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5年間で43兆円

2022年12月06日 18時04分20秒 | 国の防衛
昨日岸田内閣はこれから5年間で防衛費として43兆円をつぎ込むと表明した。年間8兆円です。
NATO基準でしたっけ、「GDPの2%」を採用するとか。 現状の「GDPの1.1%で6兆円」を「2%で10兆円」にしようとする第一歩ですかね。
借金大国の日本が43兆円も? の不安が最初によぎる。どこまで借金でやりくりするの? 
次に 何が強化されて、国民の安全安心はどう拡大されるの? 要するに昨日の決定だけでは中身も解らなければ、その財源も全く明示されてない「絵空事」なんですよね。
今まで「防衛費、防衛論」を取り上げて書いたことはない。 難しいし、見えてないことが多すぎて、諭にならないと考えてきてます。しかし、こんな決定をされてくると、ちょっと考えたいし、国民として考えないといかんのでは と思うようになりました。
「国の防衛」というカテゴリーを作りました。これからいろいろ考え、書い行くつもりです。

先ず第一歩。 ところで今の日本って 他国が攻めてきた時、どれだけ国民の生活・安全を守ってくれるんだろうか、守る気でいるんだろうか。単純な疑問ですよね。でもここが第一歩で、国の防衛を考える出発点だと思うんです。各自が考えておかないといけないし、「ここまでは期待してる」もはっきりさせておく必要有りと思います。
例としては悪いかもしれないが、「ロシアがウクライナに侵攻したように、今中国が日本に侵攻してきた」場合、国はどれだけ国民を守れるんだろう? 守るつもりなんだろうか?
国民一人一人はどう行動するだろうか? あなたはどう行動しますか?
国防能力の実力が知らされてないということがまず見えてきました。「情報は与えられなくていいのだ」という納得でいいのか? 見えないままで「御国におまかせ」でいいのか?
43兆円の是非 ここを問われる時が近々来ます。その時のためにこれから少しづつ考えていこうと思います。
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国防(憲法)論議 私感

2022年05月07日 11時29分09秒 | 国の防衛
憲法記念日 ウクライナの事もあり、国防、安全保障について考えることが多かった。まともに書き出したら絶対に長くなる。思いの要点だけをかいつまんで書いておこう。
「日本人 もっと真剣に考えないとまずいんじゃないか」の思いが強くなったもので。

ウクライナ以外でここ2,3日中に読んだ、知った国防、安全に関する話は
 ・三島由紀夫が市ヶ谷で自殺した事件の裏話と彼があのバルコニーで自衛隊員を前に檄を
  飛ばした内容。
  「君たちは憲法的に中途半端な位置づけだ。そんな立場に置かれてる君たちは真に国を
   守れるというのか?  そもそも『守る』としてる日本国とは君達の中で何か?」
 ・ウクライナからの難民を400万人強受け入れたポーランドで今一般民4万人近くが自発的
  に国防軍に志願し、射撃の訓練を受けてるらしい。「自分が国を守らなければ」と語る。
  若い女性もいる。

