西国四十九薬師めぐりの次の行き先は第48番の水観寺である。水観寺は三井寺の別院で、三井寺の敷地の中にある。そのため、水観寺を訪ねるなら三井寺の拝観料を納める必要がある。それはともかく、西国三十三所の第14番の札所である観音堂も訪ねることになり、薬師と観音、両方の札所を一緒に進めることができる。そろそろいずれの札所めぐりも終盤に差し掛かっている。
この水観寺を含む三井寺は、もともと8月28日に訪ねる予定にしていた。翌29日は京セラドーム大阪でバファローズ対ホークスの試合を観戦する予定で(ちょうど、首位攻防のラウンドである)、先にチケットを確保しておいた。そこに、28日に訪ねる札所をくじ引きとサイコロで選んだ結果、大津行きとなった。青春18きっぷで大津まで行き、参詣後は大津泊まり、翌日大阪に移動して野球観戦後に新幹線で戻る予定にしていた。
ただそんな中、先の記事にも書いたように「WEST EXPRESS銀河」で行く紀南コースの「繰り上げ当選」である。8月27日夜に新大阪から乗車して車中泊、そして28日は新宮泊、29日朝の特急「くろしお」で大阪に戻るプランを申し込んでいた。紀南コースも運行開始以来人気だというので、まさか乗車のチャンスがめぐってくるとは思ていなかった。これも熊野三山のご利益で舞い込んできたものとして、ありがたく申し込みを行う。
ならば三井寺と野球はどうするか。29日の帰りに京セラドームに行けないこともないが、時間的に中途半端かな(球場で観るなら試合前の練習やスタメン発表から観たいので)。そこはどうするかはもう少し考えるとするが、28日の三井寺については別の日である。
・・宙ぶらりんになったが、ここだけ単独で行ってしまおうか。
8月7日~9日、東京五輪閉会式が絡む3連休。その連休は予定を入れていなかったのだが、間の8日に日帰りで大津まで行くことにした。台風9号、10号が日本列島に接近中だが、8日ならまだ大丈夫そうだ。青春18きっぷ乗り継ぎで大津に行き、帰りは新大阪から「新幹線直前割きっぷ」にて「こだま」で安く帰ることにする。三井寺に行って帰って来るだけの行程。
・・・そして8日朝。関西まで青春18きっぷでの乗り継ぎで出るのも久しぶりである。まずは西広島6時19分発の糸崎行きで出発。早朝から東方面に行く時に乗っている列車だ。もっと早く、5時台に出る便もあるのだが、最寄りの広電がまだ動いておらず、かといって西広島まで歩いて行くほどでもないということでまだ乗ったことがない。
糸崎ではすぐの接続で7時57分発の瀬戸行きに乗り継ぐ。これもこのところのパターンである。この日は台風の接近を感じさせない穏やかな空で、糸崎から尾道にかけての海景色を楽しむことができた。
このまま岡山まで乗り続けてもいいのだが、今回は福山で下車する。実は岡山を過ぎて終点の瀬戸まで行っても、後続の相生行きが福山始発のため、座席を確保しようというものだ。岡山~相生間は青春18きっぷの時季は混雑するところ。9時05分発、福山からの折り返し列車は6両編成だが、相生へ行くのは前3両のみで、後3両は岡山で切り離される。
岡山に到着。乗客が入れ替わるが、思ったほど青春18らしい客の姿は見えない。時間帯もあるだろうし、まあこういう状況だからということもあるのかな。駅ごとに下車する人も多く、兵庫との県境が近づくと転換クロスシートにも空のシートが出てきた。
11時18分、相生に到着。同じホームに、播州赤穂から運行の姫路行きが到着する。日中の時間帯は相生で接続するパターンとなっていて、姫路から出る列車は播州赤穂行き。そして山陽線の列車は相生で折り返す。そのほうが車両運用などの都合がいいのだろう。
姫路に到着。すぐに新快速が発車するが、1列車遅らせて昼食とする。ここまで来れば新快速を含めて列車本数が増え、先の見通しも立つ。姫路に来たならばホームにある「えきそば」のスタンド。ここは外せないところだ。
今回は昼食が欠食になることなく、11時57分発の新快速長浜行きに乗車(乗ったのは米原までの車両)。その快走ぶりを堪能する。明石海峡大橋、須磨の海岸など、車窓の見どころも多い。
そのまま三ノ宮、大阪、京都と走り抜け、京都の次の山科で下車。山科は今年が開業100周年ということで、通路や駅前でそのPRが行われていた。
山科からは京津線のびわ湖浜大津行きに乗る。長いトンネルで通過するJRとは一味違って、逢坂山の急勾配をカーブで抜け、最後は道路上を走る区間である。ガタゴト電車の走りを楽しむ。
びわ湖浜大津から坂本行きの列車に乗り継ぐと、「伝教大師最澄一千二百年魅力交流」というヘッドマークと塗装をあしらった車両がやって来た。2021年は延暦寺を開いた伝教大師最澄が亡くなって1200年ということで、大遠忌の法要をはじめさまざまな行事が執り行われているそうだ。時期は若干ずれているが、聖徳太子が亡くなってから1400年でもあったな。弘法大師とはまた違った仏教の大きな流れである・・・。