薬師寺の参詣を終え、そのまま5~6分歩いて唐招提寺に着く。この寺に来るのは、私がさまざまな札所めぐりをするようになってからは初めてである。
門をくぐると、幅広い参道の向こうに金堂が広がる。この光景である。
唐招提寺といえば鑑真和上である。奈良時代、僧たちに戒律を授けるために唐から招かれた僧である。これまで日本では正式な授戒の制度がなく、課税を逃れるために勝手に出家して相を名乗る者も相次いだ。そんな中、遣唐使船で普照と栄叡の2名の留学僧が唐に渡り、鑑真に対して授戒僧を日本へ派遣してほしいと願い出た。ところが鑑真の弟子たちは航海の危険を理由に手を挙げようとしない。そこで鑑真自らが日本に渡ることとした。
しかし当時の唐は出国を禁止しており、鑑真の渡航も極秘裏に進められた。しかし密告、嵐による船の難破などもあり、5回にわたり失敗。おまけに鑑真も失明してしまう。6回目にしてようやく琉球、薩摩を経て日本に渡ることができた。日本に正しい戒律を伝えてほしいという日本からの招きによるとはいえ、国禁を犯してまで自ら海を渡ろうとしたのはなぜだったのだろうか。現代に置き換えてみて、発展途上国に渡って教育振興や技術伝承に貢献する・・というのとも違うと思う。一介のボランティアではなく、国の宝ともいえる高僧が海を渡ろうというのだから・・。
平城京に着いた鑑真は東大寺大仏殿にて聖武上皇、光明皇后、孝謙天皇をはじめ、僧たちに戒律を授けた。その功績によりこの地を与えられ、戒律の道場として唐招提寺が開かれた。合わせて開かれたのが律宗で、南都六宗の一つとなった。鎌倉時代に、西大寺の叡尊により真言律宗が生まれた。
一方で唐招提寺は、平安中期以降は戒律も崩れたために衰退し、その後は戦乱や出火もあり、復興と衰退を繰り返した。先に書いた鑑真の渡航の苦労が世に知られるようになったのは、井上靖の「天平の甍」によるところも多いそうで、恥ずかしながら未読のため、一度手にするとしよう。
元々が戒律の研究所、道場として開かれたため、観音霊場や薬師霊場のように一般の人たちが気軽に参詣する・・という性格の寺ではなかった。そのため、札所めぐりには入ってこなかった。
金堂は奈良時代建立のものとして唯一現存する建物である。格子の間から内陣をのぞくと、中央に廬舎那仏、右に薬師如来、左に千手観音が並ぶ。いずれも国宝に指定されている重厚なラインナップである。この前でお勤めとしたが、本尊の真言を唱えるところではどれを選択するか・・いや、ここは三尊ともだろう。
金堂の後ろにある講堂も国宝で、平城宮の東朝集殿を移築したものだという。こちらには弥勒「如来」が祀られている。
この後は鑑真を祀る奥の院エリアといえるところで、開山堂、御影堂に向かう。御影堂は、あの鑑真和上坐像も安置されているが、公開は開山忌の6月5日~7日に限られているという。
さらに進むと、鑑真の墓である開山御廟がある。この一角をパワースポットとして紹介する向きもあるようだ。門から入ると苔が広がり、その奥にこんもりした丘がある。これが御廟で、周囲を一回りする。
朱印をいただく。墨書は金堂の中央に祀られている廬舎那仏である。
今回の日帰り神仏霊場めぐりの目的地はここ唐招提寺だが、JR西日本「駅からはじまる西国三十三所デジタルスタンプラリー」をコンプリートするため、この後は京都南部の2ヶ所、三室戸寺と醍醐寺のデジタルスタンプを取りに行く。さらに、残りのスタンプである青岸渡寺、紀三井寺、播州清水寺、成相寺、松尾寺を取るため、神仏霊場めぐりについてはあみだくじによる行き先決定はしばらくお休み・・。
次に目指すのは宇治。まずは西ノ京駅に戻る。ちょうどやって来たのは京都行きのビスタカー。ここで特急に乗ってもあまり意味がないので見送り、次に来たのは大和西大寺行きの急行。
そして到着したのは宇治市に入った大久保。ここで下車したのは、地図で見るとJR奈良線の新田駅が近くにあり、乗り継ぐと宇治駅にて西国三十三所のデジタルスタンプを取ることができる。この駅で下車するのは初めてである。
高架下の一角にある立ち食いうどん・そば店「へそ」で昼食とした後(カレーも美味い)、さて新田駅に向かおうとしたが、駅前のバスターミナルにJR、京阪宇治駅方面という文字を見つけた。それなら、いったん新田駅に向かわずともそのままJRの宇治駅に向かうことにしよう。こういう抜け道を見つけるのも札所めぐりの楽しみである・・・。