まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

観戦記~バファローズが中島の活躍で連敗ストップ(珍しいこともあるもんや)

2016年08月07日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
日本時間の6日にリオデジャネイロ五輪が開幕し、7日には甲子園の高校野球が始まる。プロ野球の注目度が低くなる中で、チームは5位に上がったかと思えば0封負けで再び最下位。世間は猛暑、酷暑だというのに、6日の大正ドームは寒い雰囲気だっただろう。

そんな私も、7日はどうしようかと思っていた。新西国三十三所めぐりの次の行き先である豊中、川西に行こうかとも考えていた。萩の寺と満願寺はそれぞれ駅、バス停から近いところにある。ただ、これだけ猛暑となると、少し行くのをためらうところはある。ならば、久しく足を運んでいないし、ファンクラブ特典の自由席券もまだまだ残っている。ドームは屋内だから多少はマシだろう・・・ということで出かける。

私は内野自由席の入場口に、だいたい開門の1時間前(7日は11時開門なので10時頃)に行くことが多いのだが、この日は朝からの暑さと、最初に書いたような状況ということもあってか、日曜日にしては行列も短い。開門していつもの上段席に行くが、開門直後は客もまばらである。試合開始後もシーズン序盤のようには客足も伸びず、空席も目立っていた。試合後の観客発表では25000人を超えていたそうだが、そんなにいたかな?という実感である。

そんな中でも、レフトスタンドの下段のマリーンズファンの密度はすごい。試合開始時には立錐の余地もないといった感じである。外野スタンドの勢いでいえば、レフト側が完全に上回っている。

今年のパ・リーグは親子向けヒーロー企画として、戦隊もののジュウオウジャーが各地の球場に来ている。一昨年がウルトラマンシリーズ(大正ドームではウルトラセブン)、昨年が仮面ライダーシリーズと、ヒーローとパ・リーグのコラボも定着してきている感じだ(来年からはどうなるのかな)。また一方で、パ・リーグ各チームにも戦隊ヒーローがいるようで、バファローブルやBsGirlsたちともグラウンドを盛り上げるが、動きがぎこちないというか、素人くささがあり、見ている分にはこちらのほうが面白い。

さて試合、バファローズの先発は山崎福。この投手も先発と中継ぎを行ったり来たりしており、今回は東明が先発で調子が上がらないということで出番が回ってきた。打線も寒いし、マリーンズ先発はエースの涌井。なかなか厳しい試合になりそうだなと思う。そんな立ち上がり、まずは3人で簡単にかたづける。

初回に早速試合が動く。涌井の立ち上がりが悪く、先頭の安達に四球。続く川端はバントができず、内野ゴロの間に進塁。すると糸井、T-岡田と連続死球で満塁となり、打撃が上向き加減のモレル。

ここでモレルは振り回すのでなく、上手く合わせてライト前に運ぶ。まず1点先制。そして中島。先の記事も含めて何度も書いているが、本当にこの男だけは・・・どうせ内野ゴロゲッツーだろうと思っていると、打球はレフトへ。犠牲フライには十分で1点追加。まあ、結果オーライ。涌井の調子が悪いとはいえ、まず初回で2点取れたので安心する。

山崎は2回に死球、3回に岡田にチーム初安打を許す。しかし岡田が盗塁失敗で切り抜ける。

ふと下段の指定席エリアを見ると、懐かしい「この方」のユニフォーム。今年の前半を大いに騒がせた「この方」をわざわざ着てくるとは、よほどのファンなのだろう・・・。

話が脱線したが、バファローズ打線は3回裏、糸井がライト前ヒットで出塁。ここで盗塁を決める。この糸井の盗塁数がリーグトップというのも意外な感じがする。これでチャンスを広げ、T-岡田がセンター前にタイムリー。これで3対0。続くモレルは倒れ、中島を迎える。

