カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

女子高生の中に引きこもり青年が入れ替わる   ぼくは麻理のなか

2021-07-20 | 読書

ぼくは麻理のなか/押見修造著(双葉社)

 全9巻の漫画。大学生の途中からいわゆる引きこもりになって、親の仕送りがあるので何とか食べてはいけて、一日中ゲームばかりしている青年がいる。しかし青年は決まった時刻に外出し、コンビニで見かけるだけの女子高生を見に行く。女子高生は美少女で、ただ眺めて後をつけているだけだ。ある日同じようにコンビニから後ろをつけていると、彼女が振り返るようなしぐさをした時から記憶が飛ぶ。そうして目が覚めると、青年はその女子高生になってしまっていた。
 男女の入れ替わりものというのは、ときどきこのような物語になってはいる。最初はそういう、ちょっとエロの入った入れ替わりものかな、という気もした。青年が女子高生になって、生活ができるものなのだろうか。厳密にいうと絶対に無理なはずだが、様々な問題を起こしながらも、しかし女子高生の男は、そのスリリングな毎日に身を投じていく。そうしてその本当は男が女になっているはずの姿を追うもう一人に女、依さんという人がずっと見ていたのだった。
 何が何だか分からないながらに、さすが押見作品という緊張感と、内面の葛藤が終始続いていく。まったく凄い。漫画ならではの話なのだが、しかしこれは本当に漫画なんだろうか。どうして美しい女子高生の麻理ちゃんの中に、引きこもりの小森功という青年が入り込んでしまえるんだろうか。どうして、麻理は意識ともども消えてしまったのだろうか。引きこもりの小森はちゃんとアパートにこもって生活をしている。会いに行くと、麻理たちのことは知らないそぶりで、さらに関係が深まっていくと、麻理に恋に落ちていくようなのだった。いったいこれはどういうことなのか。この作品はSF的に終着駅にたどり着けるのだろうか。
 そういうわけで、作品のオチまで心配しながら読み進んでいって、しかしこれもなかなか思わぬ展開になって、見事作品は着地するのである。びっくりだな、これは。そうして考えてみると、このようなゆがんだような青春というか心情というのは、やっぱりこの頃の女の子や、青年たちにもあることなのではあるまいか。いや、入れ替わりはないかもしれないが、何か女子高生のころの真実のようなものが、男の僕であっても理解できるような感じもある。それは作者も男であるから、男同士の共通理解にあって成り立つ感情なのだろうか。でもたぶんそれは違う。いくら男が考えたって、感情を掘り下げていけば真実に突き当たることもあるのではないか。少なくとも、作品としては、そこまで行ってしまったのではないだろうか。
 いや、改めて凄い人だな押見修造は。漫画の連載途中の作品は見ないようにしているけど、ちょっと困ったことになったと、思っているところなのである。
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