カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

大金持ちも驚いた105円という大金

2010-10-18 | 読書
大金持ちも驚いた105円という大金/吉本康永著(三五館)

 「せどり」という商売があるのは知らないわけではなかったが、読んでみると、考えているものと少し違う気がした。というかこれが真実で、商売としては実にオーソドックスであるし、現代的でもあった。情報があるからこそ、逆に生まれるスペースで仕事ができるということのようだ。ある意味でものすごく巨大なアマゾンという存在と、同じく巨大なブックオフという存在があるからこそ、せどりに参入できる人が現れやすくなったということなのかもしれない。または、普通に古書を売っていた古本店のひとも、同じようにネットでせどりをせざるを得なくなっているだろうことが想像される。考えてみると僕自身も出張の度に楽しみにしていた神保町廻りもすっかりしなくなってしまった。僕のような人間はおそらく少なくないだろうとも思われ、時代の波をしみじみと感じざるを得ない。
 著者は借金の返済のために、仕方なくこの業界に参入するのだが、自身の本好きということで実に安易に飛び込んでいったことが伺える。しかしながら、この仕事が安易であるかはまた別の話で、せどりに関してさまざまなドラマがあることが紹介される。一種の冒険譚で、なおかつサクセスストーリーだ。結構細かく事の顛末が語られているので、この世界を知りたい人には大変に参考になるだろうし、また、この仕事を始めたい人には心強いマニュアルとしても読めるだろう。僕も借金で首が回らなくなったらこの仕事を始めるのもいいかもしれないとさえ思われた。大変に苦労しているというのは分かるのだが、同時になんとなく滑稽で、尚煩わしい事はみとめるものの、どことなく楽しそうなのである。それは著者の切迫しながらもどこか飄々としたところのあるところと、実際に徐々に借金を減らすべく成功していくということが大きいと思う。ご本人は成功しているという意識が希薄そうに見えるけれど、これは大変な成功ともいえるわけで、ちりも積もればなんとやらで、実に積み上げていったものが大変に貴重なのだという教訓でもあるだろう。
 しかしながらこのような手のうちをさらされてみて率直に疑問に思うのは、この作業自体を何故ブックオフ自身でやらないのだろうということであった。ブックオフが価値を見抜けないからこのような本がさらにアマゾンで価値を持てるわけであるから、いわばこれはブックオフからこぼれたおこぼれであってもこれだけの利益が出せるという証明でもある。大量にはくことでそのような小さな利益を無視しなければ効率よく商売ができないという考えがあるのであれば、それはそれでそうだろうと言わざるを得ないが、さらに大本のブックオフが本気になったのならば、このような商売でさえ生き残れなくなるのではないか。
 しかしながら、やはりこのような商売が生き残っていけるからこそ、世の中は面白いともいえるのかもしれない。普通であればこのような労力をかけてまで誰もやろうとしない(少なくとも多くはない)からこそ、ビジネスチャンスがある訳だ。大手には大手の戦略があり、ニッチにはニッチのやり方がある。
 下手なビジネス本を読むより実際に多くの教訓が得られ、何より読み物として面白いのだから大変に貴重な本である。不思議なもので僕も頑張って仕事しようという気分にもなるのだった。ある意味でスマートでなくてもやる気があればどんな商売だってやれるという、実にまっとうな人間の生き方なのではないだろうか。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 帰ったのは愛人宅 | トップ | 銭湯居候男 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。