中島の打球は右中間へ。どうかなと思ったがフェンスの上ギリギリを通り、レストランのネットに跳ね返って落ちてきた。ライオンズのかつてのチームメイトであった涌井からの大きな追加点となる2ラン。これで今季3号というのもお寒い限りだが、涌井をこの回で降板させるいい活躍である。こういうのを今季当初、いやもっと言えば昨年移籍した時からコンスタントにやってくれれば、誰も何も言わない。

4回は3人でかたづけた山崎だが、5回に捕まる。井口、鈴木の連打などで一死一・三塁となり、高濱の内野ゴロの間に1点を返される。さらに途中出場の江村にタイムリーが出て、5対2となる。

5回裏には中島のマルチとなる二塁打などでチャンスを作るが無得点。すると6回からは、山崎に代わり塚原が登板する。ピンチらしいのは5回だけだったと思うし、もう1イニングくらい行ってもいいかなと思ったが、代役先発でもあり、当初から5回までと決まっていたのかな。それはともかく、代わった塚原が角中、デスパイネに連続四球。その後二死一・三塁となって鈴木にタイムリー。これで5対3となる。なおもピンチだが次の細谷を何とか抑える。序盤は5点リードで楽勝と思っていたのが、マリーンズがじわじわと追い上げてくるのが不気味に感じた。

バファローズ打線もなかなか追加点がとれない。7回も中島の猛打賞となる3安打目(何とも珍しや)が出るなどで一死満塁とするが、続く西野が最悪のダブルプレー。こういうところで1点でも2点でも取れないのが後になって響いた・・・というのが何試合あったことか。

それでも7回の海田に続き、8回は吉田一、そして9回は平野とリレー。9回は一発出れば同点という場面だったが後続を打ち取り、試合終了。チームは何とか3タテを阻止。私も、現地観戦の連敗が4でストップした。前にいつ勝ったか・・・4月上旬までさかのぼるから、4ヶ月ぶりの勝利。結構昔のことのように感じる。

お立ち台は先制打のモレルと、3安打3打点の中島の二人。この組み合わせのお立ち台というのもめったに見られるものではない。今日の中島に対しては、よくやったと素直に拍手する。ただ、この二人のお立ち台はこれで見納め、来年はどちらもチームにいませんでした・・・と書いたら怒られそうだ。インタビュー後はこれにジュウオウジャーの面々も一緒に入っての記念撮影。

7日のナイトゲームでライオンズが敗れたことで、バファローズは再び5位浮上。パ・リーグもセ・リーグも首位と2位の差が詰まってきて混戦模様になってきているが、パ・リーグの最下位争いもこれから終盤まで長くもつれそうだ。来週はライオンズとの「直接対決」もあるし、どうなることやら・・・。
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第30番「金剛城寺」~新西国三十三所めぐり・15(もちむぎ、ギータ、ゲリラ豪雨)

2016年08月06日 | 新西国三十三所
「民俗学柳田國男ともちむぎ麺のまち福崎町」

福崎駅前に立つ標識に、このように書かれている。金剛城寺参詣の後は、この町を歩いてみようと思う。町の中心がある辻川地区は、駅から2キロのところ。暑い中だが、金剛城寺から戻った勢いでそのまま歩く。

市川を渡る。北から流れる市川流域が広がるのが福崎で、古くから因幡街道と、姫路から生野を結ぶ街道が交わる交通の要衝として開けたところである。今のJR播但線に中国自動車道、播但自動車道にも受け継がれている。その中の一角が観光エリアとして整備されている。

昼を回ったこともあり、まずは昼食。目指すのは「もちむぎのやかた」。もちむぎとは大麦の一種で、食物繊維であるβグルカンをはじめとした栄養価が普通の麦より高いとされている。その中でも福崎のもちむぎは最高級の品質なのだとか。町では特産品としてPRしている。「もちむぎのやかた」はその公式ショップで、レストランもあれば土産物コーナーもあり、さらには製造工程の一部も見ることができる。

