃寺の門前に戻る。
その上り坂をやってきて浄瑠璃寺で折り返す奈良交通の急行バスは、途中西小(にしお)、浄瑠璃寺口、梅美台西のみ停車である。数人の客を乗せて13時46分に発車する。
府道44号線に出ると、また「大仏鉄道」の案内板がちらほら見える。地図を見るとちょうど加茂駅と奈良駅を結ぶルートに当たっており、県道じたいがかつての大仏鉄道の路線を受け継いで延びているように見える。現在バスで通るぶんにはどうということもない道だが、当時の機関車や車両は小さかったというから難所だったのだろう。
住宅街やロードサイドの大型店が並ぶ梅美台に妙な建物がある。木津南配水池という給水塔である。「バベルの塔のような外観」とも評されるが、イメージしたのは木津川市名産のタケノコだという。
このまま奈良市に入り、野球場や球技場がある鴻池運動公園を抜けて、近鉄奈良駅の西側に到着。バスはJR奈良駅まで行くが、帰りは近鉄奈良線で大阪まで出ることにする。
駅前の行基像の噴水のところに、奈良市出身の徳勝龍の優勝を祝う横断幕が掲げられている。大相撲も無観客開催、初の上位総当たりとなる徳勝龍もどこまで通用するだろうか。この記事を掲載したのは春場所3日目だが、三役相手に3連敗である。あらあら。
この日は昼食を取るタイミングを逃した形となり、せめて夕食用にということで奈良の地酒「春鹿」と柿の葉寿司の折詰を買い求めて急行に乗り込む(車内では飲んでません)。
・・・さて、新型コロナウイルスの連日の報道は世間のムードをくら暗くしている。スポーツではプロ野球も開幕延期となり、次は高校野球の判断が注視されている。
一方、各地の寺社ではコロナウイルス退散の祈祷も行われているそうだ。行政や医療機関がやらなければならないこと、私たち個人個人ができること、いろいろあるが、非科学的かもしれないが神仏に手を合わせることも一つだろう。特に薬師如来は病疫から人々を救うと信仰されてきただけに・・・。
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