まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第33番「華厳寺」~西国三十三ヶ所巡り・39(谷汲山へ)

2015年12月20日 | 西国三十三所
明けて20日、いよいよ満願の寺となる谷汲山華厳寺に向かう。

前日は東海道線で私が乗っていた列車が人身事故(人との「触車」という言葉を聞くのは初めてだった)に遭い、垂井~大垣間の真っ暗なところで2時間以上足止めを食った。新聞記事になるかなと思ったが、ホテルの朝食会場で岐阜新聞をめくってみたら果たして社会面に載っていた。亡くなったのは男性ということだが、身元はわかっていないとのこと。警察では自殺と事故の両面で捜査とあったが、状況からしておそらく自殺だろう。こういうところの踏切から電車に飛び込むとは、地元の人だろうか。よほど悩むことがあったのかな・・・。

さて、華厳寺への公共交通機関のアクセスは2種類。一つは大垣から樽見鉄道で谷汲口まで行き、コミュニティバスに乗るもの。列車に接続しているが、始発は10時。もう一つは大垣から養老鉄道で揖斐まで行き、同じくコミュニティバスに乗るもの。バスは1日5本しかないが、揖斐駅8時54分の始発に乗れば30分ほどで到着する。

ただ、前日足止めの列車の中の時間つぶしで時刻表をあれこれ見る中で、谷汲口駅から華厳寺まではどのくらいの距離なのかが気になった。これがだいたい4キロとある。ならば・・・駅からの徒歩圏内か。1時間あれば十分とすれば、大垣7時13分発の樽見鉄道で7時59分に谷汲口着。ここから歩けば9時すぎには着くことができる。コミュニティバスの始発より早く着くということで、このルートで行く。どうも西国めぐりをするようになって、「駅から1時間」というのは徒歩圏内と捉えるようになった。

6時半からのホテルの朝食を済ませた後、大垣駅に着く。乗るのは樽見鉄道の気動車。朝の下り列車ということで乗客も数人しかいない。ボックス席に陣取って、朝日の中出発する。西側にそびえる伊吹山の頂上が白い。

樽見鉄道に乗るのは2007年以来。この時は、当時所属していた鉄道旅行サークルの集会が樽見鉄道で行われるというので、大垣前泊で参加した。終点の樽見からうすずみ温泉に向かい、帰りは織部駅で途中下車して隣接する道の駅に立ち寄ったことがある。時期は11月で、沿道に柿の実がたくさんなっていたのを憶えている。

区間運転のある本巣を過ぎ、ホーム1本だけの谷汲口に到着。バスに接続するわけでもなく、下車したのは私一人。ホームに降り立つと、風はないもののひんやりした感じだ。今は枯れた風景が広がるが、桜の時季は鮮やかだという。

駅前はバスが回転できるくらいのスペースがあり、小さな集落がある。そんな中で目についたのが旧型客車。旧国鉄から樽見鉄道に引き継がれ、かつては客車列車としても使用されていたが、引退後はここで保存されている。ただそれにしても劣化が激しい。

駅からの道はわかりやすい。突き当りの七社神社のT字路を左に曲がり、あとは県道沿いである。クルマは次々に飛ばして行くが、歩行者の姿はほとんど見ない。道路の気温表示は3度。これまで西国めぐりで訪れたところのことを思い出しながら歩を進める。

時刻は9時近く、そろそろ谷汲の集落にさしかかる。そこで見えたのは電車。華厳寺へのアクセスはバスしかなかったのでは?・・・というところだが、これは2001年まで走っていた名鉄谷汲線の谷汲駅跡である。名鉄というのもよく分からない鉄道で、岐阜から各方面に伸びていた路線、特に市街中心部を走っていた路線は次々に廃止になった。先ほどの県道も、途中からは旧谷汲線に沿っていたところで、その気になれば廃線跡を見つけることができたかもしれない。

駅構内には2両の電車が停まっている。今見れば味わいを感じる車両。2001年まで走っていたのなら、その気になれば乗りに来ることができたところである。ただ当時は広島在住、またJRの乗りつぶしに目が行っていて私鉄にそこまで興味がなかった。今にして思えば残念である。

旧谷汲駅の次の交差点が華厳寺への参道に続く。ここからおよそ10丁、1キロあまりの道である。満願に続く最後のストレートにさしかかる・・・・。
コメント