上州富岡駅を降りて、富岡の街中を歩く。「富岡製糸場を世界遺産に」と書かれた幟が商店街のいたるところに目立つ。ところどころに明治、大正時代の風情を感じさせる建物に出会うので、なかなか面白い。観光客が歩く姿もちらほら見かけるが、上州富岡駅近辺ではそんな観光客の姿をほとんど見かけなかった。商店街の脇に観光客用の駐車場が見えたから、ほとんどがクルマで来ているのだろう。世界遺産登録暫定リスト入りも、上信電鉄の乗客増にはすぐには結びつかないようだ。
駅から歩くこと10分で、あの教科書やらで見慣れれんが造りの建物に出会う。世界遺産暫定リスト登録を祝う横断幕が構内の外壁に貼られている。また、正門のところで記念写真を撮る人で賑わっている。こちらは現在富岡市の管理下にあるということで、現在のところは観光地というよりは、市の施設を「見学」するという建前のようだ。入館料を取らない代わりに、受付で氏名と住所(市区町村名まで)を書いて見学の許可を得るというもの。ざっと名簿を見たところ、埼玉や東京など群馬県外からの来訪者も多いようだ。
中の見学には、1日5回開催される職員やボランティアガイドによる案内を利用するのがよい。何もなければただ建物の外観を見て、案内板を読むだけだが、この案内についていくと富岡製糸場のさまざまな解説が聴けるだけでなく、一般の個人客だけでは入れない操糸工場内なども見学させてくれるのだ。それも無料で。私が参加したのは11時の回だったが、100人近い見学客が集まった。おそらく、世界遺産暫定リスト登録の話を聞きつけてやってきた人も多いだろう。
見学者の正面にそびえるおなじみの建物は、東繭倉庫である。昔は繭の生産時期が年に一度しかなく、その一方で製糸場は年中稼動させる必要があったために、巨大な倉庫となったのである。てっきりこの建物が操糸工場とばかり思っていたので意外。このあと、黒船来航~開国~明治維新~殖産興業・富国強兵という日本の歴史の流れや、その中でなぜ日本の近代工業化の先駆けが生糸であったかを、ベテランの職員が絵解きのように話してくれる。歴史の授業もこういう風に「講談」のようにやってくれると、もっと生徒の関心を引くのになと思いながら耳を傾ける。
なぜ、富岡の地で製糸場が造られたのか。ガイドの解説によると、
・上州地方は昔から養蚕が盛んであった。
・利根川の支流である鏑川という、よい水に恵まれていた。
・敷地が広大であった。
・エネルギー源である石炭の入手が容易であった。
というのが理由として挙げられる。また、この地を訪れた外国人が、妙義山をはじめとした上州の山々の風景を気に入ったんでしょ、というのはガイドのお国自慢。
富岡製糸場の各建物の工法の特徴は、和洋折衷。フランス積みのレンガの色が目立つが、よく見れば木材で柱や梁を組み、瓦をのせている。レンガも瓦職人が焼き、レンガを止めるのはセメントの代わりに上州で採れる石灰から漆喰を使用したとか。さすがにガラスはフランスから輸入したそうだが。これらの工法を伝えたのがフランス人のブリューナという人。大臣級の高給で迎えられたブリューナの邸宅も隣接して保存されている。
そして目玉は、操糸工場内の見学。歴史の教科書で写真やら錦絵が史料として紹介されていたが、その当時そのままの姿で残っているという。窓を大きくとり採光に気をつかっており、昼間なら照明いらず。今は、かつてここで操業していた片倉工業が置き土産として残した操糸の機械が、どこか当時の面影を伝える形で残されている(全てビニールの覆いがかぶされていたのが残念だが)。長さはこの敷地で最も長い140メートル。それなのに室内には柱がない。その代わりに梁の組み方に力学的工夫をこらした造りという。これだけのスケールの建造物があったのだ。もし今停まっている機械がフルに稼動すると、どんな感じになるんだろうか。
この後、構内のあちこちのスポットを案内していただき、当時のエピソードなども交えて1時間ほど語っていただいた。最後は、「世界遺産登録にはまだまだ多くの関門があります。この製糸場も、外国人観光客の受け入れ態勢も含めて整備しなけりゃなりません。これからも皆さんのご支援が必要ですので、どうぞよろしくお願いします」という言葉で締めていただく。見学客からは大きな拍手。実に勉強になった1時間であった。
東繭倉庫の一階を開放して、繭から糸をとる「座繰り」の実演や、富岡製糸場の昔の写真展などをやっていた。その中には「富岡製糸場を世界遺産に」ということで、正しくは「富岡製糸場と絹産業遺産群」を世界遺産にということなのだが、その紹介パネルが飾られている。製糸関係の建物や、かつての養蚕農家の家屋などもリストの対象になっている。そのエリアは群馬県内の結構広範囲に渡っている。そして、その中になんと、かつて横川~軽井沢のいわゆる「碓氷峠越え」を支えた信越本線の旧線、アーチ型の「めがね橋」も含まれているのを知った。これは初耳。原料、商品の輸送に大きく貢献した鉄道、また当時としては難工事の末に開通した碓氷峠である。今はもう列車が走ることはないが、こうした鉄道に関する物件が世界遺産に登録されるかもしれないと思うと、なんだかうれしくなる。
ぜひとも、日本代表としてこれらの産業遺産群が申請されることを願いたいものだ。もし国民の投票で代表が決まるのであれば、間違いなく一票入れますよ。
上州富岡駅に戻り、高崎行きの列車に乗る。するとやってきたのは、ちょうどレンガ色の車体に「富岡製糸場を世界遺産に」「祝 世界遺産暫定リスト登録」と記された編成である。車内広告のスペースでも富岡製糸場の紹介がなされており、上信電鉄としても何とか応援したいところだろう。ちなみにこの車両、上信電鉄のオリジナルだそうだが、なぜか運転席が車両の右側にある。普通は左側なのに何でだろう。日本の自動車を意識しているのかな。レールの上を走るのだからあまり関係のないことだろうが。
世界遺産登録には、富岡製糸場の職員ガイドも言っていたようにまだまだ難関が控えている。正直、今回暫定リストに登録された8ヶ所の中では、一般の知名度は低いほうだろう。有名観光地というのともチョット違う。それでも、「産業遺産」の価値についてアピールしようというこの動きは、今後に向けて決して無駄なことではないと思う。ただこれが一過性のものでなく、継続した活動であってほしい。
これからも、産業遺産については注目していきたいものである。