富山県内の各線を乗り歩いた後、高岡から富山に戻る。この日の宿泊は富山城の近く、総曲輪にあるドーミーイン。すっかり雨模様の富山駅前から富山地鉄の路面電車で移動。車内で、路面電車に立山線の一部区間に路線バスが乗り放題の1日券を買い求める。あわよくば、市内線も乗り倒そうという雰囲気だ。そのホテルは部屋、ベッドともに広く、なかなか快適に過ごせそうである。温泉大浴場もあるのがうれしい。
荷物を置いて一息入れた後、今度は総曲輪から地鉄バスで富山駅前へ。駅前の「やっとるぞー五條」に入り、まずは本日の乗り継ぎ旅行の疲れを癒すことにする。普段はアルコールをたしなまない大和人さんもこの日ばかりはグラスビールを注文。
北陸独特の香箱ガニのつきだしに始まり、寒ブリ、バイ貝、南蛮エビなどの載った刺身の盛り合わせに、ホタルイカ、白えびなど、富山湾の味覚が並ぶ。富山の居酒屋に入ると、料理はそれなりの値段はする。東京の格安店より高いのでは?と感じるのだが、そこはモノが全然違う。そこは納得できるものだ。途中で「立山」の熱燗に乗り換えつつ、酒も入って気持ちが軽くなった大和人さんとも仕事のことで大いに語らう。
この中で注文した一品に「牡蠣の昆布焼き」というのがある。秋から冬にかけての味覚として牡蠣はポピュラーなものだが、この料理は昆布を下に敷いて皿代わりにして、その上に牡蠣を載せ、七輪で焼くというものである。牡蠣と昆布の風味の組み合わせが絶妙で、本来そのような食べ方がマナーにのっとったものかはわからないが、牡蠣を食べた後に昆布までバリバリとかじったものである。
この「昆布を使った」というのが話の昆布ならぬミソで、富山では昆布の消費量が多く、このような昆布料理が多いのは周知のところ。北前船、昆布、生薬というのが、富山の近代史を語る中では欠かせないものである。なぜ北海道原産の昆布が富山で多量に消費されるようになったのか、「富山の薬売り」はその原料をどのように手に入れていたのか、近代の物流や商流に大きな影響を及ぼした北前船との関係は・・・というのは、私がかねてから興味あるところである。
そのメカニズムを著したのが、富山の北日本新聞の連載記事を一冊にまとめた『海の懸け橋 昆布ロードと越中』(編者 北日本新聞社編集局)である。富山駅のKIOSKで売っていたのを買い求めたのだが、新聞記事の連載ということでそう難しくなく、現在の富山の水産業のことも絡めて記述されているので、なかなかに示唆に富むものである。
とまあ、昆布やら酒やらでお腹も満ちたところで、「二次会」は富山の市内電車の乗車とする。富山駅前から再び路面電車で終点南富山まで行き、そこからまたも元京阪の電車に乗車して富山駅前に戻り、またホテルに戻るのに路面電車に乗ったりと、600円の一日乗車券の元をわずかな時間で回収。それにしても、電鉄富山駅に元京阪の電車がフルに顔を揃えたのは圧巻だったなあ・・・・。
ということで「時刻表検定試験」の前日をこのように過ごし、翌日は富山から急行型列車のボックスシートを占領して、金沢入りしたのであった・・・・。(終わり)
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