カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

文章にはハラスメントがいっぱい

2024-03-23 | ことば

 「マルハラ」というのがある。主にSNSの文面で、文章の最後に〇で終わると、なんだか威圧的だったり、冷たく感じられる、というものだ。最近の若者にそういう感覚があるということで、ハラスメントのように揶揄された言葉だという。
 これについてはいろいろなところで、このことについて書かれているものを読んだ。というか、一斉にこの話題を上げるコラムやエッセイが雑誌などにあふれた。基本的には軽い驚きとともに、そんなもんかね、という世代間の断絶を言っているようだ。僕も最初にこれを言われたところで何にも感じなかったし、むしろそれを面白がって紹介している一方の世代の感覚の方が、気になるかもしれない。
 これはおそらくなのだが、逆にSNSなどで文章が延々に続いていくことに、違和感を覚える側の言説では無いのか。実は僕は若い人々のラインなどのやり取りの方が、恐怖感を覚えるのだ。複数の人で文章を打ち込んでいるときなど、「え」とか「それで」とか、相槌なのかどうか、文字を打ち込んでくる。絵文字のこともあるが、それらの促しに、単に「いや」とか「そうね」とか、ともに意味が行き詰っているようなこともある。それらのやりとりをずっと眺めていることは無いのだが、多少間が空いた後であれ、突然やり取りがまた活発になったりする。このタイミングが何だか変な生き物を見るような感じがして、とても嫌なのだ。
 そういう事もあったためなのか、もうずいぶん前から着信音は鳴らないようにしているし、そういうやり取りの最中であっても、自分の時間帯でない限り見たりすることも無い。そういう恐怖(というか面倒だ)に、嫌気がさしたためだろう。たとえ相手からの問い合わせであったとしても、もうすぐには返さないと心に決めたくらいである。
 でもこの話は、ちょっと胡散臭い。いわゆる若者、いわゆるZ世代、と言われるような人々を、理解不能なので攻撃したいような、そんな感覚の方が強いのではないか。若い人が〇くらいで恐れおののくなんて、その方がファタジーっぽいではないか。単に世代間の文章の書き方の違いに、ウザいな、と思うとか、あれっ、ちょっと調子狂うな、くらいは心の中で叫んでいるのかもしれないが、まあ、そんなものじゃないの、が主流では無いのか。ほんとのことは分かりえないが、それくらいはお互いに思うのが自然だろう。
 でもまあ実のところ、絵文字などを多用するSNS文章というのは、中年の人(特に男性)に顕著だ、という意見もあるようだ。(笑)とかいうのは、もうずいぶん古いが、これを使うのは中年だけだろう(当時始まった習慣だから)。今は(www)を経て、(草)だそうだが、まあ面白くもなんともない。怒ったような文章を書いて(笑)も何にもないから、ニュアンスとして、その文面や流れをもって可笑しい、というのが理想である。分かるヤツだけ分かればいいのである(文面で、すでに明らかなわけで)。そんなに気の小さなことでごまかすような心情の方が、なにかやましいことがあるようで、却って詮索される、ということに気づかないのだろうか。まあ、気づかないからやってしまうのだろうけれど……。ともあれ、〇の怖い奴は、一生怖がっている人生を歩めばいいだけのことだろう。相手のせいではなく、自分のせいなのだから。
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