まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

奈良12番「薬師寺」~神仏霊場巡拝の道・83(修理を終えた東塔に歴史時間を感じる)

2024年01月14日 | 神仏霊場巡拝の道

2024年の年末年始、3日に広島に戻り、4日は広島でのさまざまな用事を済ませ、5日から仕事始め。そして6日が休日で、7日と8日は当番勤務という変則的な動きとなった。

正月休み後の3連休の初日である6日、日帰りで再び関西を目指す。神仏霊場めぐりの続きに加えて、JR西日本「駅からはじまる西国三十三所デジタルスタンプラリー」の追い込みである。今回取りに行くのは、西国第10番・三室戸寺(宇治駅または黄檗駅)、醍醐寺(六地蔵駅または山科駅)である。

その前に、神仏霊場めぐりで次の行き先となった奈良11番・唐招提寺に行くことにする。そして、唐招提寺と近接する奈良12番・薬師寺もセットで参詣することに。まずは西ノ京の2ヶ所を回り、近鉄で北上して宇治方面に向かう。宇治では京都45番・平等院、京都44番でもある三室戸寺と回る。最後の京都46番でもある醍醐寺の参詣は時間的にどうかと思うが、その場合でもデジタルスタンプだけは獲得しよう。

広島6時45分発の「のぞみ78号」で出発。そこそこの乗客がいる。新大阪に到着したが、正月に続いての連休ということで駅も多くの人で賑わっている。

難波まで移動して近鉄奈良線に乗車。神仏霊場めぐりも札所の半分以上を回っているが、奈良エリアについてはこれから向かう西ノ京の薬師寺、唐招提寺のほか、東大寺、春日大社、興福寺、法隆寺などといった名だたる寺社がまだまだ残っている。なかなかくじが回ってこないためだが、後半に盛り上がりを取っているかのようだ。

大和西大寺に到着し、橿原線に乗車。西ノ京で下車する。橿原神宮前方面のホームに「薬師寺」の石碑が建つ。まず、駅からすぐの薬師寺に向かう。

本来であれば線路沿いにもう少し南下して、正面に当たる南門から入るところだろうが、西ノ京駅を出てすぐの與楽門にある北受付から境内に入る。

薬師寺は天武天皇により、当初は飛鳥の藤原京に開かれ、平城京への遷都の後、現在地に移された。薬師寺式伽藍という独特の建物の配置だが、裏門といえる與楽門から入った道順でまずは大講堂に向かう。2000年の再建である。こちらの本尊は弥勒「如来」。弥勒「菩薩」が56億7000万年の修行を終え、悟りを開いた姿とされる。

続いて伽藍の中心である金堂と、その両脇を固める東塔、西塔である。こちらの金堂は1976年の再建。有名な薬師三尊像が本尊として祀られている。神仏霊場として、ここでお勤めとする。堂内には能登半島地震被災地向けの義援金募金箱も置かれている。私も何がしか入れたが、今回の能登半島地震、復旧・復興には相当時間がかかると見込まれる。半島部での地震ということでルートが限られること、また海底の地形上、大型船舶を港に横づけすることもできないという。

そして東塔、西塔である。東塔は薬師寺で唯一奈良時代から残る建物である。とはいえ、これまでの歴史で何度も修理が行われており、私が前回、西国四十九薬師めぐりの発願として訪ねたのは2019年のこと。この時は塔を解体して全面的に修理をするため、塔そのものがすっぽり覆われていた。工事は2020年に完了したが、コロナ禍の影響で落慶法要が行われたのは2023年4月になってのことである。

東塔、西塔とも内部が公開されており、釈迦八相を描いた彫刻作品が納められている。西塔は1981年の再建で、東塔と西塔を並べて眺めると、何かこう、時の移り変わりを感じることができる。上手く言えないが、仏教の教えの一つを体現しているかのような・・。

朱印をいただく。

この後は北境内地に向かい、玄奘三蔵院伽藍へ。こちらは1991年に建てられたものだ。玄奘三蔵の坐像と、遺骨の一部が祀られている。「不東」という額は、天竺に着くまでは一歩も東(唐)には戻らないという意志を表しているそうだ。これにちなみ、伽藍の後ろには平山郁夫の「大唐西域壁画」が保存されており、訪ねた時はちょうど公開期間中だった。壁画のスケールは実に圧巻で、現地を訪ねてみたいと思わせるものだった。

こうして、薬師寺の数々の建物を回ったが、薬師寺が現在あるのは伽藍復興に力を注いだ高田好胤による。戦後、薬師寺は老朽化で荒れていたが、管主に就任した好胤が再建を志し、写経の勧進を広めて全国の篤志から費用が集められた。金堂、西塔を再建し、大伽藍の復興に道筋をつけたところで亡くなったが、その遺志は受け継がれ、東塔の解体修理も落慶した。

これで薬師寺の参詣を終え、與楽門の前の道を直進して唐招提寺に向かう・・・。

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