ともかく食事としてレストランへ。いろいろあるが、「五種麺」というのを注文する。出雲の割子そばのようなもので、器ごとにいろいろなトッピングを味わえる。出てきたのを見た印象は、「ひやむぎ」。うどんでもなく、そうめんでもないこの太さを久しぶりに味わう。普通の麦とは食感がどのように違うのかを語れるだけのものは持ち合わせていないが、美味いのは確かである。

麦酒ならぬ、もちむぎで作ったチューハイを合わせる。

これで腹ができて、園内を回ることにする。もちむぎのやかたに隣接する麦畑(今は収穫後で何もないが)を過ぎると、池の周りに人だかりができている。子どもの姿も多い。

しばらくすると池に異変。水面がゴボゴボ言った次の瞬間に、池から顔を覗かせたのはカッパ。それでもほんの数秒で池に姿を消し、しはらくするとまた顔を出す。

カッパは池のほとりにもう一体いる。こちらは動かない銅像だが、二匹まとめて「河童の河太郎(がたろう)と河次郎(がじろう)」である。池のほとりの銅像が河太郎で、池から顔を出すのが河次郎。これは柳田國男の『故郷七十年』という作品に、市川に現れる河童を紹介した記述があるのをベースにしている。柳田國男は日本の民俗学の基礎を築いた第一人者であり、もっとも有名なのは『遠野物語』である。この作品では民俗信仰をベースとした不思議譚をいろいろ紹介しているが、妖怪ものも結構ある。今でこそ、ポケモンや妖怪ウォッチ、水木しげる作品などあるが、日本で妖怪を体系化した元祖は柳田國男からなのかなと思う。

柳田國男に敬意を表してか、ここもポケモンGOのスポットのようだ。だから子どもの姿も多かったのだろうが、歩きスマホに注意を促すこういう粋な看板も見られる。

・・・で、なぜ福崎で柳田國男なのかということだが、『故郷七十年』とあるように福崎が彼の出身地なのである。福崎の松岡家の次男に生まれ、後に柳田家に養子となった。彼の他の兄弟は医学や文学、美術で大成しており、「松岡家5兄弟」とも呼ばれている。その生家が保存されている。元々は街道沿いにあったものを、公園の整備とともに移築したものである。

柳田國男は『故郷七十年』の中でこの家を「日本一小さい家だ」と言い、「この家の小ささという運命から私の民俗学への志も源を発したといってよいのである」としている。「日本一小さい」かどうかはさておき、大勢のきょうだいがいたものだから、嫁いできた長男の嫁はあまりの狭さに実家に逃げ帰ってしまったというエピソードもあるそうだ。5兄弟それぞれの成功がハングリー精神にあったということなのであろう。

生家に隣接して柳田國男・松岡家記念館がある。こちらでは松岡家の歴史、柳田國男をはじめとした5兄弟の紹介がされている。企画展示は眼科医・歌人として活躍した三男の井上通泰の展示である。

・・・ここまで「柳田國男」と書いてきて、ずっと「やなぎだ・くにお」と読んでいたのだが、館内で流れていたテレビ番組の録画のナレーションを聞くと、「やなぎた」と言っている。館内の資料にふりがなやローマ字表記がないのでスマホで検索してみると、確かに「やなぎた・くにお」と記載されている。これまでずっと勘違いしていたわけだ。やなぎた、やなぎた・・・「ギータ」やね。

この裏手にある神崎郡歴史民俗資料館に向かうが、朝方は雲もほとんどない晴天だったのが、ここに来て急に雲が広がり、遠くではゴロゴロと言っている。大丈夫かなと思いながら入館。元々神崎郡の役所として使われていた建物を移築したものである。郡の歴史の紹介や生活用品の展示がある。昔の風景の写真パネルもいくつかあり、播但線の風景もある。福崎駅は今でこそ電化されているが、駅の構造は昔と変わらない感じである。

