カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

伝説の試合を、伝説的にひも解くと   ボルグVSマッケンロー/氷の男と炎の男

2021-07-21 | 映画

ボルグVSマッケンロー/氷の男と炎の男/ヤヌス・メッツ監督

 伝説の試合となった1980年のウインブルドン男子決勝戦。ボルグ対マッケンローの戦いを中心に、二人の内面を含んだ物語を展開させている。特にボルグには大会の5連覇がかかっており、日本にいるテニスに興味のほとんど無かった僕でさえ、この試合のすさまじさは記憶がある。ニュースやドキュメンタリーで見たことがあるのだろう。
 そういうわけで、その試合の結果は知らないではないはずなのだが、これがまた、息をのむような緊張感で、いったいどうなってしまうのだろう? とかたずをのんで試合の展開を観てしまったのである。そんなことってあり得るんだろうか。
 知らなかったのでかなりびっくりしてしまったのは、他でもなくビョルン・ボルグの性格である。この映画の表題にもなっているが、当時いつも冷静にプレーをし、正確なストロークを繰り出していたことから、「氷の男」と評されていたことは間違いない。そこが彼の最大の魅力でもあって、さすが北欧のスウェーデン人は、何か他国とは違うものがあるんだろうな、とさえ思っていた。ところが彼の幼少期からの性格は、それとはまったくの真逆で、激しく切れやすく、感情をコントールできず暴言さえも吐いて関係者を愚弄する暴れん坊だった。生まれた階級も低い庶民であることから、自国テニス界ではプレーを制限され差別さえされていたのである。ところがあるコーチから見いだされ、怒りを圧力釜の中に封印し、一つのプレーのみに集中する神経質な男へと変貌する。同じ椅子に座り同じ車に乗り、ぎりぎりに弦を張り詰めたラケットを決まった数だけ毎日調整して用意し、汗を拭くタオルさえきっちりと決められていた。予定されているものは細部漏らさず守り、いつも神経質にあらゆる物事におびえながら、勝つことの恐怖の中に自分を置いている人間だったのだ。勝利への執着は誰よりも強く、いわば何時も命がけだった。
 一方のマッケンローは、いつもキレキレでラケットをところかまわず投げつけ暴れまわるやんちゃものとして、アメリカ国民の恥として多くの人から嫌われていた。この人も感情をセーブすることの困難な人だったのだ。その行動は連日批判され、友人も少ない。しかし孤独だけれど、誰よりも勝利への執着が強く、落ち着きがないのだった。しかしながらこれは、冷静を装っているボルグ本人にははっきりとわかっていた。ボルグ以上にボルグと同じ人間だったのだ。要するにこの戦いは、実はものすごく同じ人間同士の、激しい葛藤の中にある戦いであったのだ。だからこそ一歩も譲れず、しかし同時にギリギリの綱渡りのような強烈な精神の戦いでもあった。それが本当の歴史的な真剣勝負にあって、実際に奇跡としか言いようのない死闘となったということなのである。
 映画でも少しだけテロップが流れるが、マッケンローは実際はかなりいい奴だったというのは、実は周知のことである。当時も人気の高かったテイタム・オニールと結婚し子も儲けるが、テイタムはドラッグ中毒でもあって生活はほとんど破綻していたといわれるが、献身的に支え続けた。しかしながら結局は離婚して、その後再婚してまた子供がいるようだ。また、テニスの上でも映画の中では決別したように見えるピーター・フレミングとは、何度もダブルスでコンビを組んで優勝している。日本でもCMに出たりした人気者で、引退後もテニス解説者などをやっているようだ。全くの誤解とは言い切れないが、若く激しい試合に対する向き合い方と、普段の性格は別のものではないのだろうか。
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