まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第3回九州西国霊場めぐり~長安寺で納経代行

2021年08月05日 | 九州西国霊場

九州西国霊場の第5番・天念寺を訪ねた。併設して「鬼会の里」という資料館プラス食堂はあるのだが、寺としては無住ということで納経は近くの長安寺に委託しているという。次の第6番・両子寺に向かう前に長安寺を訪ねる。カーナビに目的地入力してもそれほど離れていない。

その中で、標識はカーナビと逆の方向を示す。これは道路上の標識のほうが近いのかなと、あえてそちらの方向にハンドルを向ける。しばらく走るとまた標識があるが、この道はナビに載っていない。別に新しく開かれた道というわけでもなさそうで、私のクルマのナビが対応していないだけなのかな。もっとも、早く着けそうなのはいいが坂道が急で、軽自動車のエンジンが唸りをあげる。

天念寺から10分足らずで長安寺に着いた。ここも公共交通機関で訪ねるには厳しいところ。そもそも、国東半島の海岸部ならともかく、人口の少ない内陸部、山岳部を走るバス路線じたいが存在しない。六郷満山を訪ねるならこうしてクルマか、それこそ峯入り行のように歩いて回るかである・・。

長安寺は奈良時代に他の六郷満山の寺社と同じく仁聞菩薩により開かれたと伝えられる。鎌倉時代には六郷満山の100以上の寺院を従えたという格式のあるところ。

そして、長安寺がある屋山の頂上には戦国時代に屋山城という山城が築かれ、豊後の大友氏の重臣である吉弘氏の居城だったという。ちょうど豊後の北の守りに当たっていたのかな。現在も、長安寺の駐車場から屋山の頂上までの登山道があり、城跡も残されているそうだ。

寺に向かう。仁王門があるわけでもなく、そもそも駐車場からの道は後に整備されたもののようだ。境内に差しかかるとこの下に続く石段に出る。その下にはかつての塔頭寺院の名残なのか、何軒かの集落がある。昔はこちらが表参道だったのだろう。

本堂に向かうと、縁側に納経のサンプルが置かれている。無住の天念寺の九州西国第5番の朱印も扱っているが、長安寺じたいも由緒あるところで自身の朱印もいくつかある。その中で目に入ったのが「九州四十九薬師霊場」・・・。うわ、またいらんもん見てもうたわ。こちらは福岡を起点に九州を時計回りに進み、九州西国霊場には含まれない宮崎、鹿児島両県があり、九州一周ができるというもの。またいつか、しれっとした顔で「第1回九州四十九薬師めぐり」・・・などやっているのかな。とりあえず今は考えないようにしよう。

私の姿を見てか、奥の本坊から住職の奥様とおぼしき方がやってきた。「ご朱印?」ということで、九州西国の天念寺のものをいただく。もっとも、外に出てきたのは「ちょうど生協の人が来る頃なので」ということのようだ。

本堂を辞して、先ほど集落に向かって下る石段の反対側に、山に向かって上る石段を歩く。まさか屋山城まで行くわけではないが、この先に何かありそうだ。道の両側には句碑、歌碑が並ぶ。

そのまま向かうと神社の拝殿に出た。今は(天念寺と同じく)身濯神社というようだが、かつては六所権現社として、不動明王の化身として木造の太郎天が祀られていたそうだ。その拝殿の脇には国東塔が残されている。ここも神仏習合の歴史を伝えるスポットだ。

駐車場から下り坂に入ると、生協のトラックとすれ違う。先ほどの「生協の人」とはこの移動販売車のことだろう。確かに、この辺りをクルマで走る中でスーパー、コンビニはおろか個人の食料品店というのもほとんど見ていない。クルマなら豊後高田や国東の町中に出れば買い物に不自由はしないのだろうが・・・。

ここからいよいよ、六郷満山の中心といえる両子寺に向かう。少しずつ坂道も険しくなり、並石ダム湖の横を過ぎる。この道、1月に国東半島を回った時にも通ったのだが、その時は路肩に雪も積もっていた。その時は時間の関係で杵築市方面に進路を変えたが、今回はそのまま両子寺に向かう・・・。

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