10時10分、「青の交響曲」は阿部野橋を出発。その時は2号車のラウンジカーのソファー席に座っていた。普段通勤で通る駅も、こうした席から眺めるとずいぶん様子が違って見える。
ラウンジカーにいたのは、併設のバーカウンターが発車とともに営業開始となることからである。それを見越して乗車とともに陣取って、そのまま居続ける客がいると聞いたものだから、先に行ってみた。案の定、営業開始前からバーカウンターには行列ができている。乗車時間がもろに昼食時間帯に重ならないためか、弁当や重いメニューはなく、サンドイッチや柿の葉すしといった軽食や、スイーツが中心。一方で飲み物はいろいろあり、沿線のものとして河内ワインにチョーヤ梅酒、葛城や吉野の地酒飲み比べがある。ラウンジカーは食事というよりは、飲みや喫茶のための場所である。そこは、同じ近鉄でも「しまかぜ」と異なる。
で 、私が選んだのは葛城の梅乃宿酒造の純米大吟醸。酒の味というよりは、車内限定「青の交響曲」のラベルの一合瓶に、吉野杉で作った「青の交響曲」の一合枡というのに引かれた(結局は「飲み鉄」か)。で、一合枡になみなみと注いで写真を撮るのだが・・・列車の揺れで枡から酒が溢れ出る。下に敷いたトレイに結構こぼれる。これもまた旅の一興だが、そうなるのも通勤型車両の改造版の宿命か、それとも南大阪・吉野線だからか(笑)。「しまかぜ」のラウンジカーに乗ったことがないのでわからないが、それと比べてどうだろうか。
なお、「青の交響曲」の記念乗車票や、オリジナルのコースターはバーカウンターから自分で取る仕組みである。
まあ、ラウンジカーを体験できたし、この後も他の乗客たちがのぞきに来るので、席を譲る形で立つ。列車はそろそろ奈良県に入るところ。2号車の端にライブラリーがあり、吉野や大台ヶ原の写真集や飛鳥の史跡ガイド、果ては修験道に関するものもある。これらは車中でじっくり読むというよりは、これからの歴史、自然ゾーンへの雰囲気作りだろう。
座席に座る。車内は1-2列が基本だが、私が当てられた車椅子席は客室の端で、2席のスペースが1席になっているところ。このためかスペースがゆったり取られているように感じた。テーブルは壁側から倒すが、物を載せても先ほどのラウンジカーほどの揺れは感じない。固定テーブルを備えた「一人席」との比較はできなかったが、最後の一席の車椅子席も悪くない(もちろん、この席を必要とする方たちの席であることが前提)。
通路の向こうは真ん中にテーブルを置いた向い合わせの席。旅行が好きそうな奥様と、無理矢理付き合わされたような感じの旦那さんという感じの初老のご夫婦が座って大声でしゃべっている。通勤列車でそうされたらかなわんが、観光特急なら夫婦漫才にも聞こえる。もっとも、人生幸朗と宮川花子がコンビを組んだようなしゃべりで・・・。
列車は橿原神宮前から吉野線に入る。ここで下車する人、乗車する人がいる。ここからは単線で、ローカル線の風情が高まる。ただ、観光列車だからといってどこかで長く停まるとか、徐行運転するということはない。あくまで、定期運転の特急の1本が「青の交響曲」であるというダイヤである。
ふと、以前にこの線で体験したイベント列車を思い出す。拙ブログでも書いたが、「利き酒列車」に「さよならイベント」。前者は「さくらライナー」利用で、吉野までの間、弁当が配られて吉野の地酒の飲み比べ。後者は特急16000系の「デッキなし車両」の引退にともなうもので、復路では古市での撮影会もあった。いずれも団体貸切扱いで途中駅での乗降はできないが、長く停まることがあった。それでも苦情はなかったのではないかと思う。この「青の交響曲」も、そうした路線で行けばどうかと思ったのだが、どうだろうか。先を急ぐ客には定期列車を少し前に1本出すとか・・・。
列車は六田を過ぎて大和上市に近づく。右手には吉野川。ラウンジカーの営業終了のアナウンスも入る。通路向かいの人生幸朗旦那が「何やもう吉野着くんか!バカモーン!責任者出てこーい!」・・・と言ったわけではないが、確かに阿部野橋から「もう吉野?」という感じはした。まあ、吉野特急というのはそういうものかもしれない。だから観光特急も通勤型改造で充・・・あ、吉野に着いたな。
吉野は山に囲まれて終着駅風情が結構あるところ。阿部野橋から1時間あまりでこうした山奥に着くのも関西ならではと思う。「青の交響曲」では満席の乗客も、この時季のホームでは混雑を感じさせないくらいだ。まあ、吉野が混雑するのは何と言っても桜の時季だが。
これからどうするか。壺阪寺に行くつもりでリュックに先達納経軸やお勤め一式を入れているが、せっかく吉野まで来たのだから、すぐ引き返すのではなくとりあえず上に上がろう。普通はロープウェイだが・・・・。
