カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

完全なる日々は儚い   パーフェクト・デイズ

2024-10-05 | 映画

パーフェクト・デイズ/ヴィム・ヴェンダーズ監督

 渋谷の公共トイレの清掃員として働く男がいる。朝起きて歯磨きして髭を整えて、車のエンジンをかけて缶コーヒーを飲んでから出勤する。ある意味判で押したような毎日の繰り返しをして、夜には布団の中で読書して寝て、週末か時折には行きつけの小料理を出す妙齢のママのいる店に通う。同僚の若者はちゃらちゃらした奴で、こんな仕事をしているにもかかわらず金がないと女にもてないと思い込んでいて、風俗なのか、そんなような女にうつつを抜かしていながら愚痴ばかり言う。ある日姪っ子が突然に訪ねてきて居候する。彼女は一人暮らしのおじさんの生活に興味を持ち、それなりにその彼なりの生活に面白みを感じる。男には何か事情があって、大きな会社(同族)で働いていたが、それをやめて、このような生活を選んでやっているということが分かる。毎日カセットテープで古くなった洋楽を聞き、神宮の森でサンドイッチを食べて、木々の様子をモノクロ写真に収める。ささやかながら確かにあるしあわせを満喫しているのである。
 監督がドイツ人というのもあるが、完全に日本への何かの勘違いを抱いた外国映画になっている。几帳面でまじめな日本人像というのはあるのかもしれないが、こんな日本人は日本には存在しない。完全にある種のファンタジーである。日本の若者も、外国人のそれであり、日本人的に物事を考えることは無い。様々な女たちが、男の姿に密かに関心を持っている様子だが、こういう男ならふつうは放っておかないのが女たちであり、こういう風にならないから、日本の男は放っておかれるのである。確かに役者は役所広司で、その淡々たる演技は素晴らしいのだが、彼はまったく平均的な日本人からかけ離れている。そうしてすでに外国人化している。僕には彼から日本男児のおじさんの匂いが伝わらないし、ヨーロッパのダンディ臭さえ感じられる。もちろんそれは彼が完璧に演じているからで、それをカメラに収めると、外国映画になるということである。もっともそれだから、映画として観て新鮮でもあるかもしれないのだが……。
 あまりに美しすぎる生活は、同時に何かもろいものがある。完全である時間は、実に儚いものなのかもしれない。もちろんその前後に体験したものがあって、その対比が無い限り、これらの完全さは際立たない。そういう事がこの価値観を成り立たせている前提であって、最初からこの男がこんな生活をしていたのでは、絵にはならないということなのである。だからこそ、それは実は一瞬の出来事なのかもしれなくて、同じような毎日ではありえないのであろう。
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