まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

西国三十三所めぐり~熊野本宮大社へ

2021年08月21日 | 西国三十三所

西国1番の青岸渡寺を回り、そろそろ大阪に向けて戻ることにする。現在の時刻は12時を回ったところで、レンタカーの返却は18時。まあ、間に合うとは思うが・・。

ここまで来たので、熊野三山めぐりの最後である熊野本宮大社に参詣し、そのまま十津川村を経由して紀伊山地をぶち抜くルートで戻ることにする。再び国道42号線に戻り、新宮高校がある交差点から国道168号線に入っていく。熊野川に沿って走る国道である。熊野本宮までは35キロとある。

熊野川に沿って走るうち、雲が広がって来る。朝は雲一つない晴天だったのだが、場面が山になるとまた変わりやすい天候となる。

そして突然の大粒の雨。前日も、昼間の時間に局地的な大雨に遭った。

かと思えばすぐに青空が姿を現す。引き続き熊野川だが、川幅に比して水量が極端に少なく、河原の砂利が目立つ。結構中まで乗り入れるクルマも目立つ。

熊野本宮大社に到着。隣接する駐車場にクルマを停めて、熊野大権現の幟がずらりと並ぶ長い石段を上がる。途中、祓戸大神に手を合わせる。

神武東征の折、熊野から八咫烏の導きで橿原にて即位したことで知られている。熊野本宮大社の創建は不明だが、第10代の崇神天皇の頃、家都美御子大神、熊野夫須美大神、速玉之男大神の神勅により現在の大斎原の地に社殿を設けたという。この家都美御子大神は熊野坐大神とも呼ばれ、奈良時代以降は仏教とも融合して、熊野権現として信仰を集めることになった。言うまでもなく、全国の熊野大社の総元締めである。

その後、平安から鎌倉にかけて多くの法皇や女院たちが参詣したのをはじめ、中世以降は庶民も多く参詣するようになり、「蟻の熊野詣」と呼ばれるほど盛んになった。

かつては上社・中社・下社十二殿を有していたが、明治の大水害で中社・下社が倒壊し、現在の地に上社を移して現在に至る。

ここまでクルマでやって来たわけだが、かつての熊野詣はいくつかのルートがあるにせよ、いずれも難所が続いており、厳しい道中だった。それだけに熊野本宮までたどり着いた感動はひとしおだっただろう。

新宮、那智と回って本宮に来たわけだが、これまでの朱色のイメージから昔から続く木の色が基調で、重みを感じる。また神門の両脇にはメッセージが書かれ、訪れる人に訴えるものがある。

門をくぐり、第一殿から第四殿まで順に手を合わせる。

境内には八咫烏の風鈴や、黒い八咫烏ポストもある。

社務所の玄関に「前」という文字が掲げられている。熊野本宮の宮司の揮毫で、「祈コロナ終息」とある。毎年、来年への期待を込めて一文字をしたためるそうで、この「前」も昨年の12月に書かれたものとある。ちょうど昨年はコロナ禍で足踏みの1年で、新しい年に少しでも前(未来・夢・目標)を見据えた1年になるようにとの願いだが、8月を迎えた現時点で、その願いは果たして叶ったのかどうか・・・。

これで熊野三山めぐりを無事に終えた。これから遅めの昼食としようかと周囲を回るが、入りたい店もなく、多少これかなという店も行列で、この日も昼食は欠食。まあ、この後紀伊山地の山深いところを抜けなければならないので悠長に食事をしている場合ではないのだが、ともかく大阪に向けて出発・・・。

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