ラウンジカーにいたのは、併設のバーカウンターが発車とともに営業開始となることからである。それを見越して乗車とともに陣取って、そのまま居続ける客がいると聞いたものだから、先に行ってみた。案の定、営業開始前からバーカウンターには行列ができている。乗車時間がもろに昼食時間帯に重ならないためか、弁当や重いメニューはなく、サンドイッチや柿の葉すしといった軽食や、スイーツが中心。一方で飲み物はいろいろあり、沿線のものとして河内ワインにチョーヤ梅酒、葛城や吉野の地酒飲み比べがある。ラウンジカーは食事というよりは、飲みや喫茶のための場所である。そこは、同じ近鉄でも「しまかぜ」と異なる。
で 、私が選んだのは葛城の梅乃宿酒造の純米大吟醸。酒の味というよりは、車内限定「青の交響曲」のラベルの一合瓶に、吉野杉で作った「青の交響曲」の一合枡というのに引かれた(結局は「飲み鉄」か)。で、一合枡になみなみと注いで写真を撮るのだが・・・列車の揺れで枡から酒が溢れ出る。下に敷いたトレイに結構こぼれる。これもまた旅の一興だが、そうなるのも通勤型車両の改造版の宿命か、それとも南大阪・吉野線だからか(笑)。「しまかぜ」のラウンジカーに乗ったことがないのでわからないが、それと比べてどうだろうか。
なお、「青の交響曲」の記念乗車票や、オリジナルのコースターはバーカウンターから自分で取る仕組みである。
まあ、ラウンジカーを体験できたし、この後も他の乗客たちがのぞきに来るので、席を譲る形で立つ。列車はそろそろ奈良県に入るところ。2号車の端にライブラリーがあり、吉野や大台ヶ原の写真集や飛鳥の史跡ガイド、果ては修験道に関するものもある。これらは車中でじっくり読むというよりは、これからの歴史、自然ゾーンへの雰囲気作りだろう。
座席に座る。車内は1-2列が基本だが、私が当てられた車椅子席は客室の端で、2席のスペースが1席になっているところ。このためかスペースがゆったり取られているように感じた。テーブルは壁側から倒すが、物を載せても先ほどのラウンジカーほどの揺れは感じない。固定テーブルを備えた「一人席」との比較はできなかったが、最後の一席の車椅子席も悪くない(もちろん、この席を必要とする方たちの席であることが前提)。
通路の向こうは真ん中にテーブルを置いた向い合わせの席。旅行が好きそうな奥様と、無理矢理付き合わされたような感じの旦那さんという感じの初老のご夫婦が座って大声でしゃべっている。通勤列車でそうされたらかなわんが、観光特急なら夫婦漫才にも聞こえる。もっとも、人生幸朗と宮川花子がコンビを組んだようなしゃべりで・・・。
列車は橿原神宮前から吉野線に入る。ここで下車する人、乗車する人がいる。ここからは単線で、ローカル線の風情が高まる。ただ、観光列車だからといってどこかで長く停まるとか、徐行運転するということはない。あくまで、定期運転の特急の1本が「青の交響曲」であるというダイヤである。
ふと、以前にこの線で体験したイベント列車を思い出す。拙ブログでも書いたが、「利き酒列車」に「さよならイベント」。前者は「さくらライナー」利用で、吉野までの間、弁当が配られて吉野の地酒の飲み比べ。後者は特急16000系の「デッキなし車両」の引退にともなうもので、復路では古市での撮影会もあった。いずれも団体貸切扱いで途中駅での乗降はできないが、長く停まることがあった。それでも苦情はなかったのではないかと思う。この「青の交響曲」も、そうした路線で行けばどうかと思ったのだが、どうだろうか。先を急ぐ客には定期列車を少し前に1本出すとか・・・。
列車は六田を過ぎて大和上市に近づく。右手には吉野川。ラウンジカーの営業終了のアナウンスも入る。通路向かいの人生幸朗旦那が「何やもう吉野着くんか!バカモーン!責任者出てこーい!」・・・と言ったわけではないが、確かに阿部野橋から「もう吉野?」という感じはした。まあ、吉野特急というのはそういうものかもしれない。だから観光特急も通勤型改造で充・・・あ、吉野に着いたな。
吉野は山に囲まれて終着駅風情が結構あるところ。阿部野橋から1時間あまりでこうした山奥に着くのも関西ならではと思う。「青の交響曲」では満席の乗客も、この時季のホームでは混雑を感じさせないくらいだ。まあ、吉野が混雑するのは何と言っても桜の時季だが。
これからどうするか。壺阪寺に行くつもりでリュックに先達納経軸やお勤め一式を入れているが、せっかく吉野まで来たのだから、すぐ引き返すのではなくとりあえず上に上がろう。普通はロープウェイだが・・・・。
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