カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

風景は美しいが、科白はクサい   春を背負って

2016-07-29 | 映画

春を背負って/木村大作監督

 父の死を受けて、金融トレーダーをしている息子が跡を継いで山小屋の主人として自立するまでを描く話。もともと従業員として献身的に働いてくれる若い女性がいるほか、何やら以前から父の知り合いだったらしいゴロさんという人もいる。設定としては都会でサラリーの高い生活をしている人間が、過酷な山小屋という環境で、たいして金にならないにもかかわらずそんなことが出来るのかというテーゼのようなものがあって、しかし山にはその価値があるのであるということを言いたい映画なのだろう。理屈でなく、それが人間関係で、そしてそれが山の素晴らしさということだろう。
 結論を書いたのでいうことは無いが、もともとそういう視点なので、なんとなくドラマとしての分かりにくさがあるようなぎこちなさである。はっきり言って科白はかなりクサくて、発音している俳優たちが結構苦労している感じだ。生活の中で馴染まない科白回しだから、もの凄く不自然なのだ。自然の中で人間が発する言葉が不自然になるというのは面白いが。
 オープニングにあるように、子供の頃から父の山小屋生活には付き合って嫌になった過去があるように思う。だからこそ息子は(都市的な職業の)トレーダーになったのではなかったか。しかしその葛藤はよく分からないまま、反抗していたはずの父の仕事をやることになる。徒歩以外に交通手段のない山小屋だから、何もかも里から物品を背負って運ばなければならない。さらに客商売で、食事を中心にさまざまなものが必要だ。山に魅せられる人々がいることは分かるのだが、レスキューなどの公的な機関の仕事とは別に、商売としての山小屋の切り盛りをやる本当の理由は、やはり最後までよく分からない(共感という意味では)感じはした。儲からないから人のためになって素晴らしいという思想が、僕には分からないためだろう。
 余談だが、僕自身は山が嫌いなわけではないが、やはりちょっと不安である。それはお腹の調子が日常的に悪い為で、要するにそういう方面のことが、山小屋においては一番気になるところだ。しかしながら映画だから、そういう方面のことは最後までよく分からなかった。女の人も多くなっているということは描かれているけれど、結局そういう方面のことが不明のままだと、山には入れないな、と思う。まあ、自然のことなので、自然に考えたらいいだけのことなんでしょうね。
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