明けて1月29日、まだ外は暗い。念のため持参の体温計で熱を測ると36度台前半。前日が移動しながらいい休養になったようで、これから.歩くぶんには問題なしとする。心配なのは天気で、高知県は午後、夕方から傘マークが出ていた。
この日は第27番の神峯寺、そして第28番の大日寺を回る。まず目指すのは神峯寺で、奈半利からごめん・なはり線で3駅の唐浜からの歩きである。ものの本やネット、ブログ記事では駅から1時間半の歩きとあるが、神峯寺まではひたすら上りのようだ。途中から昔からの遍路道があるが、上りが続くことから「真っ縦」と呼ばれているそうである。「土佐の遍路ころがし」との言い方もあるそうだ。遍路ころがし・・・阿波徳島でもそうした山道に出会ったことである。その中でやはりえげつなかったのが藤井寺~焼山寺の5時間コースだったなというのを思い出す。
歩き遍路の方のブログなどでは、奈半利から神峯寺まで歩いて10キロ、その後も歩いて夕方に安芸に到着するのが標準的なルートのようだ。さすがに安芸までは無理としても、何なら神峯寺まで歩いてもいいかなという気持ちで、朝の6時にホテルを出発する。前日はリュックにしまっていた白衣を着けて、金剛杖も取り出す。改めて、金剛杖に貼り付けている四国アイランドリーグのキャラクターたちに「頼むぞ」と念じる。
・・・ということで歩き出したのはいいが、国道に出るまでだけでなく、国道に入ってからの暗さに戸惑った。大阪の感覚ではいけない。とは言え、金剛杖で足元を確かめながら歩くのもどうかと思う。少し待てば明るくなるのだが、この時はこの時点で神峯寺まで歩くのをあっさりあきらめた。ともかく奈半利駅まで何とかたどり着き、6時31分発の列車に乗ることにする。結果的にごめん・なはり線の全線に乗れるのだからよしとする。
暗い中、高架のホームに気動車が停まっている。今日はいくつかの駅で途中下車するためごめん・なはり線の1日乗車券を買おうと思ったが、窓口は営業時間外でシャッターが下りていた。これはうかつだった。駅員がいる駅といっても、始発から最終までいるわけではない。前日、奈半利駅には来ていたわけで、その時に購入しなかったのは失敗。仕方なく普通に購入して列車に乗り込む。1両の後免側がロングシート、奈半利側が転換クロスシートだが、このクロスシートの背もたれが高く、座高の高い私もすっぽり収まってしまう。大阪の新快速の車両よりも座り心地がよい。
10分ほどで唐浜に到着。ようやく周りが見えてきた。ビニールハウスが目立つ。さまざまな青物野菜が栽培されているそうで、この先の安芸はハウス栽培の茄子が特産品だという。
駅前はロータリーになっていて、遍路の姿をしたキャラクター「とうのはま へんろ君」が出迎えてくれる。ごめん・なはり線の各駅には地元の見所や名物、歴史をモチーフにしたキャラクターがある。いずれもアンパンマンの作者だったやなせたかしさんのデザインだ。この「とうのはま へんろ君」のテーマは、もちろん神峯寺である。
ここから神峯寺までは4キロということで、少し奈半利側に戻る。鳥居があり、「神峯神社」の額が掲げられている。これから目指す神峯寺は標高450メートルの山の上である。元々は神功皇后が朝鮮半島に出兵する時に戦勝を祈願して天照大神を祀ったのが起源とされるほどの古い神社である。奈良時代になって行基が十一面観音を祀ったのを神宮寺の本尊として、長く神仏習合の歴史が続いたが、明治の神仏分離令で一旦廃寺、後に再興したという歴史がある。
ということは、これから歩くのは海岸に近い唐浜からの山登りである。まずは集落を抜けるが、舗装道路を少しずつ高度を上げていくのがわかる。西国の岩間寺に向かう坂道を思い出す。途中、「二十二丁」と記された道標に出る。
少し開けたところに出る。前方に小高い山が見える。まさかあれが神峯寺ではあるまいなと思ったが・・・案の定そうだった。
ただ一方で後ろを振り返ると、曇っていてはっきりとはわからないが水平線が見える。海岸に面した松並木もある。
40分ほど歩き、残り1.3キロ地点のところまで来たところで、これまで舗装道路だけだったのが、自然の山道が分岐している。昔からの遍路道の案内もある。こういう表示が出るということは、歩きならこちらを進めという意味である。ここからが「真っ縦」の本番かと思い、荷物を下ろして少し休む。
この「真っ縦」というのはひたすら真っ直ぐに上ることから来ているのだろう。金剛杖を頼りにしばらくエイサエイサと上ると、先ほどの車道に出る。そして車道を横切ってまた自然の山道に入る。これを何回か繰り返す。昔の遍路道はほぼ直進だが、車道のほうがカーブの連続である。「水曜どうでしょう」の四国八十八所めぐりの企画で、大泉洋がクルマに酔う場面があったと思うが、神峯寺に続く坂道ではなかっただろうか。
残り九丁だからか「九丁公園」というのがある。この一角もそうだが、途中いくつかこのようなオブジェがある。仏像に見えないこともない。よく見ると「同行二人」という文字が浮かんで見える。なかなかしゃれが利いている。
1.3キロといいながら30分ほどかかり、駐車場に着いた。朝の8時前ということでクルマも2~3台しか停まっていない。またここまで歩きの人とすれ違ったり、追い越したりということもなかった。
駐車場からもう一上りして、ようやく神峯寺の山門に到着した。鮮やかに塗られた仁王像が出迎えてくれる。「真っ縦」は確かにその瞬間のしんどさはあったが、やはり「遍路ころがし」の厳しさとしては、焼山寺への上り、そして鶴林寺~太龍寺の下り&上りのほうがきつかったかなと思う。少しずつ息を整えてお参りである・・・。
