まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

赤穂浪士の討ち入りは12月14日ではない?

2015年12月14日 | ブログ
12月14日といえば、忠臣蔵で知られる赤穂浪士たちが吉良邸に討ち入りした日とされる。今でもいろんな切り口で映画やドラマになっている。

先日聴いたアマチュア落語でこんなことを言っていた。「吉良上野介の血液型はA型、浅野内匠頭はAB型。で、大石内蔵助は・・・おのおの型(方)」。

また忠臣蔵の中で飲んべえキャラに赤垣源蔵というのがいるのだが、この名を取ったのが大阪市内にいくつかある居酒屋「赤垣屋」。12月14日は店としてもイベントをやっているところ(最近行ってないので今はどうか知らないが・・・)。

という忠臣蔵なのだが、あの元禄14年12月14日というのは、当時の日付なのであくまで旧暦という。今の西暦に当てはめると、1703年1月30日である。

そうすると、討ち入りのシーンが大雪というのはわかる。今の12月中旬、まして太平洋側なら雪など降らないが、1月末から2月にかけてなら理解できる。

・・・とすると、12月14日に忠臣蔵関係のイベントをするのは正確でないのかもしれない。とは言っても、「12月14日」というのは広く認知されているし、旧暦と新暦の差を気にしている人もそういるわけではないから、まあこれでいいのかな。「1703年12月14日」と言わなければ・・・。

その播州赤穂には赤穂城跡の他、大石神社や花岳寺、赤穂御崎温泉があり、この時期なら牡蠣が名物である。またいずれ訪ねてみたいところである・・・。
コメント