富山駅北口から外に出る。新幹線開業を見据えた駅の高架工事が行われており、北口は仮住まいのような駅舎。その一角に富山ライトレールの窓口がある。
この日メインで使用するのが、「富山周遊散策1日フリーきっぷ」。残念ながら11月25日までの発売で現在は売られていないのだが、富山ライトレール、岩瀬浜~新港東口のライトレール接続バス、新港東口~越ノ潟の渡し船(これは元々無料なのだが)、万葉線、如意の渡し船というエリアが1日乗り放題で1,000円というもの。これを使用して、富山から順番に乗り継ごうというコースである。おまけに私は「北陸フリーきっぷ」、連れの大和人さんは「周遊きっぷ」の北陸ゾーン券を持っており、これに北陸本線や氷見線をつけることができる。時間の許す限り乗り回ることにする。
その一番手が富山ライトレール。私もこの線に乗るのは3度目だが、地方都市における公共交通のありかたを考えさせてくれる路線と感じている。開業から1年半経過し、これまでのところは好評で、実際にライトレール方式の導入を健闘している自治体も多いとか。大和人さんとともに向かい合わせの座席を確保する。大きな窓やゆったりしたシートに、これが初めての乗車の大和人さんも感心しきりだ。
しばらく道路上を走り、進行右手に伸びる旧富山港線の廃線跡を見てカーブ。旧富山港線の線路をベースにした区間を走る。ライトレール方式になって新たな停留所ができたり、ホームも低床になったのだが、それでもところどころに旧富山港線時代の名残の路盤やホーム跡や、キロポストが立っていたりする。旧富山港線は朝には急行用の大型車、客の少ない昼間は単行の気動車が走っていたが、元が私鉄だけあって駅の距離も短く、市民の気軽な足としての利用実績がある程度あったため、ライトレール方式の試金石としては条件が揃っていたということはある。他の自治体が導入しようとしても、果たして同じように行くかどうか・・・。
富山から20分ほどで、岩瀬浜着。ここから出るフィーダーバスに乗り継ぐ人や、付近の散策に出る人も。構内の写真を撮っていた大和人さんが「ここに急行型車両を1両保存してもよかったのでは・・・」てなことを言う。
この先の新港東口行きのバスまでは時間があるため、折り返しの電車で東岩瀬へ。このあたり、フリーきっぷの強いところだ。ここからは岩瀬の町を歩くことにする。ちょっとぶらついてもバスの時間までに岩瀬浜駅に戻れるくらいのタイミングだ。
旧北国街道に面した岩瀬の町並み。往年の港町の賑わいを今に伝える伝統的な建物が数多く残っており、静かな佇まいを見せている。ライトレール沿線の観光の目玉であり、ライトレール開業でこの町を訪れる観光客もポツポツと増えているようだが、小京都のように観光バスでごった返すほどではない。老朽化した建物をリフォームしたり、銀行が昔の木造建築風の建物に作り変えられたりという変化はあるが、あくまで昔からの普通の風情を今に伝えており、好感が持てる。
港町岩瀬の歴史を伝える、廻船問屋・森家へ。北前船の寄港地として栄えた岩瀬だが、その中で米・昆布・生薬・綿花などの売買と輸送を一手に引き受けた商人たちの栄華を見ることができる。室内のあちこちに見られる意匠や、上方からもたらされた書画などである。
この森家で、大和人さんにぜひ見せたいものがあった。どこにあったかなと探すうちに、土蔵へ抜ける通路で見つけた。それが「富山を中心として、南北を逆転させた地図」。ブログ掲載の写真は、決して上下さかさまに貼り付けたものではない。富山県が、国土地理院の承認を得て作成したものだが、これを見ると、富山と「大陸」の距離がグッと近く感じるのがわかる。北海道と朝鮮半島が同じくらいの距離であるとか、東京が富山の左上にポツンと存在するように見えるとか、「環日本海」というキーワードを頭に置くと新鮮な地図に見えてくるのだ。教育に従事している大和人さんにとって、生徒への話のネタ(といったら怒られるな。教材か)になるのではないだろうか。
しばらく古い町並みを楽しんだ後は、常夜燈をイメージした富山港展望台へ。眼下には富山港の風景、そして遠くには晴天に映える立山連峰を見ることができる。改めて、山と海に囲まれた町並みを実感する。
ここからぶらつくと運河を渡り、岩瀬浜の駅に戻る。手ごろな散歩コースだが、残念ながら食事を取る時間がなかった。まあこの先新湊から氷見へ抜けるのだし、どこなとありつけるだろうという見通しだったのだが・・・。
ふと駅前を見ると、何やらロシア語でこのような看板。カーテンが閉まっており、何の店だか会社なのだかよくわからない。ふた昔くらい前なら「ソ連や東側諸国の秘密組織か??」などとヘンな想像を働かせるところだが、それは冗談として、先に訪れた富山港展望台にもロシア語の案内があり、このロシア語が当たり前に転がっている光景を見るたびに、富山に来たのだなと実感する。東京ではよほどのところへ行かない限りロシア語の看板には遭遇しないものね。
新港東口行きのバスに乗り込んだのは私たち2人と、接続のライトレールから降りてきた女性の3人のみ。しかもこの人、私たちと同じフリーきっぷを持っており、実質地元の人間はゼロ。果たして、このバスはいつまで運行できるのだろうか・・・・。(続く)