イスラエルの最大の支援国家は、米国である。いわゆるユダヤ人と言われる人が、500万人以上住んでいるともいわれる。ユダヤ人という分類は、特段民族というものとは厳密に違うものがあるのでカウントが怪しいのだが、イスラエルに600万人のユダヤ人がいるとされるので、その次に多くのユダヤ人が住んでいる国だともいわれる。ニューヨークは、ユダヤ人のまちだという人もいるし、しかし多様化が自然な米国にあって、ユダヤ人の影響力は小さくはないらしいというくらいは、前提として認識しておいていいだろう。
そうしてアメリカの各大学には、ヒレルというユダヤ人などがたまり場になるような施設がもうけてあるという。そこでは実際にイスラエルに行ったことのある、ユダヤ教の教えができる若者がいるようだ。イスラエル軍での体験を語れる人などもいた。ユダヤ人が歴史的にいかに迫害を受けてきて、そうしてやっと自分の国を持つことができて、度重なる妨害に屈することなく、ユダヤ人として生きていくことができる。ユダヤ人の多くは、そのような教育を子供のころから繰り返し受けている。そうして青年になって、約束の地であるイスラエルの国を守るために、アメリカからも多くの人が志願して兵役に向かうのである。いわばこれは、そういうシステムになっているのだろう。
ところが一方で、アメリカは実際には多民族国家で、中東からの人間も多く住んでいる。イスラム教徒だっているわけだし、パレスチナ人だっている。ユダヤ人のみのコミュニティでは、まさかユダヤ教やユダヤに関するイスラエル問題について、反対の意見を言うものはいない。しかし自由な討論が可能な集会では、イスラエル問題に意義を申し立てる若者は当然いる。ユダヤ人は歴史的には哀れなる民族かもしれないが、事パレスチナ問題においては、迫害している側では無いのか。そうして現在のガザ地区の戦闘は、あまりに一方的なジュノサイドでは無いのか。軍事的な優位性はもとより、テロやハマスのような武装勢力と戦う事で正当化しているだけのことで、犠牲になっているのはガザに住んでいる一般の市民がほとんどではないか。
そうして実際にアメリカのユダヤ人の若者も、イスラエルに行ってみて気づくのである。パレスチナ人への一方的な日常の迫害や、ほとんどいじめにも似た圧力や暴力。人々が住む建物の入り口に柵を張りめぐらして自由を奪い、夜間になると捕まえて収容所に送る。もちろんその前にリンチする。ひとのいないところで静かに農業を営んでいる家族の小屋を壊し、家畜を野放しにする。人々が生活のために掘っている井戸に動物に死体を投げ入れ、時には科学物質を混ぜたりする。とてもじゃないが生活が行き詰って国外に移動する人々を、迫害して苛めぬくのである。志願してユダヤ人のために働きに来た若者は、実際にはそのような迫害に加担していたことに、だんだんと気づいていく。イスラエルの現状は、そのようにしてイスラエルの国を守り維持しようとしている活動なのだ。
もちろんこのような議論にはバランスも必要で、中東のハマスの蛮行にも目に余るものがある。ユダヤの一般市民は人質として捉えられ、多くの人は激しい暴行や拷問にさらされる。女性は何度も何度も強姦され殺される。彼らにしても復讐かもしれないが、これはもう今やどっちもどっちである。何度も話し合いの場が持たれ、和平は成立したかに見られたが、やはりどちらともなく約束は破られ、何度も何度もやってはやり返すことを繰り返しているわけだ。そのたびにお互いに軍備を整え、憎悪の連鎖を訴え、暴力を拡大していく。
しかしながらだからこそ、最大の支援国家であるアメリカでこのような双方の議論が行われることには意味がある。これまでは一方的にユダヤが優勢で、その意見だけが通ってきたために莫大な資金と共に、イスラエルは支援を受けてきたのである。今の政治情勢が簡単に変化するものでは無かろうが、少なくとも現状を知るユダヤ人の若者がアメリカで生活していくことで、少しづつ何かが変わるかもしれない。つまるところどちらかの勝利という一方的な形での解決は、歴史上はあり得ない事だけは、明らかなことなのである。