一年でもっとも寒い時期にあたる建国記念の日の連休。昨年は「土日」だったのでごく普通の週末だったが、今年は11~12日を利用して出かけることにした。
行き先は、会津。
会津若松に行くなら新幹線~郡山~磐越西線というのが一般的なルートなのだろうが、今回は趣向を変えて、東武鉄道~野岩鉄道~会津鉄道というルートをとってみることにした。東京から会津への往復用として、東武で「会津往復列車たびきっぷ」というのを発売している。浅草~会津若松間が6900円。その先、喜多方まで行っても7160円。通常の往復で購入するより2000円ほど安くなる。また、東武の鬼怒川温泉・日光近辺がフリー乗降区間であったり、野岩鉄道、会津鉄道の主な駅で途中下車ができる。まずはこのきっぷを事前に購入し、いざ出発。
11日、私の自宅から東武線に乗るには北千住が最寄りとなるが、ここは始発からということで、一旦浅草まで出る。会津田島行きの快速に乗る。6000系という、ボックス席主体の車両で、旅行気分が味わえる。6両編成で、前2両が東武日光行き、中2両が会津田島行き、後2両が鬼怒川温泉経由の新藤原止め。さっそく会津田島行きの車両に陣取る。
そろそろ夜が明け始めた。この日の関東平野も快晴。北千住を過ぎ、高架区間を走るころには左手後方に富士山の姿を見ることもできた。(写真で撮るには、手前に住宅やら何やらたくさんあるので無理だったが、越谷を過ぎてもまだ確認することができた)
そのまま関東平野を北上し、新藤原から野岩鉄道に入る。そろそろ山がちな区間で、トンネルが多くなる。会津と関東を結ぶ鉄道の計画は昔からあったのだが、その最後の難所だったのがこの区間である。
長いトンネルを抜けると、それまで快晴だった空が急に暗くなり、窓の外ではなんと粉雪が舞っているではないか。そして列車が進むに連れ、周囲は雪景色。例年にない暖冬ということで、通常の積雪量はこんなもんではないのだろうが、私にとってはこの冬初めて見た雪景色ということで、じっと窓の外に目を凝らす。浅草から3時間あまり、時間的には近いようで遠いところに来たなと実感する。
会津田島着。会津鉄道の南側の基点であり、南会津の中心的な町である。ここで1列車遅らせて、駅から徒歩10分ほどのところにある合同庁舎の敷地内にある旧南会津郡役所を見学。明治時代に建てられた擬洋風木造建築物という。会津田島で行われている祇園祭の写真や、江戸時代の年貢減免の争議に関する資料、そして、野岩鉄道設立に向けての先人の運動に関する資料などが展示されている。会津若松から会津田島を通り、下野の国を鉄道で結ぶという動きが、全国に鉄道が広がりつつあった当初からなされていたことがわかる。ただ実現した時には国鉄が斜陽を迎え、第三セクターでの開通となったのは皮肉というか時代の流れというか。それでも、細々とした路線といえども、会津の人にとっては重要な足であり、今こうして観光面で首都圏からの客が訪れるようになったのはよいことではないだろうか。
会津田島からの気動車は、会津が産んだ偉人・野口英世にちなんだ車両である。英世の母が英世あてに送った手紙の文字をそのまま車両にあしらっているのだが、こうして見ると「耳なし芳一」のようにも見える。どこか文字を書き忘れていないかと心配だ。
再び雪景色の中を走り、湯野上温泉着。ここで下車する。全国でもおそらく唯一の、茅葺き屋根をあしらった駅舎である。ちょうど行き違いで、団体を乗せたお座敷列車がホームに停まっている。なかなか絵になる構図だ。駅舎の中には本物の火をくべた囲炉裏を囲んでの休憩スペースや、土産物コーナーもある。地元の人たちがきっぷも売れば観光案内もし、注文があればコーヒーに甘酒の給仕も行う。
さて、この茅葺き屋根に誘われたこともあるが、ここから最近注目されている宿場町・大内宿を目指す。ちょうど前日の10日、そして今日11日と、「大内宿雪まつり」というのが行われているようだ。雪に埋もれた宿場町。何だか楽しみだ。ただ問題なのは、湯野上温泉駅から6キロくらいのところだが、バスの便が設定されていないとのこと。ということで、駅前にやってきたタクシーを捕まえる。ちょうど同じようにやってきた家族3人連れと相乗り。これでタクシー代の負担も軽くなる。まあ、バスも通わないというのはそれだけ秘境的でいいのだろうが、こういう祭りの日くらい臨時のシャトルバスを出すとか、せっかく来たのだから受け入れ体制をしっかりしてほしいなあ。湯野上温泉の旅館に泊まる人については宿の車で送迎してくれるそうだが、途中下車で立ち寄る個人の客には何もないようだ。
さて、タクシーで15分くらいで大内宿の入口に着く。さて、雪まつりの賑わいは・・・・?(続く)
会津のこの辺は、戊辰戦争の舞台ではないかと思います。
昔、田宮虎彦の小説を読んだことがありましたが、実に凄惨な戦だったようですね。
現在は温泉の多いよい観光地になっているようですが。
観光化のおかげで、交通の便もよくなったと聞きました。
では、また。
下野方面から街道沿いに攻防戦が繰り広げられ、
この後であの白虎隊の悲劇を生んだ会津若松の攻城戦になりました。
会津は東北の入口で、素朴な温泉も多く湧き出ており、
観光にはかなり力を入れているようですね。
もうしばらくこの旅行記が続きますが、またのぞきにきてやってください。