見学している途中、強い雨が建物の窓を叩くのがわかる。外を見るとこれでもかという土砂降り。うーん、晴れの予報だったので傘を持っていない。この雨の中、駅まで2キロの道のりを戻らなければならないのか。やむを得ないとして、受付に声をかけてタクシー会社の電話番号を教えてもらう。記念館の前にはクルマが入れないので、下にあるもぎむぎのやかたの駐車場が待ち合わせ場所だ。資料館の方が「よかったら使ってください」とビニール傘を差し出してくれる。さすがにタクシー、少し大回りをしたがものの5分ほどで駅に到着した。すると雨足は弱まっていた。まあ、こんなものだろう。

元々考えていたのは、駅の近くにある温泉に入って汗を落とそうというものだったが、もういいかなと思い、このまま姫路に抜けて大阪に戻ることにする。駅に戻ったのが14時50分ほどで、ちょうど15時06分発の福崎始発の姫路行きがある。

何やら駅の雰囲気がおかしい。ホームには「14時35分発姫路行き」の案内表示もある。あれ?この列車はすでに出ているのではと思うが、放送が入り、大雨の影響で福崎~和田山間の運転を見合わせているという。来ていない列車は寺前始発のもの。福崎からの列車は普通に動くようでこのまま乗ることにする。

スマホで雨雲情報とJRの運行情報を見ると、関西の広い範囲ということではなく、ここから北のエリアに強い雨が出ていて、播但線のこの区間だけが運転を見合わせているという(この日は関西のいくつかのところで局地的なゲリラ豪雨があったのだが)。何だか不思議なものを感じた。当初、先に姫路から福崎に入って金剛城寺に参詣し、福崎の町を歩いた後で気動車に乗るべく北上しようと考えていたのだが、もしこの通りに動いていたら、福崎から北上できなかったかもしれない。あるいは、北上したものの播但線の途中で閉じ込められていたかもしれない(実際、4時間近く運転見合わせしていたようだ)。逆回りのプランでやって来たのは、ひょっとすると何か見えない力の思し召しだったのかもしれない。

姫路に戻ってきたら雨も上がっており、また晴天である。今回の新西国めぐりもいろいろ波があったなと思いつつ、ホームのえきそばをいただいて新快速に乗るのであった・・・。
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第30番「金剛城寺」~新西国三十三所めぐり・15(歩きの先で起こったのは・・・)

2016年08月03日 | 新西国三十三所
福崎駅から金剛城寺を目指して歩く。4キロ弱の道だが、地図を見るとほぼまっすぐの一本道である。わかりやすいのだが、その分歩くには単調にも感じる。周りにこれといったスポットがあるわけでもない。まあ、歩道が広めに造られているので、行き交うクルマもほとんど気にならない。

標識は途中2ヶ所あり、これさえ間違わなければ普通にたどり着ける。駅から45分で着いたが、いつしか周囲も里山風景になり、早くもコスモスの花も見える。金剛城寺はいかにも「田舎のお寺」といった風情だ。山の奥深いところで行くこと自体が修行にも思われるということもないし、交通便利なところで商売っ気丸出しで構えているわけでもない。あくまで、村のお寺だ。

元々は聖徳太子の時代に、この奥の七種山の中腹に、高句麗の僧である恵灌上人の手で開かれた。今の地に移ったのは明治の初めという。今の本堂は明治45年、山門は昭和7年に建てられたとあるから、新西国の他の札所と比べても新しいほうになるのかな。

山門の下には紙が敷かれて石で重石にしている。宝印を受ける人は、境内の鐘をついてから納経所にお越しくださいとある。西国や四国のように、納経所に人が常駐しているわけではないのだろう。確かに、これまで回った新西国の札所の中には、専用の納経所があるわけでもなく本坊でインターフォンを鳴らして・・・というところもあった。まあ、専用の納経所が常に開いているのが一部の観光寺院で、実際の寺の多くはそんなものだろう。これをインターフォンでなく鐘で呼び出すとは、まさに日本昔ばなしの世界だ。寺の人はこの里山のどこかにいて、鐘の音を合図に戻ってくるのかな。これもまた面白い。