この日は第27番の神峯寺、そして第28番の大日寺を回る。まず目指すのは神峯寺で、奈半利からごめん・なはり線で3駅の唐浜からの歩きである。ものの本やネット、ブログ記事では駅から1時間半の歩きとあるが、神峯寺まではひたすら上りのようだ。途中から昔からの遍路道があるが、上りが続くことから「真っ縦」と呼ばれているそうである。「土佐の遍路ころがし」との言い方もあるそうだ。遍路ころがし・・・阿波徳島でもそうした山道に出会ったことである。その中でやはりえげつなかったのが藤井寺~焼山寺の5時間コースだったなというのを思い出す。
歩き遍路の方のブログなどでは、奈半利から神峯寺まで歩いて10キロ、その後も歩いて夕方に安芸に到着するのが標準的なルートのようだ。さすがに安芸までは無理としても、何なら神峯寺まで歩いてもいいかなという気持ちで、朝の6時にホテルを出発する。前日はリュックにしまっていた白衣を着けて、金剛杖も取り出す。改めて、金剛杖に貼り付けている四国アイランドリーグのキャラクターたちに「頼むぞ」と念じる。
・・・ということで歩き出したのはいいが、国道に出るまでだけでなく、国道に入ってからの暗さに戸惑った。大阪の感覚ではいけない。とは言え、金剛杖で足元を確かめながら歩くのもどうかと思う。少し待てば明るくなるのだが、この時はこの時点で神峯寺まで歩くのをあっさりあきらめた。ともかく奈半利駅まで何とかたどり着き、6時31分発の列車に乗ることにする。結果的にごめん・なはり線の全線に乗れるのだからよしとする。
暗い中、高架のホームに気動車が停まっている。今日はいくつかの駅で途中下車するためごめん・なはり線の1日乗車券を買おうと思ったが、窓口は営業時間外でシャッターが下りていた。これはうかつだった。駅員がいる駅といっても、始発から最終までいるわけではない。前日、奈半利駅には来ていたわけで、その時に購入しなかったのは失敗。仕方なく普通に購入して列車に乗り込む。1両の後免側がロングシート、奈半利側が転換クロスシートだが、このクロスシートの背もたれが高く、座高の高い私もすっぽり収まってしまう。大阪の新快速の車両よりも座り心地がよい。
10分ほどで唐浜に到着。ようやく周りが見えてきた。ビニールハウスが目立つ。さまざまな青物野菜が栽培されているそうで、この先の安芸はハウス栽培の茄子が特産品だという。
駅前はロータリーになっていて、遍路の姿をしたキャラクター「とうのはま へんろ君」が出迎えてくれる。ごめん・なはり線の各駅には地元の見所や名物、歴史をモチーフにしたキャラクターがある。いずれもアンパンマンの作者だったやなせたかしさんのデザインだ。この「とうのはま へんろ君」のテーマは、もちろん神峯寺である。
ここから神峯寺までは4キロということで、少し奈半利側に戻る。鳥居があり、「神峯神社」の額が掲げられている。これから目指す神峯寺は標高450メートルの山の上である。元々は神功皇后が朝鮮半島に出兵する時に戦勝を祈願して天照大神を祀ったのが起源とされるほどの古い神社である。奈良時代になって行基が十一面観音を祀ったのを神宮寺の本尊として、長く神仏習合の歴史が続いたが、明治の神仏分離令で一旦廃寺、後に再興したという歴史がある。
ということは、これから歩くのは海岸に近い唐浜からの山登りである。まずは集落を抜けるが、舗装道路を少しずつ高度を上げていくのがわかる。西国の岩間寺に向かう坂道を思い出す。途中、「二十二丁」と記された道標に出る。
少し開けたところに出る。前方に小高い山が見える。まさかあれが神峯寺ではあるまいなと思ったが・・・案の定そうだった。
ただ一方で後ろを振り返ると、曇っていてはっきりとはわからないが水平線が見える。海岸に面した松並木もある。
40分ほど歩き、残り1.3キロ地点のところまで来たところで、これまで舗装道路だけだったのが、自然の山道が分岐している。昔からの遍路道の案内もある。こういう表示が出るということは、歩きならこちらを進めという意味である。ここからが「真っ縦」の本番かと思い、荷物を下ろして少し休む。
この「真っ縦」というのはひたすら真っ直ぐに上ることから来ているのだろう。金剛杖を頼りにしばらくエイサエイサと上ると、先ほどの車道に出る。そして車道を横切ってまた自然の山道に入る。これを何回か繰り返す。昔の遍路道はほぼ直進だが、車道のほうがカーブの連続である。「水曜どうでしょう」の四国八十八所めぐりの企画で、大泉洋がクルマに酔う場面があったと思うが、神峯寺に続く坂道ではなかっただろうか。
残り九丁だからか「九丁公園」というのがある。この一角もそうだが、途中いくつかこのようなオブジェがある。仏像に見えないこともない。よく見ると「同行二人」という文字が浮かんで見える。なかなかしゃれが利いている。
1.3キロといいながら30分ほどかかり、駐車場に着いた。朝の8時前ということでクルマも2~3台しか停まっていない。またここまで歩きの人とすれ違ったり、追い越したりということもなかった。
駐車場からもう一上りして、ようやく神峯寺の山門に到着した。鮮やかに塗られた仁王像が出迎えてくれる。「真っ縦」は確かにその瞬間のしんどさはあったが、やはり「遍路ころがし」の厳しさとしては、焼山寺への上り、そして鶴林寺~太龍寺の下り&上りのほうがきつかったかなと思う。少しずつ息を整えてお参りである・・・。