カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

本を読む。日本人なのに僕らは日本人であることを知っているのだろうか?

2020-05-17 | なんでもランキング
 三木成夫は、最も生前に会ってみたかった人である。何しろ講演の名手であって、普通の授業(講義)であっても、感動のあまり泣き出してしまう学生がいたという伝説の人だ。持っているはずだが「胎児の世界」という名著があり、これも読んでいるが、この内容をぜひ講演で聞きたかった。
 大人になって小林秀雄の講演を聞くようになり(このCDシリーズが素晴らしい)、さらに凄い人がいるという話の中に、三木成夫が出てきたわけだ。父の書架に数冊見つけて読み、過去に読んだことを思い出した。


 今では、これは科学なのかどうかよくわからないのだが、しかし日本人にこういう人がいたというのが大きな財産なのではないかと思う。文章の肌触りが無機質と思われがちな理系の世界に、情緒をもって挑む人がいたことが、今後も生かされていくはずだと思う。


 さて、そういうわけで、現代社会を見ていこう。一般社会の大衆がいかに嘘をついているか。または実感というものがいかにあてにならないか。これほど如術に明らかにしている本も珍しいのではないか。僕は、政治を含めた世論というのは、このような嘘の塊だということが、普通の調査によって明らかにされた画期的な本だと思う。著者はそれなりに著名だと思うが、この事実を受け入れている大衆はまだまだだと思う。というか、わからないのであろう。これを読んで衝撃を受ける人は、僕の友人である。そういう態度こそ、僕が生きていく普通のことなんだと思うのである。



 さて、この本も衝撃的だと思うのだが、たぶん、一般的にはほとんど理解できない類だろうと思う。読んでも、いや読めば理解できるはずだが、そこまでいかない人が大半だ。僕はそういう意味で大衆を馬鹿にしている。別段僕はインテリではないが、これを知っているだけのことである。大衆とは全然違うのだ。いや、大衆とは迎合できない。なぜなら彼らは明確に間違っているからだ。動物を食う、または、一緒に暮らすということで、人間のエゴのことが分かる。そのうえで僕らは生きていかざるを得ない。知らないままの人というのは、多分馬鹿なのである。



 さらに民主主義とは何か。これを明確にすることはあんがい難しい。でも、大体の感じとしてつかむことはできるのである。ぼくは政治的な人間ではないが、好むと好まざるにかかわらず、政治的な社会には生きている。でも政治がなんであるかは、正直に知りたいと思う。その大まかな答えは、この本に書いてある。嘘だと思ったら読んでみたらいい。これが、日本の真実の政治の姿なのだ。
 一般の民衆が政治をわからないのは、単に無知だからである。馬鹿かもしれないと僕は疑ってもいるが、別段頭が悪いわけではない。馬鹿というのは無知なだけのことなのである。



 ということで、福沢諭吉なのだ。これは、皆が知っていると思っているだけで、実は知らないのではないか、と思うので紹介するのである。古い人だが、実に現代的である。いや、ものすごく新しい。もともとの文章も平易だが、さらに読みやすい方法がある。そうして内容は、実に深い。僕らは本当に古臭い世の中の常識に縛られていることを、過去の人から教えてもらわなくてはならない。それくらい人間というのは愚かなのだ。いや、ほんとに新鮮な気分になるはずだと思うんだけどな。



 では、実践に移ろう。僕らが自由なら、この話は何でもない、朝飯前以前の話のはずなのだ。しかし、これはズシりと重たく、そうしてボディブローとして食らったパンチのごとく、僕らを打ちのめすのではないか。しかし爽快な気分は読後感にあるはずだ。
 僕らは社会的にどうやって生きているのか、これを読んで確認するといいだろう。誰もが著者のような生き方はできないし、著者の環境にいた人間の代弁はできないが、少なくとも、今からの生き方は変えることができる。そうしてぜひとも意識的に、人間として生きて欲しい。その始まりの物語なのである。



 学者というのは何を研究しているのだろうか。そういう疑問を抱く人もいるのではないか。では井上章一を読んで、その答えがあるか。いや、無いかもしれない。でも、こういう作業をして、学問というのが成り立つのである。可笑しいのだけれど、しかしこれこそが王道だ。井上には多くの著作があり、どれもかなり面白い。かなりまどろっこしいのだが、これが面白い。学問の門戸を開くとすれば、こういう面白さに目覚めた人たちだ、ということが分かるのではあるまいか。そうしてそれは、今からでも遅くない。




 僕はあえてこのギャグのようなこの著作を、日本人の必読書として推薦したい。ものすごく面白いだけでなく、素直な気持ちで読むならば、このひねくれた人物に、共感まで抱かないまでも、心を開くことができるのではないか。そうして、そのほうが、つまるところ正直なのだ。本を読むということもわかるし、ヒネてしまった自分より東大卒というブランドを持った人間でも、同じようにヒネてしまう現実を知るだろう。それが普通の人間で、でも生きていけるのである。辛辣だが、時代を超えてやはり面白い。古谷野さんは、やっぱり正直者なのではなかろうか。



 一方この人は、本当に正直なのかはちょっと疑問だ。何故かというと、これでは生活が困難になるだろうからだ。「うるさい日本の私」は、それほど目から鱗が落ちるほど、生活を困難にするに違いない。共感はあるだろうが、今の世の中をだからどう変えることができるのか、絶望を覚えることだろう。



 でもまあこの発見は、なかなかに素晴らしい着眼点だと思う。



 これは、本を読む方法が書いてある。本に書いてあることを理解するという醍醐味が紹介されている。本を読むという行為は、ここまで深く掘り下げることができる。こんな読書は、誰にでもできることではない。著者は有名な投手と同姓同名だが(読みは「たく」ですが)、ぜんぜん違う人です。あしからず。



 実はこれ、ゴーストライター説があるのだが、恐らく聞き書きされたということなのかもしれない。ファインマンさんは物理の天才だが、文章を書くのが好きではなかったといわれている。しかし、たとえそうであっても、実に驚くべき面白さなのだ。特に日本人にとっては、このような考え方という基本のものに、まったく別次元の西洋的な利己主義というものを、感じ取ることができるのではないか。また、頭の中の物理の問題が、ちゃんと共通して理解できることを知る。




 これは僕より先輩の日本人の必読書だった時代がある。今となっては、この本自体が古典的だが、内容が古くなっているわけではない。昔から連綿と日本人は日本人だと思ってはならない。今の日本人は、今の日本人の流行りに過ぎないのである。ま、面白い読み物だから、楽しんで読んでください。



 で、これをあえて今読むべきタイムリーさを思う。現代の日本人にとって、アンネさんは、非常に現代的な人だと気づかされるはずである。その悲劇的な背景を知っているから読むという人は多い筈だが、この若い女の子から、僕らは多くの考え方の基本を学ばされることになる。そうして考えていることなど、言うべき時にはちゃんと言う、という大切さを知るはずだ。


 だいぶ探したが見つからず写真は無いが「内なる外国 『菊と刀』再考/C・ダグラス・ラミス」も名著である。日本人でさえ知らなかった日本人の姿を、本当に見事にあぶりだすことに成功している。まあ今時「菊と刀」さえ知らない人がほとんどだと思うが、しかしその今時であっても、西洋人の多くは、そのくらいしか日本人を知らないことも知るべきであろう。

 というわけで、一応7日間。実はまだまだ紹介しきれないものがあって(あたりまえだ)、もうすでにまとめてはあるけれど、ちょっと休憩をはさんでぼちぼち後程紹介いたします(6月から9本くらいやります)。食傷気味になられても、却って良くないですからね。
 それでは、また!
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