本堂前でお勤めをしなけれはわならないし、境内も一通り見たい。先に鐘をついて呼び出して、やってきた寺の人を待たせるのも悪いと思い、作法に反するが鐘は最後につくとして、先にお参りする。ということで手水場に向かうが、水もなくカラカラ。幸い、その後ろに石をくり抜いた昔ながらの手水があり自然と水が流れている。中ではカエルも泳ぐ。ここでタオルにも水をかけて冷やし、汗をぬぐう。

本堂下で四国と同じ流儀でお勤めして、境内も見て回る。周囲の緑にも溶け込んでいる里山の寺である。

山を切り開いたところに整然と並ぶのは、四国八十八所の各本尊のお砂踏み。これまでは「ああそうか」という感じで見るだけだったが、先日実際に初めて四国札所めぐりに行き、わずか7番だけでも回ったことで、こちらへの親近感が出てきた。この先どのくらいの時間がかかるかわからないが、目標の再確認のような気持ちで見て回る。

という形で一通り回ったので、納経所を呼ぼうと鐘をつく。そして貼り紙に従って本坊裏の玄関に行くが、人の気配はない。

少し焦る気持ちでもう一度鐘堂に戻り、再び鐘をつく。・・・それでも、何かが動いた様子はない。

うーん、寺の人は近くにはいないと。

私はこの時、マジかいな!!と、天を仰いでいた。日曜の昼前、寺の人はどこか告別式か法事に出かけたか。まあ、寺の人としてはそちらが本業だし、鐘も聞こえない遠方に行っているのかもしれない。

新西国ともなると、寺の人が留守で朱印が受けられないことがあるとは聞いていたが、とうとうここで出くわしたか。観光寺院や、常に納経所に人がいる札所寺院ではなく、日常いろいろなことで不在がちなのだろう。そのための鐘だとしても、鐘をついても来ないのならそういう表示をしてもいいのにと思う。何だかがっくりとして、この先駅まで歩いて戻るのに足が重く感じそうだ。

ということで納経帳のページは空白のまま。お参りをしたのは間違いないが、この扱いをどうするか。新西国を全部回っても、「満願」の証明は受けられないと思う。かと言って、その前に改めて出直すのも不公平かと思う。また、再度来たところで同じように寺の人が不在かもしれない。自宅から福崎は遠いので気軽に来るのも難しい。ここは一旦保留とするが、ゆくゆくは朱印をどうするか考える必要があり、新しいミッションができた感じである。

駅に戻る前に、次の行き先を決めるサイコロだけは振っておく。

1.比叡山(横川中堂)

2.大津(立木山寺)

3.赤穂(花岳寺)

4.大阪市内(太融寺、鶴満寺)

5.龍野(斑鳩寺)

6.阪急宝塚線(萩の寺、満願寺)

・・・滋賀県と姫路の西と大阪近郊が分かれた中で、出たのは「6」。豊中から川西に回ることになる。

雰囲気は良かったのだが、寺の人はいなかったという残念な思いを抱きながら駅に戻る。同じ道を歩くので、来た時よりは短く感じる。時刻は12時を回った昼どきであるが、いったん駅を通り越して、福崎町の中心に向かって歩き続ける・・・・。
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まだ中島なんかを4番で使ってるの?勝ち越しムードに水を差す、超変革より最悪な采配

2016年08月02日 | プロ野球(バファローズ・NPB)
このチームは、中島に何ぞ弱みでも握られているのか?

サヨナラ負け云々より、せっかくのムードでこういう奴を出している時点で何を考えているのか。

・・・もっとも、こんな奴にスタメンを許している選手たちは、日々何を思ってプレーしているのか訊いてみたい。

それにしても、T-岡田のメンタルは、稀勢の里の10分の1くらいしかないな・・・・。

以上。
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第30番「金剛城寺」~新西国三十三所めぐり・15(まずは福崎まで乗り鉄)