九条 護憲だ、改憲だという議論が常にある。ほんとに真をついた議論になってるのだろうか? 改憲護憲を議論する前に「国を守る」ということの本質、実態 そのイメージが国民の中で一定のコンセンサスになっているだろうか。そこの議論(コンセンサスそのものが必要なの?も)からまずやらないと空中戦の議論でしかないと思えるのです。今の状態でウクライナのような状況になった時、日本国はひとつになって対処できるんだろうか。ポーランド人のように志願兵が出てくるだろうか。自衛隊の兵力だけでどこまで対処するんだろうか。安保協定で米国が守ってくれるとしてていいんだろうか。
今行き着いてる思いは これまでの日本人 ここを考えてこなかった。いやむしろ「考えてください。皆さんの義務です。」という為政者からの働きかけもなく、「任せておけばいいや」で他人事にしてきたんじゃないだろうか。
為政者は なんとなくだけど「大丈夫ですよ」感を醸成し、「任せておきなさい」を演出し、国民に考えさせないようにしてきたふしもあるんじゃないだろうか。 なぜそうしたか? その方が自分達の既得権益が守れるから。もう一つあると思うんだが、大々的な国民議論になった場合、まとまりがつかなくなる、収拾できなくなる、自分達のこれまでの「怠慢」が露呈する それらを恐れてきた というのもあるんじゃないか。
国防を考える時 武器、兵力等の物理的な力も現在はまだまだ必要なんだろう。もう一つ 国民の「国を守るぞ」という精神力も必要だろう考えるようになってる。後者も大きな「国力」だ。そして精神的国力無しに物理的国力が活きないのは当然の理かとも考える。
じゃ「精神的国力」を生み、育てるにはどうすべきか。 1人1人が考え、自分の考えを固めていく作業以外に無い。為政者は結果を恐れず、健全な議論が行われるような環境を作り、上手に導いて行く手腕が必要なんだろうと考えるのです。
そしてこれは九条論議にとどまらず、「憲法」を考える場合の基本スタンスだと思うのです。

ついでに、憲法全般について。 憲法は「日本国は・・・、日本国民は・・・」の理念だと思います。日本国民として生きるうえでの社会的制約はその下の法律で規定されるものと捉えてます。世界が、社会がどう変化しても「憲法理念」は変らない、変えてはいけないものと「まず、一義的に」捉えてます。法律を作る際の判断基準(憲法の理念を犯していないか)だと考え、その点で「立憲主義」の考え方を僕はしてます。
憲法論議で悩ましいなと考えてるのは 現憲法の中で「AとBしかない」との前提で条文が書かれてる所は多様性尊重の世に合わないこともあるなという点です。「世の中は男と女だけ」「幸せに生きる共同生活形態は男と女が1対1で結婚という形式をとること」等々。 80年前の社会文化がどうしても入り込んでる部分があるからね。
「かいつまんだ」つもりだけど、長いな。
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艦上イージス はもう一度ゼロから考え直そう

2021年05月21日 09時34分07秒 | 国の防衛
今日はコロナに代表される「世のウザイ事」にイライラしないよう過ごそうと布団の中で決めて、起き出してきたんですよ。暗くなるだけだし、言いたい事、書きたい事は言ったし書いたから「今日はいける」と思って、活動を始めたのです。しかし朝刊の1面TOP記事読んで、「ちきしょう、書かなくちゃ」になっちゃった。
「陸上型」と止めて、「艦上型」に変更した「イージスアショア」 費用は倍になるが、効果は半減するって話ですよ。

・昨年6月河野大臣は「追加コストが膨大になる」を理由の一つに「陸上型」を辞めた。
・代替で出てきた「艦上型」 導入費用は「陸上型」の総コストと差がないと説明。
・代替を「艦上型」とすると閣議決定。しかし運用費用は明らかにせず。
・運用費用 国民には伏せられたが、防衛相内部では4000億+&との試算があった。
   (当然あったでしょうね。 それなしに決定したでは増々「杜撰」となる)
・「艦上型」は舟であるが故にメンテ時間がかかる。稼働時間は半分以下になる。

要するに 「艦上型」は総コスト1兆円(「陸上型」の倍)、稼働期間は半分らしいのです。
説明してこなかったんだから「国民に嘘ついて」、代替案を決め、黙々と進めてきてるってことですね。それで1兆円の金(五輪でも7300億円)使おうという話。我々の税金をですよ。
これも大きな社会問題になるでしょうね。いや、しなければいけない。このまま進めさせたんでは国民が甘く見られる。ゼロに戻して考え直すべきです。
このての話がでてくるたびに勘ぐるんですが、行政が税金使って進める事業って契約額の何%かがその決定者に還元されるのが当たり前になってるんじゃないか。となりゃ、1000億円より2000億円の決定の方がいいに決まってる。錬金術なんじゃないの?
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