2016年08月02日 | 新西国三十三所
これまで2日間の四国八十八所めぐりで1番前札所~第7番まで回った記事を書いていたが、今度は先行して進んでいる新西国三十三所めぐり。こちらは札所順番に関係なく、くじ引きで選んだ6つの選択肢の中からサイコロで次の行き先を決めるというお気楽なもので、飛鳥の次に出たのは30番の金剛城寺。この企画をやる前には知らなかったスポットだが、姫路の北の福崎町にある。福崎は播但線が通っているが、中国自動車道のインターがあり、播但自動車道の分岐点であるというほうが知られているかもしれない。

四国の合間を縫う形で、31日に出かけた。元々はこの日は大正ドームに行くつもりにしていたのだが、今は野球よりも札所のほうへの興味が強いのと、次の四国めぐりに向けてわざと暑いところに身を置いてみようというのがあり、この日を選んだ。

夏の青春18きっぷ(バラ)を持っており、まずここで投入する。福崎までなら往復だけで十分元が取れる。早朝の列車で姫路まで行き、播但線に乗り換えれば9時前には福崎に着く。駅から金剛城寺まではバスの便がなく、4キロ弱の道を歩いて往復することになるが、この距離の歩きが、また四国での歩きの練習にもなるかと。駅に戻った後は、初めての福崎の町歩きも行う予定だ。町のホームページを見ると結構興味をそそるものが出てきたが、これについてはまた改めて書くことにする。

さらに、せっかく播但線に乗るなら、非電化で残されている寺前~和田山間に久しぶりに乗ってみたいという気になった。この区間には「天空の城」で人気の竹田城もあるが、以前に訪れた時は朝の風情を味わいたいと深夜からクルマで行っている。鉄道でこの辺りに行くのも久しぶりで、旧国鉄型の気動車にも乗りたい。ということで、時刻表を見て、福崎から北上して寺前で気動車に乗り換えて和田山に行き、山陰線と福知山線で大阪に戻る循環ルートを出す。

ただ、循環ルートなら逆回りはどうかというのも一度考える。大阪から先に和田山に出て、気動車で南下するルート。当然、福崎到着は遅くなる。ただ、このルートだと、本数の少ない気動車区間を先にクリアすることができ、金剛城寺参詣後の時間の使い方も柔軟にできそうだ。本数の限られた気動車区間が後だと、そこで時間の制約が強くなる。

・・・ということで、当日の朝、大阪からは姫路行きに乗らずに、福知山線のホームに現れる。6時09分発の篠山口行きで出発。青春18シーズンのピークなら、北近畿、山陰方面を目指す客で結構な乗車がある列車だが、この時は空いていた。8両編成ということもあり、それぞれ転換クロスシートにゆったり腰かけている。私も途中で空になった4人スペースに移動して、前の席に足を投げ出す。

篠山口からは福知山行きの2両ワンマン列車に乗り継ぎ。8両から2両は結構厳しいが、ここまでがガラガラだったので乗り継ぎ客も全員着席。8月の盆休みの時季ならこうはいかないが。

真夏に向かって青く茂る周囲の山林や、これから実をつける稲の広がる田園地帯を走り、福知山に到着。たまにはこういう遠回りの乗り鉄が面白い。福知山では乗り換えが20分ほどあり、一度改札を出た後で豊岡行きに乗る。京都からの乗り継ぎ客も多い。このまま乗り継いでいっても、鳥取辺りまでなら往復、もしくは循環ルートで大阪に戻ることができる。何もなければそうするところだが、改めて本日の目的地である福崎を思い出して、和田山で下車する。

ホームの反対側に、この車種、この色が停まっている。私の世代だと、ローカル線の車両といえばキハ40とその系統が多いのではと思う。キハ58、28となると、元急行型とあって出会う範囲は狭まっていたような・・・(札所めぐりと全然関係ない流れですみません)。

乗り換え時間がわずかで、感傷にふける間もなくドアが閉まり出発。車両は改造が施されているが、ベースは旧国鉄型で、内装も昔の姿を残す。バリバリいうエンジン音を味わう。

次の竹田は言わずと知れた竹田城への玄関駅。駅の裏手に登城口もあり、列車で来た客はこの道を登る。まあ、天空の城として注目される前は取り付け道路もなく、この道を上がっていたのだとすれば、私もいつかはこの本来のルートで登ってみたい。

しばらくはガタゴトいいながら走る気動車だが、新井(にい)を過ぎて生野に向かうと長い勾配がある。ガクンとスピードが落ちる。国道が並走しているが、軽自動車も軽く列車を追い越す。時速にすれば30キロも出ていないような感じだ。そこまで極端に急な勾配とは思わないし、昔に乗った時もここまでスピードが落ちることはなかったように思う。

後でネット記事など見たところでは、この区間はスピードをわざと遅く設定しているそうである。気動車の能力としてはもっと速く駆け上がることができるが、その分線路に負担がかかるため、抑えているのだとか。赤字ローカル線ならではの厳しい状況である。今さら、少し急いだところで他の交通機関に対して有利になるわけでもないということか。

沿線には播但線の全線電化や高速化を願う看板が建てられているが、こんな走りでは高速化などおぼつかない。また、寺前まで電化、和田山を含む山陰線も電化されている中で非電化区間が残っているが、生野など何ヶ所かのトンネルが大昔に掘られたもので小さく、架線をかけられないそうである。電化するならトンネルを広げるか、あるいは新しくトンネルを掘るかだが、いずれにしても採算面で合わない模様。ならば、特急はまかぜの車両も新しくなっているし、同じように普通列車も姫新線の姫路側で走っているような新型の気動車を入れてはどうかと思うが、車両のやりくりなど難しいのかな。

生野で対向列車と行き違い、次の長谷は通過(この一駅通過するだけで、「快速」を名乗っている)し、寺前に到着。ホームの向かい側に停まっている姫路行きに乗り継ぐ。ここからはロングシートの103系。スピードも軽やかになったように思う。

10時40分、福崎に到着。姫路からだとここまでの区間運転列車もあり、この春からは福崎までICOCAも使えるようになった。車内から外に出るとやはり暑い。

この中を、ようやく目的地の金剛城寺に向けて歩き出す・・・・。
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第1回四国八十八所めぐり~第7番「十楽寺」

2016年08月01日 | 四国八十八ヶ所
第6番の安楽寺から第7番までの遍路道を歩く。途中、眞念という人の手による道標がある。眞念というのは江戸時代の坊さんで、「四国遍路の父」「四国中興の祖」と言われている。四国八十八所は弘法大師が始めたとか、彼の修行の跡地や巡ったところを回るのが初めと言われているが(その後いろいろな書物を読むと、四国の巡礼地の成り立ちはもっと昔の海洋信仰、山岳信仰にあるともされている)、現在の形にしたのがこの眞念とされている。

眞念は大坂を中心に活動したが、実際に四国にも何度も渡り、遍路宿や道標を建てたり、「四国邊路道指南」という四国遍路のガイドブックを著したりして、四国遍路の普及に力を尽くした。第1番を鳴門の霊山寺としたのは、大坂から淡路島を経由して鳴門の撫養に上陸した時に最も近い札所だからということがわかる。阿波藩のあった徳島を玄関口としてもよかったのだが、その場合は吉野川を行ったり来たりしなければならないので・・・ということもあったようだ。

近郊の住宅や水田も広がる中、十楽寺に到着。ここも先の安楽寺と似たような龍宮城のような山門である。この辺りは極楽浄土をイメージしているのだろう。十楽というのは、極楽浄土で得ることのできる10の光明、楽しみのことで、そのいくつかを挙げると、悟りは開けるし、超人的な神通力は得られるし、快楽は果てることなく永遠に続くし・・・と、何でもありである。本尊は極楽浄土担当の阿弥陀如来である。

ここで本堂にまずお参りだが、この時の私の状態、十楽には程遠いヘロヘロの状態である。境内に自動販売機があったので水分補給もするのだが、汗が止まらない。そんな中でお勤めを行い、続いて境内の左奥にある大師堂に向かい、力を振り絞るようにお勤め。ともあれ、この日4ヶ所目、そして2度ずつ8度のお勤めである。

納経所は光明会館という宿坊の建物の1階。ホテルのフロントのようである。ここで朱印をいただくと、本堂前の休憩スペースにどっかりと腰を下ろす。

この時点で11時すぎ。予定ではここから4キロほど歩いて第8番の熊谷寺に行き、続いて第9番法輪寺、最後が行ければ第10番の切幡寺で、そこからローカルバスか徳島線の列車で徳島に戻ることになっている。昼食をとるなら十楽寺の門前に、土成名物の「たらいうどん」を出す店がある。その名も「喰うかい家」。出ましたな、弘法大師空海からいただいた店名。「空海、メシ食うかい?」のダジャレそのままである。

・・・ただ、この先夕方まで10番まで歩くのかと思うと、急に足が動かなくなった。別に足にマメができたとか、筋肉痛があるわけではないのだが、気持ちというのかな。前日と比べても汗のかき方が異常だし、水分(および塩分)を入れても止まらない。長袖の白衣の下にポリエステル製とはいえ長袖のTシャツを着ていたのも、後で考えれば暑くなる服装である。また、普通なら「がっつりとたらいうどんを喰うかい」と行くところが、食欲がわかない。

うーん、熱中症寸前か、あるいは疲労のせいか。ここで考えるに、ローカルバスの系統でいえば十楽寺で前半戦は終了したし、今なら東原のバス停まで何とか歩けば、まだ本数の多い徳島駅行きのバス(次が12時07分発)をつかまえることができる。残り3つは徳島駅~二条中~鴨島駅の系統のバスと合わせて回ることは可能だ。

ということで、恥ずかしい話なのだが、2日目の午前中限りで今回は打ち止めとする。打ち止めというより、リタイヤである。寺を次々に回って、どの寺がどうだったのかという印象もごっちゃになって来ていることもある。西国、新西国のようにはいかず、さすがは巡礼のメジャーである四国の洗礼を受けたかのような感じである。

ここで白衣を脱ぎ、中のシャツも取り替える。結局、Tシャツ姿で杖だけついて、来た道を東原のバス停まで引き返す。幸か不幸か、他にすれ違う巡礼姿もおらず、人目につくこともなかった(いたらいたで「逆打ちの人だな」と見られるだけかもしれないが)。

安楽寺の駐車場のところで先ほど見た「遍路道」の石碑にもう一度出会う。この時、この「遍路『みち』」を、私は「遍路『どう』」と読んでいた。柔道とか剣道、茶道とか書道で使うほうの「道」である。遍路も気楽に、楽しくなければ修行も続かないと言われるが、やはり根っこは「道」である。これに真剣に打ち込んでいる人は、道を究めようというところにもつながっているように思う。逆に、八十八所を巡るということは、一つの「道」に入り込む覚悟がないと大変なことであると思う。

東原のバス停から乗ったバスは乗客ゼロ。最後尾に陣取り、冷房の風に当たる。時折ウトウトもしたが、途中の停留所からはポツポツと乗客もあり、市街地の中心も走る。渋滞もあったので定刻よりは10分以上遅れたようだが、徳島駅に戻ってきた。

バスの中で1時間以上休憩したことで食欲も戻って来たか、前夜は食べなかった徳島ラーメンで遅めの昼食とする。徳島でよく立ち寄る駅前の麺王にて、とんこつ醤油のラーメンをいただく。ここまで来て、ようやく心身ともに落ち着いたようだ。無理して大変なことになるよりは、早めに引き返したという行程について、自分として間違いではないと思うが、一歩引いて振り返ると、もう少し頑張れなかったかなとも思う。まあ、次も徳島への移動、県内でのバスの時間をよく調べて、再開するつもりである。

19時45分という時間の大阪行きのバスも、もうその時間までいるつもりはないので早い時間にする。15時15分というから、4時間半早い引き上げである。

さまざまなことがあった第1回の四国八十八所めぐり。果たして次回以降はどのような旅路になるだろうか・・・・?
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